~杏子視点~
チクショウ……何、やってんだ、アタシは……。
胸倉を掴まれて、拳が目の前にやって来る。その度に痛みが弾けて、目の奥で白い火花が散った。
もう何度殴られたのか分からない。最初の内は皆僅かながら抵抗していたけれど、今ではなすがままになっていた。
顔が熱い。口の中には鉄の味が広がる。痛みが消えない。傷が治らない。
何だ、これ。怖い。怖いよ……いつもならなんて事ない痛みなのに。
「痛いと人間、身体が竦むんだよ。筋肉が必要以上に力んで硬直するんだ。でも、これ普通のことだよ? 普通の人間は痛覚軽減もできなければ、魔力による治癒もない。擦り傷、切り傷、打ち身に打撲。みーんな、よくある軽い怪我。自然治癒はしても不自然に傷が消えたりはしないんだよ」
雑に放り投げられ、思い切りアタシは背中を地面に打ち付けた。肺から空気が叩き出されてむせ返える。
潰れたカエルのような呻き声が漏れ出る。口の中が苦い。これはきっと胃液だ。
悔しかった。文字通り、手も足も出ない。反撃の態勢も取れないまま、アタシは無様に転がった。
涙が溢れ落ちそうになる寸前、腫れ上がったさやかの顔が視界に映った。
「さや、か……」
アタシと同じようにゴンべえの野郎に叩きのめされて、倒れている。
守らないと……。さやかだけは、こいつだけはアタシが守ってやらないと……。
倒れているさやかを庇うように抱き着く。
背中を踏まれようが、頭を蹴られようが、さやかにはこれ以上手出しさせるもんか。
目を固く閉じて、次に来る痛みに堪えようとした。
「……?」
だが、いくら待っても次の暴力はアタシに下りて来ない。
目を開いて、ゴンべえの方を見上げると、奴は屈んでアタシの事を眺めていた。
「な、何だよ」
「いや、そんなに青髪が大事なんだなぁと思ってね。まるで庇護者を守るようなじゃないか。仲間や友達ってよりは……弟か、妹に対する態度だ」
妹。その単語を聞いて、頭の中にモモの顔が広がる。
ゴンべえの表情が厭らしく歪んだ。
「なるほど。妹の方か。年下の友達って線もなくはなかったんだけど」
「……っ!?」
こいつ、アタシの心を読みやがった。
ゴンべえの魔法は考えてる事まで読み取れるのか!?
「あー今、絶対僕が思考まで読む魔法が使える、とか勘違いしてるよね?」
「違うって言いたいのか? 今だって……」
すると奴は呆れたように笑った。
「違うよ。こんなのただのリーディング。お前の反応を見て、推測しただけさ」
自分の知らない技術を何でも魔法と結び付けるのは魔法少女の悪癖だね、と小馬鹿にした様子で付け加えた。
反応? じゃあ、こいつはアタシの顔色から読み取ったっていうのか。
なら、もう何を言われたって顔に出すもんか。
そう決めた次の瞬間。
「うーん……その妹さん、もう亡くなってるね?」
心臓が飛び跳ねるかと思った。
あっさりとゴンべえの次の一言は簡単にアタシの心を掻き乱した。
「いや、驚くようなことじゃないよ。存命だったら、青髪に妹を重ねる必要ないだろう? 植物状態か、生き別れたって線もなくはないけど、お前の青髪に対する必死さからそれはないと思った」
冷めた表情で淡々と説明するゴンべえ。
他人の心をまるでクロスワードを解くように、何でもない事のように暴いていく。
クソッ。表情には何も出さない。顔面の筋肉を力ませて、動かないようにする。
もうこいつに何も知られなくない。
「これはあくまで予想なんだけど、ひょっとして……妹さんが亡くなった原因って、お前の願いごとに起因してたりする?」
表情を無理やり固定して、読み取らせないようにしていなければ、声を上げていたかもしれない。
それほど的確で致命的にアタシの心を抉る質問だった。
父さんの願いを叶えたくて。家族に幸せになってほしくて。全部失敗した記憶。
家も、父さんも、母さんも、モモもみんな炎の消えていった。
「ふふ。表情に出すまいって頑張ってるね。でもね、読み取らせないように力むと顔じゃなく、身体に反応が出るんだ。特に肩から肘に掛けての部分がね、揺れるんだ。ビクンって。お前のようにね」
……自分の行動が無駄な足掻きだと理解した。
ゴンべえはアタシの顔ではなく、とっさの反応を確認していた。
アタシは大きな手のひらの上で転がされる虫の気分だ。隠し事なんてするだけ意味がない。
そう思ったら、感情が爆発した。
「それがなんだよ! お前に関係ないだろ!? 何様のつもりだよ、他人の心に土足で上がってんじゃねぇ!」
怒りと口惜しさが抑えられない。弾けた感情が雫になって頬から流れた。
ああ。認めるよ! お前は強い。おまけに頭だってアタシよりもずっと良いんだろうよ!
でも、だからなんだよ。アタシらに何してもいいって言うのか? 踏み躙って、過去さえほじくり返して、一体何様なんだよ!
最後の方はまともに言葉にできたか分からない。泣き叫んで、ひたすら喚いて、気付いたらしゃくり上げていた。
ゴンべえは何も言わずにアタシの言葉を聞いていた。決して目の焦点を逸らさずに、アタシの顔を見つめていた。
聞き終わった奴は、ぽつりと言った。
「そっか。なるほど」
「なんだよ! 今度は何が言いたいんだよ!?」
「いやね、お前がそこまで青髪に拘るのはやっぱり亡くなった妹の代わりなんだなって思ってさ」
「……は?」
「結局のところ、青髪は妹の代用品なんだろう? 守れなかった妹の代わりに守るもの。ようやく得心がいったよ。青髪が死んでいても、大してショックを受けなかった原因」
続きを聞くな。こいつの言葉を聞くな。
抉られる。壊される。止めろ。止めさせろ。
心が警鐘を鳴らす。でも、それを止めるだけの力はアタシにはなかった。
目の前の、人の姿をした魔王が酷薄に笑った。
「お前は青髪に求めているのは『守れなかった妹の代用品』。その価値さえ保っていてくれれば、それでいいんだ。死んでようが、円環の理の一部にされてようが気にならない。だって、こいつは代用品……ふふ。良かったね、青髪。赤髪はどんな姿になったってお前を大事にしてくれるそうだよ」
――都合の良い、妹の代わりとしてね。
さやかに聞かせるように、奴はそう言った。
自分の真下に居るさやかが身動ぎした。目を向けなくても、アタシを見てるというのが分かった。
アタシはさやかの顔を見返す事ができない。
「……杏子」
止めろ。違う。違う違う違うんだ、さやか。
アタシは。
モモの顔が頭に浮かぶ。
アタシは……。
モモの顔が。
アタシ、は……。
モモ。
アタシはあんたの事を……モモの代わりしていたのか?
あの記憶を、失敗を、後悔をなかった事にするために。
「さやか……ごめん。アタシ、最悪だ」
「もう、お前はいいよ。代用品と好きなだけオママゴトしてなよ」
上から背中に踏み付けられた。
痛みはあった。でも、意識を奪ってくれるほど強くはなかった。
アタシはずり落ちるようにして、さやかから離れた。離れた後も顔を見る事はできなかった。
足音は離れていく。興味を失ったアタシたちを残して。
~マミ視点~
今は逃げないと。少しでもあの男から離れなきゃ。
なぎささんが私の背中に居る。意識はまだ戻っていない。
この子だけでも守りたい。この世界が偽りだとしても……それでもこの子、べべ……なぎささんと一緒に居た時間は本物だから。
どこまで逃げてもゴンべえの魔法がある限りは無駄だったとしても、それでも希望を持っていたい。
小学生くらいの女の子一人担いでいるだけで、息が上がる。身体が重い。普通の女の子に戻りたいって思った事もあるのにおかしな話よね。
「意外に頑張ってたみたいだけど、100mも離れないよ、金髪」
後ろから声が掛かる。私たちの死神の声が。
これ以上はもうどうしようもない。背負っていた彼女を降ろして、振り返る。
真っ白い見滝原中の学生服を纏った少年はすぐ傍まで近付いて来ていた。
「この子だけでも、見逃してくれない?」
さっき命までは奪わなかった。もしかしたらなぎささんを殺す気はないのかもしれない。
そんな淡い期待を込めた最後の願い。
しかし、ゴンべえは首を左右に振って、拒絶した。
「駄目だよ。僕は魔法少女の敵なんだよ? 全部纏めて始末する。例外はないよ」
「そう……」
無力な私がどこまでやれるか分からない。
それでも諦めずに最後まで、魔法少女らしく戦いましょう。
彼に挑もうと、決死の覚悟で対峙する。
ゴンべえはそれをつまらないもののように一瞥した。
「あのさ、金髪。僕が何でその白髪を壊さずに返したか分からない?」
「……私たちを弄ぶためじゃないの?」
「もっと考えてみて。実はもう既に何かされてたりとか」
何を言っているの? この男の目的は何?
分からない。想像できない。私たちにとって天敵以外の何者でもない彼が一体なぎささんに何をしたというの?
……嘘だ。一つだけ嫌な予想は付く。
考えたくない事だけど、彼の目的が私たちの殲滅なのなら、わざわざ攫った相手を返すのは、きっと……。
「——やれ、白髪。今すぐ金髪を始末しろ」
手駒にして同士討ちをさせるため。
私の手はすぐに彼女の首に伸びた。
ゴンべえの合図よりもずっと早く、なぎささんが意識を取り戻すよりも先に首を締め上げる。
細く、白い首に親指を掛けて、筒でも握るように絞めた。
くぐもった呻きが彼女の口から漏れ出る。
まずい。もう意識を取り戻したの? 魔法少女の時ほど力が出ない。これじゃ、時間が掛かってしまう。
「マ、マミ……ど、うし、て……?」
開いた彼女は、怯える瞳で私を映した。
彼女は私の知る百江なぎさのように見えた。
え……? なぎささんは、正気のままなの?
手駒にされたんじゃ、なかったの?
だって、彼は……。
だから、私は……。
「何をしてるの? 人間レベルまで弱体化してるから、そのまま首を絞め続ければ消滅するよ、そいつ」
手から力が抜けた。同時に私の脚からも気力が抜け、へたり込む。
なぎささんは、げほげほとむせて、怯えた表情で私から這うようにして距離を取った。
「彼女が僕に洗脳されてると思ったね? だから、とっさに身体が反応して彼女が襲い掛かる前に片付けようとした。そうだろう?」
昔話に出て来るようにな意地の悪い悪魔のような笑みを浮かべて、彼は歩み寄った。
「あんなに大切にしていた癖に、お前は簡単に彼女を始末しようとした訳だ。あの速さ、あの動き、多分考えてすらいなかっただろう。凄いよ、まるで兵士のようだ」
褒めるような口調。でも、その実、中身は嘲笑だった。
彼の言う通り、考えるまでもなく、身体が動いていた。襲われる前に襲っていた。
「この魔女の結界内で見てたから分かるよ。お前は一番戦闘が上手かった。まさにベテランって感じにね。動きが身体に染みついているっていうのかな? 思考と身体を切り離せる人。でもね、それは良いことだけじゃない。一番日常からずれてるってことだ。分かる?」
――お前が一番、人でなしってことなんだよ。
邪悪に吊り上がった口元が呪詛を吐く。
身体が震えた。自分の手に視線を落とす。
私、なんて事をしようとしたの? なぎさちゃんを自分で殺そうとしたっていうの?
「私、こんな、こんな……」
「知ってる? 兵士が機械のようで許されるのは、ちゃんと命令をくれる指令者が居るからなんだよ。自分の代わりに考えてくれる人が居るから、安心して思考と身体を切り離せるんだ。……じゃあ、お前は? お前は誰から命令をもらう? お前のそれはただの思考の放棄に過ぎない」
思考の放棄。
私はいつも、そうやって来た。
怖がりで、臆病で、でも、立ち止まらないようにするために、戦うために。
私はリボンから、マスケット銃へ。少女から戦士へ変わるために。
ああ、思い返せば、魔法少女になるための願いまでそうだった。
私は、お父さんとお母さんよりも自分が生き延びるを願ってしまった。
助けられたかもしれないのに、救えたかもしれないのに。
私は自分の事で頭がいっぱいだった。
「私は、誰かのために戦ってきた。そう思ってた……」
「へえ。そうだったの。僕には少しもそうは見えなかったけどね。お前はただの魔法の付属品に成り果てただけじゃないのか? 単なる暴力装置だ。目的なんて何でもよかったんだろう?」
言葉で心は叩き壊す事ができる。私は今、それを痛感した。
この男は、ゴンべえは、魔法を使えたところで倒せそうもない。
彼の口から湧き出る破壊と凌辱の鉄槌だけで誰もがひしゃげて、潰れていく。
「だってお前は銃だから。的さえあれば、それで役割を果たせるのだから」
もう歯向かう事さえ、頭に浮かばない。
本当にこの男は私たちに天敵だ。項垂れた頭を汚いものでも払うように裏拳を振るう。
痛みよりも、虚脱感ばかりが思考を埋め尽くす。
私は弾丸の切れた銃。引き金を引いても、もう何もできない。
一応、端折ろうと思ったのですが、それでも5000文字に到達したのでここで一旦投稿しました。
ここからさらにまどかパート加えるとこの話だけやたら長くなるので切らせていただいた所存です。
なんか、負け展開長くてすみません。頑張れ、魔法少女。華麗な逆転劇決めてやれ!