暇もないというのに……何をやっているのでしょうか、私は。
僕は走りながら制服のポケットから急いで電話を取り出して、織莉子姉さんに繋ぐ。
用件は二つ。まどかさんの安全の確保と暁美の凶行を伝えることだ。
焦燥感で気が触れそうになる。まだか、まだなのかと心の中で問いかけた。
携帯に耳を押し当てたまま、街中を顔を歪めて、奔走する僕をすれ違う人は奇異の目で見るがそれを気にかける余裕はない。
幾度目かのコール音の後、やっと繋がった電話先に織莉子姉さんの声も聞かず、矢継ぎ早に言う。
「もしもし、織莉子姉さん!? 今、そっちにほむらさんが向かっていると思う! 目的はやっぱりまどかさんの命を奪うことだっ!! 僕も織莉子姉さんの方に向かってるけど、とにかくまどかさんを連れて今すぐ家から離れた方がいい!」
しかし、通話先から返って来た返事の主は織莉子姉さんではなかった。
『政夫くん……今の話どういう事? ほむらちゃんが私の事、殺そうとしてるって……』
聞こえて来た声は現在暁美が命を狙っているまどかさんだった。
「なっ! まどかさん!? 何で織莉子姉さんの携帯を持ってるの? ……いや、それよりも織莉子姉さんは今どこに居るの?」
『美国さんは私と話してた時、急に何かに気付いたみたい怖い顔して……携帯を私に預けて、ちょっと出かけて来るって……』
その言葉を聞いて、織莉子姉さんは暁美が襲撃を仕掛けてくる光景を予知したのだと理解した。そうでなければ、自分の携帯電話をわざわざまどかさんに預ける道理がない。
織莉子姉さんは一人で暁美と事を構えるつもりなのだ。
――自分が視た最悪の未来を回避するために。
こんなことになるなら、他の魔法少女の皆にも暁美のことを話しておけばよかった。
今回の予知が暁美の一時の迷いだと思い、説得できた時に彼女の居場所がなくなることを想定してあえて黙っていたのが裏目に出た。
まさか、ここまで暁美が思い詰めているとは考えていなかった僕の落ち度だ。初めての恋に浮かれていたのだとここに来て実感する。
「まどかさん、取りあえずは織莉子姉さんの家を動かないで。僕もそこに行くから。……一旦通話切るね?」
織莉子姉さんが置いて行ったのなら、下手に外に連れ出すよりは待機してもらった方が安全だ。
今は他の魔法少女を電話で連絡して、織莉子姉さんの家に応援に来てもらおう。織莉子姉さん自身も心配だが、まどかさんの最悪の予知を変える方が先決だ。
『待って、政夫くん!』
まどかさんの声が受話口から外しかけた耳に飛び込んでくる。
『ほむらちゃんが私を殺そうとしてるってどういう事なの? 美国さんも何も教えてくれなかった……もう、私だけ蚊帳の外にされるのは嫌なの!』
悲痛なその叫びに僕は唇を噛み締めた。
そうだ。まどかさんはいつも当事者であるにも関わらず、事態を知ることさえままならなかった。
暁美や僕が彼女に隠して裏で動いていたから、魔法少女関係のことはいつだって終わった後に知らされるだけ。
そこに何も感じないはずはない。僕たちのことを信頼しているとはいえ、自分だけが訳も分からないまま、周囲に助けられっ放しなんて嫌に決まっている。
自分で考え悩む機会も選択する権利も与えられずに結果だけ渡されて誰が納得できると言うのだ。
「……分かった。じゃあ、今起きていることの成り行きを簡潔に話すね」
まどかさんは強い女の子だ。僕なんかよりもずっとしっかりした芯を持っている。
織莉子姉さんの予知、暁美の目的、現状の全てを走りながらまどかさんに伝えた。
話を聞き終えると、それまで黙っていたまどかさんが口を開いた。
『やっぱりほむらちゃん……一人でそんな風に抱え込んじゃってたんだ。私が政夫くんに告白したせいで……』
「違う! まどかさんは悪くない! 悪いのは……悪いのは僕だ。好きでもないくせに中途半端な気持ちでほむらさんに優しくした僕が悪いんだ」
こうなることを考えもせず、愛する気もないのに無責任に手を差し伸べた僕が原因に他ならない。
恋愛感情を軽んじ、向けられる好意に気付くことさえできなかった己の失態だ。
もっと前に暁美の僕に向ける恋慕を理解していれば、暁美もここまで思い詰めることもなかったはずだ。
言葉にするほど自分の無能さに嫌気が差す。顔が俯き、足が重くなるのを感じた。
それは決して振りし切る雨のせいだけではない。
『それこそ違うよ! 優しくする事が間違ってたなんて私は絶対思わない!』
「まどかさん……」
『私だって政夫くんの優しさに助けられてきたから、それだけは分かるよ。だから、そんな事言わないで! もう自分にだけ厳しくしないって約束したでしょ?』
まどかさんのその言葉が僕に速度を失っていた足に力が入る。罪悪感のせいで削られた活力が再び舞い戻って来た。
自分はこんなにも単純な人間だったのかと思うほど、心が温められていくのが分かった。頬に当たる雨の冷たさなど話にならない。
ああ、僕はこんなにもこの子が好きなのだな。
たった二、三言肯定の言葉を掛けられただけで自分の生き方が間違っていなかったと思えるくらいに。
「ありがとう、まどかさん。……自罰的になって背負い込むのはもう止めるよ。だから、待ってて」
『政夫くん……うん! 私、待ってる!』
待つ、ということは何もせずにそのままでじっとして居るということだ。
何が起きるか分からない状況で彼女は何度それを強いられたことだろう。けれど、今回、まどかさんは自らそれを選んでくれた。
僕を信頼して待つと、考えて、そして選択してくれたのだ。
ならば、何があろうとその期待に応えなければ男ではない。
僕は通話を切り、思考を切り替える。
暁美から囁かれた歪んだ愛のせいで冷静さを欠いていた脳が、いつもの落ち着きを取り戻す。
焦っているせいでわざわざ走っていたが、ここからならばタクシーを捕まえた方が断然いい。ちょうど向こうから来るタクシーに手を上げて呼び止める。
タクシーに乗り込むと、織莉子姉さんの住所先を運転手に告げた。まどかさんに贈り物をするために、一昨日の夜に財布に貯金していたお年玉を入れておいてよかった。
車に乗っている間に携帯電話で巴さんたちに一人ずつかけるが、電波が届いていない場所か電話を切っているらしく連絡が通じない。
恐らくは魔女の結界内に居るのだろう。普段は二グループに別れてパトロールをしているそうだから、どちらか片方には連絡が付くと思ったのだが、織莉子姉さんと暁美の二名が欠員のために四人とも一グループで行動している可能性が高いな。
……ひょっとするとこれも暁美の計算通りなのかもしれない。突発的な正常ではない行動と思っていたが、もしかしたら昨日学校を休んで計画を練っていたのだろうか。
とりあえず、電波が戻った時のために四人に簡潔に今の状況を書いた文を送った。だが、今は四人には期待できそうにない。
僕の勘が正しければあいつは今誰よりも『冷静に狂っている』。
*
織莉子姉さんの自宅前に着くと、お金を払ってタクシーから降りた。
窓ガラスなどが割れたりしていないところを察するに暁美はまだこちらに訪れてはいない様子だ。
織莉子姉さんが自ら暁美の方へ出向いたことと、タクシーを飛ばしてきたおかげだろう。
僕はインターホンの前に行く前にまどかさんに電話をかける。いきなりチャイムを鳴らせば誰か分からないために不安にさせると思ったからだ。
「もしもし。僕だよ。今、織莉子姉さんの家の前に着いた」
すると、玄関のドアが開かれて、携帯電話を片手に握り締めたまどかさんが飛び出して来た。
僕を確認すると夢中で抱き付いてくる。
「政夫くん……」
制服の胸元をきゅっと掴むように見上げた顔には安堵の色が滲んでいた。
先ほどの電話では気丈にしていたが、内心不安でいっぱいだったのだろう。
急に自分を守ってきてくれた頼りになる友達が、自分の命を狙い出したのだ。まともな神経をした人間なら平静など保っていられる訳もない。
僕は彼女の背中に手を回して抱き締めた。少しでも彼女の不安を和らげられるように。
「大丈夫、僕が何とかしてみせる」
**
~織莉子視点~
人間は大きく別けて二種類あると私は思う。
善人と悪人。よくある曖昧な二元論に聞こえるが、私の中ではこの二つの境界は明確なものだ。
それは、「目的のために他者を害す事を肯定できるか否か」。
どれだけの大義があるかどうかは関係ない。ただ自分の意志で殺人を犯し、それを肯定できるか。
つまりは殺人を受け入れる人間かで善悪が決まる。少なくとも私はそうだと思っている。
その括りで言えば、まー君は善人だ。
口では何とでも言えるけれど、彼の精神は絶対に殺人を肯定する事はないだろう。あの子は正当性が認められる状況にで殺人を犯したとしても、絶対に自分がやった行いを間違っていたと判断する。
人の命の重さをきちんと理解しているからだ。
悪辣に振る舞ったところでまー君は害する人間には向いていない。その心根はどうしようもないくらいに優しい。
鹿目さんもそちら側の人間だ。今日一日、彼女と話して改めてそれが分かった。
彼女なら、まー君を安心して任せられる。きっとまー君を支えてくれるだろう。
対して、私や暁美ほむらのような人間は悪だ。
命を奪うという手段を選んでしまえるような、自分の都合で他人を傷付ける人間はあの子に――まー君に相応しくない。
だから、私は暁美ほむらが大嫌いだった。
身勝手で他人を
まるで鏡写しの自分を見ているようで、常々不快にさせられていた。
結局のところ、今回の事も起こるべくして起こった事だ。
まさか、自分で守ってきた鹿目さんを手に掛けようとするほど愚かだとは思ってもみなかったけれど、そう遠くない内に自分勝手な彼女が周囲を巻き込んで傷付ける事は何となく予想が付いていた。
予知ではなく予感。女の勘と言ってもいい。まー君が彼女を選ばなかったのは本当に正解だった。
彼女は邪悪だ。私と同じ愛する人をその好意で傷付ける邪悪。
何故、暁美ほむらはそれを理解してできなかったのだろう?
分かっていれば、身を引くべきだと、その想いは押し隠すものだと思うはずだ。
家から出た私は物陰で魔法少女の衣装に変身して、水晶球を傍らに召喚する。
そこには暁美ほむらが私の家に近所を走る映像が映った。背景の明るさから見て、それほどそう先の時刻ではない。恐らく、一時間……いや三十分以内の未来だ。
彼女は鹿目さんを殺しにこちらにやって来る。
そちらがそのつもりなら、私も容赦はしない。私も彼女と同じ種類の悪人だ。
まー君の幸せを踏み
そう考えた時に嘲るの感情が頬を吊り上げた。
鹿目さんを守ろうとした暁美ほむらが今度はその彼女を殺そうとし、逆に彼女を殺そうと画策した私がその命を守ろうとしている。
何という皮肉なのだろうか。まるでそっくり立場が入れ替わってしまったようだ。
*
私が予知に見た場所に暁美ほむらが現れた。
近くのビルの上から見ていた私は、彼女のすぐ真下に設置しておいた水晶球を爆発させる。
その数、二十。足元のマンホールの下に隠しておいた水晶球が魔力を放ちながら弾け飛ぶ。
――殺せる。
そう思ったのは脇にある水晶球に暁美ほむらの無傷の映像が映る前の短い間だった。
ひしゃげて原形を留められなくなったマンホールの残骸が吹き飛んで、跳ね上がり、地面を転がる。
縁の部分が砕け、コンクリート片がばらばらと散らばった。
眼下を見下ろしていた私は予知の光景に従い、その場から飛び退く。
私が居た場所は無数の弾丸で
「随分な事をするのね。美国織莉子」
笑みすら浮かべた暁美ほむらは傷一つなく、とんと靴音を立てて、優雅にビルの屋上に降り立つ。
魔法により爆発する寸前に時間を止め、私の攻撃を回避したのだろうが、あまりにも手腕が鮮やか過ぎる。
とっさのタイミングで時を止め、なおかつ、私の居場所を特定するなんて、常に警戒していないとできる芸当ではない。
「……随分な事? それは貴女のやろうとしている事でしょう? 暁美さん」
「政夫がおかしいと思っていたけれどやっぱり貴女が教えたのね。これだから未来視の魔法は厄介なのよ」
まー君の反応から、私に目的を知られている事を予想していたようだ。泳がせて真意を知るつもりが、逆に泳がされていたらしい。
「優しい政夫の事だから、私が心変わりした時に帰る場所を失わないように、他の皆には口外しないようにしておいたんでしょう? それにマミや杏子だけならまだしも、さやかや呉キリカまで何も知らない演技をしていたとは思えない。障害になるのは美国織莉子、貴女だけと考えていたわ」
にやりと口角を上げる暁美ほむら。
想像以上に冷静に周囲を観察していた事に背筋が凍る。
彼女は嫉妬や逆恨みによる一時的に魔が差した訳ではなく、計画的に鹿目さんを殺そうとしていたのだ。
予想以上に狂気に私は吐き気を抑える。こんな人間が一時でもまー君の傍に居た事に嫌悪感を感じた。
「まー君の優しささえ踏み躙って貴女は何がしたいの? 鹿目さんの命を奪っても、あの子は貴女なんかに振り向かないわ。いえ、それどころか……」
「憎まれる、でしょうね。私の事以外誰も目に入らなくなる」
粘性のある歪んだ感情が彼女の瞳を通して私にも届く。
自分の認識が甘かった事を思い知らされた。今、目の前に居る人間は邪悪など言う言葉では生温い。
暁美ほむらはまー君の思考を自分で埋め尽くすためだけに鹿目さんを殺そうとしている。かつては自分が命を懸けて守ろうとした友達を……たったそれだけのために。
もうまともな人間の思考回路とは完全に解離した、異質なおぞましい考えに指先が震えた。
「貴女は……そこまでまー君に執着しているのね」
「執着? 違うわ、美国織莉子」
蔑むような視線を私に向け、首を横に振る。
「これは――『愛』よ……」
艶然と微笑を
この女は何があろうともここで殺さなければいけない。絶対にまー君や鹿目さんに近付けてはいけない。
「そんな薄汚い感情が愛な訳がないでしょう! まー君たちにその狂った妄執を向けさせない!! ここで私が貴女を終わらせるわ!」
私は声高に言い放つが、対する暁美ほむらは侮蔑するような目を向けて嘲笑った。
「貴女一人じゃ、私に勝てないわ。せめて呉キリカでも居れば話は変わったのでしょうけど」
確かに不利有利で述べるなら、私の方が語るまでもなく圧倒的に不利だ。未来が見えたところで回避する事ができなければ何の意味もない。
弾丸の軌道を予知しても、それを避ける術が私にはない。せいぜい、水晶球で防ぐ程度が関の山だ。
しかし、それにしても彼女の方が戦闘経験に秀でていて、大した成果を上げられなかったのは前回の戦いで分かっている。
勝算はない。返り討ちにされる可能性の方が高いだろう。
それでも、構わない。
やっと掴んだまー君の幸せをこんな奴に汚されて
「暁美さん。貴女に教えてあげるわ。本当の愛をね」
何故なら、この世で誰よりもまー君を……夕田政夫を愛しているのは他ならない私なのだから。
凄いですね、ほむら。これでも彼女、本編ではメインヒロインだったんですよ?
R18の小説の方で『ほむら√アフター』を書いてしまうほど、ヒロインしていたんですよ?
なのにこのifルートではこの扱い。完全に敵側の存在ではないですか。
ちなみに政夫が二人とも選べばこんな事にはなりませんでした。
ほむらもここまで固執する事なく、「他の子ならまだしもまどかなら……」という感じに受け入れていたと思います。
要約するとこの事件は政夫の頭が固いせいで起きた事です。多分。