魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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第九十八話 昨日の答え

 不思議な気分だった。目に映る自分の部屋や耳に入ってくる小鳥に(さえず)りがとても素晴らしいものに感じる。

 昨日までの自分から生まれ変わったような、そんな新鮮な気持ちが胸の内いっぱいに広がっていた。

 時間がとても穏やかに流れていき、僕の心も凪のように静かだ。けれど、温かい想いがその中で明かりを(とも)している。

 幸せというものはこのような感覚なのだろうか。

 世界が変わったと言うより、自分の見方が変わったと言う方が正しい。

 うーん、と伸びを一つした後、ベッドから出ようとして、枕元に白い生き物が丸くなって眠っているのに気が付いた。

 昨日、巴さんたちに着いて魔女退治に同行したニュゥべえだ。いつの間にか帰って来たらしい。

 いつもは僕が起きる頃には既に目を覚ましているので、朝まで寝ている姿を見せることは珍しい。

 すやすやと寝息を立てて寝ている様子はとても心が癒される。

 僕はそっとニュゥべえの身体を撫でた。そして、あることに気が付く。

 

「ハンカチの端が破けてる……」

 

 僕があげた、母さんの形見でもあるオレンジ色のレース付きのハンカチが端が抉られたように削れていた。

 見れば、それは一箇所どころではない。十、二十もちぎられた後がいくつもあり、レース部分が所々なくなっている。

 魔女に襲われたのか? いや、護衛してくれる魔法少女が居た以上それは考え難い。

 取り合えず、怪我はないかとニュゥべえの身体に触れるが傷の方は見られなかった。少なくとも目に見える外傷はない。ひとまず、ほっと安心する。

 「ううん……」と小さく(うめ)くが起きる様子はまるでなかった。疲弊しているのか、相当深い眠りについているようだ。

 昨日何があったのかは気になるところではあるが、今は寝かしてあげておいた方がいいだろう。事情はニュゥべえが後で聞けばいい。

 僕はニュゥべえから手を離すと、静かにペンギン柄のパジャマから制服姿に着替えて、音を立てないように部屋のドアを閉めて出て行った。

 

 リビングに行くと父さんは椅子に腰掛けて新聞紙を読んでいた。

 すぐに僕に気が付いて、穏やかな笑みで挨拶をしてくれる。

 

「おはよう、政夫。何だか機嫌が良さそうだね」

 

「おはよう。……そんな風に見えるかな?」

 

 まどかさんに告白されて少し浮ついていることをあっさりと看破されて、恥ずかしくなり、誤魔化した。

 優しい眼差しで僕を僅かに見つめた後、それ以上は何も聞かずに朝食の用意をしてくれた。

 その気遣いが逆に気恥ずかしくなり、部屋に引き篭もりたい思いに駆られつつも、黙って用意された朝食を食べた。その間、ずっとどこか嬉しそうにしている父さんから目を逸らしながら御飯を掻き込んだので、味の方は分からなかった。

 

 家を出て、いつもの待ち合わせ場所に、そわそわと浮ついた気分で足早に歩いて行く。

 これから僕はまどかさんに会う。僕のことを僕以上に理解してくれた彼女に……。

 そう思っただけで胸から込み上がって来るものがある。頬が赤くなりそうだ。あるいはもうなっているかもしれない。

 ……やばい。本当に凄く嬉しい。

 こんなに胸が(たかぶ)るのは一体何年振りだろうか。知らず知らずに僕は走っていた。

 早く顔を見たい。声を聞かせて欲しい。

 いつもの並木林の近くの待ち合わせ場所まで駆け付けると、そこには会いたかった人がもう既に待っていてくれた。

 上擦りそうになる声を抑え、深呼吸してから彼女に掛ける。

 

「……おはよう! まどかさん」

 

 僕の方へ顔を向けると華のような可憐な笑顔を見せてくれた。

 

「おはよ! 政夫くん!」

 

 抱き締めてしまいたくなるような可愛さだ。

 ピンク色の髪の毛もツインテールを結んでいる赤いリボンも全てが輝いて見えた。誰だ、こんなに可愛い子を初対面で不良と勘違いした馬鹿は。

 まどかさんが不良なら、優良な人間などこの世のどこにも居やしないだろう。

 

「いい天気だよね。日差しもぽかぽかと暖かくて」

 

「そうだね。気持ちいいよね」

 

 一番ぽかぽかしているのは君を前にした僕の心なのだが。

 それとなく自然に傍に近付いて、まどかさんの隣に行った。

 まどかさんも僕を見て、少し頬を染めている。何でこの子はこんなに可愛いのだろう。

 そのまま、じっと彼女を眺めていると前髪を弄って、恥ずかしそうに僕から視線を逸らそうとする。

 僕はそれを見て、自分の幸福が彼女から発生されたものだと実感した。

 

「あのさ……政夫。私らの事は無視してる訳?」

 

 不意に傍で美樹の声が聞こえた。

 振り返るといつの間にか、後ろに美樹や志筑さんが立っていた。

 二人とも、なぜか微妙な表情を浮かべている。

 

「二人とも……いつから居たの?」

 

「最初からだよ!」

 

「最初から居ましたわ!!」

 

 びっくりして二人に尋ねると、怒気を露に()える。

 二人には申し訳ないが、本当に視界に入っていなかった。ここに着いてからまどかさん以外見えてなかったようだ。

 それくらい完全に浮かれていたみたいだ。……悪いことしたな。

 

「ごめん。本気でまどかさんしか見えてなかったよ」

 

「いきなり、惚気られちゃったよ……ていうか、『まどか』さんって呼び始めたんだ」

 

「随分と仲が宜しくなったようですけど、何があったんですの?」

 

 呆れと驚きの入り混じった表情で二人は僕とまどかさんを交互に見た。

 まどかさんは照れて、頬を染めたまま無言で亀のように首を縮める。大変可愛い反応ではあるが、僕にキスをしてくれた時の大胆さは影も形も見られない。あの時は彼女も僕のために勇気を振り絞ってやってくれたことだったようだ。

 昨日のことを知っている美樹はまだしも志筑さんからしたら、唐突に急接近したようにしか見えないだろう。

 どう説明すればいいのか、頭を悩ませていると一人足りない人間に気付き、図らずも話題を逸らした。

 

「それは……あれ? そういえば、ほむらさんは?」

 

「うわっ、このへタレ、思いっきり誤魔化したよ」

 

「でも、確かにいつもなら大体一番にここで待っているはずですのに……」

 

 美樹は僕に対して失礼なことを言って糾弾するが、志筑さんの方は心配そうに眉を(ひそ)めた。

 ここに暁美への友好度の違いが如実に現れた気がする。

 まどかさんも照れた顔から、不安げな表情へと変わった。

 

「ほむらちゃん……大丈夫かな?」

 

「大丈夫かって、どういうこと?」

 

 暁美とは織莉子姉さんの家から出た時に別れたが、それからあいつは魔女退治に皆と一緒に出かけたはずだ。

 僕とまどかさんと正反対の方へ向かったので顔はよく見て居なかったが、まどかさんの方は何か気付いたのだろうか。

 

「私が……その、ほら、政夫くんにしちゃったでしょ?」

 

「あ、ああ。あれね」

 

 キスのことを言っていることに気付いて、あの柔らかな感触を思い出す。まどかさんも僕がそれを思い出していることが分かったらしく、「そ、そうじゃなくて!」と赤くなってちょっと怒った。

 それから済まなさそうに顔を俯かせて静かに言う。

 

「それで、ほむらちゃん……傷ついちゃったんじゃないかな?」

 

「え? でも、僕はほむらさんを……」

 

 僕はちゃんと暁美の好意を断ったはずだ。彼女の方もそれを理解して、受け入れてくれたと思っていた。

 真正面から振った以上、きっぱりと諦めてくれたと考えていたのだが、まどかさんの見解では違うらしい。

 まどかさんは首を横に振ると言葉を続けた。

 

「ほむらちゃんはまだ政夫くんの事、完全に諦めきれてないと思うの……」

 

 それはまだ暁美が僕に好意を寄せているということか。

 一途なのは分かるが、あれだけ決定的に振ったのにまだ好意を持ち続けるというのは相当なものだ。

 正直に言えば、そこまで僕に固執する理由が理解できない。酷い言い方だが、僕がたまたま優しくしたから好意を持っただけだと思っていたが……。

 

「あー……昨日ほむら、何かちょっと顔色悪そうだったし、今日は休むんじゃないかな?」

 

 美樹が悩む僕とまどかさんに気を遣ってそう言うが、その顔色が悪そうだった理由が僕の責任かとも聞こえる台詞だった。

 その後遅刻するか否かの時間まで待ったが、結局暁美は待ち合わせの場所には現れなかった。

 僕は胸にしこりを残しながらも、急いで学校に向かった。浮ついていたはずの気分はその時にはすっかり霧散していた。

 

 学校に着いて、教室に飛び込むとチャイムの音が僕ら四人を出迎えてくれた。

 辛うじて遅刻は免れたが、早乙女先生にはもう少し早く登校しなさいと咎められてしまった。

 別れて各々自分の席に座り、僕は周りを見回して暁美の姿を探すがやはり教室にも彼女は居なかった。

 

 全ての授業が終わっても暁美は来ないまま、僕らは放課後を迎えた。

 昼食はせっかく、まどかさんが僕のためにお弁当を作って来てくれたというのに、暁美のことが気がかりで素直に味わえず、完食はしたものの申し訳ないことをしてしまった。

 それはまどかさんも同じのようで、授業中も暁美の席の方を何度か眺めて、ずっと浮かない表情をしていた。

 気を利かせてくれたのか、それとも上手い気休めの台詞が思いつかなかっただけなのか、皆は揃って放課後は魔女退治へと早々に出かけて、僕とまどかさんを二人きりにさせてくれた。

 僕らは二人並んで家路へと向かう。お互い何も言うことができず、自然と無言になってしまう。

 暁美のことは確かに気になるが、それで今傍に居るまどかさんを悲しませたままでいるのは間違っている。

 そう思った僕はまどかさんに静かに切り出した。

 

「あのさ、まどかさん」

 

「どうしたの?」

 

「こんなタイミングで言うのも何かと思ったんだけど、ずっと返事しないのも駄目だと思うから言うね」

 

 まどかさんの告白の返事をいつまでも待たせて置く訳にはいかない。本当は会った時にすぐ言っておきたかったのだが、暁美のこともあり、言い出し辛かった。

 けれど、これは僕が彼女の傍に居るに至って必要なことだ。

 

「う、うん」

 

 僕の言おうとしたことが分かってくれたようで、まどかさんは緊張した面持ちで僕を見つめて、次の言葉を待っていてくれる。

 それにつられ、僕の方も緊張して心臓の鼓動が大きく脈動していく。(のど)の奥が乾き、身体中がほんのりと熱を持つ。

 だが、その強張りに負けないように真剣な眼差しを彼女に向けて、ゆっくりと一言一言紡ぎ出す。

 

「僕も、まどかさんのことが、好きです。こんな僕でよかったら、ぜひ付き合ってください」

 

 噛まずに言い切ると、目を瞑って大きく息を吐く。

 そして、まどかさんの反応を知るために目を見開いた。

 僕の視界に飛び込んできた彼女は瞳を潤ませて、頬を上気させている

 

「本当に……私なんかでいいの?」

 

「忘れちゃったの? まどかさん。『私なんか』ってもう言わないって約束したよね?」

 

 いつもの調子が戻ってきた僕は少しだけ悪戯っぽい表情で笑う。

 すぐに、また真面目な顔に戻ると今度は彼女の手を取って握り締めた。

 

「君は僕が知る中で一番優しくて、一番芯の強い魅力的な女の子だよ。……正直に言うとここまで人を好きになったの初めてなんだ」

 

「私もだよ……ここまで男の子を好きになったの」

 

 寄り掛かって僕を抱き締めてくれた。

 彼女の髪からふんわりと良い香りが匂う。そっと愛しい温もりを抱き返した。

 幸せが胸の中で膨れ上がって、痛みすら感じられた。

 人を好きになるということは、こんなにも切なくて、温かなものだったのか。

 

「大好きだよ。まどかさん」

 

「私も……私もだよ」

 

 お互いの存在を確かめ合うように僕らは身体を引き寄せ合った。

 今度は昨日と違い、僕の方からまどかさんの唇に自分のそれを押し当てる。彼女の顔が僕の瞳にクローズアップで映り込む。

 僕ら二人の影法師は重なり合い、一つになる。

 そして、――二人の想いも今一つになった。

 




本格的にまどかルートらしくなりました。
爆発してほしいくらい彼は幸せの絶頂期です。

……しかし、一つの懸念事項が二人の恋に影を落としそうな予感がします。

かずみ?ナノカの方を進めていましたが、こちらの方も時折進めて行こうと思っています。

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