魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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第八十二話 悪魔の誘惑

~キュゥべえ視点~

 

 

 

 嫌だ。死にたくない。

 追っ手から距離を取るためにボクは脚をひたすら動かす。

 眩暈(めまい)がする。思考が(まと)まらない。こんな事は初めてだった。

 何万年も生きてきて、こんな思考がボクを支配した事なんてただの一度もなかったのに。

 不安。恐怖。……これが、感情というものなのか。

 何でこんな事になってしまったんだ……。

 

「逃がすと思っているの?」

 

 銃声と共にボクの身体に衝撃が走った。

 

「あぅっ……」

 

 体勢が崩れて、吹き飛びながら地面を転がる。

 痛みに(うめ)き、横になった身体を起き上がらせようとして気付いた。

 

「し、尻尾が……」

 

 ボクの尻尾が半分ほど、ちぎれ飛んでいた。尻尾に突き刺さっていたボールペンは粉々に砕けて散らばっている。

 尻尾の断面図からは赤々とした血が染み出していた。

 それを目視した瞬間に痛みが急速に増大したように感じられた。

 

「っうぐ……痛い痛い痛い痛い!」

 

「インキュベーターもそんな風に痛がるのね。意外だわ」

 

 痛みに悶えている間に薄暗闇の中から、ハイヒールの靴音を立てて暁美ほむらが姿を現した。

 氷のような無表情でボクを睨むその目は、かつてよりもずっと恐怖を与えてくる。

 

「あ、暁美ほむら……ボクをこ、殺すのかい……?」

 

「ええ。でも、お前を殺すのは捕まえて、マミや織莉子の前まで連れて行ってからよ」

 

 やはり殺すつもりなんだ。だったら、一刻も早く彼女から逃げないと。

 痛みを堪えて、半分ほどになった尻尾を使い、ボクは脇に跳躍した。

 暁美ほむらから、ほんの少しでも遠くに離れたかった。

 しかし、その瞬間、狙い済ましたかのように拳大の奇妙な意匠の水晶球が跳躍したボクの目の前に飛んできた。

 

「これっ、は!?」

 

 水晶球の表面の色が僅かに輝く。

 その輝きの意味を理解した時には、水晶球は爆発し、その破片がボクの身に降り注いだ。

 

「あ、っああっああああああああ!!」

 

 爆風で吹き飛ばされたボクは水晶球の破片に身体を抉られ、激痛に思考を蹂躙(じゅうりん)されながら地面に這い(つくば)る。

 痛い! 痛い! 痛い! 

 身体の内側を燃やされているような痛覚がボクの脳を駆け巡る。

 

「威力は下げたけれど、思った以上に脆弱だったのね」

 

 そんなボクを他所にいつの間にか現れた白い服の魔法少女、美国織莉子が見下ろすように見つめていた。

 彼女の隣にはボクともっとも長い付き合いのあった魔法少女の巴マミが立っている。

 もしかしたら、かつてボクたちを友達と呼んでいたマミならばボクを助けてくれるかもしれない。

 一縷(いちる)の望みを託して、マミに助けを求めようと口を開いた。

 

「マ、マミ……助け……」

 

 けれど、マミはボクの方を一瞥(いちべつ)さえする事なく、織莉子に向けてこう言った。

 

「もう! 駄目じゃない、美国さん。このキュゥべえはすぐには殺さないって言っておいたでしょう?」

 

 まるで、本当に何でもない事の様に。

 ボクの事など、興味がないかの様に。

 もうマミにとってはボクは友達ではなく、憎きインキュベーターの一匹でしかないようだった。

 いや、もうそういう特別な感情すら抱いていない。

 彼女にとってボクは単なる獲物なのだ。

 きっとボクが泣きながら命乞いをしても、聞いてはくれないだろう。

 駄目だ。もうボクは彼女たちに殺される。逃れる事はできない。

 身体の損傷と激痛により動けないボクに向かって、暁美ほむらが近付いてくる。

 血の気が引くというのはこういう事をいうのかもしれない。目の前が急に暗くなったような気がした。

 

「それじゃ、私たちが味わってきた苦しみをこいつにも味合わせてあげましょう」

 

 ああ、きっとこれが魔法少女たちが感じてきた感情――絶望なのだろう。

 何もする気が起きなかった。抵抗も、身体を振るわせる事さえも。

 だって、もうどうしようもないのだから。

 

「はーい。ほむらさん。ちょっとストップしてもらっていいかな?」

 

 だが、そんなボクの思いを(さえぎ)るかのように呑気(のんき)な声が突然聞こえた。

 美国織莉子とマミの間から、ボクをこんな状況に追い込んだ張本人が顔を出した。

 

「ま、さお……」

 

「やあ、こんばんは。支那モン君、ご機嫌いかが?」

 

 飄々(ひょうひょう)とした雰囲気を漂わせ、微笑を携えたボクが出会った最悪の存在・夕田政夫がそこには居た。

 

 

 

 ******

 

 

 良かった。まだはぐれ支那モンは生きているようで安心した。

 心優しい魔法少女だから、そこまで流石にいきなり殺しはしないだろうと高を(くく)って脇で見ていたら予想以上に痛めつけるから冷や冷やしてしまった。

 まあ、彼女たちのされたことを考えてみれば、それもおかしくはない。

 

「政夫。口を出さないでもらえる? これは私たちの問題よ。大体、このはぐれインキュベーターの事を教えて(けしか)けたのは貴方だったはずよ」

 

暁美が僕にそう冷たく言い放った。

出会ったばかり頃と同じ、拒絶的な雰囲気を身に纏っている。

暁美がどれだけインキュベーターに対して、憎悪を抱いているのが嫌でも見て取れた。恐らくはこの場に居る魔法少女の中でも一番強く憎んでいるのは彼女だろう。

 インキュベーターを『殺せる』と聞いて真っ先に反応しただけのことはある。

だが、ここで引き下がる訳にもいかない。

 

「確かにそうだね。でも、よく考えてみてよ。このインキュベーターは今までインキュベーターとは違う。感情を持った特別な個体だ」

 

「だから、可哀想(かわいそう)だから許せと? そう言いたいの?」

 

 ずいっと無表情の顔を僕に近付ける。

 吐息が掛かるほど距離で睨まれると、整った顔をしているだけに迫力がある。

 そして、今の暁美はインキュベーターへの恨みつらみを隠そうともしていないせいで普段よりもずっと表情が強張っている。

 正直、物凄く怖い。深夜あたりに見たら夢にまで出てきそうだ。

 

「違うよ。殺さずに生かして利用すれば、魔法少女にとって大きな利益をもたらす。そう言ってるんだ」

 

「政夫、私たちは……いえ、私はずっとこいつらが憎くて憎くて仕方なかった。でも、一匹一匹殺したところでインキュベーターにとっては痛くも痒くもない。だから、今まで我慢していたわ」

 

 そこで一度話を止め、銃口を(うずくま)る支那モンに突き付ける。

 ひっと小さく支那モンが悲鳴を上げた。

 

「こいつには感情があり、恐怖がある。痛めつければ苦しむし、こうやって銃を向ければ悲鳴を上げる。政夫、このインキュベーターは『命』があるわ。きっと、こいつを殺せば私の中を渦巻く怒りはいくらか減る。それなのに貴方は止めろというの?」

 

「殺せば得られるのはほんの僅かの満足感だけだ。でも、生かしておけば必ず君らの利益になる。どうかな? 皆も一つ僕にこのインキュベーターの処遇を預けてはもらえないかな?」

 

 暁美だけでなく、傍に居る織莉子姉さんや巴さんの顔を見回す。

 彼女たちがここで否と答えるのであれば、僕はもう何も言わないつもりだ。

 このはぐれ支那モンを殺すことで実質的な利益より、精神的な満足を選ぶのなら、それもそれで彼女たちとって必要なことなのだろう。

 

「まー君がそこまで言うなら私は構わないわ」

 

 織莉子姉さんはそう言うと、服装を白い魔法少女の衣装から見滝原中の制服に変えた。織莉子姉さん流の『手を出さない』というポーズなのだろう。

 

「私も夕田君に任せるわ」

 

 巴さんも織莉子姉さんに習うように見滝原中の制服姿に戻る。

 どうでもいいが、この人たちは何で私服じゃないんだろう? 

 もう夜の八時くらいなのに制服のままで居るのは正直どうかと思う。

 

「ほむらさんは?」

 

 尋ねると暁美は(しば)し無言だったが、やがてゆっくりと支那モンに向けていた銃を下ろした。

 溜め息を吐いて、渋々といった感じに表情を(ゆる)めた後、彼女も変身を解く。

 

「政夫の好きにしなさい。貴方がそこまで言うからにはちゃんとした利益が見込める見通しがあるのでしょう?」

 

「ありがとう。ほむらさんのそういう聞き分けの良いところ、大好きだよ」

 

「そ、そんな簡単に好きとか言わないでほしいわね」

 

 僕が感謝の意を表明すると、暁美は急に顔を(そむ)けた。その後姿からはどこか慌てている様子が分かる。

 人に好意を述べられたことが少ないから照れているのだろう。微笑ましい限りだ。

 

「それで! 夕田くん、このキュゥべえをどうするつもりなの?」

 

 僕と暁美の間を割って入るように巴が支那モンの聞いてくる。

 そうだった。肝心なことを忘れるところだった。

 

「まあ、僕に任せてください。待たせたね、支那モン君」

 

 支那モンに近寄って、目線を合わせるためにしゃがむ。

 支那モンをじっくりと眺めると身体が小刻みに震えている。

 尻尾から流れる体液は思った以上に出ておらず、もう体液の流出も止まっていた。これなら、すぐさま死ぬってことはなさそうだ。

 

「ボ、ボクをど……どうするつもりなんだい?」

 

「逆に聞こう。どうしてほしい?」

 

 にこやかな笑顔を浮かべて、質問を質問で返す。

 この質問にどう答えるかで、この支那モンが自分の立場を理解しているかが(はか)れる。

 

「……身の安全を保障してほしい。ボクはし、死にたくない」

 

「だろうねぇ。その気持ち凄く分かるよ」

 

 野良犬に(かじ)られかけるとは訳が違う、追っ手に追われて殺されかけるという具体的で原始的な死への恐怖。

 感情を得て間もないこいつには気が狂いそうなほどのストレスだったことは容易に想像できる。

 

「な、何だい、その態度は!? 元はと言えばボクがこうなったのは君のせいじゃないか!?」

 

 思考が安定していないしていないのか突然、支那モンはヒステリックに怒り出す。

 良い感じにヒートアップしているようで念入りに追い込んだだけのことはあった。

 

「何を言っているの、支那モン君? 僕は君と会話しただけだろう? 君がそうなったのは君自身の責任だよ。それなのに責任を人に押し付けるなんて……」

 

 両方の手のひらを天に向けて、首を傾げ、ありったけの悪意を込めてこう言った。

 

「訳 が 分 か ら な い よ」

 

「……そ、んな」

 

 わなわなと震えて、支那モンは搾り出すような情けない声を発した。

 後ろで「うわー」とか「酷いわね」なんて暁美たちの声が聞こえたが無視して続ける。

 

「でもね、支那モン君。君の境遇には同情できないこともない。そこで、僕は君にチャンスを与えてあげたいって思ってる」

 

「チャ……チャンス?」

 

 チャンスという言葉から希望のニュアンスを得たのか、心なし支那モンの言葉に張りがあった。

 食いついてきた。内心、邪悪な笑みが漏れそうになるのを堪え、さも親切そうな調子で語る。

 

「そう。チャンスだ。今までの禍根をお互い水に流し、僕は君を『友達』として迎えたいと思っている。どうかな?」

 

「と、友達?」

 

「うん。君ら風に言うなら『僕と友達になって仲良くしようよ』って感じかな?」

 

「政夫と友達になったら、もう魔法少女はボクに危害を加えたりしなくなるのかい?」

 

「もちろん。君の身の安全は約束するよ」

 

 支那モンはその小さな前足で頭を抱え、一生懸命考えている。

 僕の言葉を信用していいのか、本当に命を奪われずに住むのか、そもそも僕がこんなことを提案してきた理由は何なのか、と言ったところか。

 ちょうど三分間悩みに悩んだ後、支那モンはおずおずと喋り始めた。

 

「分かったよ。政夫。ボクは君の友達になるよ」

 

 僕の真意が量れないが、背に腹は変えられないと決意したようで支那モンは釈然としていないことが分かった。

 これでは駄目だ。心をへし折れていない。思考が正常に戻れば報復される可能性すらある。

 まあ、想定内の範囲だ。

 

「そうか。でも、残念なことに時間切れなんだ」

 

 なので、僕は無常にもそう言ってのけた。

 希望が戻りかけた支那モンの顔に再び絶望がやって来る。

 

「え、あ? え!?」

 

「本当に残念だよ。君が後、一分早く決断してくれれば皆笑顔で終われたのに……」

 

 いかにも悲しそうな表情を浮かべる。

 支那モンは身体を引きずるように詰め寄り、僕の靴に縋りつく。

 

「うそ、だよね」

 

「悲しいことに真実なんだ」

 

「だ、だって、言ってなかったじゃないか!! 時間制限があるなんて一言も聞いてないよ!?」

 

 本当にこいつは言ってほしい台詞を言ってくれるな。

 泣き付く支那モンに用意していた台詞を投げつけた。

 

「聞かなかったじゃないか。時間制限があるかどうかなんて君は一言(・・)も尋ねてないよ」

 

「…………」

 

 絶句する支那モンに僕は続ける。

 

「もし君に一言でも時間制限について聞かれたなら、僕は懇切丁寧に一字一句余すことなく伝えていただろうね」

 

「……そうか。これがボクら、インキュベーターが魔法少女にしていた仕打ちなんだね。ようやく理解したよ」

 

 ぐったりと耳を垂らし、力なく僕の靴からずり落ちる。

 

「そう。それは良いお勉強になったね。でも、それが次に生かされることはもうないだろうけどね。それじゃあ、支那モン君、さようなら」

 

 会話を終わらせ、立ち上がろうとすると、最後の力を振り絞って支那モンは起き上がる。

 

「お願いだよ、政夫。もう一度……もう一度だけボクにチャンスをくれ!」

 

「駄目だよ。君は僕の好意を不意にしたんだ。破格の条件を前に僕の慈悲を疑った。大体、君を助けたところで何のメリットもないしね。もう知らない。好きに生きて、好きに死になよ。さあ、ほむらさんたち、もう帰ろう。こんなの時間を費やしてたら青春の無駄遣いだ」

 

「お願いします。どうか、あと一度だけ……チャンスを……」

 

 支那モンの言動が要求から懇願に変わる。

 こうなればこっちのものだ。どれほど理不尽な条件でも喜んで飲むはずだ。

 

「分かったよ。支那モン君。友達になる気はなくなっちゃったけど、ペットぐらいになら、してあげてもいいよ。どうする?」

 

「なる! なるよ! ならせてください!!」

 

 間発入れずに、喜び勇んでこの劣悪な条件に飛びついてくる。

 もはや、まともに考えてすらいないだろう。

 これでいい。

 僕は地べたを這い蹲る支那モンをそっと優しく持ち上げ、包み込むように抱きしめた。

 

「ごめんね。酷いことばかりしちゃって。ペットじゃなくてやっぱり友達になろう」

 

「ううん。そんなことないよ。ボクが悪かったんだ。政夫は全然悪くないよ」

 

 支那モンの方からも僕にしがみ付いてくる。

 限界まで心をズタボロにして優しくすれば、例えそれが自分を追い込んだ張本人だとしても縋らずにはいられない。

 家庭で暴力を振るう夫とそれを(かば)う妻の関係と同じだ。

 完全にこの支那モンの心は掌握した。

 

「……まるで悪魔ね」

 

「ゆ、夕田君って、結構黒いのね」

 

「まー君、昔の素直で優しい貴方はどこに行ってしまったの……?」

 

 外野の三人が好き勝手言ってくれていたが、少なくてもここにいる女子はインキュベーター狩りに嬉々として参加した訳だから、この人たちも大概だと思う。

 

「そうだ。せっかく、友達になったんだ。記念に君に名前を送ろう」

 

「名前? ボクのかい?」

 

 ふと思いついた風を装ったが、実はここに来る前から決めておいたことだった。

 いつまでも支那モンだと、種族名なのか個体名なのか分からなくなってくる。

 

「『the new base of incubator(インキュベーターの新たなる基盤)』という意味を込めて、『ニュゥべえ』というのはどうかな?」

 

「ニュゥべえ……? うん! いい名前だよ。ありがとう!」

 

 喜んでくれるはぐれ支那モン改め、ニュゥべえに僕はもうひとつプレゼントを渡す。

 オレンジ色のレースの付いたハンカチをポケットから取り出し、一旦広げて、三角に折る。そして、それをニュゥべえの首にスカーフのように巻き付けた。

 

「これもあげる。僕の大切な宝物だ。君がこのハンカチよりも僕にとって大切な存在になってくれるよう願いを込めて、ニュゥべえに送ろう」

 

 後ろで溜め息を吐いていた織莉子姉さんが驚いたような声を上げた。

 

「いいの!? そのハンカチ、まー君のお母さんの形見だったはずでしょう? 六年前に見せてもらった記憶があるわ」

 

「はい。だからこそ、信頼の証にちょうどいいかなって。大事にしてね」

 

 それに僕もいい加減、このハンカチを手放さなければいけない年頃だ。いつまでもこういう品物に縋っているのは止めないといけない。これがちょうどいい頃合いだ。

 ニュゥべえはその首に巻かれたハンカチを前足で触りながら、感動したように頷いた。

 

「そんなに大事なものをボクに……分かったよ。政夫の信頼に応えてみせるよ!」

 

「期待してるよ、ニュゥべえ」

 

 これでようやく第一段階は無事終了できた。

 後のことはどうなるか分からないがやれるだけやってみよう。ただの人間として。

 




キュゥべえ編が一応終了しました。

ワルプルギス編まで後、少しと言ったところでしょう。
まだまだ私生活が忙しすぎてなかなか投稿できない日々が続くでしょう。それでも付き合ってくれる読者さんが居てくれるなら、私は暇が出来次第書き続けます。

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