「それじゃあ、またね。政夫くん」
「うん。じゃあ、また学校でね」
鹿目さんと別れて、僕は自分の家に向かう。
それにしても、本当に今日は何の危険や苦労もなく平和に終わったな。きっと日頃の行いが良いだろう。明日は土曜日で休日だし、のんびり過ごそう。
そう思って歩いていると、曲がり角で見覚えのある人物を見かけた。
先ほどローソンで会った見滝原では珍しい黒髪の女の子。……珍しいと表現するのは本来おかしいことなのだが、もうこの街では僕の常識が通用しないというのは『
「え?あ!さっきの……」
「どうも。また会いましたね」
相手も驚き具合からいって、僕の方が先に気付いたのだろう。だが、僕のことはしっかり覚えていたらしい。まあ、さっき会ったばかりだから当然と言えなくもないが。
この辺りに住んでいるのだろうか?
いつも僕は鹿目さん達と一緒に待ち合わせして学校に向かうので、行きはこの辺りの道を通らない。そのせいであまりこの辺の中学生とは基本的に会わないのだ。
取り合えず、こちらから話しかけたのだから、先に名乗るのが礼儀だ。
「僕は見滝原中、二年の夕田政夫です。貴女は?」
「ボ、ボクは呉キリカ。三年生……」
僕から目を逸らしながらも、ボソボソと小さな声で自己紹介をしてくれた。かなり内向的な人だな。確かに先輩だという可能性は考えていたが、本当に先輩だったとは……。念のために敬語を使っていて良かった。
だが、この人、コミュニケーション能力が暁美とは別のベクトルで低い。正直、年下と言われた方がしっくりくる。
それにしても、一人称が『僕』って女の子現実にいたのか。アニメやゲームの中だけの存在かと思っていた。
「じゃあ僕の先輩ですね。呉先輩はこの辺に住んでいらっしゃるんですか?」
「……いや、今日はたまたまこっちの道を通っただけで……本当はあっちの方」
そう言って呉先輩は、僕から見て右側を指差した。この街に詳しくない僕には「あっち」とか言われてもいまいちピンとこない。ひたすらコメントに困るばかりだ。
「へえ、そうなんですか。僕は最近この街に越してきたから、あんまりこの辺の地理に詳しくないんですよ」
「そうなんだ……」
遠回しに、「貴女の説明だとさっぱり解りません」という意味を込めて伝えてみるが、呉先輩は文字通りにしか伝わらなかったようで、小さく頷いただけだった。
何と言うか……仮にも年上の相手を捕まえて、こう言うのもなんだが、暗めの小学校高学年くらいの子と会話しているようだ。話をしてても、こちらの意図を
このくらいで話を終えて帰るとしよう。呉先輩もこんな退屈な会話を繰り返していても面白くもなんともないだろうし。
「それじゃあ、僕はこの辺で」
僕は軽く頭を下げて、家に帰ろうとした。
だが――。
「あ……。もう少しだけ……話したりしない、かな?」
呉先輩は僕を呼び止めた。会って間もない僕と何を話したいというのだろうか。
僕としてはもう話す話題もないので帰りたかったのだが、飼い主を必死で呼び止めようとする子犬のような目で見てくる呉先輩を
「いいですよ。じゃあ……立ち話もなんですし、そこにある公園のベンチででも話しましょう」
丁度近くに公園があったので、そこに呉先輩と一緒に入った。
まだ三時半を過ぎた程度の時間だが、子供の姿は少なく、老人がゲートボールに興じているのをちらほら見かけただけだった。こういうのを見せられると少子高齢化が刻々と進んでいる様子を目で感じられる。最近というほどでもないが、小学生が外でスポーツをして遊ぶよりも、家に集まってゲームで遊ぶ方が多くなったのもこの光景の原因かもしれない。
いずれにせよ、公園が酷く物寂しく思えることには変わりない。
割りと綺麗なままのベンチが逆に利用する人の少なさを訴えているようで、微妙な気分にさせられる。呉先輩が無言で腰掛けた後に、僕は隣に座って話しかける。
「で、何か話したい話題はありますか?何でも構いませんよ。相談事でも平気です。僕、口は
まあ、そうは言ってみても、まだちゃんと挨拶して数分の僕に相談事なんかするはずもないだろう。呉先輩が好きな話題を振りやすいように言ってみたようなものだ。
「何でもいいの?」
「ええ。昔からよく相談事を受ける
……そのせいで友達のヘヴィーな家庭事情をよく聞かされたな。親と血が繋がってないとか、母親が愛人のせいで私生児だとか、正直僕に言ってどうするんだと思うような事柄ばかりだったが、悩んでいることを人に話すだけでもそれなりに胸の
思えば、それは父親が精神科医をやっている影響かもしれないな。
「じゃあ、言うけど……ボクさ、ずっと学校がつまらないって感じるんだ。クラスの皆もどうでもいい事ばかり話ばかりしてて、それが下らなくて……」
呉先輩は
ほとんど初対面の僕に話すくらいだから、恐らくは悩みを打ち明けられるような親しい友達はいないのだろう。ただ下らない話する程度にはクラスメイトとの交流がある分、巴さんよりはマシな気がする。
「なるほど。分かりますよ、その気持ち。何でそんな話題で盛り上がれるのって思う時ありますよね」
まずは自分の感想を交えつつ、呉先輩を肯定する。最初から否定的な意見を述べてしまうと、相手が悩みを言い出しづらくなってしまうからだ。
だが、多分、呉先輩が悩んでいるのはそのこと自体ではない。なかなか口に出せないからこそ、人は思い悩むのだ。簡単に表に出せるなら、そうそう困ったりはしない。
「そうなんだよ。それなのに、あいつらはまるでその輪に入って行けないボクが間違ってるみたいな目で見てくる。間違ってるのはボクの方じゃないのに」
僕が共感をしたのが嬉しかったのか、呉先輩は最初よりもなめらかに言葉を
ほんの少しだけ呉先輩の悩みの片鱗が見えてきた。
この人は寂しいのだ。本心では人と語らいたいと思っている。けれど、どうしても冷めた目でその人たちを見下してしまう。その証拠に「クラスの皆」と呼んでいたのが、「あいつら」に変わっている。
ならば、軽く揺さぶりをかけてみるか。
「一つ聞かせてほしいんですけど、呉先輩としてはどんな話題を皆で話したいんですか?」
「え……?」
僕の問いに呉先輩が言葉を失う。僕の顔を向いたまま固まってしまったようだ。
十中八九、何も考えていなかったのだろう。ただ批判をしていただけで、具体的な案はなかったと思われる。
やっぱり、この人は寂しいだけなのだ。
人の輪に入っていくことに恐れを感じている。迫害されることを怖がって近づけない。だから、下らないものだと決め付けて見下す。そうすれば、心の平安を得ることができるからだ。
呉先輩は、イソップ童話の『狐とブドウ』に出てくる狐と同じで『クラスの輪』という名のブドウが手に入らないから、侮蔑することで自分を納得させている。心理学でいうところの『防衛機制・合理化』だ。
「質問を変えましょう。呉先輩はクラスメイトの皆さんと仲良くなりたいですか?」
「それは……わからない」
僕の顔を見上げていた呉先輩は、また俯いてしまう。嘘ではなく、本当に分からないのだろう。
クラスメイトに複雑な感情すぎて、自分でも把握しきれていないようだ。ほとんど無意識の内に合理化して逃げていたのかもしれない。
僕は構わず、続ける。
「人と仲良くするのは嫌ではないですか?」
「嫌じゃ……ないかな。でも」
「でも?」
両腕で自分の身体をかき抱くような姿勢で呉先輩は縮こまる。
自分の足元を見つめながら、辛そうな表情で震え出す。
「怖いんだっ!人と親しくして裏切られるのが……!あの時みたいな思いをまたするのかと思うと……足がすくんで……」
過去に人に手酷く裏切られたことがあるのだろう。呉先輩の声には悲壮感が満ちていた。
小学校一年だった自分を思い出す。『スイミー』を殺されたばかりの僕もこんな感じだった。
僕は呉先輩の手を優しく握りしめる。
驚いたようにこちらを向く呉先輩に、僕は微笑みながらゆっくりと言った。
「大丈夫です。呉先輩はこうやって、僕と話せているじゃないですか。怖がりながらも、ちゃんと前に進めていますよ」
「……そう、なのかな」
呉先輩は自信なさげに聞いてくる。
気持ちは痛いほど分かる。その痛みや不安は僕も小学生時代は飽きるほど味わった。
「そうですよ。自信持ってください」
けれど、乗り越えられないものではなかった。どれほど辛くても苦しくても、人は努力する意思さえあれば前に進んで行くことができるのだ。
「じゃ、じゃあ、もう少しだけ頑張ってみようかな……。えっと、政夫君?」
ごそごそとポケットを漁りながら、呉先輩は携帯電話を取り出す。頬を紅く染めて、どこかもじもじとしている。
「何ですか?」
「アドレス、交換してもらえないかな?」
そうか、呉先輩……。
また一歩踏み出そうと頑張っているんですね。良いでしょう。そういうことなら、同じ辛さを知るものとして協力します。
「はい。喜んで」
本当は二月まで書くつもりはなかったのですが、つい時間を押して書いてしまいました。
はい。ということでおりこマギカのキャラ、呉キリカを出してみました。
ちなみに、作中で言っている「あの時」は公式の『魔法少女おりこ☆マギカ~noisey citrine』で幼少時代に「まるで双子の姉妹のように仲の良かった友達から、万引きの濡れ衣を着せられる」という過去のことです。
詳しく知りたい人は調べてみてください。