魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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新編・第十五話 蝶と蛾の違い

~なぎさ視点~

 

 

 焼け落ちるネガフィルムのように次々と綻びが増え、黒ずんでいく偽の見滝原市。

 なぎさを含めた魔法少女たちは大きく輪を描くように周囲に目を配らせていた。さやかがゴンべえに連れ去られてから少し経つが一向に彼は姿を見せない。

 ゴンべえは言っていた。これは個別面談だと。

 彼が何を目的としているかは未だに分からないけれど、もしも嘘を吐いていないならまたなぎさたちの誰かを連れ去りにくるはず。

 そこを狙えば、逆にゴンべえを取り押さえる事ができるかもしれない。

 魔法は効かなくても、物理的な攻撃までは彼にも防ぐ術はない。いくら強くたって無敵ではない。

 そう提案したマミの意見に従い、なぎさたちはこうして周囲を観察している。

 集中集中集中——。

 目を凝らし、耳を澄ませ、異変をすぐに察知できるように。

 そんな折、肩を軽く叩かれた。

 肩に添えられた手があまりにも自然だったので、振り向いたのは驚きでも警戒でもなく、単純な反射行動だった。

 音もなく、空気の揺れすら感じさせず、なぎさの後ろに居たのは言うまでもなく、探していた魔法を無に帰す手品師。

 

「僕をお探し? お嬢さん」

 

 男子にしてはやや高く、透き通るような声音。黒く、夜の帳を一点に纏めたかのような瞳孔。背格好のわりに幼い顔立ち。

 

「……っゴンべえ!」

 

 本当に何の前触れもなく、瞬間的に現れた。

 頭と上半身だけを空間からぬうっと突き出している。いや、よく見れば、小さなハンカチサイズの黒い布が宙に浮かび、そこから身体をはみ出していた。

 

「待たせてごめん。次は君の番だよ。白髪さん」

 

 彼がなぎさを自分の方へ引きずり込もうと掴んでくる。黒い布をゲートにして、また空間転移を行うつもりだ。

 だが、さやかの時とは違い、なぎさたちも無策じゃない。

 なぎさを掴もうとしたゴンべえの腕に赤い鎖と黄色のリボンが蛇のように絡み付く。

 絡んだ途端にそれらは泡のように消えてなくなるものの、なぎさが彼の手を振り払って後ろへ跳ぶには十分過ぎる時間だった。

 

「あのさ。そろそろ学ばない? 魔法で作った武器は僕には通じないんだよ?」

 

 はあ、と露骨に呆れた調子で言った後、ゴンべえは隠していた身体をすべて布から抜き出した。

 まどかがなぎさを庇うように前へ出て、ピンクの弓の弦を引き絞る。彼女の指先にピンク色の魔力で作られた矢が三本現れた。

 風切り音もさせない無音の魔力の矢は彼の顔を狙って放たれる。

 しかし、三本ともさっきの鎖やリボンの同じように消滅する。

 ゴンべえは視線さえ揺らさない。自分に魔法が効かないと高を括っているのだ。

 まどかはそれにもめげずにいくつもの矢を発現させては解き放つが、彼の髪一本傷付ける事はできなかった。

 

「言ってるそばから……あれ? 金髪さんと赤髪さんは?」

 

 小雨の雨粒のように意に介する事なく、平然と矢の応酬をその身で受けていた彼はようやくなぎさたちの数が減っている事に気付く。

 でも、それは遅すぎた。

 降り注いでいたまどかの矢はただの囮。彼の意識を上へ向けるためのもの。

 身を屈め、素早く静かに接近していた杏子とマミがゴンべえの左右から両腕に全身で組み付いた。

 

「魔法で作ったもんは効かなくっても――」

 

「体術までは無効化できないでしょう!」

 

 二人ともタイミングを合わせ、彼の腕を後ろに捻じるように体重をかける。

 ぐらりと、ゴンべえの身体が前へ傾く。そこへまどかが接近して駄目押しの足払いを掛け、とうとう彼を仰向けに倒す事に成功した。

 艶のある黒髪の頭に載っていたシルクハットがころりと地面に転がって、なぎさの足元にこつんとぶつかった。

 取り押さえた! なぎさたちに歓喜と安堵の感情が広がる。

 だが、ゴンべえの顔からは口惜しさや焦りは見られない。それどころか、さきほどから変わらない平然とした余裕の表情だ。

 

「いやぁ、可愛い女の子にこう密着されると照れるねぇ」

 

「減らず口叩くんじゃねーよ。魔法にはいくら強くたって、こうりゃもう手も足もでないだろーが」

 

 杏子がさらに彼に腕をギリギリと締め上げるが、それすら効いているのか分からないほど、表情に変化がない。

 痛みがないのか、それともただの強がりなのか読み取れない。

 

「確かに君らの肉体は生身だからね。僕の否定の魔法でも消すことはできない。でもね、忘れてない? 君らの身体を動かしているのが何かを」

 

「っ……! 佐倉さん、離れるわよ!」

 

「はあ? 何でだよ!? ようやく手に入れたチャンスだろ?」

 

 不穏な台詞にマミは気付いたようでとっさに杏子に叫んで、組み付いていたゴンべえの腕を放そうとするが、それよりも早く、マミの目から光が消え、かくりと首が前に下がる。

 

「もう遅い」

 

 同じように杏子も放心したようにぐらりと身体を揺らして、掴んでいた彼の腕にもたれ掛かる。

 二人とも一瞬で意識を失ったようにぴくりとも動かず、脱力したように(うずくま)る。二色の魔力が粒子となって二人の格好がそれぞれ魔法少女の衣装から戻った。

 

「マミ! 杏子! 一体どうしたのですか!?」

 

 なぎさには何が起きたのかさっぱり分からなかったが、前へ立つまどかは状況を理解したようで静かに呟く。

 

「……魔力の循環を止めたんだね」

 

「大正解。魔法少女は結局のところ、ソウルジェムから魔力……感情エネルギーを流すことで肉体を操作している。なら、簡単だ。その流れを阻害してやればいい。結果は――ほら。この通り」

 

 小さな羽虫でも払うように緩慢な動作で取られていた腕を動かす。すると、意識のない二人の身体は彼の背中から落ちて地面に倒れ伏した。

 転がる彼女たちに視線も向けず、彼は立ち上がってズボンを軽く叩いている。

 

「あなた、二人を!」

 

 怒りに身を任せ、飛び掛かろうとするが、それをまどかが制した。

 

「なぎさちゃん。大丈夫。まだ二人のソウルジェムは消えてない。だから、意識を失くしているだけだと思う」

 

 だから、今は我を忘れてはダメだと視線でなぎさに伝えてくる。

 まどかに言われ、マミと杏子のソウルジェムをそれぞれ、卵状の宝石に戻っているものの、彼女たちのすぐ近くに落ちている。

 

「ソウルジェムが百メートル以上肉体から離れた時と同じだよ。一時的に肉体とのリンクを強制的に外しただけ。また肉体にソウルジェムを触れさせて、リンクを繋ぎ直せば、元通りさ」

 

 ほっと胸を撫でおろす。二人は無事だと分かっただけで怒りのボルテージがゆっくりと下がっていく。

 同時にゴンべえの反則染みた強さに改めて脅威を感じた。

 魔法は通じない。直接取り押さえる事も不可能。倒すどころか、ダメージを与える事もできない。

 怖気づいてしまうなぎさと違って、まどかは毅然として一歩踏み出した。

 

「ゴンべえくん……もうやめて。こんな事をして何になるの? 何で魔法少女を殺そうとするのっ!?」

 

「聞いてどうするのさ? 僕がもっともらしい理由を言って納得したら『解りました。私たちは消えて居なくなります』とでも言う訳?」

 

「それは……」

 

 目を逸らすまどかに、ゴンべえはふんと鼻を鳴らした。

 

「聞いたところで何も変わらないなら、言うだけ無駄だろう。それじゃあね。間抜けな女神サマ」

 

 捨て台詞と共に彼の手がテールコートのポケットに無造作に入れられた。

 次の瞬間、なぎさの足首が誰かに掴まれる感触が襲う。

 

「えっ……」

 

 下を向いた時には横向きに転がったシルクハットから白い手袋を付けた手がなぎさの脚を握り締めている光景が見えた。

 まどかが振り返った時にはなぎさの目の前は暗転し、気が付けば古い教会の長椅子に腰かけていた。

 瓦礫の山もまどかの姿もなく、あるのは古ぼけて傷んだ木製の壁と割れて剥がれ落ちたステンドグラス、そしてなぎさが座っている埃まみれの長椅子だけだ。

 瞬く間に別の場所に飛ばされた事に思考が止まったが、教会の奥の壊れかけた説教台の上に脚組みして座るゴンべえを見て、すぐに空間転移で連れて来られたのだと分かった。

 

「……ゴンべえ。なぎさをどうするつもりなのですか?」

 

「何、いくつか質問をさせてもらうだけだよ。本当さ」

 

「質問、なのです?」

 

 尋ねながら、ここがどこか考える。

 当然、ほむらの作った結界の中の偽りの見滝原市からは出ていないはず。

 宙に舞う(ほこり)や壁の染みまで作る込まれているなら、ほむらに取って印象に残っている場所。

 さやかが前に行ったという杏子のお父さんの教会なのかもしれない。ほむらが何度ループを繰り返したのか知らないけど、その内の一つで来たんだろうか?

 

「君は自分のことをどういう存在だと認識しているの?」

 

 組んだ脚をぶらぶらと動かし、行儀の悪い態度でそう聞いてきた。

 ―—どういう存在……なぎさが何者かって事を聞いている?

 それなら、答えは決まっている。

 

「なぎさは円環の理の一部なのです!」

 

「なら、円環の理って何?」

 

「え……?」

 

「君らが言う円環の理って何なのって聞いてるの? お解かりかな、お嬢ちゃん」

 

 長椅子に座るなぎさの目を射抜くように鋭い眼差しを放つ黒い眼差し。

 嘘も欺瞞も許さないという意志が眼光を通して、なぎさの脳髄に抉り込んで来る。

 本来、食事も必要としない魔力でできた身体なのに、口の中がぱさぱさに渇く。出るはずもない唾液をごくりと呑み込むように(のど)が鳴った。

 でも、ここで怯えてはダメ。

 

「円環の理は……まどかの、女神の作った魔法少女を救う法則なのです! 恐ろしい魔女にならずにまどかが連れてってくれる優しい世界なのです!」

 

 喉がつっかえそうになりながらも、語気を強めてゴンべえへと言い切った。

 負けてはいけない。だって、なぎさも女神の一部なんだから。

 

「ふふっ。あははははははは。女神ぃ!? そうかそうか。魔法少女を救う女神ね、うんうん。なるほどぉ……」

 

 片手で自分の顔を押さえ、嘲りをこれでもかと込めた笑みで彼は噴き出した。あまりにもおかしくてつい手で顔を覆ってしまった、そんな感情がありありと読み取れた。

 むっとして何かを言い返してやろうとしたが、それより早くゴンべえが謝った。

 

「いや、ごめんね。僕の方から聞いておいて笑うなんて失礼だったね。ところで白髪さん。君、(ちょう)は好きかな? バタフライの方ね」

 

「蝶、なのですか? ……好きなのです。可愛くて、綺麗で女の子なら皆、好きだと思うのです」

 

 急に話が変わったせいで、怒りが行き場を失くし、不機嫌そうに答えるだけに留まった。

 さっきまでの高圧的な声音と違って、優し気な声になった事も素直に答えてしまった原因だ。

 

「そっか。じゃあ、蛾は好き?」

 

「好きな訳ないじゃないのです! あんな気持ちの悪い虫! 見た目も怖くて、毒があって、誰だって嫌いに決まってるのです!」

 

 思うわず、背中に大きな目玉のような模様のある蛾を想像して、ぞわぞわと鳥肌が逆立つ……ような気持になる。

 なぎさの正直な返答に満足したのか彼は目を細めて、優し気に微笑んだ。

 まどかの家を見張っていた時に、彼女の幼い弟と遊んでいる時のような心がほんわりとする穏やかな笑顔に、目が釘付けになる。

 こんなにも優しく笑う人なのに、なんでなぎさたちの敵なのだろう。

 

「ふーん……でもね。君が好きな蝶と君の嫌いな蛾って生物的な違いはないの知ってた?」

 

「? 何言ってるのですか? 蝶と蛾は全然違うのです! 名前だって……」

 

「いいや。蝶は昼で、蛾は夜に飛ぶなんていうけど、夜に飛ぶ蝶も居るし、逆もあるよ。羽の開き方や触覚の形だって、あまりにも例外が多すぎて両者を明確に分ける違いにならない。蝶と蛾は同じなんだよ」

 

「じゃあ何で名前に呼び方が違うのですか?」

 

「そりゃ、見た人が勝手にイメージで振り分けているんじゃない? あれは綺麗だからきっと蝶。あれは気持ちが悪いからきっと蛾だろうって」

 

「そうなのですか……」

 

 そう言われて、蛾に対して少し可哀想な気持ちになってくる。明確な分け方もないのに、勝手にイメージだけで振り分けられ、綺麗なものと気持ちの悪いものに区別されるなんて……。

 蛾に酷い事を言ってしまった自分が酷く自分勝手に思えて、視線が足元に落ちる。

 ゴンべえはそんななぎさを眺め、変わらない調子で一言続けた。

 

「うん。君らと同じだね」

 

「……え」

 

「君らも勝手に区別してるじゃないか。自分たちは『綺麗なもの(女神)』で、気に入らない奴は『汚いもの(魔女)』だって」

 

 ぞわりと、背筋が凍った。

 彼の穏やかな笑みが仮面のように剥げ落ちて、その下から悪意に満ちた攻撃的な笑みが顔を出す。

 つり上がった口の端を戻さず、彼は言葉を紡ぎ続ける。

 なぎさの心を完膚なきまでに引き裂くために。

 

「女神の一部だという君らも、魔女もただの感情エネルギーの集合体にしか過ぎない。なのに君らは勝手なイメージで区分して、安心している」

 

「ち、違う。違うのです。だって、なぎさたちは……魔女になる前に……」

 

 魔女と一緒? そんな訳ない。だって、なぎさたちは円環の理に導かれて、救われて、その一部になったのだ。

 魔女とは違う。あれと同じ訳がない。あんな救われないものであるはずがない。

 

「君は円環の理の一部になったんだっけ。内側に取り込んで、それを自分の一部に変える。どこかで聞いた性質だね? どこだっけ?」

 

 心が彼の語る言葉を拒絶する。なのに……それなのに。

 耳を閉ざす事も、反論する事もできない。

 心のどこかが彼の言葉を認めてしまっている。

 ゴンべえはパンと大きく、手を叩いてわざとらしく喋った。

 

「あー。思い出したよ。僕らが居る、ここ。魔女の結界だ」

 

「違う、のです。なぎさは……なぎさは……」

 

「そうだね。取り込まれて、結界の中の魔女に服従し、行動している君は魔女じゃない。もっと哀れで、救いのない存在。……——魔女の使い魔だよ」

 

「人をっ、なぎさたちは人を襲わないのですっ! だからっ」

 

「ここの魔女の黒髪さんだって人を襲ってないよ? 人を襲わないことが魔女でないことの証明にならない。何より、人の代わりに魔法少女を取り込んでいるだろう?」

 

 自分たちは蝶だとそう思っていた。

 思っていたかった。

 自分が蛾だった時をなかったことにしたかったから。

 でも。

 

「それがお前だよ、白髪。円環の理という名の『希望の魔女』に喰われ、疑問も持たずに使い魔として働かされている、哀れな犠牲者」

 

 蝶も蛾も、女神も魔女も同じなら、なぎさたちは何のために存在している?

 今まで大切な宝物だと思っていたものが、価値のないものだと気付かされた。

 

「お前はチーズ好きなんだったよね。でも、自分で望んで食べるのと、強制されて食べさせられるのとでは天と地の差だろう? お前はこれからも大好きな女神さまに永遠という名のチーズを喰わされ続ける。顎が砕けようとも、内臓が潰れようともね。だってはお前は女神の『使い魔(いちぶ)』なのだから」

 

 もう、いい。

 気付かなければ、なぎさはずっと変わらない蝶のままでいられたのに。

 身体がびくんと一際大きく(うごめ)いて、口から何かが這い出した。

 蛹から蝶が羽化するように……いや、蛾だろうか。もうどうでもいい。

 なぎさはこの否定の手品師を喰い尽くす。

 

 手品師はなぎさは一瞥して、冷ややかに笑った。

 

「ふふ、その顔。まるで道化師(ピエロ)そっくりだ」

 

 蛹を脱ぎ捨てて、昔の形になったなぎさは男を噛みちぎるべく、大顎を開いて飛び掛かった。

 手品師は説教台に座ったまま無造作に、黒い杖を振るった。

 その光景を見た後、意識はぷつりと途切れた。

 




久しぶりの投稿。内容だけは一応覚えています。

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