~まどか視点~
「あーさだよー、政夫くん。もう起きないと駄目だよ」
先に起きていた私はまだ布団で眠っている政夫くんを起こそうと身体を揺する。彼は小さく「うーん」と呟き、寝返りを打って私から逃げるように反対を向いた。
ちょっとかわいい。いつもの毅然とした政夫くんと違って、子供っぽい仕草が新鮮で微笑ましかった。
ずっと見ていたい気もしたけれど、そういう訳にもいかない。私はよくても政夫くんに残された時間は限られている。
「政夫くん、起きて」
「……してくれたら……れそう」
「え?」
「ほっぺにキスしてくれたら起きれそう」
政夫くんの言葉に私の頬が少しだけ熱くなった。何度か、彼とはキスをしたけれど彼の方からそれをねだってきたのは初めてで、気恥ずかしくなる。
私は周りを見回して、ニュゥべえが傍に居ない事を確認してから、横になっている政夫くんの頬に唇をそっと押し当てた。
柔らかい政夫くんの頬に口付けすると、いきなりかばりと身体を起こして座っていた私に抱き着いてくる。
私もそれに応じるようにして抱きしめ返した。彼の体温と匂いが服越しに伝わってきて、胸の中がぽかぽかと温かくなる。
「おはよう、まどかさん」
「おはよう、政夫くん」
彼はいつになく素直に私に甘えてくれるようになった。
それは昨日の電車の中からの事だった。
***
昨日、電車を何本も乗り継いで見滝原市を遠く離れた後、隣に座る政夫くんはずっと無言のままだった。私の方に目線も向けず、ひたすら電車の窓の外を見つめている。
物憂げな横顔から彼の疲れが読み取れた。ほむらちゃんの件もあるだろうし、明後日『ワルプルギス』の夜この街から逃げていく事に罪悪感を感じているのだと思う。
でも、それはいけない事じゃない。政夫くんはもう十分過ぎるほど誰かのために戦った。それに明後日には生きていられないのに自分以外のために時間を使うべきじゃないはずだ。
それは膝の上に乗ってじっとしているニュゥべえもきっと同じ気持ちだと思う。
「ねえ。政夫くん」
話しかけると、窓の外を疲労した目で見ていた政夫くんは、初めて自分が一人で居る訳じゃない事に気付いたようにはっとしてこちらを向いた。
「何かな? まどかさん」
「もう誰かに気を遣うのはやめよう? 政夫くんは政夫くんのためだけの事を考えていいんだよ」
「……そうだね。うん」
困ったように俯く彼は台詞とは裏腹に納得していないように見えた。
これじゃ駄目だ。何のために政夫くんを見滝原市から連れ出したのか分からない。
きっと、彼は慣れていないのだ。自分だけの幸せを考える事に。
だから、少しだけ悩んだ後、私は彼にこう言った。
「政夫くんは私の彼氏だよね?」
「え? うん、そうだけど……」
怪訝そうな面持ちで政夫くんは私を見た。
そっちがその気なら、私にだって考えがある。
「じゃあ、これからずっと私の事だけを考えてよ」
「まどかさんのこと?」
「うん。私は政夫くんと恋人らしい事したい。だから、そういう風に暗い顔をしないで……もっと私に甘えて」
「甘える、か。実はあんまり分からないんだ、そういうの。僕は誰かに委ねないようにしてたから」
「じゃあ、練習しようよ」
頬を掻いて、困惑したように目を向ける政夫くんに膝を叩いて、膝枕を促した。ニュゥべえは気を遣って、ぴょんと横に退く。
政夫くんは少しだけ躊躇してから『私の事だけを考えて』という言葉が過ぎったみたいで、大人しく頭を私の膝に頭を乗せた。
「どうかな? 甘えられそう?」
「う、うん。何だろう……心が落ち着く。それにまどかさんの匂いがする」
恥かしい事をさらりと言う政夫くんにどぎまぎしたが、それよりも彼がリラックスしているのを見て、嬉しくなった。
これからはもっともっと政夫くんに優しくしたいと思う。辛い事や苦しい事を忘れさせてあげたい。
その後、県を一つ二つ離れた街の、それほど大きない旅館を見つけて、私たちはそこに泊まった。ニュゥべえが大人の女の人の姿になり、保護者として同伴してくれたので問題なく、チェックインできた。
***
そして、今。
しばらく、抱き合った後、私と政夫くんは旅館の女将さんが作ってくれた朝ご飯を食べている。パパの料理は洋食が多いので、さっぱりとした和食は新鮮だった。
少しだけ、パパやママ、たっくんの顔が頭に浮かんだけれど、首を横に振ってそれを打ち消す。
隣に座る二十歳くらいの女の人の姿になったニュゥべえは私よりも上手にお箸を使って、焼き魚の骨を外しているのが映った。人間の姿でご飯を食べるのは初めてだったようで、どことなく楽しそうに見える。
一方、向かいに座る政夫くんはご飯を美味しくなさそうに飲み込んでいた。
ニュゥべえから聞いた話では政夫くんは味覚を失っているのだと言っていたのを思い出す。昨日の夕食もちゃんと食べていたので、一応お腹は空くみたいだった。
「政夫くん、朝ご飯食べたら、お風呂入りに行こうよ」
「お風呂、そうだね。ニュゥべえ……確か、この旅館混浴あったよね?」
政夫くんがニュゥべえに尋ねると、彼女はこくんと頷いた。
「露天風呂が混浴だったはずだよ。平日のこの時間帯にボクら以外の宿泊客は居なかったから、貸し切り扱いだね」
その言葉に政夫くんの瞳がきらりと一瞬輝いた気がした。
それを見て、私は慌てて自分の台詞を訂正をする。
「いや、お風呂に入りに行こうって言ったのは、そういう意味じゃなくて……」
「僕はまどかさんと一緒に入りたいなぁ」
「ええ~……」
「入りたいなぁ」
戸惑う私に容赦なく、期待した眼差しを向けて政夫くんは言った。
流石に生まれたままの姿を彼に見せるのは恥ずかし過ぎる。それに一緒に入るという事は見られるだけじゃなく、私の方も彼の裸を見る事になるのだ。
けれど、昨日あれだけ私に甘えてほしいと言っておいて、ここで突き放す訳にもいかない。
かつてないほどきらきらとした瞳に押されるがままに私は政夫くんのお願いを受け入れてしまった。
「えっと、……じゃあ、一緒に入ろうか?」
「ありがとう。まどかさん」
心なしか、さっきよりも美味しそうに食事を続けて答えた。
……期待されるほど、私の身体は立派じゃないのになぁ。
お箸を持つ方とは反対の手で自分の胸元をペタペタと触る。マミさんや美国さんたちと比べると平面と言ってもいいくらいなだらかだった。
三人とも食事を終えると、部屋に戻った政夫くんはバスタオルと浴衣一式をせっせと用意している。……やっぱり、今更断れる雰囲気じゃなかった。
ニュゥべえの方は人型からいつものマスコットの姿に戻って、部屋にある新聞を小さな手でめくっていた。
「あれ? ニュゥべえは来ないの?」
「ボクは後にするよ。流石にここまでほむらが追いかけて来るとは思わないけど、用心するに越した事はないからね」
それじゃあ、本当に政夫くんと二人きりでお風呂に入るの!?
ニュゥべえが居るからと多少安心していた部分があったからこそ、政夫くんとお風呂に入る事を決めたのに、そんなのってあんまりだ。
裏切りにあった気分になり、恨みがましくニュゥべえを見るが、きょとんとしている様子で見返す彼女に毒気を抜かれてしまう。
「準備が終わったなら、行こうか」
「……そうだね」
「行ってらっしゃい。政夫、まどか」
二人で並んでお風呂場に着くと、男湯の方の
心の準備はまだできていなかったが、とりあえず、私も女湯の暖簾を潜る。
着替えの浴衣を置いてから、中に設置されている籠に脱いだ服をしまっていく。
下着まで脱ぎ終えると、手拭いを握り締め、バスタオルを身体に巻いて脱衣所から出た。少し肌寒い空気に触れた後、覚悟を決めて政夫くんが待っている露天風呂へと歩いて行く。
既に湯船に入っていた彼は私を視界に収めると、僅かに非難するように言った。
「まどかさん。風呂にバスタオル巻いて入るのはマナー違反だよ」
「うう……政夫くんの意地悪」
「意地悪で言ってるんじゃないよ。ほら、脱いで脱いで」
バスタオルを剥ぐように私に言う政夫くんに促されるが、彼の前で裸を見せるのはやっぱりまだ抵抗がある。
「政夫くん、目、
「分かったよ、ほら」
両手で政夫くんは手で顔を隠して、何も見ていないジェスチャーをした。
「……ほんとに見てない?」
「見てない見てない。ばっちり見てないよ」
文法のおかしな日本語で答える政夫くんを信じ、バスタオルを剥いで湯船の手前に置いた。手で足の付け根と胸元を手拭いで覆い、足先からお湯に浸かる。
首まで湯船に入ると同時に政夫くんは手のひらを顔から外して、こちらをにこやかに見つめた。
「……眼福でした」
「やっぱり指の間から見てたんだね! もう!」
しみじみと語る彼に私はちょっと怒るが、薄々見られている事が分かっていたので、実際のところはそれほど怒ってはいなかった。
むしろ、ごめんねと小さく笑う政夫くんの顔を見て、心がほっとしたくらいだった。
「私の小さな胸なんて見ても面白くないでしょ?」
手拭いを頭に乗せながら政夫くんに聞くと、彼は首を横に振った。
「とんでもない。好きな女の子の裸見たくない男なんていないよ。大きさなんて関係ない。まどかさんの裸だからいいの!」
「そ、そう?」
力説されて嬉しいようにも感じたが、冷静に考えると凄い変態的な事を言われている気がする。普段が真面目過ぎる政夫くんだから、こういう発言をしても素直に受け入れてしまう自分が居た。
「特に僕の視線を感じて恥じらっているのがもうね、何とも言えないんだよ」
「……見かけによらず、政夫くんって、えっちだよね」
「僕だって男の子だからね」
湯船の中で伸びてきた政夫くんの手が、私の手を握った。
私の手よりも少し男の子の大きな手のひら。愛しい人の優しい手のひら。
二人で見上げた露天風呂の空は雲一つない晴天だった。
その後、お互いに背中を洗い合った。「前の方も洗ってあげようか」と冗談めいた事も言われたが、「じゃあ私も同じ事をするね」と返したら、流石に恥ずかしかったようで引き下がってくれた。
お風呂を二人で満喫してから、それぞれの脱衣所に別れ、私は浴衣を身に着ける。
長い髪を乾かすのに時間が掛かってしまったけれど、外に出て行くとフルーツ牛乳の瓶を二本持って待っていてくれた。
「はい。まどかさん」
「ありがとう」
温まっていた手で受け取ると、冷えたフルーツ牛乳の瓶が心地よく感じた。蓋を開けて、口を付けると甘い味が口内に広がっていく。
「こっちこそ、ありがとうだよ」
そう言って、政夫くんは私に微笑んだ。
「……政夫くんのえっち」
「いや、そっちじゃなくてね……まあ、いっか」
きっと見滝原市から連れ出した事を言っているのだとは気付いていたけれど、それを素直に受け取りには少し気恥ずかしかった。
それにこうしている事は私のしたかった事でもある。政夫くんだけが感謝するのはちょっとだけ嫌だった。
部屋に戻ると待っていたニュゥべえが政夫くんの肩に飛び乗る。
「どうだったんだい? 二人っきりの入浴は」
「あー、やっぱりニュゥべえ、そのつもりで部屋で待ってんだね」
「ごめんよ、まどか」
故意犯だったニュゥべえに私が怒ると、尻尾を振って謝る。
そんなやり取りを見て、政夫くんがまた嬉しそうに声を上げて笑った。人を気遣うような笑みではなく、子供らしい無邪気な笑顔だった。
私も嬉しくなって連れられて笑い声を漏らす。
幸せだと思った。
この幸せがずっとずっと続けばいいと思った。
次回は政夫視点に戻ります。