絵本の中から出てきたような子供たち。それを簡単に消してしまった手品師。
ナイトメアとは絶対に違う、新たな存在。
自分の部屋の机の上にノートを広げてイラストと一緒に昨日あった事を一人で纏めていた。
あの子供たちは私やほむらちゃんにはまったく興味を持っていないように見えた。……という事は魔法少女の敵ではない?
昨日見た子供たちのイラストの近くにハテナマークを付ける。
それなら、あの子供たちと敵対していた手品師はどうなんだろう。
ほむらちゃんはあの人を酷く怖がっていた。けど、私にはどうしてもそうは思えない。
顔はよく見えなかったけれど、私たちに危害を加える様子はなかった。何でも消す力があるなら、きっと魔法少女でも相手にならないはずなのに何もせずに姿を消した。
「あー。もう、分かんないよ……」
鉛筆を置いて、イラストの周りに考えを書く作業を止めて、机の上に置いてある押し花を見つめる。
平らに広げられたそれは四つ葉のクローバー―—ゴンべえ君にもらったあのクローバーだ。
乾燥させて、今では本のしおりとして使っている。
結局、ゴンべえ君は今日も帰って来なかった。
パパもママもそれについては何も言わない。でも、それが返って、無理に触れないようにしているように思えてならなかった。
いつも明るく無邪気なたっくんはゴンべえ君が出て行って以来元気がない。食事時になっても彼が座っていた椅子を寂しげに眺めていた。
ゴンべえ君のために空けた部屋は綺麗に掃除されている。元々は物置に使っていた部屋だったけれど、彼が居なくなった後もそこに物が戻される事はなかった。
決して、パパは口に出しては言わないけれど、ゴンべえ君がいつでも戻って来て使えるようにしてある事は私でも分かっていた。
彼が出て行って寂しいと感じているのは私だけじゃなく、家族みんなが思っている事だった。
「……よし」
私は四つ葉のクローバーのしおりを服の胸ポケットにしまう。
カーディガンを羽織り、お財布をスカートのポケットに入れて、部屋の外へと出て行った。
――ゴンべえ君を探しに行こう。
流石にパパに正直に言うと止められてしまうかもしれないので、黙って足音を立てずにそっと玄関から出る。
玄関の扉を開けて、家の外へ出ると、夕暮れの空には沈んでいく赤い夕陽が見えた。
ふわりと風が頬を撫でる。まだ寒くもぬるくもない心地良い温度の風だ。
私は警察署まで行くバスが出る停留所へ向かう。停留所にはちょうどバスが停まっていて、待たずに乗る事ができた。
バスの中は平日の夕方なのに私以外にお客さんの姿は見かけなかった。
窓際の席に座ると外を眺めながら、警察署前のバス停に着くまでどうやってゴンべえ君の事を聞こうかと頭を悩ませる。
素直に警察署で彼について聞いてもプライバシー情報を教えてもらえるものなのか分からない。かと言って、他に彼が向かった場所は知らない。
しばらく家に居候していた事を話せば、もしかしたら何か話してもらえるかもと淡い期待をしながら、私は目的地でバスを降りた。
停留所から少し歩いて、警察署の前に辿り着くと建物を眺めた。
大きな警察署を前にすると、改めて本当にゴンべえ君の事を尋ねて教えてもらえるか不安になってくる。
私のやってる事ってストーカーなんじゃないかな……?
そんな気持ちが湧き出してくるけれど、首を振って、居なくなった友達を探しているだけなんだからと自分に言い聞かせる。
勇気を持って正面の入口の自動ドアへ向かって歩き出す。
「あれ……?」
ガラス張りの自動ドアはいつまで立っても動かない。
反応しなかったのかと思って、おもむろにドアの前でぴょんぴょん跳ねてみる。
けれど、警察署の自動ドアは開かない。
「やってない、訳ないよね……? 平日の夕方なんだから」
ガラスの向こうに顔を近付ける。そこからは見える光景はがらんとしていて、人の気配は一切なかった。
それどころか何もなかった。
電気は点いているものの、階段やエレベーターといった二階に続くためのものすらない、空っぽの空間。
「え……」
警察署に入った事のない私でも分かる。
こんなのはあり得ない。まるでこれじゃ外見だけ取り繕った張りぼてだ。
ナイトメアの仕業? いや、違う。これはこれは……。
頭の中で何かが引っ掛かっている。私はこれを知っている。
警察署から離れて、近くにある建物や店の中を覗き見た。
どれもこれも中身のない、ドラマの書き割りのような見せかけだけの建物ばかりが並んでいる。
「そうだ、周りの人に……あの、すみま……」
近くを通行人を呼び止めようとして、途中で気が付く。
……顔がない。目や口の代わりにあるのは模様のよう、あるいは仮面のような『何か』。
一人だけではなく、道を行きかう人たちは同じように顔がなく、呼び止められた事にすら反応せず、機械的に道を歩いている。
この人たち人間、じゃない……。
胸元のポケットに入れてあったクローバーの葉っぱの一枚がはらりとちぎれて、ひらりと宙を舞った。
「あ、」
ちぎれたクローバーの葉っぱは溶けるように消えていく。
その瞬間、頭の中で記憶を塞き止めていたものがなくなった。
「思い、出した……」
こんな事ができるのは、ナイトメアなんかじゃない。
新たに不思議な異空間を作り出し、人を誘う存在は――。
「そうだ。私たちが……私が戦っていたのはナイトメアじゃなくて……」
魔女。
そして、ここは魔女が生み出す。異なる世界、『魔女の結界』……。
思い出した同時にぞっとした。そうだ、私は家族や友達以外の人の顔を見ていなかった。
ゴンべえ君という、たった一人の例外を除いて私は知り合いとしか会話をしていない。
さっき、バスに乗った時にお金を渡した運転手さんの顔すらも。
何で私は当たり前のようにここで過ごしていたのか。
私が自分の異様な状況に気が付いた瞬間、少し離れた場所に誰かが立っていた。
黒いスーツを来た男の人。それも一人ではなく大勢。
それぞれが全員、仮面を付けていた。私やほむらちゃん、それに他の魔法少女の皆を模した仮面だった。
顔のない住人たちとは違って、明確に私を見ている。
両手をぶらんと下げ、膝を曲げた仮面の人たちは無機質な眼差しを向けているのが感じ取れた。
「な、何? あなたたちは」
それらは決して私へ近寄って来ない。でも、無言で訴えている。
忘れろ。それ以上思い出すな。そうすれば何もしない。
言葉には出していないのにも関わらず、視線だけで伝わってくる。佇まいや雰囲気から得体の知れない気持ち悪さだけが滲んでいた。
ソウルジェムを握り、ここで戦うべきか考える。ここが魔女の結界内ならこの人たちはきっと使い魔だ。
でも、私はまだ何か忘れているの……?
状況が分からないまま、ここで一人で戦うのは危険だ。何より、ママたちだってこの街に居る。
もしもここで戦えば、私の大切な人にまで手を伸ばしてくるかもしれない。
魔女の目的は分からないけれど、今まで何もしなかったのならここは戦わずに逃げよう。
私は目の端で彼らを警戒しながら、バスの停留所へ戻った。仮面の人たちは微動だにせず、私をずっと無言で眺め続けていた。
バスはまた停留所に停まっていた。まるで最初からそこに停まっているかのように、停止していた。
乗車する時、今度は運転手の顔を見る。
やはりそこには顔の代わりに模様のようなものが貼り付いてるだけだった。
***
~ほむら視点~
思い出したくない、忘れていた方が心地よかった記憶。
それでも思い出さなければいけなかった記憶。
いくら心地よくても戦わなければならない。ここが魔女の作った結界の中なら、それは私の大切な人への冒涜だから。
私は階段を上り、それが居る屋上へと辿り着く。
格子状の金網に囲まれたそこは見滝原市中学校の屋上。
眼鏡を外し、三つ編みにしていた髪を解くと、夜風が髪を撫で、長い髪がなびいた。
私は崩れた髪を払うように掻き上げ、屋上から校舎を見下ろしている人影を睨む。
金網に白い手袋をした手で指を掛けていた男は私に気付いていながらこちらを向かない。
黒いシルクハットとテールコートを身に着けた手品師のような格好の男。
「……ここが魔女の結界内という事は分かっているわ。分からないのは貴方が何なのかという事」
両手で拳銃を構え、後ろを向いたまま動かない手品師の背に突き付けて問う。
「貴方がこの結界の魔女? ……いえ、それならおかしい点がいくつかあるわ。一つはこの結界内で使い魔のようなものと戦っていた事」
手品師は振り向く事もせず、私の話を黙って聞いている。
「二つ目はこの四つ葉のクローバーを渡した事。これのおかげで思い出したわ。魔女の事。私が魔法少女になった理由と願い。インキュベーターの事。そして……円環の理の事」
クローバーの葉が欠け落ちる度に私の記憶は戻って来た。
この街が偽物で、私たちやまどかの関係者以外が作られた存在でしかない事も分かった。
ならば、この目の前に居る男は何者なのか。
「答えなさい。貴方は何者なの? ――ゴンべえ」
名前を呼ぶと手品師、否、まどかの家に一時期居候していた記憶喪失の少年、ゴンべえは振り返る。
朗らかな笑顔を浮かべていたあの時とは違い、酷く冷めた眼差しで私を射抜く。
「葉は何枚落ちた?」
「何……?」
「クローバーの葉は何枚落ちたの?」
銃を降ろし、盾に入れていたクローバーを取り出して、彼の前に突き出す。
「三枚よ。それがどうしたの?」
四枚あった葉は一枚を残して、溶けるように消滅した。心なしか渡された時よりも葉の大きさが縮んでいるように見える。
「それじゃまだ全部じゃないね。何か重要なこと、まだ忘れているんじゃない?」
「重要な、事?」
今、思い出した以上に重要な事なんてある訳がない。
ここは紛い物の世界で魔女が作り出した結界の中。概念化したはずのまどかや円環の理の世界でも浄化されたさやかが何故この世界に居るのかは分からないが、それでもこれ以上忘れている事はない。
「誤魔化さないで貴方は何なの? この結界の魔女の事を知っているの? 答えなさい」
記憶喪失だと語っていたが、仮にあの時はそれが真実だったとしても、今目の前に居るこの男は何も知らないようには見えない。
落ち着き払った様子からは、少なくとも私よりはこの結界について知っているように思えた。
「僕、か。僕はただの残骸だよ。昔、魔法少女たちに縁があって関わって死んだ、ただの男子中学生の残りカスさ」
「……ふざけているの?」
「いいや? この上なく真面目に答えたつもりだけど」
煙に巻かれたような言い方に怒りを覚えた。思えば、この男は出会った時から嫌いだった。
当たり前のようにまどかの傍に居て、彼女から大切に思われている。
確かな確証もないのに私以上にまどかからの信頼を勝ち得ているこの男が、どうにも気に入らなかった。
「ならこれだけは答えて」
「僕に答えられるものなら何でも」
「貴方は……私たちの敵?」
それだけは聞かなくてはならない。正直に答えてもらえるかは分からないけれど、それでも尋ねない訳にいかない。
ゴンべえは私の質問を受けて、すぐに答えを返した。
「ああ。それなら答えられるよ。僕は君ら、魔法少女の敵だ。それだけは間違いない」
悪びれもせずにそう言った彼に、躊躇う事なく引き金を引いた。
彼はそれを予測していたように銃口から身体を逸らして、弾丸が発射される寸前に回避の姿勢を取る。
昨日の奴の身のこなしは既に把握している。魔法少女に匹敵する身体能力と、相手を消滅させるステッキ。
ステッキの間合いに入らず、遠距離から時間を止めて弾丸を撃ち込めば向こうに為す術はない。
十分に距離を取ってから、腕に付いた円形の盾に埋まっている砂時計を止める。
カチリと硬質な音を立てて、世界から色と音が消失した。
これで拳銃を撃てば、時間が動き出した時に弾丸は奴の身体を穿つだろう。
だが、引き金を引く直前。
「……!? 何故!?」
止まったはずの時間の中で彼は当然のように手に持ったステッキを振るった。
モノトーンの世界はその一振りでひびが入り、水溜まりに張った薄い氷のように砕け散る。
「残念。時間は『止まらない』」
砕け散ったモノトーンの世界は跡形もなく、消え失せ夜の色が返って来る。
月明かりに照らされた手品師は当たり前のように私に
「時計の針が止まることはあっても、流れる時間は止まらない。過ぎた時間は戻らない。終わった過去は戻せない。知ってるだろう? それが常識だよ」
そうか。昨日初め見た時に感じた言葉にならない恐怖が腑に落ちた。
私の魔法を平然と消し去ったこの男は。
きっと、魔法少女の天敵だ。
次の話もほむら視点になりそうです。