何かもの凄く気恥ずかしい気分だ……。
恋人とはいえ、今までは吐いたことのない弱音を女の子に聞かせてしまった。
おまけに現在進行形でその相手と手を繋いで歩いているなんて。
「ん? どうしたの、政夫くん」
「いや、何でも……」
人が周りに居なかったとはいえ、あれからまどかさんに抱き締められ、涙が止まるまで頭を撫でてもらっていた。
十分ほどそうしてもらった後、思考が平常に戻ると無性に恥ずかしくて堪らなくなったが、これから自分が何をしたいのかがすんなりと理解できた。
少しでも彼女と共に居たい。同じ時間を過ごしたい。
この街や魔法少女たちのことがどうでもよくなった訳じゃない。けれど、それよりもずっと大事なことだった。
だから、僕はまどかさん以外の全ての諸々を捨てることにした。この街のことは魔法少女たちに任せよう。
とまあ、まず駆け落ちをすることは決めたが、そのためにはある程度は纏まった金銭が必要不可欠だ。
旅行というのも少し変な気もするが、それ相応の旅仕度はしなければならない。
だから今、僕はまどかさんとニュゥべえと共に家に戻ろうとしていた。
「私、そういえば政夫くんの家に行くの初めてだね」
「本当だね。逆ならあるのに」
付き合ってから日が浅いからということもあるが、僕はあまり友達を自分の家に呼ばない。あまり深く考えて来なかったが、それは多分僕が誰かに近付き過ぎないように壁を作っていたせいだろう。
家に入れたというか、侵入してきたのは……あの迷惑なテロリストだけだ。
今、学校では朝のホームルームが終わり一時間目が始まったくらいの時刻だ。美樹たちはもう暁美と元通りの関係を築くことはできないだろうが、彼女には上条君が付いていてくれている。
ちょっと変なところがある上条君だが、芯が強く、人のことを思いやれる彼なら暁美とも何とかやっていけるだろう。
そうこうしている間に僕たちは家の前に着いた。
「ちょっと鍵開けるから待ってて。あと、ニュゥべえはまどかさんの方に」
「うん。分かったよ」
僕の肩の上に乗っていたニュゥべえはそこからぴょんと飛び跳ねて、まどかさんの腕の中へと飛び移る。
羨ましいと、若干ジェラシーを感じつつもドアの鍵穴に鍵を差し込んで回した。
「……あれ?」
本来ならば、鍵が開く時のがちゃりという音が聞こえるはずなのにそれどころか、まるで鍵が掛かったかのような手応えがした。
いや、「ような」ではなく、間違いなく鍵が掛かっていた。その証拠にドアを捻っても一向に開く気配がない。
ということはつまり、最初の段階でドアに鍵が掛かっていなかったことになる。
もう一度鍵を使い、今度こそドアを開けるとそこにはこれ見よがしに革靴が玄関の足場に揃えて置いてあった。
「どうしたの?」
まどかさんが不審がって僕に聞くが、それにどう答えていいか分からずに悩んだ末、正直に述べた。
「……なぜだか分からないけど父さんがまだ家に居るみたいなんだ」
「え? 政夫くんのお父さん?」
父さんは今日は別に休みでもなく、いつも通り仕事のある日だ。精神科医という職業柄、休みはそう多くはないのだが、これはどういうことのなのだろう。
戸惑う僕にまどかさんは何かを決意したように頷くと、一言「お邪魔するね」と断りを入れた後、家に上がって行く。
「え、ちょっと……」
いつになく強引な行為に虚を突かれたが、僕もまた彼女の後を追い、家に上がった。
廊下を通り、リビングまで行くと父さんが椅子に腰を掛け、テーブルに両手を両手を置いて待っていた。
「……父さん」
「お帰り、政夫。朝の様子が妙だったから必ず帰ってくると思ってたよ」
確かに朝食時に味覚がなくなっていたせいで食事を取る仕草が少し不自然になっていたかもしれない。だが、それだけで僕が必ず帰ってくるとまで読み切れるのは普通ではない。
その並外れた洞察力に思わず、息を呑む。この人には一体、どこまで気付いているのか。
「そちらの方は……彼女かな?」
僕からまどかさんに目を移すと、父さんは目を僅かに細めた。そして、当然の一発でぴたりと当てる。
まどかさんは僕が紹介する前に一歩進むとお辞儀を一つした。どこか表情が硬く、怒っているいうにも見える。
「初めまして。鹿目まどかです。政夫くんとはお付き合いをさせてもらっています」
物怖じしそうなのにまったくそんなところは見せず、むしろ毅然として父さんを見つめている。
ニュゥべえはいつの間にか彼女の腕の中から僕の足元まで移動していた。
「こちらこそ初めまして。政夫の父の夕田満です。息子と仲良くして頂いているようで、とてもありがたいです」
まどかさんのその態度にも気分を害すことなく、優しげに父さんは微笑む。
僕は彼女のいつになく頑な態度の理由が分からなかったが、父さんの方は何かに気付いている様子だった。
「まどかさん。何か、僕に伝えたい事があるように思えますね。どうぞ、遠慮なさらずに聞かせください」
「それじゃあ、言いますね……どうして満さんは政夫くんを甘えさせてあげなかったんですか!」
抑えていた息を吐き出すようにまどかさんは怒気の混じった台詞を放つ。
初対面の相手にいきなり怒るなどおおよそ彼女らしくない対応だが、その言葉は非常に彼女らしかった。
「今日初めて会いましたけど、満さんは政夫くんの事よく見ているお父さんだっていう事は何となく分かります。でも、だからこそ、満さんが政夫くんに甘えさせてあげなかったのが余計に分からなくなりました」
「まどかさん……」
そんな風に考えてくれた自分の恋人に僕は温かい気持ちにされると同時に複雑な気分になる。
父さんにそれを求めなかったのは僕の方であり、父さんは僕の意思を汲んで、子供扱いしないでくれたのだ。それを責めるのはお門違いだろう。
それを言おうとして口を挟もうとした時、父さんがまどかさんに答えた。
「それは僕が政夫の事を避けていたからだよ」
その言葉に思わず、聞き返す。
「え、それ……本当?」
「そうだよ。僕は君の事を遠ざけていた。もちろん、親として最低の世話はした上で、だけどね」
知らなかった。いや、気付けなかった。
誰よりも自分の傍に居た人なのに、僕は父さんのそんな気持ちを汲み取ることもできていなかった。
父さんはゆっくりと僕とまどかさんを眺めてから、過去を見つめるような遠い目をして
「僕はね。政夫が生まれてくるのを反対した人間なんだ」
そう言って始めた話は僕の知らない父さんの一面だった。
身体の弱い母さんが僕を身篭ったと知った時、父さんは母さんの事を心配して堕胎するように勧めた。元から心臓に疾患のある母さんに出産は耐えられないという見解だったそうだ。
しかし、子供を産むことが夢だった母さんはそれを拒絶し、一時は離婚してでも僕を産むかどうかで揉め、最終的に母さんの意思を認めた。
それでも、いざ臨月間際になると母さんの体調が一変し、生死の境をさまようほどの重態にまで発展してしまった。
その時、父さんは今からでも僕を堕ろすように何度も何度も説得した。子供など居なくてもいいけれど、君が死ぬ方が堪えられない、と。
その時、母さんが父さんに返した答えが「もし、この子を殺そうとするなら、私が貴方を殺す」という台詞だった。
「奇跡的に無事、生まれた政夫を僕は抱き締めることができなかった。一度は死を望んだ子供に愛を向ける自分がどうにも身勝手に思えてならなかったんだ……」
「それで……僕の小さい頃は家に居なかったの?」
申し訳ない顔で僕の顔を見つめた父さんは静かに頷いた。
「政夫の顔を見る度に自分の汚さを直視させられているようで、仕事の量を増やしてもらって少しでも合わないようにしていたよ。……弓子が死んでからはそうもいかなくなったけどね」
今、思い返せば幼い時は母さんと居た記憶はあるが父さんと交流した記憶はなかった。父さんが僕を早く一人立ちさせるように育てていたのもきっと僕と離れたかったからだったのだろう。
親と仲の悪かった友人の相談は何度か受けたことはあるが、こうして自分が親に敬遠されていたのだと知ると少し辛い気分だ。
「……でも、政夫くんの事が嫌いって事じゃないんですよね?」
「……………」
まどかさんの問いに父さんは俯いて沈黙する。自分には何も言う資格はないというように甲斐のように口を噤んだ。
その様子を見て僕は理解した父さんはずっと僕のことを疎んでいたのだ。別にそれに対して責めようなどとは思わない。むしろ、嫌いな相手をよくもここまで育ててくれたと感謝したいくらいだ。
父親との間に溝があったことは悲しいが、今更それで心を痛めるほど幼くはなかった。
「まどかさん、……もういいよ」
「……好きだよ。大切な息子だ」
「え?」
「嫌いな訳がないだろう……! こんな育てられ方をしても、誰かのために頑張れる子になってくれた、自慢の息子だっ!」
顔を上げた父さんは涙を流していた。常に微笑を絶やさなかったのに、今はいつになく必死な表情を僕らに向けている。
「でも、そういう風に接する事ができなかった! 抱き締めてあげることができなかった! 顔を見る度に息子の死を願ったあの頃の自分を殴り殺したくなるよ! だから、せめて、模範にできるように人間として強くなるように見守っていた!」
超然とした有名精神科医としての夕田満はそこには影も形もなかった。そこに居るのは真面目で、少し情けない、不器用な父親の姿だった。
ああ。そうかと納得ができた。
この人は本当に真面目なのだ。愚かしいまでに真面目だからこそ、欺瞞の愛を向けることができなかったのだ。
自分の醜さが許せなくて、ずっと自分を律していた。嫌になるくらい僕とそっくりだ。
「何かに政夫が巻き込まれている事は分かってた。でも、僕には見ている事しかできなかった! どうやって接すればいいのか分からなかったから……!」
「もういいよ。父さん」
僕は父さんに近寄ると父さんは、僕の顔を見上げた。そこに強さはなく、叱責されることを怯える弱々しさだけを感じた。
馬鹿だった、僕も父さんも。勝手に在り方を決定して、そのせいで容易に動かせないようになっていた。
親子揃って頭でっかちにも程がある。
座っている父さんを抱き締める、僕がまどかさんにそうされたように……。
「政夫……?」
「父さんに育てられたから今の僕が居るんだよ。だから、そんなに自分を責めないで」
感謝と労いを籠めた抱擁。
今ほど僕は父さんとお互いの気持ちを語り合ったことはなかった。
例え、ずっと一歩引いていてもそれでも愛を育んでいてくれたからこうして僕は生きていられる。
まどかさんたちの手助けをできたのも父さんに教えてもらったことがあったからだ。
「だから、今、こうして飛び切りの恋人ができた」
後ろに居るまどかさんを横目で見る。
僕にはもったいないくらいの強くて、優しい最高の女の子だ。
「口に出したことはなかったけどさ……育ててくれてありがとう。父さん」
涙を流す父さんを強く抱き締めた。
擦れ違っていた時間は戻らないかもしれない。だが、僕と父さんはこれ以上ないほど近くでお互いの存在を感じた。
「政夫……ちゃんと愛してあげられなくてごめん……優しくしてあげらなくてごめん……」
「愛してもらったよ。十分過ぎるくらいに。だから、もう自分を責めなくていいよ」
今日、父さんと話せて良かった。もしも、このまま何も語らず、去ってしまっていたら何も知らないまま死ぬところだった。
十四年間のあった
***
ニュゥべえの姿を現してもらい、僕は父さんに全てを話し終えた。
最後まで父さんは口を挟まずに聞いてくれたおかげで話はすんなりと終わった。
「だから、僕はまどかさんと一緒に駆け落ちしようと思ってる」
「そうか。そんな事があったのか……」
息子があと二日の命で、駆け落ちするなど言われれば、反対させることは確実だ。
例え反対されても僕はまどかさんと共に全てを投げ出す覚悟だったが、意外にも父さんはそれを了承した。
「今まで何もしてやれなかった僕が止めろなんて言わないよ。ただ、後悔しないように生きなさい」
「父さん……うん。分かったよ」
力強く答えると父さんは頷いて、今度はまどかさんの方を向いた。
「まどかさん。どうか、息子をよろしくお願いします」
「はい。分かりました。政夫くんは私が幸せにします!」
それは本来僕の言葉だと思うが、まどかさんはそれを受け取って力強く答えた。
父さんは僕の方を見ると、小さな声でこっそりと僕に伝える。
「(良い子だね、彼女。絶対に手放しちゃ駄目だよ)」
「(分かってるよ。それくらい)」
嬉しそうに笑うとニュゥべえにも頭を下げた。
「ニュゥべえさん……でしたっけ? 政夫をよろしくお願いいたします」
「うん。任せてよ」
「政夫が弓子の形見のハンカチを渡すくらいですから、よほど頼りにしているんでしょうね」
余計なことを漏らす父さんに僕は肘で突付いて黙らせる。
お互いの溝が埋められたせいで少々、父さんがフランクになっている気がした。
いや、元々はこう性格だったのを僕のせいで変えていたのかもしれない。
父さんの変化に苦笑いをすると、父さんは戸棚から二つの茶色い封筒を取り出してその内の分厚い方を手渡した。
「はい。政夫」
「何これ?」
「政夫が高校生になった時に手渡そうと思ってた一人暮らし用の資金。百万ほど包んである」
「ええー!?」
封筒の中を確認すると本当に中身は一万円札が百枚ほど入っていた。
そんな大金を銀行に預けるでもなく、戸棚の奥にしまわれているとは思ってもみなかった。
「持っていきなさい。お金が必要になる時もあるだろうから」
「いや、もらえないよ。こんな大金……」
「もうすぐ死んでしまう息子に与える小遣いとしては少な過ぎるくらいだよ」
「でも……」
それでも受け取れないと突っぱねようとするが、父さんには首を横に振った。
父親としての命令だと絶対に曲げるつもりはないようだ。
「それよりも時間がないんだろう。すぐに旅支度をしておいた方がいいんじゃないかな?」
「ううー……」
「もらっときなよ、政夫。お金はあっても困らないよ」
ニュゥべえにもそう言われ、ここで突き返すのも失礼に思い、ありがたく懐に入れることにした。
若干、後ろ髪引かれる思いがしたが本来の目的は旅支度をすることなので、大人しく自分の部屋でその用意をしに行く。
「じゃあ、まどかさん。ちょっと待ってて」
「うん。待ってるね」
僕はニュゥべえと共に自分の部屋に行き、旅支度をし始める。
~まどか視点~
政夫くんとニュゥべえが自分の部屋に行った後、私と満さんだけがリビングに残る。
今更になって、ちょっと言い過ぎたと自分に反省して謝ろうとしたが、それよりも早く満さんが私に話しかけてきた。
「まどかさん」
「……はい! あの、さっきは少し……」
「これを受け取ってほしい」
そう言って、渡されたのは薄い茶封筒だった。
謝罪を遮られて出鼻を挫かれつつも、その封筒を受け取った。
「これは?」
「弓子……政夫の母親の最期の手紙です。政夫に彼女ができたら、渡してほしいって頼まれていたんですよ」
「政夫くんのお母さんの……」
政夫くんのお母さんが亡くなったことはさっきの会話から分かっていたけど、その人から手紙を自分に渡されると、物悲しい気分になる。
生きている時に会いたかったと思わずには居られなかった。
「読んで良いですか?」
「どうぞ」
一応、許可を満さんに取った後、私は封筒を破って中の便箋を取り出した。
書かれた文字は少し雑に見えたがそれ故に想いは籠められているように感じた。
『この文章を読んでいる政夫の恋人へ。貴女には必ず、しなければいけない事があります』
丁寧に一文字一文字噛み締めるように私は読んでいく。
『政夫は甘えん坊で、泣き虫で、我がままな子だから、何があっても優しく接しなさい。常に愛を持って抱き締めてあげなさい』
……甘えん坊で、泣き虫で、我がまま?
ここに書かれている政夫くんは私の知る政夫くんとは百八十度違う気がする。今の政夫くんとは真逆と言ってもいい。
そして、何より書いている政夫くんのお母さん、弓子さんの書き方がちょっと高圧的過ぎるように思えた。
『もしも、あの子を不幸にするような事があれば、呪い殺します。比喩でも冗談でも、言葉の文でもなく、殺します』
「ええっ!?」
あまりの怖さに私は思わず声をあげてしまう。そんな私を見て、満さんは小さく笑った。
この手紙を読むのが怖くなったけれど、託されたからには最後まで読むのが礼儀なので大人しく読み進めた。
『P.S. 流石に上のそれは冗談ですが、そのくらいの気持ちで政夫を愛しなさい。夕田弓子より』
非常に短い文章だったが、弓子さんの政夫くんへの愛情を感じられる手紙だった。
きっとこの人は誰よりも政夫くんを愛していたのだと、強い気持ちが伝わってくる。
「弓子さんって……とても強い人だったんですね」
「そうだね。政夫の前では慈母を演じていたみたいだけど、気が強い女性だったよ。でも……」
「政夫くんの事は誰よりも大切にしていた……」
「うん。そういう女性だったよ。彼女は」
この手紙を書いた人が政夫くんを産んだお母さんだと思うと少し、不思議な気持ちになる。
もし、生きていて、私と会ったらどういう反応をしたのか想像も付かない。
でも、きっと好きになれるような気がした。
「……政夫くんの事は私が幸せにします」
あなたの分まで、絶対に。
そう心の中で小さく呟いた。
この話がやりたいと思っていましたが、ほむらルートではできなかったのでまどかifルートでやりました。
政夫の父親とは伏線があったのですが、なかなか回収できなかったのでちょっとすっきりしました。