~ほむら視点~
こいつだけは。
こいつだけは何があってもまどかに近付けてはいけない。
得体の知れない魔法を打ち消す魔法使い、ゴンべえ。こいつの目的はまどかの消滅……インキュベーターなど比べものにならないほど危険な存在だ。
前に腕を突き出して、奴に向けて振る。
床から魔力で編み上げた巨大な紐状の突起物を幾本も生成し、そのすべてをゴンべえ目掛けて差し向けた。
奴は避ける動作すらも取る事なく、掲げたステッキを指揮棒の如く振るった。
巨大な紐状に伸びた突起物はゴンべえに掠る事なく、彼の頭上で全て掻き消える。
「どうしたの? 急に手を突き出したと思ったら振り下ろしたりして……創作ダンスの練習でもしてるの?」
嘲笑う手品師は未だ健在。傷一つ付けるどころの話ではない。
奴を倒す術がない。インキュベーターだけでも厄介なのにこの男はそれ以上だ。
もっと。もっと魔力を……穢れを集めないと。
自分の中の絶望を加速させる。早く、魔女になりたい。こいつを倒せる強い魔女に。
じゃないと、まどかを守れない。
周囲の空間が歪む。四方から樹木の成長映像を早回ししたかのように建造物が生え、そこから使い魔が卵から孵った幼虫の如く湧き出てくる。
私に似た兵士のようなもの、鳥のようなもの、私やまどかたちを似せた仮面を被ったもの、それから前にゴンべえに消された戯画化された少女のようなもの。
隠れていたらしいインキュベーターも空間の歪みに押し出されて、猫に追い立てられたネズミのようにバラバラと逃げ出して行く。
少女のような使い魔は投げ縄のようなものでインキュベーターを捕まえ、縄で締め付けるように潰して一匹ずつ圧殺していった。
これなら私の結界内のインキュベーターは始末できる。
問題は……。
「よくもまあ、こんな大量に作り出したもんだね。まあ、何匹居ても僕にとっては案山子も同然なんだけど」
ゴンべえはシルクハットを摘まんで逆さまに持ち上げた。
内側からばさばさと羽音を立てて、何羽も白い鳩が翼を広げて、私の繭の中へ舞い上がる。
ひらりと舞った白鳩たちは私の使い魔に追突すると、白い煙を上げて消え失せる。
代わりに大量の紙吹雪が現れ、宙でばら撒かれる。粉雪のように舞う紙吹雪は触れた場所から熱された氷の膜、あるいは炙られた薄い紙のように溶けて崩れていった。
私の怒りも絶望も嘲笑うかのように奪っていく残酷な紙片は、白鳩が割れる度に数を増していく。安っぽい見た目に反して、効果は絶大だった。
使い魔や新たに生えた建造物どころか、この空間にも穴を一つ、また一つと穿ち、繭の中は次第に崩壊し始める。私の中の激しい感情を奪い去っていくように。
「ねえ、お代わり……もうないの?」
シルクハットを被り直し、料理でも催促するかのように私へ尋ねる。
待っているのだ。次の私の攻撃を。
「馬鹿に……しないで!」
生き残っている使い魔を一斉に奴目掛けて襲わせる。
手品師はステッキを指先だけでバトンのように回した。使い魔はそれだけで空気を入れ過ぎた風船のように膨張。
次の瞬間には一斉に破裂して同時に居なくなる。
もはやステッキで直接触れさえしない。
私は戦慄した。私やマミたちと戦った時、こいつは手加減していたと理解したからだ。
遊んでいた。いや、今もなお加減し続けているのだろう。
何故なら、この期に及んで手品師は私に近付いても来ていない。
残虐な猫が、逃げ場の無くなった鼠を殺さないように
興味を失ったのか、私へ視線も向けなくなった奴はステッキを弄びながら、片手間に私に尋ねた。
「ねえ、君さ。そもそも何がしたいのさ?」
ステッキがゴンべえの人差し指の上で回る。バランスを崩さずに回転したステッキを弾いて、ペン回しの要領で中指、薬指と順に動かしていった。
「……貴方に言われたくないわ。私は、まどかを守るために戦って……」
言い終わる前に奴は口を挟む。
「じゃあ、守るって何?」
「え……?」
「何を
何を、言っている?
こいつは何を……?
そんなもの、決まっている。
「『まどか』の生命さえ守れればいいの? それとも『まどか』の平穏な生活ごと守るってこと?」
「後者に決まってるでしょう。私はまどかの幸せを願ってる! だから!」
「それなら何で僕がピンクの彼女の家に居た時、あんなにも不機嫌だったの? 彼女、あんなにも楽しそうにしていたのに」
不機嫌……? そんな事はあり得ない。
まどかが幸せなら私はそれ以上望まない。
そのために、ずっと独りで何度も時間を繰り返してきた。
最初に誓った想いが。魔法少女としての願いが蘇る。
死んだまどかを前にして、魔法少女との契約の際に言った願い事。
「私は……。私は、まどかとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい。そう願って魔法少女になった。まどかが幸せなら何も要らない!」
「嘘だね」
ステッキを弄るのを止めたゴンべえは冷めた表情で私の言葉をあっさりと否定する。
淡々としている声色には呆れさえも滲んでいない。嘲笑もなく侮蔑もない。ただ当然の事を述べるだけというような態度。
故に先程までの侮辱めいた台詞よりも鋭く胸に突き刺さった。
「君の想いはそんなに純粋なものじゃないだろう? 君の願いはもっと利己的で、一方的で、粘着質だ」
踏み込むような大きな一歩で、私の前に跳ぶ。
奴の黒い瞳孔の眼差しが身体をその場に縛り付け、氷柱のような言葉が思考の自由を奪う。
息苦しさを感じさせる強烈な圧迫感。
出鱈目に腕を振り上げ、使い魔を呼び出すが、それらはステッキ一振りで跡形もなく片付けられた。
「嫉妬したんだろう? こんなにも頑張っている自分を差し置いて、彼女に好意を易々と手に入れた僕に」
違う、と唇を動かすが声にならない。
大仰な身振り手振りと、演劇じみた感情表情の露骨な抑揚の付け方で奴は語る。
「見ればすぐに解ったよ。そりゃあ腹立って立つよね? 自分には彼女しかいないのに、当の本人は自分なんかそっちのけで知らない男に首ったけ……悔しいし、何より哀しい」
止めろ。言うな。言わないで。
それ以上、私の心に入って来るな。
「なぜなら、向ける想いの違いを見せ付けられるから。自分に向けられた好意とは別種の好意。そして、ふと気付いてしまう」
言うな。
喋るな。
私の心に踏み入るな。
「『ああ、彼女にとっての私は特別ではなかったのか』と」
身体から力が抜けていく。真っすぐに立っていられずにその場に座り込んだ。
黒の手品師はそれを黙って見下ろしている。
壊される。こいつの言葉を聞き続ければ、私は私で居られなくなってしまう。
逃げなければ……少しでもこの男から距離を取らないと。
声が聞こえないほど遠くに。
足元が私を中心に歪む。亀裂が入り、縦に、横に、斜めに割れていった。
天井が崩落し、壁は剥がれ落ち、床は下へと分解して落下していく。
外層の割れた隙間から、黒く濁ったコールタールに似た液体が噴き出し、内側へ流れ込む。
漆黒の液体は私を瞬時に呑み込むと、手品師から逃がすために流動し始めた。
「まだ話は終わってないよ。逃がすと思う?」
白い手袋に包まれた手が私の腕を掴もうと伸びた。
「ちっ」
しかし、奴が掴んだ腕は私に似せた使い魔のものだった。
黒の流動する液体は身代わりの使い魔をいくつも作り出して、奴の目を撹乱させる。
その隙にもっと深いところに私は逃げ込む。
黒い液体の中でひたすらに下へと流れ落ちて行く。
もっと、もっと、深い場所へ……。
***
優しい風が顔を撫でる。
目を開くとそこは広い野原だった。
ベンチに腰掛けた私は見滝原中学校の制服を着ていた。
垢抜けていない眼鏡を掛け、三つ編みに髪を結い上げている。
隣には同じく制服を着込んだまどかが座っていた。
空は青く、穏やかな日の光が暖かい。
嫌な夢でも見ていたと思ってしまうほど平穏で長閑な景色に私はしばし呆然とする。
「あ、れ……私。何だか変な夢を見ていたみたい」
いや、きっとそうだ。こちらが現実で今まで見ていたものはただの夢。
思い返そうとしてももうどんな夢だったのかも覚えていない。
「えーと。何か話してたんだっけ、私たち」
隣に座るまどかさんに話しかける。
学校帰りに二人で立ち寄ったこの野原があまりにも居心地が良くてうとうと微睡んでいたのだろう。
ひょっとしたら私が起きるまで彼女を退屈させていたのかもしれない。
そう思って尋ねるが、まどかさんは答えてくれなかった。
「…………」
「ごめんね。怒ってる?」
「ああ。もうカンカンだよ」
座っていたまどかさんの頭が爆ぜた。
消失した首の上には黒いステッキがベンチの後ろから伸びている。
「あ……」
頭を失った彼女の身体がベンチから転げ落ち、溶けるように消えていった。
最愛の友人が目の前で無残に消えていく光景に思考が付いて行かず唖然とする。
そんな私にベンチの後ろから声が浴びせられた。
「都合のいい夢に逃避するのは魔法少女の専売特許なのかなぁ?」
強烈な侮蔑の籠められた悪意ある声の持ち主。
私はその声の持ち主を知っている。
ベンチの背もたれの上に座っているのは手品師の衣装を着込んだ中学生くらいの男子。
「ゴン、べえ……」
「話の途中で離席なんて、君、学校で何学んで来たの?」
後ろを向いた彼は呆れたように呟いた。
その途端に記憶が戻る。夢などではなかった。ここは私の逃げ込んだ空間。ここに居るまどかも偽物。
この男は私を壊しに追って来た敵で、およそ勝てる方法さえ思い付かない化け物。
「さて、お話の続きをしようか。魔女さん」
逃げ出そうとする前に伸びてきた手に髪の毛を掴まれた。
「いたっ……」
ベンチの後ろへ無理やり引っ張られて、ベンチの背もたれに後頭部を殴打する。
逆さまになった視界には冷酷な笑みを浮かべた手品師が映った。
「まどかまどかと気の触れたように口ずさんでいるけど、君が好きな『まどか』って誰?」
「何が、よ……」
これこそ質問の意味が分からない。
本気でこの男が何を言っているのか分からず、戸惑いの声が漏れた。
私の髪を掴んだ手とは逆の手でステッキを軽く回す。
「君は何度も繰り返して『まどか』との出会いをやり直したんだって? それはつまり、繰り返す度に前の『まどか』と出会って来た訳だ」
じゃあさ、とゴンべえは区切る。
「最初に出会った『まどか』と次に出会った『まどか』も同じだった? 次の『まどか』もその次の『まどか』も全員寸分違わず同じに見えた?」
「当たり前じゃない。同一人物なのよ。違いなんて、あるはずないわ」
私がそう答えると、奴は瞳を細めて笑った。
今までの中でも最も悪意の載った笑い方だった。
「あはははははははははぁっ。そうか、うんうん、そうなんだぁ。あはははははっ」
「何がそんなにおかしいの!?」
力の差など関係ない。この男が何者だろうと私のまどかへの想いまで
だが、ゴンべえは嘲りの態度を変えず、続けて言う。
「おかしいさ。だって、替えが利くんだろう。君のだぁいすきな『まどか』は」
頬の端を吊り上げ、両目を皿のように見開いた凄絶な笑みを私へ向ける。
悪意を眼球を通して脳にそのまま流し込まれているような、悍ましい感覚が思考を侵す。
激しい吐き気を感じるのに、息ができず、視線すら逸らせない。
凍った思考が流れ込む悪意に汚れていくのに拒絶する事も許してはくれない。
違う……。まどかは替えの利く存在なんかじゃない。
そう言いたいのに邪悪な笑みは否定もさせずに言葉のナイフを突き刺す手を止めてはくれない。
「君と築いた友情も、君に懐いた感情も受け継げない。それなのに同じと言うんだね、君は。なるほどなるほど、じゃあ仕方ない。同じものがいくらでも手に入るんだもん。
繰り返してきた時間の中で出会ったまどかたちの最期の顔が思い出される。
私はそれを何度見て、何度諦めてきたのか。
それでも。
「それで、も……」
「うん?」
「それでも私は彼女を、救いたかった! 永久に繰り返し続けるとしても、ループする時間の迷宮に閉じ込められたとしても!」
そうだ。流されるな。
私の想いはこんな奴の言葉に揺らぐような脆弱なものではなかったはずだ。
まどかを救う。それだけを目印に私は戦ってきたのだ。
「楽だよね。悲劇の主人公を演じるのは」
けれど、その想いすら汚される。
「可哀想な自分を正当化するためなら、何だって許されると本気で思い込める。分かる。分かるよ、黒髪さん。僕も幼稚園児だった時に母を亡くしてね。その頃は本気でこう思ったものさ。『ああ、自分は世界で一番不幸な存在なんだ』って」
「そんなものと一緒にしないでっ! 私のまどかを救うために何度だって戦い続けたわ!」
「もっと上等だって言いたいの? くくっ、そうだったね。黒髪さんは大切な『まどか』のために頑張ったんだもんね。何人死のうと、
でもまあ、と一拍置いてゴンべえは私の鼻先に顔を近付けた。
「詰まる所、君にとっての『まどか』というのは記号だってことの証明じゃあないのかな? 自分が頑張るための記号。マラソンのゴールラインや高跳びのバーのような判り易いクリア条件のための記号」
ねえ、本当は安心してたんじゃない?
脳を冒す猛毒の言葉。
「同じだってことにすれば、自分が見捨てたこと自体帳消しにできるからね。繰り返す度に『まどか』の存在は大きくなった。代わりに時間ごとの『まどか』の命は軽くなっていく。残るのは可哀想で健気な自分。頑張っていることで、見捨てた『まどか』を忘れることの許される自分。自分、自分、自分……!」
繰り返してきた時間。やり直してきた戦い。
そのすべてを否定された。
メスで切開され、内部に詰められていたものを晒され、一つずつ丹念に叩き潰していく。
私を構成する要素を
この男は、私からどこまで奪えば気が済むのだろう。
どれだけ私を傷付ければ満足するのだろう。
こんな奴にここまで言われる筋合いはない。しかし、言い返せなかった。
心の中でこいつの物言いに納得している自分が居た。
目頭が熱くなり、涙が滲む。後ろ髪を掴まれているせいで、涙滴は頬ではなく、眼鏡の内側にこぼれ、さらに額へと伝う。
歯を食いしばらなければ嗚咽が
泣きたくない。ここで泣き喚いてしまえば目の前の男に屈した事になる。
「あー……ごめんごめん。言い過ぎたよ。泣かないで、黒髪さん」
ゴンべえは私の髪から手を離し、攻撃的な嘲笑を止めた。
私の掛けていた眼鏡をずらすと白い手袋で涙を優しい手付きで拭き取る。そして、柔らかい微笑みを浮かべた。
まどかの家で見た時のような、穏やかで人の良さそうな笑顔。
だから一瞬、不覚にも心が弛んでしまった。
「そこまで君が気にすることなかったね。うん、どうせ替えの利くものなんだから。君が出会って来たピンク色の髪で、心の優しい優しい女の子ならみーんな『
残酷な最後の一刺しの予備動作だという事に気が付けなかった。
「大した友情だね。ひょっとしたら、愛情なのかな? ……まあ、どっちでもいいか。どちらにせよ、その程度のものなんだから。ね、『暁美ほむら』さん」
ミシミシと軋む音が聞こえた。罅が入っていく。
野原はいつしか荒れ地へと変わっていた。気付けば腰掛けていたベンチは奇妙な動物の骨で構成されている。
青空は暗く澱み、気温は背筋が凍るほど冷え込んでいた。
楕円形の三日月が顔を出し、その月の内側から肉のない骨だけの指が湧き、穴でも裂くように月を縦に破いた。
亀裂は広がり、夜空の壁紙を剥がし、その巨体を露わにしていく。
頭部の大部分から彼岸花を生やした大きな魔女。
ああ、と一目で理解する。
あれは私だ。魔女としての私。呪いを集めた私。
絶望した私。
「ようやくお出ましか。それにしても大胆なヘアカットだね。夏休みデビューに失敗したの?」
既に立ち上がっていたゴンべえはステッキを構え、魔女へと対峙する。
空間ごと競り上がっているのか、荒れた地面と濁った夜空は激しく揺れながら外側に崩れていった。
剥げた空間の外には見滝原市の街並みと濁りのない見慣れた夜空。
まどか。ごめんね……。
どういう意味合いでの謝罪なのかもう自分でも分からない。
彼女に謝らなければいけない事はもう数えきれない。
それでも、私はやるべきを事を見つけた。
倒さなければならない敵を知った。
「死になさい。手品師……」
すべてを壊し尽くそうとするこの破壊者が、貴女を手に掛ける前に――必ず殺す。
なんて邪悪な奴なんだ……ゴンべえ。