魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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第二十九話 流れるような大ピンチ(後編)

今の僕の現状を端的に表すなら、『王手(チェックメイト)』という言葉が相応(ふさわ)しいだろう。

両手、両足、おまけに頭まで工場の床に押し付けられて、まったくといっていいほど身動きが取れなくなっていた。まさに、手も足もでない。

唯一の出口であるシャッターも鹿目さんが逃げた後、すでに閉められてしまった。

 

僕は顔を動かせないため、目だけで周囲を見回す。

虚ろな目の人たちは僕を見下ろすが、生気の抜け落ちた表情からは、彼らの感情すら読み取ることができなかった。

 

命乞いは無意味だろう。一応、言葉を(かい)するぐらいは思考は持っているけれど、慈悲や躊躇(ちゅうちょ)が残っているとは到底思えない。

 

参ったな。この人数にリンチされたら確実に死ぬ。それでも、鹿目さんを見捨てて逃げて一生後悔するよりは(はる)かにマシだけれど。

やれやれだよ、まったく。今日は遺書書いて来てないのに……。

 

 

 

「がふッ……!」

 

僕の脇腹に誰かの蹴りが入る。

それを境に複数の人間の足が一斉に僕に襲い掛かった。

手足を押さえられているせいで顔を守ることすらできずに、ストンピングの嵐を身体中に受ける。

 

声を上げる暇すらない。

腹部から、顔に至るまで余すところなく、執拗(しつよう)に踏みつけられている。

動作が鈍いせいで、一撃一撃はそれほど重くなく、狙いが雑なのが救いといえば救いかもしれない。

 

「が……は……」

 

とは言え、雨のように降り注ぐ暴力にどうすることもできず、ただ耐えるしかない。

鼻や口から血がこぼれて、呼吸をすることすら難しくなってきた。

全身が痛い。痛すぎて、かえって頭がぼうっとしてくる。

   

 

死を覚悟した僕だったが、不思議とそれほど絶望してはいなかった。

僕は自分のできる範囲で自分が納得できる行いをした。

僕をここまで育ててくれた父さんには悪いが、例え、ここで死んでも悔いは残らない。暁美のように時間を戻して、シャッターを開いた時まで戻ったとして、僕はまた自分より、鹿目さんを逃がすことを選ぶだろう。

 

 

ただこのまま僕が死んだら、志筑さんや今は気絶してるスターリン君も再び自殺を再開してしまうなぁ、という思いが頭をかすめた。

そうなると、鹿目さんは気に病むだろう。下手したら、支那モンと契約して魔法少女の願いごとを使ってしまうかもしれない。

 

…………あーあーあー。まだ死ねないじゃないか。

アホみたいに自己満足して何も考えなければ、未練もなく死ねたのに。馬鹿だな、僕。

 

頭を押さえ付けられているせいで、僕の頭を床から持ち上げることはできない。ちょうど耳のあたりに手のひらが置かれている。感触からして恐らく男性のもの。

僕はストンピングの嵐の中、舌を伸ばして、その手のひらをベロリと()めた。血の混じった唾液が手のひらにこびり付く。

 

「うあ……!」

 

思考が鈍っているとはいえ、自分の手のひらにいきなり(ぬめ)り気のあるものが接触したのだ。生理的本能が働き、手のひらの持ち主は僕の頭から手を離した。

 

頭が持ち上がると、周りの連中が行動するより早く、僕の腕をつかんでいる人たちの顔面に血の混じった唾液を吐きかける。彼らも急な反撃に驚いて手を離した。

 

生きる意志がなくなろうと、思考が狂っていようと、人間である以上はふいに顔面に何かが付着すれば反応してしまう。思考が鈍ければ、なおさら動物的な本能が優先される。

 

上半身が自由になると、僕を踏みつけていた人たちを突き飛ばす。僕を何度も踏みつけていたせいで、彼らの体勢は必然的に片足を上げていた状態になっていた。

この体勢は、前か後ろを押されれば、簡単に倒れてしまうほど不安定なもの。(ゆえ)に彼らはあっさりとドミノ倒しの(ごと)くひっくり返る。

 

あとは身体をひねって、僕の足の太ももを押さえていた男に肘鉄(ひじてつ)を食らわせた。思い切り勢いをつけたせいでゴキゴキと背骨が盛大な音を立てた。

 

「おぐゥ!」

 

ただでさえ筋肉痛なのに、()つ、成人男性複数に何度も踏まれたり、蹴られたりしていたのだ。

そこに骨の痛みまで加算され、泣きそうなほどの激痛が走る。だが、その甲斐あってか、僕の肘鉄は足を押さえていた男の鼻に直撃した。

 

「~~~~~~!!」

 

彼は鼻血をこぼしながら、もだえるように転がった。

罪悪感はあるが、後悔はしていない。こちらの方が圧倒的に不利なのだ。文句を言われる筋合いはない。

周りの人間が再び僕に襲い掛かる前に、ふらふらの身体を引きずり起こして、彼らの足の隙間を通り抜け、ゴキブリのように人込みを脱出する。

 

僕が彼らを出し抜けたのは、別に『僕の中に眠るパワーがピンチにより覚醒した』とかではなく、純粋に彼らの思考能力が落ちていて反応が極端に鈍くなっていることと、単純に運が良かったからだ。彼らに確固とした統率者がいなかったのも、原因の一つかもしれない。

 

 

 

 

運良く逃げ(おお)せられた僕は、部屋の奥の方にある扉を開いて中に逃げ込んだ。

鍵をがちゃりと閉めて、一息吐く。僕の日常はいつからこんなにデンジャラスになったのだろう。

とにかく、ここで作戦を立てて、あの人たちをどうにかしなければいけない。でも魔女を倒さなければ、『魔女の口付け』は消えないわけだから、魔法少女がいないと話にならない。

 

まずは何か身を守るための道具を探すために、部屋の中の方を向く。

するとどこからか黒い煙のようなものが現れ、女の子の小さな声が聞こえた。

 

げっ……。一難さって、また一難か。

突然世界がきり変わり、なぜか僕の後ろの壁がテレビの山になっていた。

 

「しかも何か出てきたしッ!」

 

多分、魔女の使い魔なのだろう。気持ちの悪い笑顔をした、漫画家とかがよく使うデッサン人形のような生物がテレビの画面から()い出してくる。

よく観察すると頭の上にリングがあり、背中には小さな翼らしきものが生えている。

ひょっとして、それで天使のつもりなのだろうか。敬虔(けいけん)なキリスト教信者から、聖書で殴られても文句は言えないデザインだ。

 

そのできそこないエンジェルが僕に群がってきた。まるで大きな昆虫にアリがまとわり付いているようだ。

 

「クソッ!離れろ、変な髪形のデッサン人形がぁッ!!」

 

身体を振って引き離そうとするが、宙を舞うできそこない天使どもには意味をなさない。得体の知れない生き物が自分の身体に触れているというこの状態は不快以外の何物でもない。思わず鳥肌が立つ。

 

一瞬、僕の身体は大きくたわむと、バラバラに分解されていく。

 

ああ。今度こそ本当に死んだ……。

 

 




意外に政夫がパワフルなのは、火事場のクソ力です。
別に不思議な力に目覚めたわけではないです。

それにしても、諦めが良いのか、悪いのか分からない主人公ですね。

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