よりによってこのヒロインか   作:お餅さんです

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一話 

 夜の暗闇を照らし立ち、多くの羽虫が引き寄せられるように群がる街灯。作られたばかりなのか汚れ一つなく、街灯の明かりが届かない場所で映える真っ白なガードレール。

 バイクの後部座席から見るそれらの景色は、まばたきの合間に遥か後方へと凄まじい速さで流れてゆく。勢いはさながらビデオの早回しのようで、少なくとも法定速度を守る気がないのがよく分かる。

 

「んっ」

 

 不意に通りを曲がった際、少女は体が遠心力で外へと引っ張られるのを感じた。

 ただそのままみすみす落ちる筈もなく、前の席に座っている女性のお腹へと回していた腕に、少しの力をこめる。

 

「カナどうした、の?」

 

 するとその女性から、少しどもりながらも騒音の中で声が僅かに漏れてくる。バイクを運転しているため後ろこそ見ることができない。だがカナと呼ぶ少女が、何か自身に伝えたいことがあるとでも思ったのだろう。

 

「……ううん、なんでもないよ」

 

 けれどカナはバイクから落ちることのないよう、自身の身を守ろうとしただけであり、現在女性に伝えたいことなどはない。

 そのためカナの思った通り、自身の返事を女性へとかえした。返事を返すまでに少し間が空き、詰まってしまったが、それも特に意味はない。ただ甘えていると思われていたかと思うと恥ずかしく、単純にどう答えればよいのか迷っただけにすぎない。

 

「……もうすぐ、着く。無理はしない、でね」

 

 その声はエンジン音などで確かに聞こえ辛く、やはり顔すらも見ることができなかったが、カナには確かに慈しみの念が感じられた。

 とはいえ相手は、夜の電車は危ないから――と。わざわざ中学生の肝試しに家からバイクで送ってくれるような女性。カナはそんな女性からの言葉に感謝を覚えるよりも早く、相変わらずだなと苦笑いを浮かべてしまう。そして苦笑いを浮かべたあと、相変わらずと感じるほどこの女性と過ごした自分に気付き、不意に心の内で思い返す。

 それはカナ自身似合わないと自覚しながらも感慨深げにさせるもの。ついこの間中学生となった現在からおよそ四年前、カナが病院で目覚め、次いですぐに気絶した時のことだ。

 

 カナは四年前のその日、自身が持つ八年もの思い出を失っていた。

 

 原因は当時乗っていた通学バスがトンネルの崩落で生き埋めになった事件。救出時こそ奇跡的にほぼ外傷のなかった彼女だが、その際にもろくなったのか再び崩れた二次災害に遭って頭を強打した。

 今でこそ気のいい友人たちにも恵まれ、新しく中学生となって快適な学園生活を送っている。だが当時のカナは医師から頭を強打したことによる記憶喪失、及びそれに伴って精神的に酷い混乱状態にあるとまで言われていた。

 

 そんな状態から立ち直ることが出来たのは、心配してくれた当時の担任に担当の医師たち。そしてなによりも家族によるものが大きい。

 

 例えば、今現在カナの目の前にいる女性。四年前の病院にもいた彼女の名前は家長菊乃(きくの)。目覚めた当初は何故か従姉かと勘違いしていた彼女は、何を隠そうカナの姉に当たる人物。

 

 他にも生まれた順に、長期の出張に行っているそうでカナ自身はまだ会えていない長女。菊乃と同じく病院で出会い、従兄かと勘違いした長男。そして次女の菊乃。

 彼らは自身も職に就いているに関わらず記憶を失ったカナをそれはもう心配し、入院中は毎日お見舞い、退院後も長女を除いた今も三人で暮らす家で甲斐甲斐しく世話を焼いた。長女は手が離せないらしかったものの、今でも何日かに一回の割合で手紙を送っている。

 

 そしてそのかいあってか、カナは肉体的にも精神的にも回復し、今の生活を送っている。

 菊乃達はそれをカナ自身の強さによるものだと言っているが、カナはそうは思わない。カナは自身を彼らが思うほど強くないのは知っている。ただそれでも強く見えるとするならば、それはきっと家族を思うからこそ現れる強さだろう――と。

 

 カナは、それほど彼らを信頼している。それはそう、無事中学の入学が決まった際には赤面しながら先ほどの言葉を感謝と共に述べるほど。

 もちろんその言葉を一言一句録音しながら聞いていた菊乃達は号泣した。そして何故かそれを見てカナまでも泣き出し、何年かぶりの川の字寝をしたという。だがそんな彼らにも――彼らにこそ言えない秘密がカナにはある。

 

 カナは先ほどとは違い、今度はどこか哀愁を帯びた表情で思い浮かべた。それはとある物語、医療目的ということで今でもたまに通う医師にのみ告げたことのある話。

 カナはおよそ八年に及ぶ記憶を事件によって失った。実際には、事件後初めて起きたときも記憶があやふやになっているため正確とは良いがたいが、あながち間違いでもない。ただカナには何故か失った八年間の記憶の代わりに、ある物語が知識として残っていた。

 

『ぬらりひょんの孫』

 

 四分の一のみ妖怪の血が流れている主人公が、仲間と共に多くの敵を打ち倒す物語。

 

 挫折しかけたときもあった。

 力のなさに涙したときもあった。

 進むべき足を止めてしまうときもあった。

 けれど仲間に支えられ、同じように仲間を支えた主人公たちの活躍により、最後には大団円を迎えた物語。

 

 カナは唯一残っていたそれを不思議に思ったが、同時にその物語を素直に良いと感じた。恐らく漫画か何かだろうそれは、起きる直前に見た悪夢を含めて家族や医師にわざわざ伝えるほどでもないが、面白い物語だと。何故か四年経つ現在でも色あせることなく残るそれは、入院時一人の時の暇つぶしにも丁度良かった。

 ただそれだけならよかったのだ。失った八年間の間のどこかで知り、たまたま残った記憶ならよかった。けれど初めは偶然だと思っていたそれは、時を重ねるごとにむしろ違和感を煽り立てていった。

 そのきっかけはほんの些細な事。まだ復学したばかりで周りとの距離をつかみかねていたカナへ、暇つぶしにと担任から教えられたもの。いわゆる、夢小説とも呼ばれるサブカルチャー。そしての中には、自身の名前を置き換えて読むことができる物があるという。

 

 だが当初カナは、物語に登場するヒロインの一人が自身と名前も容姿も同じだったとしても気にしていなかった。精々失った八年の『家長カナ(記憶)』は、頭を強打した際にヒロインを自身と置き換えてしまうほどこの物語に入れ込んでいたんだなという程度。

 実際それ自体も中々の発想なのだが、カナ本人は自身の好きな物語に一人の登場人物として生きていることにファンとして嬉しく思ってしまっていた。

 

 そのため物語の『家長カナ(ヒロイン)』の友人たちと現実で知り合うまでは、その異常性に気づくことが出来なかった。

 

 自身だけならばまだ、大負けに負けてよっぽどのファンだったのだろうと許せる。ただ知り合う前の自身の同級生までも登場してくるのは流石に見逃すことはできない。

 けれどようやく気付くことのできた当時は、既に家族に散々迷惑をかけていた頃。職もある家族には迷惑かけまいと、ネットなどの小学生一人で行える範囲内で調べることにしたのだが、結果は黒。

 

『ぬらりひょんの孫』などという物語は、世間のどこにも出回っていなかった。

 

 ここまでくれば流石にカナ一人では手に負えない。だが医師にこそ相談したものの、カナはそこまで気にしてはいなかった。それこそこれが小説の話ならばやれ原作知識だ、などとなるだろうがここは現実。それも物語というのは戦いがメインで主人公自身もそうだが、戦うのは殆ど人ではなく妖怪だ。

 文明開化極まるこの現代に、もはや絵本でも中々見かけない妖怪などいやしない。実際にテレビなどで見かけることもあるが、そんな妖怪を退治するという陰陽師も嘘くさい。

 

 

 だからカナは、こう語る(願う)

 

「迎えはまた呼んで、ね……?」

「ありがとうキク(ねえ)! じゃあ行ってくるね!」

 

 ここが物語の世界など、ありえない――と。

 

 

 

 

 

 場所は道路を挟んだ旧校舎の向かい側にある空き地。普段人の気配を感じられないそこは、今晩に限ってはカナの友人と思わしき人の影がある。

 

「やっほー、みんな今日の学校ぶりだね」

 

 夜中にも関わらず大きな声を上げてはいるが、幸いにも、ここは空き地といっても中学のグランドと藻が溜まり整備が行き届いていない池に挟まれたような場所。

 夜中でもあるため、カナたちのように肝試しでもしようという者が他にいなければそれを咎める者もいないだろう。

 

「よく来てくれた家長君! さあ今晩こそ、僕たちが探し求めるあの方について存分に探究しようではないか!」

「はは……お疲れっすね家長さん」

 

 来て早々声をかけたカナに返事を返すのは二人。先に勢いよく返したのはこの肝試しを企画し、カナたちを誘った清十字(きよじゅうじ) 清嗣(きよつぐ)。そして清嗣とは違い、テンションの高い清嗣に絡まれているカナに少々の同情の念をもって返したのは(しま) 二郎(じろう)

 返す際の楽し気な口調などからも分かる通り、どちらもカナの友人。小学生時代からのの友人であり、休みの日に何度も地方を訪れて心霊スポットを回るほどの仲といえば分かりやすいだろう。

 

「あ、そういえば今日の女子私以外来れなくなったって」

「なに、またかい!? 全く、彼らには清十字怪奇探偵団としての誇りが感じられないな……」

 

 カナが思い出したように今晩参加する予定であった二人が欠席すると伝えれば、言葉とは裏腹に目に見えて落ち込む清嗣。

 それは何も参加する女子が減ったため、というわけではない。尊大に聞こえる口調とは裏腹に友人思いな清嗣。恐らく一緒に肝試しができないことを純粋に悲しんでいるのだろう。

 

「そ、そんなことないっすよ清嗣くん。あの二人はなにかと忙しいっすから、そうっすよね家長さん!」

「へ? いや、別にそんなこと言って……うん、言ってた。すごい言ってたよ清嗣くん。来れないのすごく残念そうにしてた」

 

 またもや失言をしでかすところを二郎からのアイコンタクトによって強制的に意見が捻じ曲がるカナ。それはもはや睨み付けているといってもいい領域なのだが、こうでもしないとまた余計に場を乱すので正解ではある。

 

「ふ、ふーん。そんなことを言っていたのか……ならば仕方ないな! 彼女たちの分まで今晩は大いに張り切ろうではないか!」

 

 素直に嬉しがらない清嗣を前に、カナと二郎の心がとある感情として一致する。それを清嗣が聞けば憤慨しただろうが、そこは言わぬが花というもの。清嗣が喜んでいるのは間違いないのだから構わないだろう。

 それでも実際、二人が来ないのは用事があるから。さらに怖いものが苦手な二人だが、それでも小学生のときに結成して以来、やめる素振りがないのを見るにそういうことなのだろう。

 

「おや? ようやく名誉隊員のお出ましだよ」

 

 不意に話の中、清嗣が話を切って視線をある方向へと向ける。先にあるのはフェンスで仕切られている、カナたちも空き地に入る際に使った出口。

 清嗣だけでなく二郎やカナもそちらをみれば、清嗣のいう通りでこちらへと駆け足で向かってくる少年が一人。特徴と言えば茶髪に眼鏡をかけているぐらいだろうか、少し幼くも見えるが見た目はそこらにいる中学生。十人が見れば、ショタ趣味が混じっていなければそのまま通り過ぎるような少年だ。

 

 けれどカナは無意識のうちに、自身の背筋が伸びるのを感じた。

 

「遅いではないか奴良(ぬら)君! 君はそれでも名誉会員としての自覚があるのかい?」

「ごめん、ちょっと家でひと悶着あってさ」

「ああ……確かにリクオの家って見た目からして厳しそうだしな」

 

 少年、奴良リクオが真っすぐ三人が集まっていた所まで来るとカナを除いて思い思いに話し出す。清嗣の口調はやはりきつく聞こえるが、小学生時代からの友人ということもあり慣れているのだろう。明るい笑顔を浮かべながら話だし、二郎もそれに乗る。

 それをカナは、一歩引いた立ち位置で眺めていた。らしくないことは自身でも分かっている。けれど丁度ここに来る途中で昔を思い返していたからだろうか、カナは目の前の光景が自身とは別の世界のように見えた。

 

「あれ……カナちゃん、どうしたの?」

 

 リクオが来てから喋らずに黙り込んでいたカナを不思議に思ったのだろう。言葉をかけてきたリクオだけでなく、清嗣や二郎までもが不思議そうにカナを見つめる。

 確かにらしくないとは感じていたが、まさかそんな風に言葉をかけられるとは思わずカナは目を丸くする。そして若干居心地が悪くなってきたところで、不意に視界の端に人影を見つけた。

 

「えっと、ただ……あの人たち誰なのかなって」

「あ、ほんとっすね」

「全く気づかなかったな。誰かの知り合いかい?」 

 

 そう言いながらこそこそと出口の方を指させば、いつから来ていたのか男女が二人。片方は髪をオールバックにした大柄な体格の男で、もう片方はどこか不思議な空気を纏っているかのように見える可愛らしい女の子。

 苦し紛れに言い放ったに過ぎないそれ。だがどうやら場を乗り切るには十分だったようで、すぐに話題が移ろうとしていた。

 

「あっ!?」

 

 ただリクオには心当たりがあったようで、思い出したと言わんばかりの声を上げて出口へ走り出す。今度はカナですらも不思議そうにリクオを見ていたが、すぐに三人でこちらへ向かうのを見る限り、やはりリクオの知り合いであったらしい。

 

「この子たちうちの従兄妹なんだ。先生がこれないなら代わりに連れてけって家の人がうるさくて」 

及川(おいかわ)氷麗(つらら)です!」

倉田(くらた)だ」

 

 慌てた様子のリクオが二人を連れてきたと思えばどうやらリクオの従兄妹のようで、女の子の氷麗はハキハキと、男の方は不愛想ながらも自己紹介をする。 

 二人の自己紹介に対する反応は様々。清嗣は純粋にメンバーが増えたことにより喜びを、二郎は可愛い氷麗を見て喜びながらも照れている。そしてカナはというと表面上はにこやかに、けれど内面では心の内を悟られないように表情筋に全力を振り絞っていた。

 何故ならあくまで物語の中の話だが、目の前で談笑するカナの次にきたリクオ。そしてあとから来た少年の従兄妹という男女。彼らはただの人間ではなく、そもそも人間ですらない()()なのだ。 

 

 立ち位置で言えば主人公とその側近。流れや振る舞いからも分かる通り、リクオが主人公で後から来た氷麗と倉田は側近。

 それも側近の二人は現在かりそめの姿であり、本来の姿は雪女に青田坊という妖怪。それも雪女である、本名をつららに関して言えば、彼女はカナと同じく三人いるヒロインの内の一人であり正ヒロイン。

 

 カナは四年という年月を幼馴染として付き合って来たため、いくら主人公とはいえリクオを見ても感情がそこまで揺れることはない。けれど先ほどのように清嗣たちと絡んでいる姿、今のようにつららや青田坊と絡んでいる姿を見れば、もしかしてと考えてしまう。

 だがカナは決してそれを認めない。たとえ先ほど同様、自身だけが別の世界にいるかのような錯覚に陥ったとしても――認めてしまえば、何かが壊れる予感がして。

 

「それじゃあ人数もそろったし、そろそろ行こうか」

「……っ!」

 カナはまたしても思考の海に浸かってしまっていたところを清嗣の言葉に現実へと戻されながら、それを周りに悟られないよう自身を引き締める。

 けれど各々で話し続けていたからだろうか、先ほどとは違ってカナの様子に気づいた者はいない。それを確認すると、カナはホッと一息をついて清嗣の話に耳を傾けた。

 

 清嗣の話は旧校舎へ向かうまでのルートについて。旧校舎への道は道路で切り離させれているため、現在カナたちがいる空き地から登ってその道路を直接渡り切るとのこと。

 実際にカナたちが向かうと、夜遅い時間ということもあったのだろう。リクオはその性格からか少しためらいはあったものの、交通量も少なく全員無事に渡り切ることができた。

 

「うわあ……不気味っすね」

「道路を渡らないともう来れないからね。管理が杜撰になるのも仕方ないさ」

 

 道路を横切り、そこから月明りすら差し込むことのない林の中を少し歩くと見えてくる。

 外から見た限り台風でも来たせいか窓は全て割られており、建てられた当初は白く塗られていただろう壁は泥やシミで薄汚れている。二郎や清嗣が言った通り不気味さは十分、管理などまともに行われているわけがない。

 

「でもこの前行ったところの方が雰囲気出てなかった?」

「あそこは殺人があったていう前情報があったからじゃないっすか?」

「僕には君たちが雰囲気を壊しているように思えるけどね……」

 

 それでもこういった場所はこの場にいる全員が慣れてはいる。確かに見た目から可愛いなどとは口が裂けても言うことはないが、先ほどまで静かだったカナがふざける程度には問題ない。

 清嗣が青筋を立てているのを他所に、メンバーが次々と鍵の壊れていた扉から旧校舎の中へと入っていく。外を見ていたため大体の見当はついていたが、やはり中も相当荒れていた。

 廊下わきにある水道付近からは時折蛇口から滴が落ちる音が聞こえ、抜けた床の暗闇の先はなにも見えない。これならば何時、何処から妖怪が飛び出してきても不思議ではないと思わせるぐらいには酷い有様だ。

 

 暗い廊下を家から用意してきたライトを頼りに歩くカナは、先ほどもふざけていた通り怖いものにはある程度の耐性がある。それは小学校時代からの慣れ。他にも本人にこそ自覚はないが、もし物語のように妖怪が出てきたとしても、主人公であるリクオが近くにいる限り安心だと考えているからだ。

 そのため、今まで清十字怪奇探偵団の集まりで心霊スポットを歩くときはリクオと談笑しながらが殆どだった。今回も恐らくそのようになるだろう、という漠然とした思いがあったのも確かだ。

 

 けれどどうしてだろうか、今回に限ってはそうはならなかった。

 

「えっと、倉田くんだっけ……どうしたの?」

「……なんでもねえよ」

 

 物語の通り、リクオは旧校舎に入ってしばらくすると何やらいつもより張り切って調査をし始めた。もちろん清嗣はそんなリクオを見てやっと名誉隊員としての誇りが――などと言いながら嬉しそうに追いかけていき、二郎もそれに続いた。

 そんなちょっとしたコントのような物を見ていたカナだが、いくら耐性があるといってもこんな場所で一人きりというのは流石にない。そこで先に行ったリクオたちにちょっとした悪態をつきながらも追いかけようとしたところ、何故か真っすぐ倉田、もとい青田坊がカナのところへと来たのだ。

 

 青田坊の突然の奇行に驚いているうちに、既に清嗣たちはその背中が見えなくなるほど先へと行ってしまった。さらに何気なく辺りを見渡せば、何時の間にやら青田坊といたはずのつららもいなくなり、文字通りカナと青田坊の二人きり。

 カナは何も青田坊が嫌いなわけではない。むしろ物語上ではその妖怪としての成り立ちなども含めて思わず憧れすら感じるほど。ただ、だからと言ってこの何とも言えぬ空気が変わるわけもなく、ずっとこのままでいいというわけでもない。むしろ普通に気まずかった。 

 運動神経は明らかに良いだろうし、いっそ青田坊を置いて行ってしまえば追いかけてくるとも考えるが、それはどうも違う気がした。何故なら今カナたちは何を喋るでもなく真横に並び、ゆっくりとリクオたちを追っている。カナと青田坊ではその体格差が圧倒的に違うにも関わらず、ゆっくりと真横を歩き続けているのだ。青田坊の方が意識して合わせなければ、まずそうはならないだろう。

 

「ね、ねえ倉田くんは――――」

 

 そのことに気づいたカナは、もしかすれば気を使われているのだろうか、と。せめて場を和ますために口から出した言葉は、最後まで続くことがなかった。

 それはカナが青田坊に話すのを途中で止め、その場を全力で駆け出したため。ただ青田坊から逃げ出そうと思ったわけではない。むしろ今カナの頭の中には、青田坊のことを気にする余裕など欠片もなかった。

 

 何故ならば遠く向こうで、清嗣や島の叫び声が聞こえたのだ。

 

 必死に床に空いた穴を避けながら、暗くて先の見えない前をライトで照らして廊下を走る。

 ライトが走っている途中で思わず手から離れてしまった。カナの後ろから何か物が落ちたような音が聞こえる。床はもう割れた窓から差し込める月明りによってしか見ることができない。

 見過ごした穴の空いた床に足が一瞬取られた。それでも踏ん張り、こけたときはその都度立ち上がりながらひたすら走り抜ける。

 

 もし叫び声の原因がカナが考えるものと相違なければ、カナにやれることなど何一つない。ただそういう問題ではなかった。かといって、気づいたら体が動いていたような英雄精神溢れる行動でもなかった。

 ただ他の誰を差し置いても、自身だけはその場にいなくてはならない。そんな、半ば強迫観念のような思いだけがカナ頭の中を満たしていた。そしてそんなカナが目指す先はただ一つ、記憶にも残る物語上で今晩妖怪が出る教室。

 

 普段は滅多にしない急な運動に息切れをしながらも目的地にたどり着いたカナは、その教室の中を見て思わず息をのんだ。

 倒れている清嗣と二郎、その二人をかばうように前で立つリクオ。三人は格好や状態こそおかしいが、それでも普段から見慣れている。

 

 問題はカナが入ってきた扉から見て奥にある部屋の隅。近くの割れた窓ガラスが散らばり、気絶した二人の内どちらかが落としたであろうライトとわずかな月明りによって暗闇から薄っすらとみえる場所。

 そこには大人一人程度の大きさをした人型の黒い影があった。だが決してただの人影ではない。それは文字通りの影。わずかとはいえ照らされている足元は、けれどどこか脈打つように動くもひたすらに黒一色。

 

 見た限り、間違いなく人間ではない。カナは今まで見たことのない歪な存在に言葉を失い、走ったことで火照った体が急速に冷えていくのを感じる。

 カナの中ではあくまで物語の一部でしかなかったそれは、けれど形や知識だけなら少しは知っていた分、むしろ驚くほど強烈に恐怖を頭にしみこませていく。

 

 すると不意にカナは、その影と目が合った気がした。

 

 元より目どころか口や鼻などのパーツも見当たらぬそれに、何故だかそう思った。けれど次の瞬間それが気のせいでないことがよくわかった。

 

 開いた。

 

 一つや二つだけでなく、おびただしい数の瞳が影の至る所で見開いた。

 

 複眼といえばいいのだろうか。開いた目の中には黒目はなく、一つの目の中にいくつものガラス玉のような白目が蠢いている。

 それらがたった一人、リクオや気絶している清嗣たちにも目をくれず、生理的嫌悪感に今にも吐きそうなカナだけを見つめていた。カナは恐怖に頭を支配されている中、それでも確かに理解する。

 

 今自身がいる世界は、物語の世界ではない。

 今自身がいる世界は、普通の世界ではない。

 

 今までは、見つけられなかっただけなのだ。

 

 

 今までは、幸運だったのだ――と。

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