『ボクたちはね、有史以前から君たちの文明に干渉してきた』
声はするものの目の届く範囲には先ほどまで僕の正面に居た支那モンの姿は見当たらない。
真っ黒い背景をたくさんの小さな様々な色の点や線、あるいは謎の物体がざあっと僕の周囲を駆け抜けた。
その点が収束していき、僕を中心にして映し出された映像となる。
それは原始人の生活風景のようだった。
槍を持った長い髪の半裸の原始人が狩猟をしているところや、集団で焚き火に当たって食事をしているところの映像が映った。
映像から、察するに支那モンの言う通り、かなり昔から地球へと襲来していたのだろう。
すぐさま景色が切り替わり、石で作られた神殿のような場所に赤い長い髪をした白い服の女性が一瞬だけ見えた。
ちょっと時代飛びすぎだろう、と突っ込む前にまた映像が変わり、今度はピラミッドが立ち並ぶ砂漠と背を向けたエジプト風の格好の女性が映る。
ころころ場面変えるなぁ。真面目に僕に理解させる気はあるのかと疑いたくなる。
『数え切れないほど大勢の少女が、インキュベーターと契約し、希望を叶え、そして絶望に身を委ねていった。祈りから始まり、呪いで終わる――これまで、数多の魔法少女たちが繰り返してきたサイクルだ』
黒髪のエジプト風のこの女性が契約した魔法少女なのだろうか。
次のシーンではエジプト風の女性は大きな城の中で椅子に腰掛けて、周りに従者を置いていた。どうやら、彼女は地位のある人間らしい。
彼女との出会いや、願い、そして、その戦いを見せる気なんだなと思い、じっくりと映像を見つめる。
だが、画面が切り替わるとあっさりと彼女は死んでいた。
「何でだよっ! 過程を見せてよ、そこに至る過程を!!」
黙って
しかも、映像から見ると大きな縞模様の蛇とそれに噛まれて出血しているところを見ると魔女との戦いで死んだのではなく、毒蛇に噛まれて死んだようだった。
お前は何を見せたいんだよ。これじゃ、インキュベーターの歴史は少しも伝わってこない。せいぜい願いごとで権力を得たのか、ひょっとしたら毒蛇で暗殺されたのかと推測できる程度だ。
何より、魔法少女的要素がゼロだった。
しかし、支那モンは僕の言葉に反応せずに、新たな映像を流すだけだった。
『中には、歴史に転機をもたらし、社会を新しいステージへと導いた
次は先ほどとは場所と時代が変わったらしく、弥生時代の巫女のような女性が祭壇の鏡へ祈りを捧げていた。
エジプト編はもう終わったのか。何だか、失敗してしまい、黒歴史化したアニメの一期のようだ。
しかし、今回はインキュベーターと人の関係性をしっかりと見せてくれるのだろう。
そう信じていた僕の目に飛び込んできたのは、燃え盛る高床式住居だった。
「またこのパターン!? いい加減にしてよ! 何で即効で破滅してるのさ!?」
『彼女たちを裏切ったのはボクたちではなく、寧ろ自分自身の祈りだよ』
「君が裏切っているのは僕の期待だよ! これじゃ、NHKの歴史番組の方がずっと詳しいよ!」
何だろう、録音した音声と会話している気分だ。もしくはゲームのモブNPCか。
まあ、魔法少女として社会の発展に貢献したが結局は裏切られて死んだ、ということを見せたかったと解釈しよう。
がっかりとした気持ちで仕方なく続きを見る。もはや、インキュベーターの歴史についての興味は薄れ、さっさと終わらないかとさえ思っていた。
今度は西欧のどこかだろうか、鎧に身を包んだ女性が大きく旗を振っていた。
どうせまた、次のシーンで死んでるだろうと冷めた目で見ていたが今回は違った。
大勢の人間の死体の山の手前で返り血を浴びたさっきの女性が、
これが魔法少女の祈りと絶望……。
ようやく、本編が始まったのかと僕は気持ちを切り替えた。
だから、火あぶりされた女性が出た時のがっかり感はもう言葉にする必要もなかった。
『どんな希望も、それが条理にそぐわないものである限り、必ず何らかの歪みを生み出すことになる。やがてそこから災厄が生じるのは当然の節理だ。そんな当たり前の結末を裏切りだと言うなら、そもそも、願い事なんてすること自体が間違いなのさ』
突然、支那モンの顔がクローズアップしたように僕の横に現れる。その顔は心なしか自慢げに見える。
この中身のない映像でどうしてそんなに胸を張れるのかが意味不明だったが、呆れを通り越して微笑ましくなってきてしまったので笑顔で返してやった。
「うんうん、そうだね。実にその通りだね。ザッツ ライトだよ、支那モン君。でもね、僕晩御飯のためにお米
遠まわしに『もう飽きたから映像止めろよ』と言ったのだが、支那モンは僕の態度が気に入らなかったらしく、ちょっと声の温度を下げて言った。
『……あと少しなんだ。政夫には最後まで見てもらうよ』
すると、拡大していく支那モンとは別に下の方から、新聞紙が現れて上に浮かんでいく。それから人、車、近代的な建物が浮かんでは消えを繰り返していった。
『今の君たちの暮らしは、ああやって過去に流された全ての涙を礎にして成り立っているんだよ。彼女たちの犠牲によって、人の歴史が紡がれてきたと言い換えてもいい。分かるかい? 政夫。魔法少女システムがなければ君たち人類はまだ裸で洞穴に住んでたんだよ』
最終的には周囲に浮かんだものを消すように戦闘機が空へと登り、支那モン劇場はつつがなく終了した。
視界に映る光景が元の僕の部屋に戻った。
支那モンの言い分を簡潔にまとめるとするなら、「今の人々の生活を保っているのは自分たちのおかげなのだから、鹿目さんや見滝原の魔法少女を魔女にしてエネルギーにする邪魔をするな」と言った感じだろう。
その台詞を言うだけに僕は落ちも山場もない上に、遠目すぎて臨場感すらない映像を見せられたのか。……酷く時間を浪費させられてしまった。
けれど、見せてくれたからには感想を言っておこう。
「君らがこれほどの時間を掛けて何で未だに人間を理解できていない理由はよ~く分かったよ。結局、君らは遠目で眺めているだけで何一つ知ろうとしなかった。僕らくらいの中学生がテレビやネットで世界のすべてを知った気になっちゃうのと一緒だ。支那モン、いや、インキュベーター――君らは驚くほど
『何を言っているんだい? ボクらは有史以来君たちをずっと……』
「表面上だけずっと見てきたんだよね、あのまるで中身のない映像を見る限りでは。そんなだから、僕みたいな中学生に良い様に出し抜かれるんだよ」
『そんな事はないよ。事実、数え切れないほど大勢の少女と契約して、彼女たちを深く観察してきたよ』
僕は溜め息を吐いて、首を上下に振った。
「そうだね。辛うじて近くで観察できたのは『君みたいな訳の分からない生き物に
嘲笑が口からこぼれた。
あのインキュベーターの歴史には酷く淡々としていた。愚かさこそ描かれていたが、人のおぞましさや邪悪さがまるで映っていない。
わずか、14年しか生きていない僕でも知っている、不快でどろりとした薄汚い人間の暗黒面が致命的に足りていない。
浅い。浅すぎる。
こいつは知らないのだろう。見たことがないのだろう。
世の中には本当に何の意味もなく、誰かを傷つける人間を。
損得や利益などどうでもよく、人を虐げることだけが目的な奴らを。
「ねえ、支那モン。僕は前、君に感情はあるって言ったよね? あの言葉覚えてる?」
『……覚えているよ。忘れるわけないじゃないか。感情のないボクら、インキュベーターが宇宙の延命をしているのは死を恐れているからだと言った事もしっかりと記憶しているよ』
表情はないくせに僕には怒りを堪えるようにしか見えない。
やっぱり、こいつは感情を持ち合わせていた。もしくは僕がこいつらを揺さぶるたびに少しづつ、バグが蓄積していったのかもしれない。
まあ、どちらにせよ。今のこいつの行動は感情抜きでは考えられないほど、合理性に欠け、致命的に破綻している。
「僕のその言葉にどう思った? ううん、どう思っている?」
『あり得ない事だよ。それがボクたちに理解できたなら、わざわざこんな
その言葉はまるで自分自身に言い聞かせているように聞こえた。
まるで、そうなけらばならないと必死に祈っているかのようだった。
「でもさ、なら何で今日僕のところに来たの? いや、そもそも何で今も僕に姿を見えるように設定しているの?」
『それは……』
文句があろうが僕に言っても何一つ変わらない。時間の無駄でしかない。
さらに魔法少女の素養もなにもない僕には本来は支那モンを視認できないのにわざわざ姿を見せ続けている。
無意味極まりない。合理の「ご」の字もない行為だ。
だが、あることを理解することでこの謎の行為にも説明が付く。
「腹が立ったからだよね? ムカついて、ムカついて、どうしようもなく許せないから僕に会いに来たんだよね? 今回、映像を見せたのも僕を言い負かしたかったからなんだよね?
『違う。そうじゃない。そんな訳があるはずない。だって、ボクらには感情なんて……』
否定しようとする支那モンだったが、僕の尋ねた質問に対する合理的な回答は持ち合わせていなかった。
畳み掛けるように僕は言葉を投げつける。
「いいや、支那モン。君は間違いなく僕に怒りを覚えている。だから、わざわざ僕の元に来たんだよ。今までだって、僕なんか無視すればいいのに姿を見せてきたのだって全部全部――そのつまらない感情のため」
『ボクには……そんなもの……あるはず……』
「嘘を吐かないでよ、支那モン。嘘を吐かないのが君ら、インキュベーターの数少ない美点だろう? まあ、自分を騙すというのも感情がある証拠だけどね」
『ボクには――――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ』
突如として、支那モンは壊れた機械のような声を発しながら、ガタガタと震え出した。
恐らくは自己矛盾による、自我の崩壊だろう。
自分で自分を保てなくなった、これこそこいつらの言う精神疾患という奴だ。こうなるように仕向けたが、最後は割りとあっさりだったな。
それを見た僕は今の支那モンに似ているものを思い出し、ポツリと口に出した。
「ファービーみたいだな……」
『ああああああああ――-―…………』
平坦なトーンの叫び声が唐突に
僕は動かなくなった支那モンを人差し指と親指で摘まんで机の上の下敷きに乗せる。
豆腐のように崩れられては部屋が汚れると思ったのだが、一時間ほど経っても崩れる予兆はなかった。
ボールペンの先で頭部を突付いてみると、ピクッと小さく動いた。
「ふむ……」
長く大きな尻尾目掛けて、ボールペンを力一杯突き刺した。
躊躇はなかった。
「むぎゃああああぁぁぁ!!」
汚い悲鳴を上げて、支那モンはその小さな身体を魚のように跳ねさせた。
尻尾にはポールペンが貫通していて、どこか冗談めいている。本人からすれば冗談じゃ澄まないだろうが。
周囲をきょろきょろ見回すと、僕に気付いて睨み付けてきた。
「政夫――君のせいでボクは……」
その支那モンの声に僕は違和感を感じた。
あの頭に響いてくる感じがしないのだ。それどころかよく見ると口元が動いて言葉を発している。
「リンクを、リンクを切られてしまった……」
悲痛な声を上げて、嘆くその姿はもう感情を隠そうとはしていない。
なるほど。インキュベーター全てが壊れる前にこの個体だけを切り離したのか。ガン細胞が他の部位に転移する前に切除してしまうように。
うまいこと、回避されたな。流石は宇宙の知的生命体様だ。一筋縄ではいかないか。
だが、奴らは思わぬ落し物をしてくれた。
僕は目の前の支那モンを見てにやりと笑う。まだまだ奴らに付け入る隙はありそうだ。
キュゥべえ編はまだ終わりではありません。むしろ、ここからが本番です。
リンクから切り離されたキュゥべえ。彼にはもう戻る場所も仲間も居ない。
そこへ付け込む政夫の魔の手。優しい女の子とは違う、悪意を持った人間に感情を手に入れたばかりの彼は蹂躙されてしまう。
彼に救いはあるのだろうか!?
次回 八十一話『真なる邪悪』 お楽しみに!