魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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第百三話 残された手札

 織莉子姉さんの家の応接間に僕は一人用のソファに腰掛けて、待っていた。

 傍にあったドアが乱暴に開かれ、暁美が姿を現す。僕を見て、彼女は静かに問いかけた。

 

「……政夫、まどかはどこ?」

 

「素直に教えると思う?」

 

 目の前のガラス張りのサイドテーブルに置いてあったティーカップを手に取り、紅茶を一口含む。

 しばしの間、両者無言になり、部屋は緊迫した雰囲気に包まれた。

 先に沈黙を破ったのは暁美の方だった。

 

「美国織莉子を殺したわ」

 

「ダウト。場のペースを握ろうとしているのがバレバレの見え透いた嘘だね」

 

 暁美には目も向けず、座ったままでそう言った。

 対面するソファ歩いて行き、腰掛けた暁美は僕に尋ねる。

 

「何故そう言い切れるの? 私にまだ良心が残っているとでも思っているのかしら?」

 

「いいや。僕は今の君の冷静な狂気を信用しているだけだよ。織莉子姉さんを殺すなら確実に僕の目の前でやるはずだ。だって、目に付くところで殺した方が一層僕に憎悪を抱かせやすくなるからね……そうだろう? ほむらさん」

 

 暁美の目を睨み付けるように視線をぶつけると、彼女は嬉しそうに頬を綻ばせた。

 その笑みの理由さえ、今の僕には手に取るように分かった。

 嬉しいのだ。自分のことを僕が理解してくれていることが。

 思えば、ずっと暁美は他人に自分のことを理解してもらいたがっていた。最初に出会った時から心の奥底では共感されることを望んでいた。

 今もそれは変わらない。自分の狂気に歪んだ想いを僕に押し付けるためだけに壮大な茶番を繰り広げている。

 

「やっぱり政夫は私の事を一番理解してくれているのね。ええ、美国織莉子は殺していないわ。まだちゃんとここに持っている」

 

 そう言って、サイドテーブルの上にパールホワイトのソウルジェムを置いた。紛れもなく織莉子姉さんのものだ。色合いも正常で濁っている様子もない。

 内心で安心した後、再び暁美に視線を戻す。

 すると、彼女は意図を察したように腕に付いた円形の楯を軽く叩いた。

 

「身体の方も大事に保管してあるから安心して。この楯の中では時間が止まっているから肉体が腐敗する恐れはないわ」

 

「返せ、と言っても返してくれはしないんだろう?」

 

「大事な人質よ。そう簡単には渡せないわ。……ただ、まどかを差し出してくれるというなら話は別だけど」

 

 楯の中から拳銃を取り出して、織莉子姉さんのソウルジェムに銃口を向ける。

 手馴れた手付きだ。仲良くなっていた相手の命に脅かしていると言うのにまるで良心の呵責を感じさせない。

 僕が頷かなければ撃つかもしれない、そう思わせるには十分なそぶりだった。

 

「とんだクソ女になったね、ほむらさん。今の君はインキュベーター以下の畜生だ」

 

「自覚はあるから心配しないで。でもね、政夫。私をこんな風にしたのは間違いなく貴方よ? あれだけ私に与えてくれたせいで貴方に依存してしまった。もう元には戻れないほどにね」

 

 濁った暁美のその瞳は穢れたソウルジェムを彷彿とさせた。だが、実際の彼女のソウルジェムは濁ってはいないのだろう。

 吹っ切れた態度は前よりもどこか楽しそうにすら見える。それだけが僕が追い込んでしまったということか。

 

「なら、取り引きだ。僕の全てをあげる。髪の毛の先から爪先まで全部だ。煮るなり焼くなりは自由にしていい。……だから、この馬鹿げた茶番を即刻止めろ」

 

 睨み付けていた眼光をより強めて、暁美に詰め寄る。

 だが、彼女はそれに応じようとはしなかった。

 

「嬉しい申し出だけど、それは駄目よ。それじゃ、貴方の心にはまどかが居るわ。私は政夫に一番想われていたいだけよ。憎しみでいいから政夫の思考を私で満たしたいの」

 

 歪んだ好意を見せて彼女は笑った。それは見たくない笑顔だった。

 もう彼女は僕の言葉の届かない場所に行ってしまったことを裏付けるような、少なくとも僕には醜悪にしか見えない代物だった。

 その笑みが説得など無意味だと物語っている。

 思わず、僕は歯噛みをした。

 そして、ポケットに手を入れて、そこからカッターを取り出した。

 刃を押し出してみせると暁美はそれを嘲笑った。

 

「まさか、それで私に立ち向かうなんて言わないわよね?」

 

「ああ、言わないよ」

 

 僕はカッターの刃を自分の手首に滑らせる。真っ赤な血が傷口から流れ出した。

 

「なっ……!」

 

 貼り付けていた笑みが砕け、驚愕と焦りの表情になった暁美は僕を硬直する。

 その致命的な隙に手首から流れ落ちる血液を暁美の大きき開いた瞳に手を振って飛ばす。

 意表を突いたおかげで血の目潰しは見事に彼女の視界を奪った。

 魔法少女であろうとも人間の反射的行動には逆らえないようで両目の血を拭うために手を顔に寄せる。

 その瞬間、カッターを投げ捨てて、テーブルにあった織莉子姉さんのソウルジェムをポケットに入れ、確保すると暁美を突き飛ばして押し倒した。

 

「くっ、この……!」

 

 暁美はその際に銃の引き金を引くが、弾丸はテーブルの上に置かれていたティーポットを砕いて、中身の紅茶をぶち撒けただけに済んだ。

 今もポタポタと血を流す腕を無視して、柔道の押さえ込みの要領で暁美を床に固定させる。仰向けの相手の胴に両脚でまたいで馬乗りの状態から更に胸を密着させて抑え込む、いわゆる『縦四方固(たてしほうがため)』と呼ばれる柔道の固技(かためわざ)の一つだ。

 僕の片方の腕を暁美の首の後ろに、もう片方を暁美の脇の下に回し、首の後ろでしっかりと組み、抱きつくような体勢で上半身の身動きを固めた。

 上体をしっかりと固定させると、必然的に暁美の顔が横向きになり、一層に逃げにくくなる。さらに、自分の両足を相手の足の下で組み、暁美の下半身も抑え込み、完全に外せないようにした。

 魔法少女は筋力においても常人より上だが、人体の構造上重心が定まらなければ立ち上がることも不可能。これが決まれば自分よりも身体能力が高くとも脱出はできない。

 昔取った杵柄という奴だ。こんなところで小学三年生の時に習っていた柔道が役に立つとは思いも寄らなかったが。

 

「僕がただの人間だからって油断したね。でも、これが全てだ。魔法少女だの何だの言っても僕如きにいいように翻弄される程度なんだよ。どれだけ粋がっても君は僕と同じ中学生の子供だ」

 

 怒りを含んだ声に横を向いた状態の暁美の耳元へ響かせる。

 

「さっき巴さんたちとも連絡が付いた。あと十分もせずに皆がこの家に集まる。交渉のカードとして織莉子姉さんのソウルジェムを使うつもりだったんだろうけど、もうそれも不可能。……王手詰み(チェックメイト)だ、ほむらさん」

 

 お前はもう何もできないから諦めろと言葉を投げ付けるが、暁美は無言で僕を横目で見る。その瞳は先ほどの余裕はないが、諦めの色は欠片もない。

 

「……流石ね。まさか、貴方一人でひっくり返されるとは思ってもみなかったわ。でも……詰めが甘いのはお互い様よ!」

 

 ゴッと音を立て、暁美の楯から何かがこぼれ落ち、一メートルほど僕らから遠くに床を転がった。

 反射的に僕はそちらに目を向けると、それは筒状の黒い物体だった。そ

 その直後、その筒状の物体から真っ白い煙が噴射され、僕と暁美を包み込む。息を止めるが、むせ返るような煙は鼻や口から瞬時に滑り込んでくる。

 催涙ガスだと気付いた時には、既に喉からは咳が、目からは涙が、止め処なく溢れてきた。

 極めつけは強烈な吐き気。胃の中の内容物を引きずり出されるかのような感覚に、拘束が緩んでしまう。

 暁美はその隙を狙い、僕を突き飛ばした。

 身体中の目や口の中に焼け付くような痛みを感じながらも、暁美を再度捕まえようとするが、正常に身体が動かない。

 乱暴にドアが開く音がした後、足音が遠ざかって行く。

 粘膜を焼く激痛と激しい嘔吐感に苛まれながらも、ふらつく足取りで僕は暁美を追った。

 呼吸をする度に咳が出て、眼球からは涙が止まらず、走ることができない。

 だが、ふらつく原因は催涙ガスだけではない。さっきから流れる手首から出血も眩暈を引き起こす原因になっていた。

 意表を突くためとはいえ、高い代償だったと言える。

 一旦、煙が充満する部屋を閉めて、ドアに背を預けた。ポケットから前もって用意しておいた包帯とガーゼを取り出して傷口に突けて止血をする。

 あそこで押さえ付けられなかったのは痛いが、織莉子姉さんのソウルジェムは無事取り返すことができた。

 あと数分で皆も集まってくれば、暁美を捕まえることはそうそう難しいことではない。

 問題は、その間に僕がまどかさんを守りきれるかどうかにかかっている。

 取り合えず、まどかさんを隠している場所に暁美を辿り着かせないようにしなければ……。

 催涙ガスのダメージの残る身体で僕は暁美を追った。

 

 *

 

 まどかさんは奥の織莉子姉さんのお父さんの久臣さんの部屋に匿っている。

 その部屋の壁の中に隠し部屋があることを織莉子姉さんからまどかさんが聞いていたのでそこに隠れていてもらっている。

 恐らく、納税申告を誤魔化すためのお金の隠し場所として使っていたようだが、人を隠すにはちょうど良かった。

 トイレで一度胃の中のものを全て吐き出して、吐き気も最高潮から徐々に下がっていき始めた時、暁美を背を追いかけていた僕は彼女がその久臣さんの部屋に侵入するのを見た。

 あの短時間で広いこの家の部屋を全て調べたとは思えないので、多分当たりを付けての行動だろうが、嫌なほどピンポイントだった。

 これが一人で戦ってきた彼女の魔法少女としての勘だろうか。

 すぐに僕も久臣さんの部屋へと乗り込む。

 部屋の中に立つ暁美の顔には涙の後もなく、催涙ガスのダメージは少しも見られなかった。

 僕を振り返ると、暁美は尋ねた。

 

「ここにまどかを隠しているわね?」

 

 僕の反応を伺い見るように観察するその目に一目で、こちらにカマを掛けているのが分かった。

 だが、心理戦を僕に持ちかけるのはあからさまに無意味だ。

 

「そう思うなら探してみれば?」

 

「ええ。そうさせてもらうわ」

 

 すると、サブマシンガンを楯から取り出して、部屋の中で乱射した。壁にいくつもの穴が穿たれ、多少の置かれていた調度品の類が砕け散り、宙に舞う。

 僕は予想だにしなかった派手な行動に息を呑む。

 銃声がぴたりと止むと、ぱらぱらと崩れていく壁の破片が床に置いていくのが見えた。

 そして、壁の塗装が剥げ落ち、ある一部の場所だけ壁の材質が異なることが露見する。

 そこは大きなクローゼットの後ろにある壁だった。

 

「見つけたわ。ここね」

 

 壊れて粗大ゴミと化したクローゼットを暁美は蹴って退かすと、隠し部屋へのドアを見つけ出した。

 まずい。暁美を止めないと……。まどかさんが危険に晒される。

 僕は暁美が隠し部屋への侵入を阻止すべく、駆け出すが彼女の行動の方がずっと早かった。

 暁美は走り寄る僕を一瞥した後、また退廃的な笑みを浮かべて、手の甲にある砂時計の付いた楯に触れる。

 

「……次に会う時は政夫は私の事以外考えられなくなっているわね」

 

 止めろ――そう声も上げる間もなく、ガチャリと砂時計のギミックが音を立てた。

 

 **

 

~ほむら視点~

 

 

 時間を停止させて、制止の声でも上げようとしていた政夫が途中で硬直する。

 苦しかったループする時の迷宮の中で私に幸せを与えてくれた愛しい彼。皮肉屋で、意地悪なところもあるけれど、誰よりも優しくて温かかった。何より、誰にも理解されないと思っていた私を理解してくれた。

 まどかという道標以上に大切になっていた私の恩人。

 私の誰よりも……誰よりも大切な人。

 でも、彼の中にはまどかが居る。まどかと共に居た彼は私と一緒に居た時よりもずっと幸せそうだった。

 悔しかったが、同時に納得ができた。

 私は、私の都合でしか政夫を見れなかったけれど、まどかは彼の弱いところまで理解した上で想いを告白した。

 まどかの方が相応しいのは思考では理解できる。けれど、感情では受け入れることなど到底できなかった。

 だから、せめて……政夫の心に私を刻み付けたい。決して、消えない私の跡を。

 ――そのためにまどかには犠牲になってもらう。

 

 引き戸になっている扉を開けて、隠していた部屋の中に入る。

 そこには怯えた表情で固まっているまどかが座っていた。

 壁は分厚かったので弾丸こそ突き抜けてはいなかったが、ここにも銃声は響いただろうからそのせいだろう。

 私はマミたちが来た時のためにサブマシンガンは楯に戻し、代わりに拳銃を取り出した。

 停止したまどかの姿を眺めながら、その拳銃を向ける。

 不思議な感覚だった。今まで、まどかを守るために戦ってきたというのに、こうやって自分がまどかを殺そうとする日がやってくるなんて……。

 そして、自分がそれに対して何の抵抗も躊躇も感じていないことに気付いてさらに驚いた。

 

「結局、まどかに対する私の執着は絶望しないための……仮初の希望でしかなかったのね」

 

 思い返せば、私がインキュベーターと契約をした時の台詞が全てを語っていた。

 『私は鹿目さんとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい』。

 あそこでまどかの蘇生ではなく、出会いをやり直したいと願った。

 つまりは満足がほしかっただけ。他人に守られていた自分から脱却がしたかっただけ。

 本当にまどかの事を大切に思っていたのなら、『次』があるなんて思う訳がない。

 

「ごめんね、『まどか』。……私、貴女のことを友達として見ていなかったみたい」

 

 目の前に居るまどかだけでなく、今まで見殺しにしてしまった全ての『まどか』に謝った。

 罪悪感はあった。けれど、昔感じた胸を焦がす後悔はもう私の中には存在していなかった。

 私の中で希望と同義だった『まどか』は政夫に恋をした途端に陳腐化してしまっていた。

 きっと、まどかを殺しても私の心は痛まない。そんな確信めいた思いだけが胸の中にあった。

 大切な親友だと思い込んでいた相手に向けた引き金は軽かった。

 放たれた弾丸はまどかの左胸に吸い込まれるように飛んで行き、空中で停止する。

 そして、楯に付いた砂時計を弄り、時間の流れを元にも戻した。

 

 ***

 

 目の前に暁美が居なかった。代わりに空け放たれたドアだけが取り残されている。

 時間を止められたと察しつつも、僕は部屋の中へと急いで走っていく。

 そこに居たのは、拳銃を構えた暁美と、奥の壁に背中を預けるようにして座っているまどかさん。

 双方共に驚愕に彩られた表情をしていた。

 まどかさんの着ている制服の上着から起立した白い二本の触腕。それが放たれたと思わしき弾丸を摘まむように受け止めている。

 

「やっぱり切り札(ジョーカー)を備えておいてよかったよ」

 

 僕の声に答えたのはまどかさんでも、暁美でもない第三の声だった。

 

「まどかの服に擬態しておいて、なんて難しい注文だったけどね」

 

 まどかさんの着ていた制服の上着がぐにゃぐにゃと形状を変えて、一人の少女の姿へと変化した。

 白い髪の中間にリング状の飾りの付いたツインテール、真っ赤なルビーのような瞳、小動物のような口元のその少女の名は――。

 

「本当にありがとう。ニュゥべえ(・・・・)

 

 僕が持つ最大の戦力にして、最高の相棒。元インキュベーターのニュゥべえだった。

 




今まで出なかったニュゥべえが最高にいいタイミングで登場しました。
ニュゥべえってヒロイン的な立ち位置には立てませんが、誰よりも頼れる女の子ですよね。
まどかルートでもほむらルートでも輝いています。

まあ、ニュゥべえルートはないんですけど……。

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