~ほむら視点~
……何故、私はこんなところに居るのだろう。
不安げな表情の人々がごった返す見滝原市にある大規模な市民ホールの中で、疲れ果てた思考がぼんやりとした疑問を浮かべた。
「大丈夫だよ、暁美さん。嵐なんかすぐに止むよ」
私の傍に立つ上条君が私を勇気付けるように笑顔を見せた。
上条君に手を引かれた私は一度彼の家に招かれた後、市内で流れた緊急避難警報に従い、今朝方上条君の家族と共にこの見滝原市民ホールへと非難していた。
異常気象によるスーパーセルの接近。表向きにはそうなっているが、これがワルプルギスの夜という魔女の仕業だと知っている私にはすべてが茶番じみて見えた。
この嵐は奴を倒さない限り消えない。ここで避難していたところで集まった市民は奴によってこの見滝原市ごとは滅ぶ。
そう。助からない。ここに集まった人たちも、今戦っているだろう魔法少女たちも、誰も彼も皆――。
早々にこの街を捨てたまどかと政夫の二人を除いて。
「……もう関係ないわ」
「え? 今、何て?」
ぼそりと呟いた私の呟きに上条君が聞き返したが、答える気はなかった。
ふと何気なく視線を視線を彷徨わせると、見知った顔が目に留まる。小豆色の髪の女性と明るい茶髪の男性。それと幼い男の子。
まどかのお母さんとお父さん、それとまどかの弟のタツヤ君だ。
耳を澄ませれば、彼女たちの剣呑な会話の内容が聞こえて来る。
「まどかがまだ見つかってないんだ! あの子がまだっ……!」
「だからって君が今飛び出して行って何になるんだ。頼むから一度落ち着いてくれ」
「まどかが今、危ない目にあってるのかもしれないのに落ち着いていられる訳ないだろ!?」
今にも避難所から飛び出して行ってしまいそうなまどかのお母さんを、まどかのお父さんが必死に押し留めようとしているが、まるで説得に聞く耳を持っていない。
まどかのお父さんの胸に抱き抱えられたタツヤ君が泣きそうな表情で両親の顔を交互に見ている。
穏和な家族としての姿を知っているからこそ、どれだけ彼らが切迫しているのかが窺えた。
その光景を見ても私の心は何ら揺らぎを見せなかった。むしろ、冷え切った疑問が湧く。
――『まどか』にそれほどの価値があるかしら。
思わず、湧いた思考に自嘲が零れた。
『まどか』の価値。昔の私だったら絶対に懐かなかったであろう考え。
政夫に会う前の私はただただまどかを救うためだけに時間を何度も繰り返し、奔走していたというのに。
今ではそれが激しく愚かな行為だったとしか思えない。
私にとって彼女は都合のいい道標でしかなかったと気付いてしまったから。私が絶望しないためだけの、いくらでも代わりの利くものだと理解してしまったから。
あの時に交わした約束が、自分の偽るためのものでしかないと納得してしまったから。
別に『まどか』でなくともよかったのだ。たまたま独りぼっちだった私に手を伸ばしてくれたのが彼女だったから執着しただけ。
もしも私を助けてくれた相手が、約束をした相手が、マミだっとしても。
さやかだったとしても。
杏子だったとしても。
きっと私は同じようにその相手を助けようと時間を繰り返し続けただろう。
特別じゃないのだ、私にとって『まどか』は。いつか政夫が言ったように本当に特別なら失う事に慣れてしまう訳がない。
繰り返せるから、また会えるから、だから、救えない彼女は見捨てていいなんて思える時点でそれはもう特別なんかじゃない。
それが気が付かなかった私は愚かで、滑稽で、何て可哀想だったのだろうか。
酷く下らないものを眺める目でまどかの両親を眺めていると、不意に彼らに近寄る一人の男が視界に入る。
見覚えのあるその男は切迫した雰囲気の彼らに向けて言葉を掛けた。
「鹿目まどかさんのご両親ですね?」
「ええ……まどかは私たちの娘ですが。あなたは?」
比較的落ち着きを見せているまどかのお父さんが返答すると、男は二人に軽く一礼をした。
「失礼しました。私は夕田政夫の父の、夕田満と申します」
その男――政夫の父親はそう名乗ると、冷静さを失っていたまどかのお母さんが僅かに正気を取り戻す。
「政夫君のお父さん……?」
「ええ。お初にお目にかかります」
穏やかなで物腰の落ち着いた態度と、柔和な表情。それは政夫が普段やっているものに近いが、彼よりも遥かに洗練され、自然と周囲の雰囲気を軽くした。
表情や声のトーン。言葉を紡ぐテンポ。視線の動きさえもが、相手を鎮めるために工夫し尽されている。
一瞬、まどかのお母さんもまた、政夫の父親のそういった態度に呑まれ、しばし毒気を抜かれていたが、やがて口を開くとやや棘のある口調で言う。
「……どういったご用件でしょうか? 私は今……」
「娘さん。まどかさんを探しに外へ出て行こうとしていたんですよね?」
相手の言おうとしていた台詞を先に言い、会話のペースを握る。政夫もよくやっていた手口だった。これをされると一旦、言葉を噤まざるを得ない。
「だからこそ、こうやってお話をしに来ました。単刀直入に言わせて頂きます。まどかさんはもう既にこの見滝原市には居ません」
「居ないって……どういう事ですかっ!? あなたは何を知って……」
掴みかかろうとせんばかりの気迫で政夫の父親に詰め寄ったまどかのお母さんだったが、彼の次の言葉で愕然とした表情を浮かべる事となった。
「まどかさんは政夫と共に、二人でこの街を出て行きました」
「……出て行った?」
「ええ」
「じゃあ、なんだ……あんたはそれを見送ったっていうのか!? 自分の子供が駆け落ちするのを黙って見送ったのか!?」
怒気を露わにしたその問いにさえ、政夫の父親は穏やかに、平然と、当たり前のように肯定した。
「ええ。その通りです」
まどかのお母さんはそれに対してもう何も言わなかった。言葉の代わりに握り締められた拳が政夫の父親の右頬に飛ぶ――その前に既に彼は殴り飛ばされていた。
あれだけ激昂していたまどかのお母さんも、少し離れた場所から眺めていた私もその光景を見て、驚愕を隠せなかった。
目を大きく開いて驚く彼女は自分よりも早く手を出した相手の名を呆けたように呟く。
「
政夫の父親を殴ったのはまどかのお母さんではなく、彼女の夫。そして、まどかのお父さんの方だった。
暴力とは無縁の優し気な彼の姿はそこにはなかった。代わりに今し方、政夫の父親を殴った拳を震えるほど握り締め、静かに彼を睨み付けている男が立っていた。
殴られた拍子に後ろに尻餅を突いた政夫の父親は頬を撫でるように軽く触れる。
「……こういうものなんでしょうね。正しい親の在り方というものは」
どこか羨むように漏らした感想は今までの落ち着いた態度とは違う、素の言葉のように聞こえた。
「どうして、まどかや政夫君を行かせたんですか?」
対するまどかのお父さんは声は静かなもの、泡立った感情を押えられずに怒りが声に滲んでいる。
その姿を見て、理解した。この人はずっと耐えていたのだ。
まどかのお母さんと同じように感情を露わにすれば、押さえ役が居なくなってしまうから。
だから、自分を律して、押さえ役に徹していた。
「あなた、政夫君の親でしょう!? どうして、そんな無責任な事をしたんですかっ?」
足元に降ろしていたタツヤ君は恐らく初めて目にする父親の怒りに身を竦ませていた。
最初に怒気を発していたまどかのお母さんの方が、激昂する夫の姿を前に正気を取り戻している。
「と、知久……まずはその、落ち着いてよ。タツヤが怖がって……」
「親、だからですよ」
起き上がった政夫の父親はそんなまどかのお父さんの様子にも臆する事なく、答える。
誤魔化す事も、言い訳する事もせずにむしろ誇らしげにすら聞こえる語調で語りながら起き上がった。
「恥ずかしながら私は息子に、政夫にまともに愛情を掛けてやる事ができませんでした」
彼の言葉に私の知る表現では上手く言い表す事のできない『何か』が加わっている。
後悔と悲哀と苦痛と、そして愛情を混ぜ合わせて生まれたような酷く歪でそれ故に激しい想いが鼓膜を通して心の中に伝わって来た。
「親、と呼ぶ事さえ
でも、と彼は一度台詞を区切り、強い熱の籠った視線をまどかの両親に放って語り出す。
「あの時にお宅の娘さん――まどかさんと話して初めて分かりました。私は自分の息子を……政夫を心から愛している事を。政夫が幸福な最期を遂げられるなら、私は喜んで大人として間違った選択を選びます。例え、その結果誰にに恨まれる結果になったとしても」
――子供の幸せを一番に願うのが親なのだから。
身勝手な理屈をその言葉で締め括った彼に、まどかのお父さんは思わずたじろいだ様子で視線を返していた。
政夫の父親の異様な気迫に気圧されていたまどかのお母さんは彼の言葉から一つの結論を導き出したようではっとした顔で呟く。
「幸福な最期……それってまさか」
「ええ。詳しい理由は省きますが、政夫の命は今日中に尽きてしまいます。だから、まどかさんはそれに付き合って政夫と心中するためにこの街を出て行きました」
「それを許したのか、あんたは……息子とその彼女の心中をする事を!?」
「ええ。それが私の政夫に対する最初で最後の親としての行いだと思いました」
「狂ってる……」
はっきりと首を縦に振る政夫の父親にまどかのお母さんは血の気の引いた顔で吐き捨てた。
だが、それに対する彼の反応は実に晴れやかなものだった。
「貴方がたには申し訳ない事をしたとは思っていますが、後悔はありません。詰られようとも殴られようとも、例え殺されたとしても私は親として息子にできた事を悔やむ事はないでしょう。すべての罪は私が取るつもりで貴方がたに会いに来ました」
それを聞いた私は「親が子に向ける無償の愛」というものを感じた。同時に私が政夫に求めていた感情が何かも理解できた。
私は政夫に父親を……『父性』を求めていたのだ。
何がっても自分の味方をしてくれて、困った時には当たり前のように助けてくれて、誰よりも私を第一に考えて見守ってくれる――そんな身勝手で幼稚な感情をいつの間にか彼に向けていた。
だからこそ、それが誰かに奪われるのが耐えられなかった。
顔さえ思い出す事のできない本当の両親なんかよりもずっとずっと私を助けてくれる政夫に依存していた。
でも、ここに来て。
彼の父親を見て。
ようやく気付けた。
政夫もまた親に守られる子供だったのだ。
自分がどれほど愚かで幼稚な感情を向けていたのか思い知った途端、頬から涙が零れ落ちてきた。
心のどこかで正当化していた今までの行いが、いかに罪深く、いかに恥ずべき行為だったのか。
捨てられたなどと思っていた自分が許せない。勝手に依存しておいて、理不尽に迷惑をかけていれば当然だ。
政夫は私の父親ではないのだから、そこまで付き合う義理も責任もない。
挙句の果てに彼の命を残り一、二時間足らずにまで縮めてしまった。
謝っても謝り切れない。
なのに身勝手にもこの唇は動き出す。
「ごめん、なさい……政夫。本当にごめんなさい……」
許されるはずも、許されていいはずもない私は厚かましくも許しを乞おうとする。
ここにはもう居ない彼に向けて。
この街には居ないはずの彼に向けて。
そのはずだった。
しかし、その瞬間にソウルジェムを通して脳内に彼の声が響いた。
『見滝原に居る魔法少女全員に告ぐ。ニュゥべえを介して言葉を送っている。もしもまだ健在で今、この声が届いているのなら、僕に力を貸してほしい』
嘘だ。これは幻聴だ。何故なら、今この街に彼は居ないはずなのだから。
けれど、頭に響く恋い焦がれた人の叫びは止まらない。
『僕は君らのために戻ってきた訳じゃない。好きな女の子の未来のために戻って来た。その子が好きな街が、好きな人たちが、好きな明日が失われるのが嫌でここに戻って来た。どうか、そんな僕に力を貸してくれるというのなら……いや。もっと素直な言葉で言うよ』
今まで何度も
『どうか僕を――助けて下さい』
……ああ。そうか。そうなのか。
私はまだ、貴方に今までもらっていたものを返す機会が残っているのね。
涙はもう止まっていた。
足はただ、真っ直ぐに出入り口へと動き出す。
やるべき事は決まっていた。自分が何をしたいのか、何をするべきなのか。
心に浮かぶすべての感情が私を動かす燃料になっていく。
市民ホールの一階へ降りる階段へと出た時、背中に誰かの声が掛かった。
「待って、暁美さん。……どこに行くつもりなの?」
「私の行かなくてはいけない
「それは暁美さんじゃないと駄目なのかい?」
「ええ。私が行かないと駄目なの」
「そうか。僕じゃ、彼の代わりにはなれなかったんだね」
「……優しくしてくれてありがとう。私にここまで親身になってくれた男の子は貴方で二人目よ」
私は振り返る事なく、彼に答えると階段を駆けて一階へと降り立った。
出口から暴風の吹き荒れる外へ出る直前、彼の紡いだ小さな言葉が耳へと届いた。
「君の一人目に、なりたかったな……」
私はそれには答えず、薄闇の中へと飛び出した。
一人目にもらったものを少しでも返すために。
明日か、明後日にもう一話投稿できたらいいななんて思っていますが、あまり期待せず待って下さると嬉しいです。