~ほむら視点~
魔法を意図も容易く消失させた『魔法』。
これが奴の魔法の性質だというのなら、あのクローバーも記憶を取り戻さないように掛けられていた魔法を消滅させるものだったのだろう。
目的は分からない。しかし、敵だと明言するからには倒しておく必要がある。
この男の魔法は魔女よりも遥かに厄介だ。特にまどかの傍に居た事も考えると、何を企んでいるにせよ、一刻も早く排除したい。
距離を取って、睨みを利かせている私にゴンべえは薄笑いを浮かべる。
「どうしたの? 威勢がいいのは最初だけ?
細めた瞳とつり上がった口の端からは侮蔑が色濃く表れていた。
安い挑発。
だが、その後に続く言葉は激しく私の心を揺さぶった。
興が削がれたと言いたげに溜息をすると、シルクハットの
「……つまらないなぁ。それじゃあ、君の代わりにピンク髪の彼女に『遊んで』もらおうかな」
にたりと笑う奴の顔が加虐に染まる。
背筋が凍った。この男は私がどれだけまどかを大切に思っているのか分かって言っている。
そして、何もしないなら彼女に手を出すと、そう言っているのだ。
まどかには指一本触れさせない!
拳銃を捨てて、即座に腕に付いた盾から、重火器を取り出した。
この奴の反射速度を上回るためには拳銃などでは無理だ。連射性のあるアサルトライフルを手に取り、横に走り出す。
近付かれたら消されてしまう可能性がある。一瞬で終わらせることは出来なくとも確実に距離を離して、弱らせてから殺すべきだ。
「……っ」
アサルトライフルを抱えて引き金を引く。後方へ飛んで距離を取りながらの射撃する。
魔法少女の頑強な肉体だからこそできる銃の反動を無視した動き。いくら相手が魔法を打ち消す事ができても実弾は消す事はできない。
弾丸の雨にゴンべえは僅かに回避行動を取ろうとして、何かに気付いたようにして立ち止まる。
何に足を止めたかは分からなかったが好都合だ。まともにアサルトライフルの弾丸を浴びれば、無事で済む訳がない。
「……どうして?」
棒立ちで立つ彼に向って飛んでいった弾丸はちぎれた昨日の戯画のような子供やクローバーの葉のように掻き消えた。
彼が虚空から生み出した黒い布によって。
「あらゆるものを消す、魔法……?」
もしもそうなら勝ち目などない。
魔法も銃もすべてを消せるというなら、目の前の男に傷を付ける方法さえ思い付かない。
けれど、ゴンべえは私の言葉に首を真横に振った。
「いいや。僕に消せるのは魔法しか……魔力で作ったものしか消せないんだ」
「嘘を吐かないで! それが本当なら実弾を消せるはずない!」
「嘘なんか吐いてないよ。僕の魔法は『否定』の魔法。あり得ない、不条理であるものしか消せない」
「だったら、何故!」
「理由は一つだよ。黒髪の魔法少女さん」
彼は一瞬で離れた私へと距離を詰め寄る。時間を止める魔法を使い、銃弾をばら撒くもそれら両方を意図も容易く掻き消して、にじり寄る。
息がかかるほど近くに彼の顔が来る。視界一杯に映された彼の表情は侮蔑ではなく、憐憫が乗っていた。
「……君の銃が。いや、君を構成するすべてが魔力で作られた偽物だからだよ」
トン、と彼の持つステッキがアサルトライフルの側面に触れる。その途端に
握っていたグリップの感触や銃の重さが腕の中から瞬く間になくなる。
「何を、言って……」
ゴンべえの言っている言葉の意味が理解できない。
偽物? 私が?
そんなはずはない。私は暁美ほむら。
まどかを助けるためにキュゥべえと契約して、同じ時間を何度もワルプルギスの夜と戦い、そして、まどかを魔法少女に……神様にしてしまった弱い魔法少女。
それでも私は、私だ。彼女が愛した世界を守るために戦う、魔法少女。
だから、私は彼女の弓を……。
「あ、……?」
弓? そうだ。まどかが改変した世界で私は弓で魔獣と戦っていたはずだ。
銃で戦っていたのは魔女が居た世界での、まどかが円環の理になる前の私だ。
まだ、忘れている。私は何か大切な事を……。
「本当は自分で思い出してほしかったよ。でも、君は視界が狭く、都合のいい夢に溺れる事が好きみたいだから野暮だけど――教えてあげる」
彼は呆然とした私の手の甲に着いた菱形のソウルジェムをそっと外す。
痛みはなかった。滑らかで優しい手つきだが、非常に正確で素早かった。
卵型になったソウルジェムを私の目の前に持ってくる。
次に彼が何をするのか分かった。だから、自分のソウルジェムを取り戻り返そうと手を伸ばす。
「やめっ……」
彼はその言葉に一切耳を傾けずに、手のひらに乗せた紫色のソウルジェムを思い切り握り潰した。
薄いガラス細工のように、硬質な音を立て、彼の指の端から砕けた小さな破片が零れ落ちる。粉々になった破片は、地面に落ちる前に細かい紫色の光の粒になって消えた。
けれど、私の意識は消える事なく、そこにあった。
本来、魔法が解ければ元の服に戻るはずの衣装すら身に着けたままだ。
「な、ぜ……?」
「君、この結界を作り出した魔女を知りたいって言ってたよね? いいよ。教えてあげる」
数センチで身体が密着しそうになる距離で、彼は淡々と私に語る。
彼の表情には憐憫の色は消え、冷徹な断罪者のような凍るような無表情だけが残った。
「それは――」
「暁美さん! 跳んでっ!」
その言葉に私は弾かれたように顔を上げ、地面を蹴って後方へ飛ぶ。
足が屋上の地面から離れた瞬間、私を掬い上げられるような感覚に囚われ、身体が空へと舞い上がる。
「マスカルポーネ!」
「べべ……?」
足元を見下ろせば、黒く細長い巨体にピエロのような顔をした奇怪な生き物が私を乗せて飛んでいる。
ナイトメアを浄化する時以外では見せない、小さな人形のような外見に隠されているべべの本体だ。
まどかが世界を改変する前の世界では『お菓子の魔女』と呼ばれていた魔女であり、私がループの中に居た頃、巴マミを殺した事のある凶悪な魔女。
「ティロ・フィナーレ!」
掛け声と共にゴンべえへ目掛けて黄色い弾丸が放たれる。
見上げれば、屋上の金網に足を乗せたマミの姿があった。器用に細い足場の上で巨大な銃を全身で抱えている。
避ける事も暇さえ与えないマミの必殺の射撃。しかし、ゴンべえに直撃する寸前、彼は大きな漆黒の布を魔力で作り上げる。
弾丸は大きく広げられた布に包まれて、勢いを失い、形状を崩してばさりと地面へ落下した。
彼は地面に落ちた丸まった黒い布から、弾丸だったそれを取り出す。
「リボンは弾丸にはならないよ。黄色髪の魔法少女さん」
布の中心部に纏まっていた黄色のリボンの束をこれ見よがしに見せ付けた。
そのリボンの束を纏めて握って拳を揺らす。すると、次に手を開いた時にはリボンは完全に消失していた。マジックショーのようにリボンを消した手を開閉してアピールする。
マミは僅かに驚いたように瞬きをした後、持っていた砲身を消して、新たにマスケット銃を一丁生み出した。
「……ゴンべえ君だったわね。鹿目さんの家へ居候していた記憶喪失の男の子」
「そうだね」
「何故魔法を消せるの? あなたは何者なの?」
面倒そうにステッキを肩で担ぎ、呆れた様な口調で言った。
「その質問、さっきもされたよ」
「じゃあ……」
マミではない声がした後、彼を拘束するように伸びて来た鎖で繋がれた
「何回だって答えてもらうよ」
ほぼ同時にまた別の声がして、ゴンべえの背後からすっと刃が彼の首元へ突き出された。
杏子とさやかだ。マミが会話で自分に注意を向けさせている隙に、二人とも死角から忍び寄っていたのだ。
彼の正面の金網の上に立つマミも合わせれば、ちょうど三人で取り囲んだ陣形となる。
「はあ、いいよ。答えてあげる。僕の名前はゴンべえ」
返答と共に身体に絡み付く杏子の多節昆が瞬時に消えて、彼は冷めた目で首に突き付けられたさやかの剣の切っ先を何でもないように摘まむ。
剣もすぐさま、多節昆の後を追うように消えた。
「君らの敵だよ。よろしくね」
マミのマスケット銃が火を噴く。だが、それも彼が指先で摘まんで、揉み消すように潰した。
圧倒的な振りを悟って、マミはべべへ叫んだ。
「べべ。暁美さんを連れて早く逃げて!」
急速な勢いで、私を乗せたべべは屋上から離れて発進する。
マミたちを置いて、私はべべと共にその場から逃げ出した。けれど、私のためにあそこに残ってくれた三人へ心配をする余裕は持ち合わせていなかった。
ひたすら、頭の中ではゴンべえが言いかけた言葉が頭の中で反響していた。
『この結界を作り出した魔女』。
そして、ソウルジェムが砕けても何ら変わりのない自分。
盾から取り出した彼が渡したクローバーの最後の葉はもう残っていなかった。
残された茎もすぐに夜風へ溶けて、見えなくなる。
気付けば、私は忘れていた最後の記憶を取り戻していた。
***
私は急いでそこへ向かっていた。
向かった先は夜の学校。
バスで帰って来た時には既に陽は沈んでいた。停留所に降りた時、自分がこの街を見ていなかった事に気付かされた。
私が見ていた場所はせいぜい自分の家と、マミさんの家。そして、見滝原中学校くらいだ。
けれど、私が知っているのは朝から夕方までの学校だけ。もしも夜になれば何か変わっているかもしれない。
私が忘れている何かはそこにあるかもしれない。そう思ったら自然と足が学校に向いていた。
校門の前に着くと、校門は僅かに開いていた。
紛れもなく、それは誰かが夜に敷地内に入った形跡だった。
胸騒ぎがした。言いようのない嫌な予感を感じに急いで敷地内に入る。
その時、屋上で動くものが視界に映った。
迷わず魔法少女に変身して、校舎の窓枠や凹凸を足場にして駆けあがる。
金網越しにほむらちゃんを除く皆が手品師と戦っているのが見えた。
「……ロッソ・ファンタズマ!」
脱臼したのか、片方の肩を庇うようにして槍を構える杏子ちゃんは、魔法で幻影の自分を何人も作り出す。五人に増えた彼女は同時に手品師へ飛び掛かる。
「それはさっき見たよ」
冷めた声と一緒に手品師はステッキを横薙ぎに振るう。
すると、直接触れた訳でもないのに杏子ちゃんの幻影は掻き消えて、本物の一人だけが残る。
その杏子ちゃんが持つ赤い槍を反対側の手で握り、消し去ると彼女の腹部へ膝を突き入れた。
「うっぐ……」
深く減り込んだ膝を引き抜いて、くの字型に折れ曲がった杏子ちゃんの腕と胸倉を掴み上げる。同時に杏子ちゃんの変身が解けた。
「杏子! アンタ……」
膝を突いていたさやかちゃんは剣を杖にして覚束ない足取りで立ち上がると、背を向けていた手品師に向かって駆け出した。
それを予想していたように彼は身体を捻って、掴んだ杏子をさやかちゃんへ向けて投げ飛ばす。ちょうどテレビでみたような柔道の背負い投げのようだった。
「そんなに大事な友達なら受け止めてあげるといい」
「うわぁっ」
投げ飛ばされた杏子ちゃんは走り出していたさやかちゃんへと衝突する。途中で剣を手放して抱き止めようとするが勢いが強すぎて、受け止めきれずに彼女共々屋上の地面に転がった。
酷い。二人が彼にここまで痛めつけられる理由なんてない。
「青髪さん。やっぱり君は『生身』じゃないんだね」
さやかちゃんの方を見て、よく分からない事を呟いた後、視線を向けずにステッキを後ろへ振る。
彼を狙って放たれていた弾丸は彼のステッキに当たって消滅した。
「意識の外からの攻撃ならどうにかなると考えたのか。友達が痛めつけられているのに、
険しい表情で荒い息をしているマミさんはたった今使ったマスケット銃を落として、向かいに見える金網に背を預けていた。その様子から杏子ちゃんやさやかちゃんよりも疲弊している事が見て取れる。
「涙ぐましい努力だね。でも、あまり魔力を使うとソウルジェムが濁って魔女になっちゃうよ?」
「『魔女』? あなた何を、言って……いるの?」
「君ら魔法少女が戦っていた敵であり、君ら魔法少女の成れの果ての事だよ」
「魔女なんて知らないわ。だって、私たちが戦っていたのは……」
「戦っていたのは?」
私は屋上の金網を乗り越えて、私も屋上へ足を着ける。
それとほぼ同時にマミさんが手品師に促されるままに答えた。
「『魔獣』……どういう事なの? じゃあ、ナイトメアって一体……?」
「マミさん……」
自分の顔を片手で覆い、狼狽え始めたマミさんに心配した私は声を掛ける。
彼女の目が手品師から、私に向けられた。
「鹿目さん……。あなたは誰?」
聞かれた質問の意味が分からなかった。
何かの聞き間違いかとさえ思った。
でも、それは聞き間違いなんかじゃなかった。
「マ、マミさん。どうしちゃったんですか? 私はまどかです。マミさんの後輩で、魔法少女の……」
「 いいえ……、『私が知っているあの見滝原市』には鹿目まどかなんて名前の魔法少女は居なかったはずだわ」
あり得ないものを目の当たりにしたかのような眼差しでマミさんは私を眺めている。
どういう事? マミさんは何を言っているの?
その手品師に何かされた?
彼をきっ、と睨む。彼はその視線に応えるようにゆっくりと私の方を向いた。
月明かりに照らされた彼の顔は私のよく知る人物だった。
ずっと会いたいと思っていた男の子。
「ゴンべえ、君?」
「そうだね。この名前は君が選んでくれた名前だったね」
そう言って浮かべたゴンべえ君の表情は、今まで見た事のない冷たい笑顔だった。
どうしてあなたがと思う反面、妙な納得があった。
私は彼を知っている。靄が掛かったような記憶から取り出す事はできないのに、それは夢なんかじゃない事だけははっきり理解できた。
「まだ思い出さない? 自分が何のためにこの場所に居るのか」
「思い出すって、何を? ゴンべえ君は私が何を忘れているのか知ってるの?」
「知ってるよ。でも今は先約が居るから、自分で思い出して」
「記憶喪失だったのはゴンべえ君の方じゃ、なかったんだ……」
「僕は君らと違って一度だって、大切な記憶を手放したことはないよ」
嘲るような口調でそういうと彼は私に背を向けて歩いていく。
「待って!」
まだ一番聞きたい事を聞いていない。
それを聞かないと私は引き下がれない。
「何? 僕が何者か聞きたいの? それとも自分の思い出せない記憶の内容? それとも何で君らと敵対しているのかかな?」
横目で見る彼の顔には軽蔑めいた呆れが浮かんでいた。
私に対して向けられた嫌悪の瞳にきゅっと胃の縁が摘ままれたような痛みを感じる。
辛い……苦しい……。ここから逃げ出したい……。
思わずに下を向いて、彼から視線を逸らしたくなった。
それでも勇気を出して、ゴンべえ君に聞いた。
「私と一緒に居た時、ゴンべえ君は楽しくなかった……? 私やパパやママ、たっくんたちと一緒に居た時間、ゴンべえ君は何を感じていたの?」
彼が何者だろうと構わない。自分の記憶が思い出せなくたっていい。
でも、これだけは聞かなくてはいけなかった。
「ああ、そんな事か」
下らない事を聞かれたような、そんな投げやりな口調だった。
「何を感じていたかって? 知りたいなら教えてあげるよ。――君らと過ごした時間はとてもとても……不愉快な時間だったよ」
彼の声に明確な怒気が混じる。
飄々とした態度が一変して、静かな怒りに彩られた。
「人生の中で一番大切な記憶に、汚物でも擦り込まれている気分だったよ」
「え……」
「紛い物の街で、僕の大切な人たちと見た目だけがよく似た君らと過ごす茶番は、演技でも耐えられないくらいの屈辱の日々だった。これが僕の答えだよ。満足した?」
大好きだった彼から、向けられたその言葉に私はそれ以上言葉を紡ぐ事はできなかった。
辛いとか、悲しいとか、そういった説明できる類のものじゃなかった。
自分の感じていた感情がただの独り善がりだと思い知らされた。
瞳から涙が滲む。ガラガラと今まで感じていた浮ついた気分が音を立てて崩れていく。
幸せだと思っていたのは私だけだった。
私は彼の心を何一つ理解できていなかった。
「それじゃあね。僕はやるべき事を最後までやるよ」
彼は黒い布を頭から被ると、一瞬で跡形もなく姿を消した。
凹凸のなくなった布が屋上の地面へ広がり、やがてその布さえ消えてなくなる。
残された私は膝を突いて、自分の胸を押さえる事しかできなかった。
これが今年最後の更新になりそうです。