魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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第五十六話 正義の味方の味方

 ヒーロー。英雄。正義の味方。

 大抵の子供は皆、最初はこういったものに憧れる。

 そして、大人もそれを許容する。なぜならば、善悪の判断があいまいな幼い子供に道徳心を植え付けるのに、勧善懲悪はこれ以上にないくらい手っ取り早いものだからだ。

 具体的に例を挙げるなら、ウルトラマン、仮面ライダー、ヒーロー戦隊辺りがメジャーだろう。けれど、僕が憧れたヒーローはそのどれでもない。僕の中のヒーロー像は『戦う者』ではなく、『与える者』だった。

 

 アンパンマン。

 それが幼い僕が見たヒーローの中のヒーロー。

 ウルトラマンが怪獣を倒したとして、仮面ライダーが怪人をやっつけたとして、果たして彼らはお腹を空かせた子供に己の顔をちぎって食べさせてあげることができるだろうか。

 無理だろう。というより、それを映像化したらグロテスク極まりないものになるので止めてほしい。

 話が逸れたが、僕はアンパンマンほど献身的で、自己犠牲に溢れるヒーローは存在しないと思う。僕には敵を倒すよりも、誰かが傷付けた傷跡を癒す方が偉大に感じられた。こう考えるのは、きっと心が傷付いた人たちを癒す仕事をしている父さんを見てきたからだろう。

 

 幼い僕はアンパンマンに憧れて、困っている人に優しくした。自分の持てる限りのものを隣人に分け与えてきた。

 

 しかし、ある程度年齢を重ねると子供は皆ふと気付く。いや、この言い方は卑怯だ。

 虐めっ子に虐められ、クラスメイトに裏切られ、大切なたった一匹の友達を殺された幼かった僕が気が付いた、が正確だ。

 都合の良い正義の味方などに成れはしないことに。リスクを背負ってまで見知らぬ他人を助ける人間を人は馬鹿と呼ぶことに。悪事を見ても、見て見ぬ振りをするのが最も安全な方法だということに。

 他人に優しくして、何かを分け与えても感謝の言葉など一言も言われず、偽善者だと罵倒されることの方が多い。一歩引いて、冷めた目で自分の周囲を見回せば、そんな光景ばかりが目に付いた。

 

 アンパンマンが自分の顔を食べさせても、代わりの顔を焼いてくれるジャムおじさんは居ない。そして、顔をなくしたアンパンマンに世間は何もしてくれない。

 『正義の味方』がどれだけ『正義』のために行動しても、『正義』は決して『正義の味方』の『味方』にはなってくれないのだ。

 

 巴さんは事故で両親を亡くし、そして、魔法少女になって『正義』のために魔女と戦って今まで生きてきた。

 でも、それは巴さん自身が望んでそうなった訳じゃない。選択肢がそれしかなかったからそうなっただけだ。

 初めに会った時、僕は僕や鹿目さんたちを助けてくれた巴さんに感じたのは感謝ではなく、恐怖だった。使い魔を軽やかに一掃する巴さんを自分と同じ『人間』だと思わなかった。

 異常な力を持つ異常な存在。それが僕の巴マミという人物に対する印象。ある意味、その印象は合っていたが、同時に間違いでもあった。

 彼女の身体は支那モンとの契約によって、普通の人間とは異なるものに変えられていた。だが、彼女の精神はごく普通の女の子とさほど変わらないものだった。

 そう、普通の女の子。

 本来なら、両親の愛に(はぐく)まれ、友達と遊び、恋愛に夢中になる権利がある。断じて、化け物と戦うだけの都合の良い『正義の味方』なんかじゃない。

 だが、巴さんは生き続けるためにはグリーフシードが必要不可欠だ。生きるために魔女と戦わなければならない。

 だから、せめて納得して戦ってほしい。戦うための理由を巴さんにあげたい。

 命を救われた身として、巴さんの友達として、彼女に生きる理由を作ってあげたいのだ。

 僕は『正義の味方(アンパンマン)』には成れなくても、『正義の味方の味方(ジャムおじさん)』には成れるかもしれない。

 

 

 

 

 土曜日の午前九時を少し過ぎた頃、僕は巴さんの様子を見るために彼女が住んでいるマンションの前に来ていた。

 僕がまず今しなければいけないことは巴さんの心理状態を確かめることだ。これが分からない内は巴さんと共に魔女の結界に行くどころじゃない。別に僕は自殺がしたい訳じゃないのだから。

 一度、携帯で連絡してから来るという手段も考えたが、携帯での連絡だと「そっとして置いてほしい」などと言われた場合引き下がらなくてはならない。

 だが、直接会いに行けば、巴さんの性格上無下(むげ)にはしないはずだ。必要なら、デリカシーに欠けた人間を演じてみせて少々強引に粘ればいい。

 

 マンションの中に入ろうとした時、僕の携帯がなった。見滝原中の制服の時はズボンの右ポケットに入れているのだが、今はジーンズなので携帯はジャンパーのポケットに入っている。ジーンズのポケットは狭いので携帯を入れておくと、ポケット部分が出っ張る上に取り出すときに面倒だからだ。

 携帯を取り出すと画面には『暁美ほむら』と表示されている。僕はそれを耳に当てて通話ボタンを押した。

 

「もしもし、暁美さん。そっちで何かあったの?」

 

 暁美は今日は鹿目さんと出掛けにいく予定のはずだった。これは僕が暁美に提案したことだ。

 今日の僕の予定は巴さんの心理状況を確認した後、彼女の話を聞いてある程度彼女を精神的に安定させて、魔女退治に僕と二人だけで行き、巴さん自身に『身近な人間』を守っているという免罪符を肌で感じてもらうことだ。

 なので、巴さんと生活圏内の近い暁美と美樹が魔女退治に来られない理由を作る必要があった。ちなみに杏子さんはそもそも風見野の魔法少女だから関係ない。

 美樹の方は杏子さんの方で戦い方を教わりに風見野のへ行くとのメールがあった。昨日は魔女のところに行けなかったと文章に書いてあったので、巴さんの「魔法少女は人殺し」発言を知らないようだった。

 

『……………………』

 

「ん? 暁美さん?」

 

 まったくの無言。一瞬、通話が切れているのかと思って画面を見るが、ちゃんと通話状態のままだ。

 

『………………名前』

 

 ぼそっと暁美の声が聞こえた。音声自体は何の問題もなく繋がっているらしい。

 名前? 頭を傾げそうになったが、暁美の発言の意図を察した。

 

「ごほん……もしもし、ほむらさん」

 

『何かしら?』

 

 ……こいつ、予想以上に面倒くさい女だ。昨日の夜以来、名前で呼ばないと反応してくれない。

 それにしても、電話かけて来ておいて、「何かしら」はないだろう。むしろ、それはこっちの台詞だ。

 

「ご用件は何でしょうか?」

 

『いいえ。ただ、政夫はマミの事で休日を潰しているのに、私はまどかと一緒に遊びに出掛けるのは本当にいいのかと思っただけよ』

 

 暁美の少し申し訳なさそうな声色が聞こえてくる。いつもと同じ物静かな口調だが、自分だけ楽しい時間を過ごすことに罪悪感を抱いていているのが伝わってきた。

 せっかく(いと)しの鹿目さんと二人きりで遊ぶのだ。僕を気にすることなく、楽しめばいいのに。まあ、無理もないか。

 ならば、具体的な理由を付け足してやろう。

 

「あのね、ほむらさん。これは昨日も言ったけど君は『この世界での鹿目さん』とはあまり仲良くしていないだろう?」

 

『そう、かしら。いつもの時間軸に比べれば……』

 

「それじゃ駄目だよ。『他の世界の鹿目さん』と比べること自体間違っている。『この世界の鹿目さん』が君にとってどんな存在なのか改めて確認しなきゃ。それによって今後のモチベーションにも影響があるだろうしさ」

 

 もちろん、これも建前だけのつもりではないが、それ以上に仮にも友達の暁美に少しくらい楽しい思いをさせてあげたいという僕のわがままだ。

 

『私にとっての、この世界のまどかの存在……?』

 

 今まで深く考えたことがなかったのか、暁美は少し怪訝(けげん)そうな声だ。きっと暁美は真面目すぎて、思考が鹿目さんを救うこと一色で染まっていたのだろう。

『画用紙に定規を使わず、まっすぐな線を書け』と言われて、まっすぐ線を書くことに集中しすぎて画用紙をはみ出していることに気が付かない子供のようだ。柔軟性が足りていない。

 

「さらに鹿目さんも自分だけ魔法少女になっていないことに負い目を感じている。それを魔法少女である君が解消してあげるのも今回のデートの目的の一つだ。つまりは遊ぶためだけじゃなく、必要なことでもあるんだよ」

 

『デートって……』

 

 やや納得のいかなさそうだったが、マンションの前でずっと電話しているほど僕は暇な訳じゃない。

 

「それじゃ、今日は楽しみなよ。あ、でも鹿目さんにエッチなことはしちゃ駄目だからね?」

 

 そう言って通話を切り、再び携帯をジャンパーのポケットに入れる。

 さて、僕も僕で自分のやれることをしないといけない。マンションの中に入り、巴さんの家まで向かう。

 前に一度来た限りだが、僕は物覚えがいいので難なく巴さんの家の番号も覚えている。

 

 

 だからこそ、戸惑いを隠せなかった。

 巴さんの家のドアが半開きのままになっていたからだ。鍵はもちろん、チェーンすら掛かっていない。

 強盗? 不法侵入者? ――有り得ない。何故なら、そんな奴らよりも巴さんの方が遥かに強い。

 疑問が次から次へと沸いてくるが、ここで立ち往生している訳にもいかない。僕はそっとドアを開けて中へと忍び足で入る。これでは僕の方が不法侵入者のようだ。

 だが、ここで巴さんの名前を呼んでも、にこにこしながら巴さんが出迎えてくれるイメージは想像できなかった。

 不気味で、不安で、まるでホラー映画の登場人物になったような心境だ。学校の先輩の家に来ただけなのに、どうして僕はこんな思いを抱いているのだろうか。

 巴さんの家は静寂に満ちており、人の気配が微塵もしない。カーテンが締め切っており、朝だというのに薄暗かった。

 

「巴さん? 居ますか?」

 

 無言でうろうろしていても(らち)が開かないので、周囲を警戒しつつも巴さんの名前を呼んだ。妙な緊迫感のせいか、思ったよりもずっと小さな声しか出なかったが、無音の空間ではそれが大きなものに感じられた。

 けれど、返事はない。この家には居ないのか。だとしたら、それもそれで一大事だ。

 試しに携帯で巴さんの電話番号にかけてみた。

 携帯の電子音のすぐ後に、近くの部屋から急にくぐもった格調高いメロディが流れてくる。恐らくは巴さんの携帯の着信音だろう。

 とすると、巴さんの携帯はこの家にある訳だ。

 超希望的観測をするなら、家のドアが開いているのは閉め忘れただけで、携帯が鳴っているのに出ないのは、巴さんはぐっすりと眠っているため。部屋に向かえば巴さんの素敵な寝顔が待っている。

 ……有り得ないだろうな。それはもう現実逃避のような考えだ。

 多分、この家に巴さんは居ない。携帯を置いて、鍵も掛けず、ドアすら閉めずに飛び出して行ったと考えるのが自然だ。

 ではなぜ? ――分からない。分からないことが多すぎる。

 

 取りあえず、携帯が置いてある部屋に何か手がかりがあるかもしれない。

 僕はこそこそとするのを止めて、携帯をかけたまま、格調高いメロディのする方へとまっすぐ進んで行く。

 ドアにMAMIとローマ字で書かれている部屋、きっと巴さんの部屋だろう。メロディはこの部屋から聞こえてくる。人の部屋に無断で入ることにほんの少しだけ躊躇(ちゅうちょ)があったが、今さらだと思い直してドアを開けた。

 一番最初に目を奪われたのは真っ白い床だった。まるで雪が降り積もったようなその光景に、北海道にでも来たような錯覚を覚えた。

 

「何だ……これは?」

 

『おや? どうして君がここに居るんだい、政夫』

 

 むくりと白い床と同化していた何かが動いた。紅い二つのビー玉のような眼が僕に向く。

 そこに居たのは、ある意味全ての元凶とも言える存在、支那モンだった。

 

「……君こそ何でここに居るの? いや、それよりもここで何をしているの?」

 

『見ての通りさ。回収しているんだよ』

 

 そう言いながら、支那モンは白い床を食べ始めた。

 それを見て僕は、かつて暁美が銃殺した支那モンが崩れた豆腐のような姿になったのを思い出した。そして、それを当たり前のように食べる別の支那モンを。

 

 その瞬間、僕はこの白い床の正体に気が付いた。気が付いたが故に今の状況が僕の想像を超える最悪なものだということを理解した。

 この白い床の正体は……支那モンの残骸だ。

 つまり、床を覆うほどの量の残骸が出るほど、支那モンがこの部屋で殺されたということだ。

 それを行えるのは――――。

 

『まったく。マミにも困ったものだよ。いくら替えがきく身体とはいえ、こんなに殺されるとは……暁美ほむら以上だ』

 

 呆れたように支那モンは己の残骸の山を頬張り続ける。

 僕は巴さんのメンタルを過信しすぎていたのかもしれない。

 

 

  




(次回予告)

消えた巴マミ。
彼女の心は政夫が思っていた以上に病んでいた。
傷付いた彼女に政夫の言葉は届くのか?

次回『五十七話』

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