窓の外に立っている人物があまりも意外すぎて少々言葉を失ったが、黙っている訳にもいかないので窓を開けて僕の方から声を掛けた。
「杏子さん、どうしてこんなところに居るの? 学校は?」
「そりゃ、アンタの方だろうが。見慣れない魔法少女が朝っぱらから誰か抱えてんのを見つけて、後を着けてみればアンタがここに連れ込まれんのが見えたんだよ」
面倒くさそうに説明をすると、窓の
どうでもいいが靴をちゃんと脱いでいる辺り、暁美より常識があるなと思った。その際に軽くスカートが
「で、政夫は縛られているわけでもねーのに、何でここにまだ居るんだ。周囲から確認したが、この家にはもうアンタしか居ないんだろ? さっきキュゥべえが出てきたのと何か関係あんのか?」
「いや、特に関係はないよ。僕がここに居る理由は……ちょっと疲れちゃったってだけ」
ソファに座り直して、杏子さんから視線を逸らす。
後ろめたい訳ではなく、単に自分の身の上から話さなければいけなくなるのが面倒だった。
「疲れたってどういう……」
「そうだ、杏子さん。今、君ら魔法少女、特にほむらさんが君が見た『見慣れない魔法少女たち』に命を狙われている。気を付けた方がいいよ」
もう手遅れかもしれないが、一応杏子さんに伝えておく。これは彼女たちに対する僕の最後の義理だ。それ以上のことはする気はないという決別でもある。
彼女たちのために何かしようとする意志は僅かも
これが普通。今までの行動こそがおかしかった。たかだか二週間ほどの付き合いでしかないのだから。
「は? おい! それはどういう事だよ! ほむらが命を狙われてるって……だったら、なおさらお前はこんなとこで何やってんだよ!!」
激昂して
でも、もう僕には関係のない事だ。いや、元から僕は無関係だ。ただ織莉子姉さんの言葉に従って、手を差し伸べていただけだ。
「僕は何の変哲もない普通の中学生だよ。僕には何の関わり合いのない話だ。僕がどこで何をしていようと自由だろう? もう巻き込まれたくないんだ、魔法少女だの魔女だのに」
「ふざけんなっ!」
杏子さんは僕の胸倉を掴むと片足をソファの肘掛に乗せて、座ったままの姿勢の僕に顔を近づける。怒りに満ちた表情と胸倉を掴むその様子が、怒った時のショウさんとそっくりだったのが少しだけおかしかった。
だが、あの時と違って僕の心は欠片も恐怖を感じない。杏子さんに迫力がないのではなく、今
「ほむらやマミ、さやかたちが死んだって自分には関係ねーって事かよ!」
「まあ、そういうことだね」
僕の返答に杏子さんの拳が飛んできた。右頬に強烈な衝撃が走り、次の瞬間には痛みが
それでも僕は他人事のようにしか感じられず、杏子さんを冷めた目で見返しただけだった。
「……アンタさ、アタシが『魔法少女に何の関係もないのに魔法少女とつるんでるのか?』って聞いたの覚えてるか?」
僕を殴ったことで少しは怒りが和らいだのか、ほとんど無反応だった僕を見て思考が冷めたのか、先ほどより多少落ち着きを取り戻した声で杏子さんは僕に尋ねてくる。
だが、目付きだけはさっきよりもずっと鋭くなっていた。
「覚えてるよ」
痛みが鈍くなった代わりに頬が熱を持ち始めたことを感じながら、間を空けずに答える。
「あん時、アンタは『自分が納得できる行動とっていたらこうなった』って、そう答えたよな」
「答えたね」
ギリッと音が聞こえるほど歯をかみ締めた後、彼女は
「納得して関わってたんじゃなかったのか!? 責任持ってあいつらと一緒に居たんじゃなかったのかよ!?」
「……っ!」
殴られた痛みとは比べられない衝撃が胸の中にずしりと来た。
他人事のように聞いていた僕は初めて、実感の
「さやか、言ってたぞ。今までカッコ悪い自分を支えてくれたって! マミの事だってそうだ! 昨日電話で聞いたよ。アンタ、魔女に成りかけたマミを自分の命を危険に晒してまで助けたらしいじゃねーか。それなのに……! そんな簡単に放り出しちまえるもんなのかよ!! なあ!」
そのどれもが激しく僕の心を揺さぶる。遠くに感じられた自分自身が再び、戻ってきたように臨場感が伝わってくる。
「ほむらもだ! あいつとはまだそこまで仲良くなってねーけど、アンタと居る時のほむらが安心してるって事ぐらいは見てて分かる。それだけ頼りにされてんだよ、アンタは!」
「でも、僕はどこにでも居るただの中学生だよ」
「ここまで魔法少女助けてきたヤツがただの中学生な訳ねーだろうが! 十分、特別なんだよ。少なくてもマミたちにとってはな!」
そこまで言うと胸倉を掴んでいた左手が離されて、僕の肩に杏子さんの両手が置かれた。
杏子さんは表情を歪め、辛そうな顔を浮かべる。
「頼むよ……。あいつらを裏切らないでやってくれよ。信じてたヤツに見捨てられるって……言葉にならないくらい苦しいんだ……。アタシと同じ痛みをあいつらには味合わせたくはないんだよ」
そうか。杏子さんは実の父親の教えを守ろうとして魔法少女になったんだった。そして、それを当の本人に否定された。
今の僕と同じ……、いや、死なれた分だけ彼女の方がずっと辛かったはずだ。
だからこそ、彼女の言葉は心に響く。実際に体験した感情が言葉を通して僕に届いてくる。
「アンタは必要とされているんだ。だから答えてやってくれ、その想いに」
一拍、間を空けてから、静かに僕は答えた。
「……本当に魔法少女って面倒くさいなぁ、もう」
「っ、こんだけ言ってもまだそんな……」
「面倒くさくて、おちおち一人で絶望に浸ってることさえさせてくれない」
ため息を一つ吐くとソファから立ち上がり、傍に置いていた学生鞄を拾う。
「政夫、アンタ……」
杏子さんには返答として苦笑いを向ける。この人にはそれで伝わるはずだ。
必要としてくれるなら、答えてあげなければいけない。借り物の信念だろうと、ハリボテの安心感だろうと、それを待ってくれている人が居るなら与えるだけだ。
せめて、もう要らないと言ってくれるその時までは――。
~ほむら視点~
髪を掴まれ、首筋に魔力のカギ爪を突き付けられながらも、私は呉キリカに不敵な笑みを向けていた。
絶体絶命のこの状況下で私は一体何をやっているのか。
昔の私なら恐らくは唇を噛み締めながら絶望にでも染まっていたはずだ。それが普通の反応だ。
ここで虚勢を張るなんて馬鹿げている。きっと、彼の悪い癖が移ってしまったのだと思う。困ったものね。
「……死ね!」
呉キリカのカギ爪が私の頚動脈を
「――ッ! キリカ、そこから右に飛び退いて!」
「……チッ」
私の髪を掴んでいた手を瞬時に離して、美国織莉子の言葉に従って呉キリカは右に跳躍した。
呉キリカが立っていた場所には一、二秒遅れて黄色の銃弾が通過して、工場の奥へと消えていった。少ししてから鈍い音が聞こえてきたので壁に激突したのだと思う。
「いくら不意打ちをするためとはいえ、シャッターを開いたままにしたのは間違いだったわね……」
忌々しそうに言う美国織莉子の後ろの入り口のシャッターから、逆光でシルエットに包まれた人間が三人見えた。
一人が先頭に立ち、ゆっくりと工場内に長銃を構えながら入ってくる。
それは魔法少女の姿になったマミだった。その後ろには同じく魔法少女の格好になったさやかと、制服のまどかが追随している。
「大丈夫!? 暁美さん」
「マミ。来てくれたの? でも、どうやってここに?」
助かったという安堵の思いよりも、何故彼女がここに居るのかという疑問が先立った。
私がこの廃工場に行く事はマミには伝えていない。いくらなんでも都合が良すぎる。
私の疑問に答えたのはマミではなく、その後ろで剣を構えている居るさやかだった。
「ごめん、ほむら。実はほむらが教室から出て行った後、やっぱり納得できなくてマミさんに無理やりお願いして、ばれないように距離取って後着けて来ちゃった。まあ、用心して距離を取りすぎて、途中見失ったんだけど……」
いつの間にか、マミたちに尾行されていたらしい。政夫が誘拐されたせいで頭がいっぱいになっていたのか私らしくないミスをしてしまった。けれど、今回はそのおかげで命拾いした。
でも、一つだけ看過できない事がある。
「……何でまどかまで連れて来たの!?」
最悪だった。その一点がなければ私は素直に喜べた。さやかの行動に感謝できた。
だが、その一点が致命的だった。
「さやかちゃんを責めないで。私がどうしてもってお願いしたから……」
申し訳なさそうな表情のまどかが私に弁明をするが、そんな事はもうこうなってしまえば関係ない。一刻も早くまどかを避難させなければ。
「……見つけた。見つけたわ。世界に破滅をもたらす少女を」
壮絶な笑みを浮かべて、一瞬で無数のソウルジェムにも似た意匠の水晶球を出現させて、まどかに目掛けて降り下ろすように撃ち出す。
マミもさやかも突如現れた数十の水晶球に対応できず、唖然としている。
数の水晶球が信じられない速度でまどかに迫る。その数や速度から、ありったけの魔力を使っている事が分かった。
早く時を止めないと最悪の事態になる!
私は時間停止の魔法を使うとするが――。
「おっと、お前の相手は――私だよ!」
楯に触れようとした私の手の甲に黒のブーツが降って来る。
「――――――っ!!」
手の甲に付いているひし形になったソウルジェムごと踏み付けられ、言葉にならない激痛が脳を焼く。
飛び退いて離れたはずの呉キリカは、私が美国織莉子の大量の水晶球に気を取られていた隙に乗じて接近していた。
「何でそんな痛がって……ああ、お前のソウルジェムこんなところに付いているのか。無用心だねっ!」
体重を掛けながら踏みにじるように呉キリカはブーツを動かす。
直接ソウルジェムにダメージを与えられているので、痛覚を遮断する事もできない。体内の臓器をそのまま傷付けられているような激しい痛みが意識を支配する。そのせいで聴覚すらまともに機能してくれない。
猫がネズミを
まどかがどうなっているのかも、確認する事ができない。
「ま、まどか……」
自分が死にかけた時なんかと比べ物にならない絶望があった。
政夫を叱咤した相手が最も政夫と関連性の薄い杏子である理由について言い訳を一つさせて下さい。
正直に言いますと最初はまどかにする予定でした。まどかに本当に義務感だけで手を貸していたのかと問われて、最初はそうだったけれど次第に彼女たちに友人として好意を抱いていた事に気付いて立ち直るという話にするつもりでした。
でも、書いていく内にシチュエーション的に織莉子の家にまどかを出すのが不可能な事に気付き、途中で変更しました。
なので、政夫は結局のところ開き直っただけで、人間として成長する事はできませんでした。
本来ならメインヒロインとしか思えないほどまどかを前面に押し出すつもりだったのですが……本当に残念です。