お目付け役もいないため、額縁に掲げてある”だらけきった正義”を体現するように、仕事を放棄するクザン。
先程、書類を届けに来た海兵は、「テディに怒られますよ」なんて、もはや定番になりつつある脅し文句を漏らしていたが、クザンがペンを持つ気配はなかった。むしろ、今はアイマスクを下ろして寝ていた。
そんなクザンの耳にノック音が響く。
「あ?」
「失礼します」
部屋に入ってきた人物を見れば、モモンガ中将だった。
「あー……テディちゃんのことか」
賞金首の確保や投獄についての報告書を、わざわざ中将自ら持ってくることはまずない。あれば、それは何かしらの重大な事件が絡んでいる時くらいだ。
今回は容易に想像がついた。
「テディ中尉はまだ戻っていないのですか? まさか……」
また襲撃を受けたのかと勘ぐったが、クザンに簡単に否定される。
「半日前に戻ってきてるよ。今は、センゴクさんのとこで報告中」
「センゴク元帥もご存知でしたか」
「そりゃな」
元CP9というのは、無視するにはあまりにも大きすぎる。
「それで、彼女は何故CP9を抜けたのですか? しかも、今は海軍の中尉で。いったい、何が起きているのですか?」
ただの内輪揉めなのか、世界政府が関わっているのか、天竜人が関わっているのか。
元CPが海兵になるなど、前例がなく全く状況が読めない。
「俺も詳しいことは知らねぇんだけどな……まぁ、政府としちゃ、CP9が抜けるなんて放っておけねぇだろうが、特にテディちゃんが抜けたってこと以外の問題はない」
もちろん、CP9のリーダー格であったため、政府としては世間に知られてはいけない情報を大量に持っている危険人物ではある。革命軍にでも入られたら大問題だ。
「しかし、CPは世界政府に忠義が厚いと聞いています。特にCP9は任務上、裏切ることは絶対にない人間が選ばれるのではないのですか?」
その忠義を翻したくなるほど、世界政府の行いが許せなくなったのか。それで、正義を貫くために海兵に戻ったのか。
もし、そうであるなら、いくら世界政府とはいえモモンガも見過ごすことはできない。
「女の子を守りたかったんだと」
「……は?」
予想外の言葉に、モモンガも唖然と聞き返してしまう。
「お、女の子、ですか?」
「たぶん抹殺対象だった女の子を、何があったかは知らねーが、殺したくなかった。だから、テディちゃんはCP9への報告を偽るか、操作したんだろうよ。そこまでしたら、言い訳できねぇ裏切り行為だ」
「その女の子は、海賊かなにかの子供だったのですか?」
海賊王や四皇や大海賊や革命軍幹部の子供であれば、危険因子として暗殺される可能性はある。モモンガ本人としては、そこまでする必要はない気はするが、考えとしてなくはない。
「いや、誰かは知らんが、そう言う札付きじゃない。政府にとって都合の悪い一般人だ」
「そんな子供を……!?」
クザンに文句を言ったところで変わらないとは分かっていても、それでも飲み込むことはできなかった。
「何故です!? それでは正義など、どこにもありはしないではないですか!!」
「だから、ねぇんだろうよ」
背もたれに体を預ければ見える、掲げられた正義。
海兵であれば、誰もが何かしらの正義を掲げている。それは自分の意思であり、芯であり、強さの源だ。
しかし、テディにはそれが欠落していた。だが、それでも彼女は強さを手に入れた。手に入れてしまった。
どこかで挫折があれば、殺しの才能が無ければ、彼女は変わっていただろうに。
「おや、モモンガ中将。もういらっしゃってるとは」
ちょうどテディも戻ってくると、モモンガには目だけで制する。さすがに中将。すぐに察した。
テディ自身も、モモンガがここにいる理由はすぐに理解し、話していた内容もおそらく自分のことだということも察しがついていた。
「巻き込んでしまい、本当に申し訳ありませんでした。まさか、中将を相手取ってまで仕掛けてくるとは思っていませんでした」
中将の目の前で暗殺を行えば、必然的に中将を暗殺する必要も出てくるし、相手をする可能性だってある。
そんなリスク、あのCP9が取るとは思っていなかった。
その油断が逆に狙われたのかもしれないが。
「気にするな。もう過ぎたことだ。それに、部下に被害を出さずにシードを捕まえられた」
微かに眉を下げたテディに、モモンガは「それに……」と続ける。
「クザン大将の事務処理がスムーズに進むなんて、海軍にとって大きな利益だ! 中尉はもっと胸を張っていい!」
「それは……私ではなく、大将が仕事をなされば良いだけなのでは?」
「そうはいかねぇんだよなぁ……」
「あなたが言わないでください」
「すみません」
モモンガも聞きたいことを聞き終わったからか、仕事に戻り、部屋にはいつものようにクザンとテディのふたりだけ。
「……もしかして、励まされてました?」
「今頃かよ……テディちゃん、案外、鈍感?」
任務の特性上、自分に対する感情には多少心得があったが、
「励まされるというのは……」
ない。そもそも、失敗=死のため、失敗した相手を励ますことはないし、訓練で負けるというのも割りと当たり前で、慰める。励ます。にあまりにも無縁だった。
「モモンガ中将は、優しい方ですね」
「……俺も優しいと思うんだけどなぁ」
拗ねたように頬を膨らませて言えば、
「そんなことは知っています」
無表情で即答され、驚いて顔を上げれば、顔面に降ってきた書類。
「頬は膨らませたままで結構ですが、この資料に目を通しておいてください」
「いやいやいやいやいやいや!?」
ここ数週間、冷静におかしなことを言われることには慣れてきたが、こればかりは冷静にはなれなかった。
正直、全く信用されてないと思っていたら、実はわりと信用されててビビるクザン。