「さ、やか、ちゃん……なんで……」
痣だらけの腫れ上がった顔。捻挫したのか、立ち方もおかしい。
一目で分かる、満身創痍だ。傷が治癒していない……魔法が封じられたままなんだ。
それ以上にさやかちゃんの心はボロボロになっているはず。
なのに……なのに……。
「なんで、なんで私なんかのために立ち上がったの!? 私はさやかちゃんのたちの事をずっと……!」
気付かず苦しめていた。知らず知らずに利用してしまった。
私は――。
あなたたちを――。
私の一部に、円環の理にしてしまった。
自由を奪い、死ぬ事さえもできない存在に堕としてしまった。
それなのに私はゴンべえ君に唆されて、あなたたちを投げ出そうとした。
何よりも……投げ出せると、押し付けられると思った時、心が軽くなるのを感じた。
勝手に背負って置いて、重しのように感じていたなんて、どれだけ身勝手なんだろうか。
「なんでって、決まってるでしょ」
たわいない事のように彼女はそう言った。
「あんたがあたしの友達で、助けたいって思ったから」
「友達なんて言われる資格ない! 私はさやかちゃんの気持ち、考えようともしなかった。私の願いに付き合わせていたのに、それを当たり前のように思ってたんだよ!?」
そんなの友達じゃない。ただの奴隷だ。従僕だ。
対等な関係じゃない。ずるくて、汚い取り繕いようもない上下関係。
自分で言っていて悲しくなった。泣きたいのはきっと彼女だ。でも、頬から流れる惨めな水滴は止まらない。
「……まあ、本当のところさ。あたしもあんたに甘えてた。円環の理として活動している間は、何も考えずに済んだから」
「何も考えずに済んだ……?」
「そ。ただ、与えられた役目をこなしていくだけでよかったから、色んな事に悩まずに済んだ。ほら、昔っから、あたしって考えなしのくせによく悩んでたでしょ?」
でも、と彼女は区切った。
「悔しいけどそいつに『今の自分』が『昔の美樹さやか』なのかって質問されて、答えられなかった。ずっと楽して悩まなかったツケだよね……それでめちゃくちゃ悩んだよ。こうやってまどかを助けようとしている事も、自分の意志じゃなくて円環の理の末端としての本能なのかもって」
今まで黙って私たちの会話を聞いていたゴンべえ君はそこで初めて口を挟む。
「それで答えは出た?」
さやかちゃんは残念そうに苦笑して首を横に振った。
「全然だめ。結局、答えはでなかった。でも、その代わり思い出したんだ」
言い終わると同時に、彼女の身体が突然青い光に包まれた。
見滝原中の制服に纏わりつくように広がった青い光の帯は指先や爪先まで伸びて、形を変えていく。
私はその光景を知っていた。見覚えがあった。
胸元を隠す青い装甲にも似た衣装と白いスカートへと変わる。最後に背中に付いたマントが風もないのにはためいた。
それは魔法少女への――変身。
魔法を封じられた私たちはできないはずの奇跡。
彼女の手にはサーベル状の片刃の剣が握られている。
「さやかちゃん……それ……」
青いブーツの
白刃が
体重を乗せて振るわれたその剣を、黒いステッキで平然と受け止めた。
そう、受け止めた。
あらゆる魔法を否定する彼が生み出したステッキに触れているにも関わらず、さやかちゃんの剣は消えなかった。
さやかちゃんの“魔法”は消失しない。
「……何を思い出した?」
「あたしが――ホント馬鹿って事に」
「ほう……? つまり?」
「『あたし』が『
剣とステッキが交差し、何度も二つの武器は衝突を繰り返す。
「それでもやっぱり答えなんて簡単に割り切れないし、これからもずっと悩み続けると思う。アンタ風に言うなら結局、先延ばしにして現実逃避しているって事なのかもね」
「いいや。答えが簡単に出ないと理解して、なおも悩み続けることを選択したのなら、それもまた一つの答えだ。そうでなければ、否定の魔法は
大きく薙いだステッキの黒い軌跡をさやかちゃんはその剣で受け止める。勢いが激しすぎて両手で剣の柄を握っているのに力負けして大きく後ろに飛んだ。
後退したものの、確かな手応えがあった事に驚いた様子で、さやかちゃんはその手に握った剣を眺める。
あらゆる魔法を崩壊させる彼のステッキの一撃を受けてなお、刀身は溶けていない。砕けていない。壊れていない。
視線を剣からゴンべえ君に移したさやかちゃんは薄く頬の端を引いた。
「……そっか。なんか今更だけどアンタの魔法っていうのがどういうものなのか、ちょっとだけ分かった気がする。……まどか。悪いんだけど、他の皆の目を覚まさせてやって。戦えるようになったけど、あたし一人じゃこいつに勝てない」
「でも、目を覚まさせるってどうすればいいの? それに私は……」
私に彼女たちに何か言う資格はない。神様なんかじゃない、私はただの魔女だ。
魔法少女を苦しめ続けるだけの檻。それが
さやかちゃんはそれでも私の味方をしてくれたけれど、もう私には皆を導ける気がしない。
すると、さやかちゃんは厳しい目で私を叱った。
「あのさ、まどか。まどかが決めた事なんだよ? 最後まで責任持ってよ。じゃなきゃ、付いてきたあたしら皆、それこそ馬鹿みたいじゃない」
「…………」
「行ってよ。魔法少女の神様なんでしょ? だったら、神様らしいとこ見せてよ!」
私はその声に答えない。
答える暇もなく、その場から駆け出した。
足は動く。まだ走れる。
私はまだ自分を許せないし、信じられない。
それでも、信じてくれる友達を裏切りたくない。
すぐに倒れている皆を起こして、さやかちゃんを助けに行かないと。
考える事はそれだけでいい。やるべき事は一つだけ。
走るたびに脚が軋む。息が切れて立ち止まりそうになる。
力んだ脚がもつれて、地面に倒れ込む。膝小僧を打ち付けて、痛みが駆け抜けた。擦りむいた膝からは血が滲んでいる。
ああ、こんなにも魔法を使えない私って弱かったんだ。
これがただの鹿目まどか。普通の女の子。何一つ取り柄のない私。
でも、立ち止まる訳にはいかない!
手を突いて、もう一度立ち上がって、皆の下に行くんだ。
再び、私は走り出す。
みっともなく脚を動かして、そして。
――見つけた。
「杏子ちゃん! 起きて! さやかちゃんが一人で戦ってるのっ! お願い、力を貸して!」
~さやか視点~
皆の方へ駆け出したまどかの背を見送って、私は少しだけ安堵する。
なんだ、まだ心が折れ切っていないじゃない。だったら大丈夫。あんたが強いって事は私が一番よく知ってるから。
弛んだ気持ちをすぐに引き締め、目の前に立つ敵を見据える。
魔法を消す手品師にして、否定の魔王。ゴンべえ。
間抜けな名前のくせに、魔女や魔獣なんかよりも遥かに強くて嫌になる。
「……話が終わるまで邪魔せずに待っててくれたんだ? 案外、優しいとこあるじゃない」
「愚にも付かない女子のお喋りを待つのも男の務めだからね。まあ、虫けらの
相変わらず、心底相手を馬鹿にした口調で嘲笑うとゴンべえは肩を軽く回す。
これだけコテンパンにされた後だと怒りも湧かない。むしろ、こいつからの目線で言えば本気で相手にならないと思われても仕方ない。
だけど、それは好都合。
「今のあたし、結構強いよ?」
私の仕事は時間稼ぎ。一分一秒でも粘って、まどかが皆を連れて来るのを待つ事。
勝利なんて求めない。負けなければいい。付かず、離れず、適度な距離で耐え続ける。
そしたら、きっと私の頼れる親友が仲間を連れて戻って来る。
相対するゴンべえはステッキを人差し指の上でペン回しのように回転させて弄ぶ。
「じゃあ、少し遊ぼうか?」
―—来る!
足取りは軽く、警戒のけの字もない。散歩でもしているかのような気楽さで、近付いてくる。
「いくら何でも……舐めすぎでしょうがっ!?」
カッと頭に血が上り、一歩踏み込んだ。左下段に構えていた剣を斜め上へと斬り上げる。
ゴンべえは未だにステッキを指先でクルクルと回していた。ガラ空きの胴を守るものは何もない。
刃は奴の右脇腹を斬り裂き、左肩まで横断する……はずだった。
「まっすぐなのは結構だけど、感情的になると猪突猛進になるのがお前の一番の欠点だよ」
剣の切っ先は脇どころか、膝にも届いていなかった。
奴の片足が剣の腹を踏み付けている。剣が加速し、遠心力が最大限に達する寸前に勢いを殺され、押し留められたのだ。
やられた……! 指先でステッキを回していたのは上半身に目を向けさせ、下半身から意識を逸らすため。私はまんまと引っ掛けられた。
踏み込んだ足に重心を掛けつつ、あえて折らないような絶妙な力加減。上半身を前のめりにして、距離を詰める。
クルクルと回転していたステッキを握り込み、刀身を真横から踏みつけたまま、真一文字に一撃が振るわれる。
剣を手放し、思い切り反り返り、どうにか避ける。
鼻先を風圧が通り過ぎた。数センチ上で黒い一閃が舞う。
当たっていれば、魔力で頑強になった頭でもスイカみたいに割られていた。
ぞっとする。血の気が凍るとはこういう事を言うのだろう。
だが、これは攻勢に出るチャンス!
片方の足を後ろへ運び、倒れないよう地面を踏み締める。
両手にはそれぞれ一本ずつ剣を魔力で生成し、バネ仕掛けの人形のように上背を起こした。
狙うは空振りし、隙だらけのその頭上。今度はこちらがかち割る番だ。
しかし、上半身を起こして見えたのは、黒いステッキを地面に突き立て、それを起点にコマの如く回る奴の身体。
振り下ろした二本の刃よりも早く、回転により遠心力の乗った奴の蹴りが私の右半身に叩き付けられる。
「なっ……ぃぎがぁ!?」
両腕を伸ばしきっていた私には身体を庇う事も、かわす事も不可能だった。
ゴンべえの両脚蹴りは右腕、右肩、脇腹へと食い込む。肺の中の空気が全て、血と一緒に口から爆ぜた。
乗用車に衝突したような衝撃に耐えきれない。痛覚軽減が効いているのかと疑うほどの激痛が神経を焼く。
出来損ないの落書きみたいな宙が回る。いや、回っているのは私の方だ。その事に気が付く頃には受け身も取れずに硬い大地に落とされていた。
「がっはぁっ……」
地面に叩かれたみたいに潰れされても、まだ勢いを殺しきれずに転がる。
呼吸が上手くできない。息の代わりにヒューヒューと隙間風のような音がするだけだ。多分、折れた
右腕は肩から下の感覚がない。顔を動かして見てみれば、踏まれた小枝のように歪に捻れて、折れ曲がっている。
口の中は血で一杯だ。顔を動かした時に電流が走るようか痛みがしたから、頬骨も砕けているかもしれない。
治癒力が高い私でこれほどの損傷。肉体の再生が間に合わない。
認識が甘かった。時間稼ぎのつもりが十分も持たないなんて……。
学校の屋上で戦った時とは、打撃の力加減も動きのキレも違う。
何より、相手の行動を完全に読み切る洞察力と、攻撃を誘導して戦闘の流れを支配する思考力。
ハッタリでも何でもなく、私たちは手加減されていた。傷を負わないように細心の注意を払って、弄ばれていたのだ。
否定の魔法なんて、こいつには必要なかったのだ。
「この程度か……。ま、端役にしては頑張った方じゃないかな? そこで傷が癒えるまでしばらく寝てなよ。さて、そろそろ情けない神様でも追いかけるとしようか」
興味を失った様子で奴は背を向ける。まどかを殺しに行くつもりだ。
駄目! 行かせる話にはいかない。まどかはまだ皆を“助けられていない”。
肺の治癒は不完全。折れた腕の骨は繋がってすらいない。
だけど――。
無事な方の左腕で作った剣を奴の背中へ渾身の力を込めて、投げ付けた。
ゴンべえは振り返らない。心臓へ目掛けて飛ばされた刃を見ようともしない。
振り返る事無く、裏手に回したステッキで弾き落とされる。
「……何のつもり?」
僅かに顔を動かして、目だけ私を睨む。
底冷えのする鋭い眼光。瞳だけ相手の心を恐怖で絡め取る悪魔の眼球。
だけど、私は怯まない。
縮みあがりそうになる勇気をの握り締め、笑ってやる。
「端役だと思った……? 残念、可愛い
それが私にできる事だから。
もう少し書こうかと思いましたが、区切りが良いので投稿します。