魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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新編・第十四話 混ざった水

~さやか視点~

 

 まず目に入ったのは噴水だった。

 周りに複数のライトが埋め込まれていて、色とりどりの光を点滅させながら、大きく水を噴いている。

 私はこの場所を知っている。ここは……。

 

「見滝原市中学校近くの公園だよ」

 

 耳に届いた声に振り返れば、公園のベンチにゴンべえが腰掛けていた。

 今まで来ていた手品師のようなテールコートとシルクハット姿ではなく、見滝原市中学校指定の白い男子制服を着込んでいる。

 

「君の自宅からも程よく近いから何回か来たことくらいあるんじゃないかな? もっとも、ここは黒髪さんが作り出した紛い物だけど」

 

 横にはどこから取り出したのか、それとも最初から用意してあったのかティーポットとカップが二つ並んでいる。

 手慣れた手つきで彼は湯気立つポットからカップに薄茶色の液体を注ぐ。

 漂う匂いからそれが紅茶だと分かるまでそれほど掛からなかった。マミさんのせいか、この紅茶の銘柄は何だったか、なんて下らない事まで浮かびそうになる。

 

「突っ立ってないで掛けなよ。せっかく入れた紅茶が冷めちゃう」

  

 ゴンべえは片方のカップを持って、私の方に差し出した。

 理解が追い付かない。さっきまで敵対していた相手に連れ去られたと思ったら座って紅茶を渡してきた。

 字面にするとなおさら意味不明だ。何を企んでいるのかさっぱり分からない。

 

「え……何を、しているの……?」

 

「何って、お茶を飲みながら話そうって言ってるんだよ。見て判らない? 君って日本語が分からないの? それとも僕の喋ってる言葉がポルトガル語にでも聞こえる訳?」

 

 『心底、こいつ馬鹿なんじゃないの』という呆れ気味の表情で私を見つめるゴンべえにイラっとしたけれど、それでもここで怒りだしても話が進まない。

 そもそも魔法少女の敵を公言するこいつの出したものを私が受け取る理由がない。

 拒絶しようと口を開くが、その前にゴンべえは小馬鹿にしたようにせせら笑った。

 

「はは。まさか、毒でも出すと思ってる? まさか、あれだけ彼我の差を解りやすい形で教えてあげたのに、まだ理解してないんだね。加減しないと握り潰してしまうような君相手にそんなことすると本気で思うの? それにもし君に何かするなら近付くでいくらでもできるんだよ?」

 

「う……それは」

 

 彼の言葉に何の間違いもない。魔法は効かない。逃げても無駄。全員で掛かっても傷一つ負わせられなかった。

 おまけに明らかに加減していたからこそ、どうにか戦いの体を保って見えたけど、ゴンべえがあそこで私たちを倒す気があれば、一瞬で勝敗は決していただろう。

 どの道、逃げられない以上、逆らっても無意味だ。

 こいつに会話をする気があるなら、むしろ好都合だ。少しでも私たちが有利になるような情報を引き出してやる。

 

「私、紅茶には少しうるさいよ?」

 

「ふふ。魔法少女の先輩によく淹れてもらうから?」

 

 にこにこと微笑んで、ベンチの空いた場所を軽く叩いてに座るよう促してくる。

 こっちの事は知り尽くしてますって感じだ。恐らく、私たちの内情まで把握した上でゴンべえは行動している。けど、ここで怖気づいてしまっては駄目だ。

 堂々と彼の隣に座って、差し出されたカップを受け取った。

 口元まで持っていき、薄茶色の水面に目を落とす。ふわりと鼻に香る紅茶の匂いには違和感はない。

 何か変なものを入れてはないだろう。彼のいう通り、そんな小細工をする意味がない。

 それでも敵対している相手から出されたものを飲むのは多少抵抗があった。

 ほんの僅かに迷った後、私は意を決して、カップに口を付け、一気に喉へ流し込む。

 熱すぎず、かと言って温すぎない温度の液体が喉を通って胃の中に落ちていく。

 

「……。美味しい」

 

 素直な感想がこぼれた。

 砂糖も入れていないのにさほど苦さもなく、すっきりとした飲み応えの紅茶だった。

 飲み慣れたマミさんの紅茶ほど深みはなかったが、後味がいい。お菓子がない単品の紅茶ならこちらの方が好みかもしれない。

 

「それは良かった。頑張って淹れた甲斐あったよ」

 

 そう言ってゴンべえもちびりちびりと紅茶を啜る。

 こうして制服姿で紅茶を飲んでいるところを見ると本当に普通の男子中学生にしか見えない。

 背丈は百七十以上あるけれど、顔立ちはまだ幼さが残っている。顔立ちは特出するほど美形ではないが、まじまじと見れば目や鼻立ちはそれなり整っている事が分かった。

 だが、格好いいというよりは可愛いと呼ばれるタイプの男子だ。さっきまでの戦いがなければ虫も殺しそうにないほど温和な顔立ちをしている。

 

「僕の顔に何か付いてる?」

 

「いや、違うけど。何ていうか……その、わりと普通の顔してるんだなって」

 

 言葉を選んだ割りに失礼な表現になってしまったものの、そこからどうフォローを入れればいいか分からず、謝る気も起きず、続きが途切れてしまった。

 だが、彼はそれに気分を悪くした様子もなく、笑って返した。

 

「それは普通だよ。君らに比べれば僕は平凡な容姿さ。髪だってカラフルじゃないしね」

 

 私は目の前の存在が魔法の効かない化け物ではなく、ごくごく普通の人間にしか見えなくなり、どうしたらいいか分からなくなった。

 さっきまでは恐ろしくて、得体の知れない存在としか見ていなかったから余計に困惑した。

 

「あのさ……アンタ、何者なの? 魔法少女の敵だって自分で言ってたけど、私にはそう思えない」

 

「何者、ね。質問を返すようだけど、君こそ何者なの?」

 

「私は美樹さやか。円環の理に……まどかに導かれた魔法少女だよ」

 

「本当に?」

 

「え?」

 

 彼は私の方に身を乗り出して尋ねた。

 黒い黒曜石のような彼の瞳孔に私の顔が反射して映っている。無機質な瞳からは、どんな感情が心中で渦巻いているのか読み取る事ができない。

 その顔はあまりにも間抜けで、自分が今浮かべている表情だというのに実感が湧かなかった。

 ゴンべえはすっとベンチから腰を上げると、カップを持ったまま、噴水へ近寄った。

 そして、手に持っていたカップをおもむろにひっくり返す。

 中に残っていた紅茶が噴水の水へと零れ落ちていった。その後、すぐにカップで噴水の水を掬い取る。

 私は一連のゴンべえの奇行に付いて行けず呆然としていると、振り返らずに彼は私へと質問を投げてきた。

 

「ねえ。今、このティーカップの中に入っているのは紅茶? それとも水?」

 

「え……そりゃ水に決まってるでしょ」

 

「何で? 最初にカップに入っていたのは紅茶だったんだよ? 零した後にすぐに掬い直したのに紅茶じゃないの?」

 

「だって、大量の噴水の水の中に混ざったら、もうカップに移したって紅茶じゃなくてただの水でしょ。どう考えても」

 

 私が答えた途端、彼はこちらを振り向いて、意地悪く笑った。

 その瞬間、ゴンべえが何を伝えようとしているのか気付いた。これは、さっきの会話の続きだ。

 背筋に鳥肌が立つ。今、自分の中で浮かんだ彼の答えは私の全てを破壊しかねないものだった。

 

「そう。そうだよね。大きなものに小さなものが混じったら、もう小さなものは呑み込まれてしまう」

 

「…………」

 

 嫌だ。止めて。その先を言わないで。聞きたくない。

 

「たとえ、同じカップに移したとしても大量の水に溶けた紅茶は紅茶ではない」

 

「……私は」

 

 今すぐにこの男の口を閉ざさないと、きっと私は……。

 

「じゃあ、君はどう? 円環の理という大きなものに取り込まれた君は」

 

「わたし、は……」

 

 手に持っていたカップを投げ捨てて、剣を魔法で生み出して、跳ねるように噴水の方へ飛び出した。

 駄目だ駄目だ駄目だ。これ以上、この話を聞いてはいけない。絶対にそれだけは続けさせてはならない。

 

「ふふ。気付いているくせに。君の正体はもう」

 

 刃の切っ先を奴の口の中へと突き出す。声を、言葉を、呼吸を一刻も早く止めないと。

 剣を握る手を捻り、開いた奴の口内にねじ込もうと振り抜いた。

 奴の手の中にあったティーカップが音を立てて、地面に落ちて、粉砕音を響かせる。

 飛び散った破片と共に中の紅茶混じりの水が足元に広がった。噴水の周りのライトがそれを淡く照らしている。

 だが、剣先を押し込んだ瞬間、刃は熱したアイスのように溶けて、奴の口元を汚しただけに留まった。

 

「――人形だよ。与えられた配役を全うするためだけに居る、円環の理の操り人形」

 

 それすら、青い粒子状に分解されるまで数秒もかからなかった。

 何も付いてない口元を当て擦りのようにポケットから取り出したハンカチで拭うと、ゴンべえは私に片手を緩慢な動作で上げる。

 すうっと指先が私の鼻のすぐ前で止まり、人差し指を突き出した。

 

「死んでしまった魔法少女の残骸で作ったの哀れなパペット。円環の理の思い通りに動く玩具」

 

「違う! 私は私。それは円環の理の一部になったって変わってない!」

 

 私は魔法少女。美樹さやか。記憶も感情も、あの頃と同じ。

 そうだ。私は何も失っていない。私は何も変わってない。

 

「じゃあ、この結界の中に入り込んだ異物だと認識していた僕を野放しにしたのは何で? 気付いていたならあの時他の何を置いても排除するべきだったんじゃないのかな? 実際、僕を始末できたのは肉体をろくに生成できていなかったあの時だけだったのに」

 

 ゴンべえは指を突き付けたまま、淡々とした口調で喋り続ける。

 

「円環の理が……あのピンク髪の彼女が僕の存在を気に入ったから見逃した。違う?」

 

「それは、そうだけど。あれはまどかの……まどかがアンタを一生懸命助けようとしてたから……」

 

 確かに最初から私はこいつがナイトメアではなく、ほむらが作った魔女の結界の外部から侵入してきた存在だと知っていたし、得体の知れない存在だと思っていた。

 だから、浄化しようとしていた仲間とは違って、武器で打倒そうとした。

 でも、まどかがゴンべえを必死で川から引きずり上げて介抱していた光景を見て、そのまま見守る事に徹した。

 

「あたしがっ、まどかの幸せな姿が見たかったからだよ!」

 

 まどかは誰かを好きになる前に、全部失ってしまった。自分のためじゃなく、全ての魔法少女のために。

 

「友達に幸せになってほしいのが何がおかしいって言うの!?」

 

 そうだ。惑わされるな。自分の言葉で心が勢いを取り戻していくのが分かる。

 私は操り人形なんかじゃない。私は私の意思で動いている。

 するとゴンべえは数秒間、真顔で私の顔を眺めた。

 

「本当にそう思える? 君は彼女の一部なのに。君、自分の手足が自分の思い通り動くことが友情だと思う訳?」

 

 打って変わって真剣そのものの眼差しに気圧されて、思わず下を向いてしまう。

 当たり前だと力強く答えればいい。そう思ってもこいつが言っている事がまったく的外れな事な訳じゃない。

 円環の理に導かれた私が、その前の自分とまったく同じだとは本当は思ってない。自分の事が客観視できるようになったし、昔よりも落ち着いた目で周りを見る事ができるようになった。

 これはきっと、神様になったまどかと混じったせいだと思う。

 足元に零れた水に自分の顔が映る。一瞬だけ俯いた顔が落ち込んだまどかの顔に見えた。

 

「……思ったよりちゃんと考え込むんだね。もっと脊髄反射で答えるっていうか、直感的に返答する子だと思ったよ」

 

「多分、そういうところがまどかの一部になる前の私だったんだろうね」

 

「でもねぇ、慎重というのは臆病は似ているようで違うんだよ。よく考えることはいいことでも、悩んで最後まで答えを出さないのは間違った答えを出すよりも悪い。答えを出す事が怖くなるからね」

 

 顔を上げればゴンべえはまた意地の悪い表情に戻っていた。

 

「前に直感で動いて手酷い失敗をしたとか、かな?」

 

 かつて、正義の魔法少女を自称していたくせに恭介を仁美に取られて、自暴自棄になって魔女になった記憶がフラッシュバックする。

 あんな風に馬鹿な自分とは決別したつもりだったけれど、結局、私は答えを出す事が苦手なだけだったかもしれない。

 あの時、せめて振られるとしても自分から告白をしにいけば、もっとすっきりした気持ちにはなれたと思う。

 視線を逸らして質問に答えずに居ると、彼は勝手に納得したように頷いた。

 

「なるほどね。結局のところ、君はただの傍観者。痛い目を見るのが嫌で、足踏みばかり。それで自分は慎重になったなんて安心しちゃってる訳だ。肝心要のところは指を咥えて見てるだけ。だから、僕という異物を処理することもできず、こうして最悪の状況まで持ち越した」

 

「…………私、何も答えてないよ」

 

「言葉よりも表情の方が深く教えてくれていることもあるんだよ。ましては君は感情エネルギーの塊だ。反応だけで懐いた感情を雄弁に語ってくれる」

 

 顎先を摘まむようにして私の顔を無理やり上げさせる。

 にやにやと侮蔑の籠った笑みを浮かべているが、何故か無理に作っているような違和感を懐いた。

 

「……そうなのかもね」

 

「本当にそう思ってるの? 納得したつもりになるのと、心から納得するのはまた別だよ」

 

 不思議な気分。口調も表情も心底馬鹿にした台詞なのにまるで、どこか心配しているように聞こえる。

 今までまどかやほむらの事ばかり考えて来たけど、こいつのせいで自分の中の想いを改めて見せつけられたような気がする。

 

「まあ、いいさ。君のことが少し分かった。もう帰っていいよ」

 

 それだけ言うと、何の脈絡もなく、どんと肩を突き飛ばされた。

 

「え? ちょっと……」

 

 受け身も取れずに背中から公園の地面に打ち付けそうになる。

 だが、いつの間にか敷かれていた黒い布へと触れると、目の前が暗転した。

 一瞬の内に周囲の光景が公園から瓦礫の山の街へと変化している。

 

「ここって」

 

 周りを見回すと近くで膝を付いている黒い髪の少女の姿が目に付いた。

 泣いているのか両手を顔に貼り付けて、毛先が汚れるのも気にした様子なく髪を垂らしている。

 

「ほむら!?」

 

 私の声に驚いて、顔を上げた彼女の瞳は泣きはらしたように充血していた。

 

「さやか。何でここに……。いえ、まどかは!? まどかは無事なの!?」

 

 身体を動かす体力もないのか、立ち上がる仕草は見せなかったものの、鬼気迫る勢いで私に向かって問いかけた。

 相変わらず、まどか第一の姿勢にこんな状況だというのに少しだけ口元が綻んでしまう。

 

「少しは私の事も心配してよ。ま、アンタらしいけどさ」

 

 




年越しギリギリで投稿。思ったよりも難産だったので、若干予定と狂いましたが、どうにか更新できました。

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