第七十九話 孵卵器の歴史 前編
支那モン。
サンリオが出しているマスコットキャラ『シナモン』に似ているがシナモンよりも可愛くなく、中国産の多量製品のような見た目だったので、僕がインキュベーターに付けた
奴の印象は最初から
まだ心身ともに成熟していない女の子に近付き、願いごとという餌をちらつかせて『魔法少女』に仕立て上げ、『魔女』との命懸けの戦いを要求してくる。
こう聞けば、冷静な判断力を持つ人間なら奴自身にメリットがないことに気が付くはずだ。
事実、奴の目的は魔女を殲滅することではなく、むしろ魔女を作り出すことだった。もっと正確にいうなら、魔女が生まれる時に発生するエネルギーだ。
実に愉快な話だ。魔法少女のマスコットはエネルギーを求めてやってきた地球外生命体だとは夢にも思うまい。
だが、そんなことはどうでもいい。
支那モンの目論見など僕には関係ない。別に正義の味方など語るつもりもない。少なくてもアレのおかげで願いごとを叶えた少女は存在するだろう。
けれど、必要なのは僕と友達の身の安全を護ることだ。
テストの点数で一喜一憂したり、学校行事に勤しんだり、穏やかで極普通の日常を送りたい。そして、暁美にも今まで味わえなかった普通の学園生活を過ごさせてやりたい。
ただ、それだけだ。そのためには支那モンは排除して置きたい障害だ。
あれから三日経った。
取り立てて変わったことと言えば、織莉子姉さんが見滝原中に編入してきたことくらいだろうか。
織莉子姉さんが前に通っていた私立白鳥女子学園には転校を迫られていたから、学園側からしたら願ったり叶ったりだったおかげで編入は実にスムーズに終わった。
呉先輩と同じクラスに編入したらしく、今日の昼休みに僕の教室に呉先輩と共にやって来た。
改めて、鹿目さんと仲良く話す織莉子姉さんは、六年前のあの優しい『おねえちゃん』が帰ってきたように思えて嬉しかった。
同時に二人にはどこか共通したものがあることを僕は感じていた。何というか人を包み込むような温かくて柔らかい雰囲気が似通っている。
そして、それとは対照的に暁美と呉先輩は仲が悪く、お互いに不快そうな表情で睨み合っていた。まあ、仮にも命の取り合いをした間柄だから、すぐに仲良くはできないのは分かるが教室で
僕が仲裁に入ると、暁美は「どちらの味方なの!?」と噛み付くように怒ってくる。
というか、最近あいつは僕が無条件で自分側に就くものだと勘違いしている節がある。確かに僕は暁美の友達ではあるが、それ以上の関係ではない。特別に
呉先輩は僕が頼み込むと素直に従ってくれるので楽だったが、代わりに性格を奇跡によって捻じ曲げられて何かと僕に好意をアピールしてくるところに困惑させられる。
前は引っ込み思案だったが、まともな女の子だったのに……。
僕も男として嬉しく思わないこともないけれど、そんなよく分からない理由で好意を持たれるのは複雑だった。
暁美たちは魔法少女を鹿目さんと一緒に見送った後、僕は自分の家で机に座って勉強をしていた。
学校の授業の予習や復習といったものは早々に終わらせて、個人的な心理学の勉強に取り掛かる。
重要な単語にアンダーラインを引き、その概要をノートに取る。
こうやって好きな興味のある分野を学ぶ際には学校の授業以上に集中できて楽しい。
『……やってくれたね。政夫』
頭に響いてくるような不愉快な言葉が聞こえた。
聞こえたが無視して、『対人行動と社会真理』における『不協和心理の解消』についての文章を黙読する。
ふむふむ。人のために何かしてあげると、してあげた相手に好意を持つというのは少々不思議な心理であるが、そのような援助と好意を……。
『政夫、聞こえていないのかい?』
「煩いなぁ。何? どうしたの、支那モン? 保健所はここじゃないよ? 僕忙しいんだけど」
鬱陶しそうに腰掛けていた椅子ごと振り向くと、そこには見慣れた白い似非マスコットが居た。
相変わらず、どこから入ってきたのか分からない。
だが、僕は嫌そうな表情をしながらも、内心ほくそ笑んでいた。
向こうからコンタクトしてきたという意味。それが僕にはどうしようもなく、
『君のおかげでグリーフシードが、ここ三日一つも回収できていない』
支那モンは平坦とした声で静かに僕にそういうが、その言葉には紛れもなく批難の色が
「それのどこが僕のせいなの?」
『暁美ほむらが他の魔法少女に伝えていたのを聞いたんだよ。グリーフシードのリサイクル法、そして、それを考えたのが政夫である事もね』
「嫌だな。聞き耳だなんて感じ悪いよ?」
クスクスと
これも僕が暁美にリサイクル法を他の魔法少女にも教えてあげてほしいと頼んだからだ。わざわざ「僕が考えた」と皆にも伝えてほしい、と付け足して。
いずれ、支那モンにもそれが伝わるようにするために。
『君は自分が何をしているのか分かっているのかい?』
「哲学的な質問だね。あと、五年くらい考えさせて」
心理学の本にアンダーラインを付けるために右手に持っていたボールペンをくるくる回す。
いかにも適当という僕の様子を見てか、まるで激昂を抑えるように支那モンは僅かに押し黙った。
そして、再び、話し出した。
『…………いいかい? 政夫。前にも言ったけれど、僕たちの目的は、この宇宙の寿命を伸ばすためなんだ』
「懐かしいね。僕が君と初めて会った日に聞いた台詞だよ。感動的で涙が出てきそうだ」
『エネルギーは形を変換する毎にロスが生じる。宇宙全体のエネルギーは、目減りしていく一方なんだ。だから僕たちは、熱力学の法則に縛られないエネルギーを探し求めて来た』
理解できなくはない。いや、化石燃料が残り少なくなっている現代ではスケールの大きさはさて置き、実に共感できる話だ。
突如開催された支那モンの大演説会に僕はペン回しをしながら、口を挟まずに耳を傾けた。
『そうして見つけたのが、魔法少女の魔力だよ』
そこで魔法少女とかファンシーな単語が出てくるあたり、この地球外生命体は愉快な思考回路をしていると思う。そもそも少女限定って時点でもうなんかネタっぽい。
『僕たちの文明は、知的生命体の感情を、エネルギーに変換するテクノロジーを発明した。ところが生憎、当の僕らが感情というものを持ち合わせていなかった』
これ、物凄く間抜けだと思う。感情をエネルギー化する技術を生み出したくせに、その感情がそもそもないなんて。
TVゲームのソフト作った後でそれを出力するためのハードを作っていないことに気付いたってぐらい馬鹿な話だ。
大体、それなら『知的生命体の感情を、エネルギーに変換できる』ってことにどうやって気付いたんだ。存在しないものがエネルギー源っておかしいだろう。
だが、僕は突っ込みを心の中だけに留めて、素直に続きを聞く。
『そこで、この宇宙の様々な異種族を調査し、君たち人類を見出したんだ。人類の個体数と繁殖力を鑑みれば、一人の人間が生み出す感情エネルギーは、その個体が誕生し、成長するまでに要したエネルギーを凌駕する。 とりわけ最も効率がいいのは、第二次性徴期の少女の、希望と絶望の相転移だ。ソウルジェムになった君たちの魂は、燃え尽きてグリーフシードへと変わるその瞬間に、膨大なエネルギーを発生させる。それを回収するのが、僕たち、インキュベーターの役割だという訳さ』
一区切り付いたところでようやく僕が口を挟む。
「どうも、ご高説ありがとうございました。気は済んだ? 済んだならもう帰ってほしいんだけど」
冷めた目で支那モンを見下ろしてそう言うと、支那モンはとうとう本格的に頭に来たのか無表情のまま小刻みにプルプルと震え出した。
その様はすごくシュールでムービーに取っておきたいほど面白かった。どうやら『
「大丈夫? マナーモードなの?」
『政夫、君には言葉で言っても無意味なようだね。それなら、見せてあげよう――インキュベーターと人類が、共に歩んできた歴史を』
その言葉と共に空間が歪み、僕の部屋の景色が変わっていく。
ちょっとふざけすぎたか?
流石に自重するべきだったという思考が過ぎったが、今更な話だ。
それに『魔法少女』だのホザき始める愉快な生き物が、今までどうやって人間と付き合ってきたのかは正直にいうとかなり興味があった。
見せてくれるというなら遠慮なく見せてもらおう。インキュベーターの歴史とやらを。
政夫、実は一番好きなのキュゥべえなんじゃないかって時があります。
キュゥべえと話している時だけやたら生き生きとしてますし。
実はヒロインはこいつだったのかもしれません。