第六十一話 掛け替えのない恩人
懐かしい夢を見た。六年ほど前の過去の記憶の夢だ。
スイミーの件で小学一年生にして暴力沙汰を起こしてしまい、僕は転校を余儀なくされた。
顔が
大事にしたくなかった学校側は僕一人を凶暴で危険な生徒として処理し、僕への虐めのことは欠片も触れられることはなかった。
怒りも憎しみも感じられなかった。ただこいつらに何を言っても無駄だと諦観し、父さんにすら真実を話さなかった。
母さんを失った時の絶望とは違い、心の中には氷のように冷えた失望だけがあるだけだった。
そうして、違う学校に転校して二年生に進級した僕は、もう他人を信用することはできなくなっていた。自分を取り囲む環境そのものが僕を傷付けようとしているように感じられ、教師やクラスメイトを冷めた目で見ていた。
人間不信に陥った僕はもうかつてのように人に歩み寄ろうとは思えなくなっていた。
そんな中、父さんの高校時代の友達だという人が僕の家へ訪ねてきた。顔はよく覚えていない。興味がなかったので多分当時の僕は視界に入れてなかったのだと思う。
覚えているのは、その人の娘。当時八歳だった僕の一つ上だというその女の子は老婆のように真っ白い髪をしていた。
ぎょっとして、他人を遠ざけていた僕は、思わず凝視をしてしまったほどだ。まあ、今はピンクやら青の髪をした女子を知っているので、それほど驚けないと思うが。
「おばあちゃんみたい……」
思わずそう口にしてしまった僕は、その女の子に激怒された。なんでも白い髪は亡くなった母親譲りのもので誇りだったらしい。
最初の方はお互いに険悪だったが、『母親を早くに亡くしている』という共通の境遇のおかげですぐに打ち解けることができた。
彼女は僕を「まー君」と呼び、僕は彼女を「おねえちゃん」と呼んだ。
『私のお父様はたくさんの人を助けるお仕事をしているの』
「……すくったところで何のいみがあるの?」
『えっ?』
「だれかのためにがんばったって、みんなすぐにうらぎるよ。こっちがこまってもだれもたすけてくれないよ?」
それが当時の僕の心理だった。他人に受け入れてもらおうと努力したが、そんな僕に向けてきたのは悪意か、無関心だけ。片親という理由だけで
直接的な表現は一切しなかったが、僕よりも遥かに聡明だったおねえちゃんは僕がどんな仕打ちを受けたのかを理解してくれたらしく、黙って僕を抱きしめてくれた。
悲しそうに顔を歪めて、おねえちゃんはポロポロと涙を流した。僕もなぜだか涙が出てきて、不思議な温かさを感じながら二人で一緒に泣いた。
母さんの死を乗り越えると誓ってから、声を上げて泣いたのは初めてのことだった。
「まー君。どれだけ辛くても、家族や友達を、自分の周囲の人を大切にしてみて。きっとその事がまー君を幸せにしてくれるから……」
そう言っておねえちゃんは僕の頭を撫でてくれた。父さんとはまったく違う、母さんを思い出させるような女性らしい優しい撫で方だった。
その時から、僕は友達のために頑張れる人間になった。たとえあまり好きな相手でなくても、自分の周囲の人を自分のできるかぎり助けようと思えるようになった。
おねえちゃんの父親の仕事が忙しくなったらしく、それ以来会うことはなかったが、それでも僕は悲しくはなかった。
あの時、僕は間違いなくおねえちゃんに救われた。
「今は……十時か」
目を覚まして枕元にある目覚まし時計を確認すると短針は10の数字を指していた。いつもに比べてかなり遅い起床時間だ。昨日は昼食に僕にケーキバイキングを奢ったお礼として巴さんが晩御飯をご馳走してくれたので家に帰ってきたのは八時を過ぎていた。
今日は日曜なので別に構うことはないのだが、昔の夢を見たせいかあまり眠気がしなかった。
リビングに行くと父さんが椅子に腰を下ろして新聞を読んでいるところだった。
「おはよう、父さ――」
声をかけようとして、父さんの表情がいつになく険しいことに気付く。常に柔和な笑顔をしている父さんがこんな顔をしているのは滅多にない。
「ああ、おはよう。政夫」
僕に気が付いて笑顔を作る。とても自然な笑顔で何の違和感も感じないほど見事だった。さっきの険しい顔が見間違いだったのではと思えるほどだ。だが、血の繋がった僕には分かる。
間違いなく良くないことが起きたということに。
「……何があったの?」
「あまり良い事じゃないよ。……これさ」
読んでいた新聞のページを僕の方へ向けた。それは今日の朝刊ではなく、昨日の夕刊だった。そこに書いてあった記事の見出しは『美国久臣議員自殺! 原因は汚職か! 』というもの。
よくある話でしかない記事に僕は逆に戸惑った。読み進めても、見滝原市在住の地方議員が経費改ざんの不正を苦に自殺した、としか書かれていない。
「これがどうしたの?」
「ん? 政夫は覚えていないかな? この美国議員って僕の高校時代の友人でね」
父さんの説明に心臓が
まさかそんなはずないと、懇願じみた思い沸きあがってくる。
体感時間が早まり、言葉がゆっくりと聞こえ始めた。
「政夫が小学二年生くらいに――」
嘘だろう。違うはずだ。彼女の父親ではない。
父さんは友達が多いから、きっと別人だ。『たくさんの人を助ける仕事』なんて政治家以外にも……。
「娘を連れて訪ねてきてくれたんだけど、覚えてないかな? ほら白い髪で、織莉子ちゃんて言ったかな?」
世の中が都合よく回っていないことくらい知っていた。けれど、ここまで酷いなんて思ってなかった。
心地よく目を覚ました僕に、今日の世界は最悪の気分を与えてくれた。
「今度時間が取れたら会おうって約束していたんだがね……」
そう悲しそうな父さんに、僕は今かけてあげる言葉が見つからなかった。自分の中にある感情を整理するだけで精一杯だったから。
数十秒経った後に出てきた言葉は父さんへの慰めの言葉ではなかった。
「美国さんの住所って分かる?」
父さんに教えてもらった住所は僕の家からはかなり離れたところにあった。
鹿目さんの家よりも大きな、白く綺麗な塀に囲まれた家……だったのだろう。
窓ガラスは割られて、塀には見るに耐えない低俗な罵倒がスプレーでところ狭しと書き込まれていた。直接人が居ないことを見ると、恐らくは昨日の夜の内にこっそりとされたものだろう。
『汚職議員に正義の鉄槌!!』などと書かれていることから、これをやった人間は自分の行いが正義だとでも思っているようだ。人目を
不快感を感じながら、僕は玄関のインターホンを押す。
しかし、まったく反応はない。居ないのだろうか?
割れた窓の中は電気はついておらず、引きちぎられたカーテンの残骸だけが風になびいている。
どうしたものかと思いながら立ち往生していると、後ろから声をかけられた。
「この家に何かご用ですか?」
振り返ると、そこには白く長い髪をポニーテールに束ねた美しい女の子が立っていた。両手には買い物袋を提げていることから買い物の帰りだと思われる。
幼さはまったく感じられなくなっていたが、まぎれもなく僕に周囲の人を大切にすることを説いてくれた『おねえちゃん』その人だった。
「あの、僕は夕田政夫と申します。覚えていらっしゃらないかもしれませんが、六年ほど前に一度お会いした者です」
僕にとって掛け替えのない恩人なので必要以上に緊張して口調が固くなってしまった。
「夕田……? 六年前……? ひょっとしてあなた、『まー君』?」
彼女は僕の顔をじっと見つめながら、
覚えていてくれた、その嬉しさが僕の胸を打った。
「そうです! 覚えていてくれましたか!?」
「随分大きくなったわね。あの時は私の方が背が高かったのに」
「六年も経ちましたからね、背も伸びますよ。おねえちゃ……、織莉子さんはとても綺麗になりましたね」
あの頃から、利発そうで可愛らしい顔立ちをしていたが、今では凛とした美しい女性にまで育っていた。正直、気後れしてしまいそうだ。
織利子さんは上品そうに優しく微笑む。
「まー君はお世辞が上手になったのね。そんなに
「いや、流石にもう『おねえちゃん』は……恥ずかしいですよ」
「あら、それは残念。口調だって敬語のままだし」
「年上の人には敬語は基本ですよ」
「そう……」
それ以上に僕個人が織莉子さんを尊敬しているというのもある。敬語を外すなんて論外だ。
だが、織莉子さんは少し寂しそうにしていたので仕方なく呼び方は譲歩した。
「じゃあ、間を取って『織莉子姉さん』と呼ばせてください」
「ええ、私の方は『まー君』のままでいいかしら」
「はい。構いませんよ」
少し気恥ずかしいが、それで織莉子姉さんが喜んでくれるならそれに越したことはない。
けれど、意外だった。父親が自殺して、二日も経っていないのに織莉子姉さんからはまったくそういった感じが受け取れない。
普通ならもっと暗くてもいいはずだ。まして周囲の人間からは家を攻撃されているのだから、ここまで落ち着いているのはどう考えてもおかしい。
でも、こうやって落ち着いている織莉子姉さんを見て、安心している僕も確かにいる。
もやもやした複雑な感情を胸に秘めていると、織莉子姉さんは玄関の方へ移動して僕を呼んだ。
「まー君、立ち話も何だから中で話しましょう」
「はい。あ、その袋、僕が持ちますよ。鍵を取り出す時邪魔でしょう?」
「ありがとう。助かるわ」
そう言って、織莉子姉さんは僕に買い物袋を僕の方に渡そうとした。
その時、僕は彼女の指に指輪が
もしそれが、高価なものであれ、普通の指輪であればそこまで気にすることはなかっただろう。
しかし、その指輪に僕は見覚えがあった。
それは魔法少女の魂、ソウルジェムが形を変えた指輪だった。
はい、とうとうおりこ出してしまいました。
この物語のおりこは政夫にとって、大切な恩人です。
彼が出会って大して時間が経ってない女の子のために命を張って行動する理由を作った人物。
謂わば、間接的には魔法少女を助けた人物でもあるわけです。
というか普通に原作のまま出したら、「周囲の状況に耐えられず、世界を守るという理由で現実逃避をする魔法少女」になってしまうので、糾弾して終わってしまいかねないので、こういう立ち位置にさせて頂きました。
というか、政夫に精神的にダメージを与えたかったからという理由もあります。(初期設定では政夫の従姉という設定でした)
それとダイレクトマーケティング、『特別コラボ 魔法少女まどか?ナノカとIS×GAROのクロスオーバー』
これは何と『IS GARO』の作者navahoさんが書いてくれたコラボ作品です。
私が書く政夫とはまた別の政夫が読めます。
面白いです。少なくても私の作品よりは!!