よりによってこのヒロインか   作:お餅さんです

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二話

 清潔感が連想される、白一色で床や壁が統一されたその部屋。家具は一つの卓上テーブルを挟むよう置かれた二人掛けのソファ。あとは、わきの棚とそこに申し訳程度に置かれた本が数冊といった程度に少ない。

 カーテンの隙間から漏れる光は壁と同じく、一面の白い床によく映える夕焼け色。その光が目に入るのか、カナは時折目を細ませる。そしてそんなカナは目の前の白衣を着こみ眼鏡をはめた老医師とテーブルを挟み、ソファに自身の体重をかけていた。

 

「ほお! じゃあ本当に妖怪がいたというわけだ」

 

 髪の殆どが白く染まっており、しわの深い老人がよりそのしわを深ませながら笑みを作る。好々爺のように茶目っ気をふんだんに含めたその言い方は、恐らく意図して喋っているのだろう。表情こそ孫と話すかのごとく笑顔だが、目の奥に少々のいたずら心が見て取れる。

 

「……残念でしたね山本(やまもと)先生、全く違いますよ」

 

 カナは目の前、山本と呼ばれる老医師とは既に四年の付き合いになる。そのため自身がからかわれていることに早くも気づき、心の底から呆れたように返事を返す。

 山本はその返し方につまらなさそうに唇を尖らせるが、カナ相手では取り付く島もない。特に今は普段よりも機嫌が悪いらしく、ツンとした素振りを見せながら昨晩起こったことの顛末を語る。

 

 昨晩起こったこと。それは中学の旧校舎で行った肝試し。そしてその最後に見ることとなった恐ろしい存在のこと。

 

 あえて旧校舎で起こった結末のみに関していうならば、清嗣、二郎、そしてたどり着いたはいいものの結局なにをすることもなかったカナの三名が気絶。そしてリクオ、つらら、青田坊は無傷、むしろカナたちを旧校舎から外へと運び出す程度には余裕があった。

 その当時のことを、気絶していたカナは知らない筈だ。なら何故知っているか。簡単な話、当時起きていた者に聞いたため。

 それは高身長で黒髪短髪に端正な顔立ち。見た目大学生ほどの、近所でも好青年と評判されるカナの兄。家長()の長男にあたる――家長幸希(こうき)によってだ。

 

 カナは旧校舎から気絶したまま幸希によって家へと運ばれた。

 そして起きたのは家についてから数十分した辺り。気づけば旧校舎の薄汚れた食堂ではなく、自身の部屋のベッドに寝かされていたカナはそれはもう驚いた。そして次にあの恐ろしい影のような存在を思い出し、恐怖に体を震わせようとしたところであることに気づき、また別の意味で再び驚いた。

 

 ベッドの脇、普段は小さなテーブルが置かれているところに見知った顔の人物が二人。それはカナの家族、幸希と菊乃。いくらカナの寝室といえど二人は家族。流石に寝顔を見られるのは恥ずかしいが、見られて困る物を置いているわけでもなし。いくらでも入ってきてもらって構わない。

 ならば何故カナが驚いたか。それはカナの家族である二人が、何故か気まずげな顔でカナの方を向きながら正座していたからである。

 

 カナが目を覚まし、自分たちのことに気づいた幸希たちは表情をそのままに順に口を開く。

 

『実は……あの影みたいなやつなんだけど、あれ僕が変装してたんだ』

『わ、わたしたち……カナが楽しめ、たらって。……ごめん』

 

 双方高い身長を精一杯縮こまらせ喋るさまは懺悔そのもの。一方的に告げられたカナは言葉の意味を理解するのに数分かかり、理解した際にはただ呆れた。

 

「ははは! ということはあれかな? カナ君が妖怪だと思った恐ろしいものは、お兄さんお姉さんが用意した親切心によるものだということかな?」

「なんでも職場の知り合いにそういうのが得意な人がいたそうです」

 

 愉快そうに笑う山本をみてカナは話をつけたしつつも再び呆れる。それは幸希たち二人もそうだが、山本に向けたものでもあった。

 

 そもそもカナが今回久しぶりに病院を訪れたのは、四年前に自身を診てくれた山本がカナを呼んだからだ。幸希が言うには、カナが気絶して倒れる際に頭を打ったらしく、念のためカナが寝ている間に電話を掛けたら明日の放課後に様子を診せに来いとのこと。

 カナ自身特に用事もなく、病院自体も中学からそれほど離れていなかったので放課後にそのまま来た。そして着いて早々に検査でもすると思いきや、山本の所有する部屋に連れてこられて世間話。

 別に怪我自体はとうに治っているのだし気にしてはいないが、それでも医者かとは思わずにいられない。

 

「いやあ、この歳になると仕事以外で話すこともなくてね。見たところ怪我の具合も大丈夫そうだ」

 

 カナの表情から察したのかそう言うが、本当に申し訳なく思っているのか怪しいところである。けれど四年という期間を付き合うカナにも山本の考えはよく分からない。恐らくそれすらも考えの内なのだろう、まるで孫の駄々を聞いたような表情をしながら言葉を続ける。

 

「それにカナ君が聞きたいのは、例の物語の方だろう?」

「ほんと、いい性格してますよね」

 

 何か情報でも掴むことができたのか、意味深に笑う山本に対してカナは思わず手が出そうになる。分かっているのなら聞くな、というもの。カナにとって山本は恩人に違いないが、人柄のみ見るならば何とも言えない。

 

「何か分かったんでしょうか?」

「それなんだが……どうもさっぱりなんだよねこれが」

 

 ため息を吐きながら両手をやれやれ、とわざとらしく振られる。思わずこぶしに力をこめるカナだが、それもすぐにおさまった。

 山本の口調や仕草こそ先ほどまでと同様ふざけたものだ。これまでカナが何度手が出そうになったかなど数え切れない。実際機嫌が悪いときはその腹にボディブローをくらわせたこともあった。

 

 だが今日に限っては違った。その眼鏡のレンズを通して見ることのできる二つの瞳。つい先ほどまでカナをからかうように見ていたその瞳が、いつになく細められカナを見つめている。

 そうしてゆっくりと口を開いていく山本を、カナは止めなければいけない。何故かそう思った。ただ漠然と、しなければならないと考えた。けれどカナはその瞳に射抜かれ止めにかかるどころか、自身の体に力を入れることができず、その言葉を待つしかない。

 

「でも君はもう、分かってるんじゃないかな」

 

 確信染みた声音からはいつもとは違う、誰か別人と話しているようにカナは感じた。

 

「大丈夫だよ。何か助けが必要ならすぐ私に連絡をするといい」

 

 ――物騒なのはお兄さんたちを呼んでくれると嬉しいけど。頼りない笑みを浮かべながら呟く山本には、もう数秒前までの威圧感のようなものはない。レンズの向こう側に見える瞳は、とてもきれいで澄んでいるように見えた。

 

「……どうして、私にそこまでしてくれるんですか」

 

 それは当然の疑問。当時ただの小学生だった、混乱状態にまであると言われていたカナの頼み、物語についての相談を無条件で引き受けた山本への。

 カナ自身に何のデメリットもないため気にしていなかった。そして四年も経ってしまった今頃だが、カナは何故かその言葉を口にせずにはいられなかった。

 

 反応は顕著の二文字に尽きる。目を丸くし、口を少しだけ開いている。いかにも驚いていますよ、といったようなその表情にカナは少しの不快感を覚える。

 山本にも伝わったのだろう。カナの表情を見ると気を取り直したように咳ばらいをし、少し考えるように顔をふせた。ただ、そうして返事を返すまで長くはなかった。そもそも考えなければ出てこないような物なのか、と長さに限らずカナは未知の答えに戦々恐々としていたが。

 

 それでも山本は数分とかからず、まるで今思いついたかのように顔を上げる。

 

「君が、私の孫に似ているからかな」

 

 その声は、とても穏やかだった。

 

 

 

 

 

「……今日は、ありがとうございました」

「いやいや、私も好きでやってることだからね」

 

 山本が口にしたあの一言の後、これから物語はどのように進むのかなどを矢継ぎ早にカナが捲し立てて帰ることに。普段はまだもう少し話したり相談したりしているのだが、山本の一言が気恥ずかしく思ったのだろう。

 現に山本はとてもにこやかに笑っているが、カナは挨拶をしているにも関わらず直視できていない。自身の反応を見て楽しんでいることが、カナの同年代と比べて回る思考において容易に想像できたからだ。

 

 周りからはすれ違う患者や職員達に微笑ましく見られながら内心で悶絶。カナはそんな現状に耐えられず、挨拶はしたからと医師に背を向けて出口へと向かう。

 視線は表情を見られないよう前ではなく下を向き、歩くペースも普段と比べれば明らかに早くフラフラしている。同情の余地は多分にあるため、カナがそんな行動をしてしまうのは仕方がない。けれど場所が悪かった。

 

 現在カナがいるところは病院。生暖かい目で見ていた患者や職員達があちらそちらへと動き回っている。

 

「え、わっ!?」

 

 そのため、カナのような動きをしている者が人とぶつかってしまうことぐらい容易に想像できる。

 

「あいたた……って、すいません! お怪我はありませんか!?」

 

 もしカナがいるこの場が路上ならば、よっぽどガラの悪い者でない限りぶつかった程度すぐに許すだろう。だがこの場、病院は当たり前ではあるが路上よりも圧倒的に体の弱い者が多い。

 仮にぶつかった相手側に何の支障もなく、そして許されたとしても場所が場所だけに気まずいことこの上ない。

 

「ったく、こんなところでぼさっとしてんじゃねえよ」

「本当にすいません! 次からは気をつけ、ます……?」

 

 間の悪いことに、カナがぶつかったのはそれこそガラの悪いやからのような男だった。

 場所を気にしてか怒鳴りこそしないものの、高圧的な口調に鋭い目つきと金に染められた短髪。これに限っては男が悪いわけではないが、同年代と比べ平均的な身長でしかないカナなど比べるべくもない高身長も威圧感が漂う要因といえるだろう。

 

 そんな相手にすごまれたカナの声は、徐々に尻込みしているかのように小さくなっていく。

 けれどどうしたことか、確かに声こそ小さくなっているがその瞳に怯えの色は見られない。それどころか話す言葉自体、最後には疑問符をつけてしまっているほどだ。

 

 そして目をぱちくりとさせた後、カナはおもむろに口を開いた。

 

「……って、なんだびっくりした。誰かと思ったらアカリちゃんじゃん」

 

 それは、あまりに場違いな言葉。

 

 カナがぶつかる以前から行く末を見守っていた周囲の者たちが、その言葉に思わず視線を動かしてアカリちゃんとやらを探す。少女が絡まれていると向かおうとしていた警備員など、一歩踏み込んだところで目を丸くして固まった。

 自分よりも年上の、それもみるからにガラの悪い者相手に絡まれている状況で放つ言葉ではまずない。そのため、近くにそのアカリちゃんという少女がいて思わず呼んでしまったのか、と周囲の者たちはとりあえずの納得をつけた。

 

「お前からぶつかっといてそれはねえだろ。……つうか、いい加減アカリちゃんはやめろっての」

 

 ――お前か。

 

 その言葉に恐らくはカナと返事をしたガラの悪い男、それ以外の全ての者がそう思ったことだろう。

 

夜野田(よのだ)でも(あかり)でもいいから、()()をつけろ」

 

 周囲が何を思っているかなど気にも留めない。やってやったとにこやかに笑うカナへ向けて、男は呆れたように呟いた。

 カナにつっかかったかのように見えたこの男の名前は夜野田灯。会話からも察せられるように、関係といえば小学生時代の元担任に生徒と、至って平凡なもの。

 

 仮にも教師としてその身なりはどうなのかという声は多いが、これで中々カナたち生徒には評判がいい。

 事実カナがまだ物語について悩み、クラスメイト周囲に溶け込めずにいた際に夢小説を教えたのは何を隠そう夜野田灯その人。その外見で教師というだけでも驚きであったのに、カナが試しにと夢小説を読んだ際に呆けたのはいい思い出だ。偏見よくない。

 

「全く……確か巻だったか? こんなあだ名つけやがったのは」

「その名前で肝試しに毎回提灯持ってきた先生も悪いよ? 真っ暗で怖いのは分かるけどさ」

「ばっか、あれは提灯型のランタンだ。雰囲気出てただろ? あれで結構高かったんだぜ」

「明るすぎてぶち壊しって皆言ってた」

 

 変わらず楽しそうに笑うカナとあんまりな言葉に呆然とする灯。そんな二人が話す肝試しとは、清嗣がリーダーとして昨日も行っていた清十字怪奇探偵団の調査のこと。

 カナの知る物語とは違い、小学生の時に作られた清十字怪奇探偵団。夢小説の件と同じく、その切っ掛けとなったのは灯であった。

 

 四年前の退院後、カナは怪我で記憶喪失になったため大人からは以前と違う、おかしいとは、少なくとも面と向かって言われることはなかった。けれど、事件以前まで友人で会った小学生相手に全て理解しろとは酷な話。カナ自身も今以上にこの世界を認めることができず孤立し、周りからは腫れ物扱いされるようになっていた。

 そんな時に動いたのが、当時から卒業までカナの担任であり続けた男性教諭である夜野田灯。灯はカナが再びクラスに馴染むよう、妖怪の魅力(?)に目覚めたクラスでもカーストの高い清嗣をだしに、肝試しと称して自由参加で様々な地域を見て回る活動をはじめた。

 

 実際のところ、最後まで残ったのは氷麗と青田坊を抜いた物語のメンバーのみ。他の子と違って参加を強制されていたカナはもし妖怪が出てきたら、と毎回普通に嫌がったが。

 だがこれを切っ掛けに、物語では中学生になってからできるはずの清十字怪奇探偵団が小学生時に結成され、その活動の中で一度たりとも妖怪と出会うことのなかったという事実。この物語との乖離は、カナとしては心の奥底で何より待ち望んでいたこと。

 

 金髪で口調も悪く、ぱっと見チンピラのような教師。先ほどは誤魔化していたが、誰がなんと言おうと持参した灯りは決して手放すことがないほど怖いものが苦手と名高い。そしてそうにも関わらず、毎回律儀に場所を調べて現地まで送ってくれる、そんな教師。

 これらの事実と、後に知ったその人となり。今でこそ酷い扱いをしている灯という教師は、カナが恩師と呼ぶほどには尊敬している者であった。

 

「あ、そういえば今日はどうしたの? 風邪でも引いたの?」

「ここの医者とちょっと知り合いでな。……丁度いい、今日お前の兄貴たちに呼ばれてっから帰り送ってやるよ」

 

 言いながら灯が放った何かをカナが落とさぬよう慌てて受け取る。何を投げたのか、とカナが受け取った方の手の中を見れば見覚えのある車の鍵。つまりは灯の用が済むまで車の中で待っていろ、ということだろう。

 ただ、送ってくれること自体はありがたいが、いきなりの仕打ちにカナは灯をジト目で見てしまう。それを見た灯は鼻で笑った。よっぽどアカリちゃん呼びが気に障ったのか、大人げないと思いながらもカナは大人しく駐車場へと歩き出す。

 

「――もういいぜ」

 

 仏頂面のまま病院を出ていったカナを見送った灯が、ようやくと言わんばかりにそう呟く。

 けれど灯の視線は見送る際と変わらず出口を向いており、その方向に人は誰一人いない。ならば灯の周囲の者に向けた言葉かと言えばそうでもない。何故なら灯の周囲もまた、いつの間にか誰一人としていなくなっていたのだ。

 

 けれど呟いた後数秒、不意に灯の背後の空間が歪む。

 

「いやあ、君がアカリちゃんとはね。ふむ、中々珍しい物が見れたよ」

 

 さも愉快と笑いながら現れたその人影は、つい先ほどまでいたカナと話していた山本という老医師。

 外見上は先ほど同様白衣を着ており一見なんの変わりようもない。だがその雰囲気はカナと談笑していた時とは違ってどこか重く、それも山本だけでなくその周囲にまで及んでいるように感じられる。

 

「……頼むからそれは忘れてくれよ」

 

 山本自身、そしてその周囲にはそこらの人間なら思わずたじろぐほどの空気で佇んでいる。にも関わらず、灯はなんら気負った素振りもなく振り返りながらそうごちた。それも山本同様対抗するかのごとく、重く苦しい雰囲気をその身から放ちながら。

 山本はそれに少し眉を動かすも、所詮はその程度。灯と同じく、なんら気負った様子もなく笑いながら返事を返す。

 

「それはちょっと出来ない相談かなあ……っと、それより今日はどんな用件だい? いきなり来るって言うもんだからなんの準備も――」

「今日聞いた、これからの()()の詳細を教えろ」

 

 医師の雰囲気がより重く、冷たい物へと変わる。

 

「……君は、君たちは彼女をどうするつもりだい?」

()()()()()あんたには関係ねえ……と言いたいところなんだが、安心しろよ。俺も自分の生徒を傷つけるつもりはねえよ」

 

 灯の言葉を聞き、理解した医師は見るからに眉を顰める。それは灯の言う逃げ出したという言葉からくるものなのか、それとも灯の言葉の真偽を思ってか。

 山本、或いは灯にのみ通じるそれは、けれどひとまずは納得がついたのだろう。しばらくして山本が息を吐いたのを皮切りに重苦しい空気は離散し、白衣の懐から取り出したメモを灯へと手渡した。

 

「……人のこと言えねえけど、爺さんもたいがい面倒な性格してるよな」

 

 渡されたメモの内容を確認した灯が呟く。それは灯にとってただの独り言でしかなく、答えなど誰にも求めていない。けれど独り言にしては大きいその声を山本の耳は容易く拾う。そして鼻で笑った後、灯と同じように呟いた。

 

 ――彼女は、私の孫のようなものだからね。

 

 その頃灯は既に出口の近くへと歩を進めていたため聞こえることはなかった。ただ、灯の背後に現れた山本のさらに背後。蠢く影に潜む異形の姿をした者たちが、その言葉に同意するかのように騒ぎ立てていた。

 

 

 

 

 

「そういえば、何で今日先生が私の家に呼ばれたの?」

「お前よく知らねえけど昨日なんか危なかったんだろ? この前幸希と飲んだときに俺が病院行くって話してたし、念のため足にって思ったんじゃねえか」

「……ほんと仲いいね」

 

 灯と幸希が出会ったのは小学生時代、カナの三者面談がはじめてだと、少なくともカナはそう認識している。

 何故かと言えば、灯がカナの担任として職に就いたのは事件後。けれど三者面談での息の合いようはまるで長年連れ添ったようなもので、主役であるカナを放って遊びの約束を取り付けるほどだ。

 チンピラのような灯に、好青年と評判の幸希。相性というのは本当に分からないものだと四年経った今、灯によって送られた自身の家の前でそう思う。

 

「ただいまー」

「邪魔するぜ」

 

 その後色々と考えたが、どのみち玄関前で話しこんでいても仕方ない。用が分からなければ本人に直接聞けばいい。正論、又はおよそ脳筋よりの答えを出した二人は鍵の開いた家へと入っていく。

 

 扉を開けて見えるのは、左右に扉が取り付けられ、奥には二階へと上がることのできる階段が置かれた一本の廊下。

 カナは写真もないため長女の姿を見ておらず、年齢に関しては誕生日を祝いこそすれ兄姉の内誰一人として知らない。けれど兄姉である幸希と菊乃の容姿は四年前と変わらず若々しく、二十代どころか未だ学生かと言われてもおかしくない程。

 二階建ての庭付き駐車場付きの一戸建て。見るたびにカナはまだ若い彼らが何の仕事をしているのかと不思議に思う。もっとも聞くたびに年齢同様誤魔化されるが好青年、人見知りの彼らに限って水商売などの危険な仕事に就いてるのでは、といった心配こそなかった。

 

 ――そう、心配などしていなかったのだ。

 

「……なあ、暗くねえか」

 

 現在の時刻は太陽も落ちかけ、徐々に影が伸び始める夕暮れごろ。暗いと感じるのは当たり前であり、本来灯は何を言ってるんだと呆れられてもおかしくはない。

 けれどカナはその言葉を否定することなく、ただ無言で灯へと肯定の意を示す。先ほどまで、それこそ家の中に入るまでは用件のことばかりで気にしてはいなかった。だが、この時刻ならば点いていて当然の家の中の明かりが点いていなかったのだ。

 故に、なぜ暗いのか。それも家の中という閉鎖空間でもあるため、その暗さは外の比ではない。まるで家の中と外とで世界が違うかのような、とてつもない違和感、そして見覚えのある寒気をカナは感じる。

 

「ちょっ、待て家長!」

 

 はやる心をそのままに、カナは灯の言葉を無視して一歩踏み出す。

 

 服装は学校帰りそのままであるため未だに指定の制服。けれど履いたままのスニーカーはそもそも指定されていないお気に入りの物。過去に姉である菊乃に買ってもらったものであり、だからと言ってそのまま家に上がっていいはずがない。

 普段は大人しい姉とはいえ、静かにでも怒る様が想像できた。それに口元から自然と笑みが浮かぶが、どこか力ない。

 

 夢を見ているかのような、ふわふわとした心地のまま二歩目を踏み出す。

 

 床には乾いた砂が落ちている。それはカナのスニーカーの裏に付いていたものであり、振り返れば点々と足跡のように形作っていることだろう。

 菊乃に怒られてしまった後、苦笑いながら箒と塵取りをもって来る幸希がカナの脳裏に浮かんだ。乾いた笑いが漏れ出たのは、誰の口からだったか。

 

 三歩目を踏み出したところで、リビングへと繋がるガラス戸になんらかの影が見えた。

 

 そして同時に、赤い池に倒れ伏す兄姉をカナは幻視した。激しい運動をしたわけでもないのに息が荒くなり、背筋になにか冷たいものが走る。それは家に入りその暗さを実感した時と同じく、カナにとって酷く身に覚えがあるものだ。

 記憶にも新しいそれはつい昨日、幸希が扮したという恐ろしい何かを見たとき。感じたこともないような恐怖によって体が動かず、ただ意識をなくすことしかできなかったそれ。

 何もそれは恥じることではない。未知というのは期待と好奇心を煽り立てるものだが、同じように一握りの恐怖をその心へと植え付けるのだから。

 

 だから、逃げればいいのだ。旧校舎の時と同じ、カナにできることなど何一つないのだ。そもたった一人の少女に何ができると、何をさせるというのだ。

 幸い、あの時とは違って後ろには灯という頼れる大人がいる。後ろで震えているだろう彼は、カナが望むなら震える足を叱咤しながらも助けてくれるだろう。

 

 だからカナは――ガラス戸へ向け四歩目を踏み出した。

 

 足は情けなく震えている。頭の中は恐怖一色で、両の瞳には溢れんばかりの滴。それでもカナは震えながらガラス戸の取っ手へと手をかけた。

 食堂の時と違うそれは、カナの中でリクオ達と幸希達との比重が違うからというわけでも、灯が頼りないからというわけでもない。

 確かに事件後最も世話になったのは幸希達、そしてカナの記憶上、実際灯は見た目だけで少しばかり頼りない。なら昨日と今日という短い期間の中で何がカナに影響を及ぼしたかと言えば、それは主に二つある。

 

 一つは、自身の認識の甘さを嫌というほど思い知った昨晩。

 所詮は物語に過ぎず、自身とその家族が危機に瀕することなどあるわけがない――そんな、現実逃避に過ぎなかった思いを粉微塵に打ち砕かれた。それは信頼する兄が扮したものだと言われたとしても、その程度で納得できるわけがない。

 それでもカナは最後の一言を口にすることができなかった。それは、きっと言ってしまえば壊れてしまうから。今までの価値観とこれから生きる道、なにより家族やリクオ達を()としてみれなくなる。

 

 けれど二つ目、自身に向けられたある一言。

 

『君はもう、分かっているよね』

 

 それは突き放すように冷たく、それでいて何より優しさをもった一言だった。

 

 涙を拭った手で、かけた取っ手に力を入れる。それに合わせ、ガラス戸が徐々に開かれていった。至極当然ながら、戸の向こう側にいた影も徐々に露わとなってカナの前にその全容を見せる。

 怯えながらも、カナがその背中を向けることはない。今のカナには、覚悟があった。これまでの常識を捨てるための、彼ら(家族や友人)人と見れない(キャラとして見る)など烏滸がましいと自信を叱咤するための覚悟が芽生えていた。

 

 不幸中の幸い、カナは文字通り一歩を踏み出すだけでよかった。何故ならカナは、ずっと前から分かっていた。分かっていて、気づかないふりをしていた。後はもう、気づいていることを認めるだけでよかったのだ。

 それが偶然にも、物語が始まって直ぐに身に着いた。以前までのカナならば、それは恐らく忌避してしかるべきもの。ただ覚悟の芽吹いたカナにとっては、もはや歓迎以外の何ものでもない。そのためありのままの、目の前の光景を受け入れようと目を見開いた。

 

「あれ、え……っと二人とも早かったね」

 

 ――エプロン姿で、料理を運ぶ幸希の姿を。

 

「……へ?」

 

 カナは目を丸くし口を開け、ぽかんとした顔で何故か気まずげな幸希を見る。頭の先からつま先まで、傷一つなく具合が悪そうにも見えないその姿はまさしく健康体そのものだ。

 

「幸希、料理できた。こっちも運ん、で……!」

 

 声のする方へと視線を向ければ驚いた表情でカナを見つめる菊乃。リビングの奥にあるキッチンでいつものマスクに幸希と同じくエプロン姿。その手には湯気立ち、食欲そそる香りを放つ料理が盛られた皿がある。

 姿から彼女がつい先ほどまで料理をしていたことなど容易に想像でき、まず間違いなく無事だ。

 

「お前ら……電気つけずになにやってんだよ」

 

 その硬直は、恐る恐るといった風に現れた灯が呆れたように話すまで続いた。

 

 結果として幸希と菊乃、彼らは幸運にもカナが想像していたようなことは一切その身に起きていなかった。彼らはただ、カナに対してサプライズ行おうとしただけだったのだ。

 旧校舎の件を懲りていないわけではない。むしろ反省していたからこそ、カナに喜んでもらおうと普段より豪勢な料理を作り、パーティのようなものを画策していた。

 もっとも、帰りの時間が想定より早かったため飾り付けも出来ず、料理も中途半端。さらには旧校舎よろしく、カナをとことん怖がらせる結果に。

 

「いや、本当にごめん……」

「もう……しな、い」

 

 そしていきさつを白状した元凶二人は正座の状態でへこんでいた。なんせ現在呆れた表情をしている灯に対しては初犯だが、カナは今回ので二回目。それも一度目は気絶し、二度目の今回は目が赤く腫れており泣いていたのがよくわかる。

 全てカナのためにと思ってやってきたことだけに、その心情は推してはかれるというもの。実際、二人ともいきさつを話し始めてから何も言わず俯いたままのカナをちらちらと様子を窺っていた。

 

 そしてその状態から数分が経った頃。

 

「……二人とも」

 

 俯いたまま発したカナの言葉を、二人はどのような心持ちで聞いただろうか。少なくとも良いものではないだろう。血色のいい健康的な肌色だった二人。けれど今では、特に顔に至っては見るからに青白く、目は伏せて静かに続きを待っていた。

 カナは、二人にゆっくりと近づいてく。一歩進むたびに二人の肩は揺れ、目を強くつむる。そしてカナが二人の目の前まで来たとき――。

 

「「……?」」

 

 二人は一瞬、自分たちが何をされているのか分からなかった。けれど何かに包まれたかのような安心感、そして人肌ほどのぬくもり。徐々につむっていた目を開けていくと、そこには相変わらず呆れた表情の灯、そしてすぐ近くにあるカナの頭。

 そこまで来て、二人はようやっと抱きしめられていることに気づく。まさか憎まれ口を叩くことこそあれ、自身の妹が抱きしめてくるとは思いもしなかった。二人はいきなりのことに慌て思わず離れそうになるが、続くカナの言葉によって妨げられる。

 

 

「二人とも、ただいま」

 

 それはどこか吹っ切れたような、清々しい笑顔だった。

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