ザ・コクピット・オブ・コスモゼロ   作:島田イスケ

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ディンギー

「あんまり無茶な訓練はやめてほしいもんだよな」古代は言った。「ムチウチなんかで済めばまだしも、死んだらどうしてくれるんだ」

 

「なんじゃこのくらい。若いもんがだらしない」佐渡先生が機器に表される診断結果を見ながら言う。「この戦争で医者をやっとりゃあわかるわ。お前さんは脚がちぎれても這って戦う男じゃよ。眼に闘志が(みなぎ)っておるわ」

 

「はあ」と言った。「おれが?」

 

「人に言われんか?」

 

「全然」

 

「そうか? わしゃあ酔うとっても眼に狂いはないつもりじゃがな」

 

どうせ誰にでも同じことを言ってるんだろうと思った。佐渡は酒瓶を取り出して言った。

 

「どうじゃ、一杯やってかんか」

 

「お言葉に甘えます」

 

コップを渡され、酒が()がれようとしたときだった。上から黒い手が伸びてきて、一升瓶の口を押さえた。佐渡の手から取り上げる。

 

山本だった。佐渡に言う。

 

「隊長にいま酒を飲ませるのはやめてください」

 

「なんじゃなんじゃ。たまに女が出てきたと思ったら、酌するどころかわしから酒を取り上げるのか」

 

手を伸ばしたが山本が高く上げたので届かない。それでも椅子から背を伸ばして、

 

「ええか! 酔っ払ってもやれるもんはやれるし、酔っとらんでもやれんもんはやれん。これが男の真実じゃ、わかるか!」

 

「わかりません、女ですから」山本は言った。「先生にはわたしが酌して差し上げます」

 

古代の手からコップを取り上げ佐渡に渡した。トクトクと(そそ)ぐ。

 

体にピッタリした服を着たスタイル抜群の女が酌する図だったが、古代の見るところ色気などはカケラもなかった。まさしく、ただ機械的に、ホラ飲めよとばかりに()いだだけなのだ。瓶を掴んだ手は手袋を嵌めたまま。まっすぐ立って相手を上から見下ろしたまま。

 

佐渡先生はかなり複雑な表情で手にしたコップを眺めやり、しょうがなさそうに口に運んだ。

 

「おいしいですか?」

 

「どうかな」

 

「隊長ですが、すぐ訓練に戻れますか?」

 

「まあな。問題ないじゃろう」

 

山本は古代を見た。今の古代は検査用の寝巻きみたいな格好だ。それでベッドに腰掛けてる。山本は黒地に赤のパイロットスーツで見下ろしてくる。

 

古代は言った。「ちょっとくらい休ませてくれ」

 

「いいでしょう。五分です。その後シャワーを浴びてまた服を着てください」

 

「ううう」

 

「ま、頑張りな」と言って佐渡医師は出て行った。

 

「おれさ、ここでひと眠りしていけるかと思ったんだけど」

 

山本は応えない。古代がベッドに寝転がっても、直立不動の姿勢でいる。

 

がんもどきになる前には、おれもこんなふうだったのかなと、古代はかつての候補生時代を思い出して考えた。訓練で鍛えに鍛えられ、心の芯までヤキを入れられる。お前達は地球人類を護るための剣であり盾だ。そう体に叩き込まれた。ミサイルを抱いて敵に突っ込み、体当たりをしても倒せ。敵が母艦を襲ってきたら、身を挺してそれを止めろ。それがこの戦争で、戦闘機に乗る者の務めだ――おれ達は、そう言われるたびハイと叫んだ。みんな目つきをギラギラさせてた。

 

佐渡先生か。あの医者は今、おれの眼には闘志が漲ってると言った。まさかな、と思う。それはあの頃、死んでいった仲間達にふさわしい言葉だ。今そこでおれを見ている山本のような者にふさわしい言葉だ。おれみたいながんもどきに闘志なんかあるわけがない。

 

山本を見る。もう自分の命など捨てたという眼をしている。女であることも捨てたのだろう。顔に化粧っけなどはなく、髪に櫛も入れていない。それどころか、邪魔になるところだけいいかげんに自分でハサミで切っただけなんじゃないかという髪だ。男だったらヒゲモジャのタワシ星人になってしまうかもしれないところ、女であるから救われてる感じ。

 

その前髪に半ば隠れた眼でもって、さっき酒瓶を取り上げたときおれを冷ややかに睨みつけた。むろん、ちょっとでも酒が入った状態であんな訓練をまたやったなら、それこそ脳の血管が(はじ)けてあの世行きになるかもしれない。それを知ってて飲もうとするおれも確かにおれなんだろう。しかしだ、こんなの、酒でも飲まずにやってられるかという気分にならないか。この女は違うのか。

 

違うんだろうな、と思った。おれなんかとはまるっきり、鍛え方が違うんだろう。やっぱりおれを、その眼でどう見てるんだろうか。こんな男が隊長で自分がその僚機だなんてあってたまるかと思ってやしないのか。

 

「なあ」と言った。「君もちょっとは休んだらどうなの」

 

それから今の自分のセリフが、妙な意味に取られかねないことに気づいてハッとした。

 

「いや、その、おれはこっちに寄れと言ったわけじゃなくて、その……」

 

「わかっています。お気遣いなく」

 

「そんなところにそうしてられるとこっちの気が休まらないんだよ」

 

「すみません」

 

「だったら……」

 

と言った。しかし先が続かなかった。言えば言うほど、自分がダメになってく気がする。

 

山本が言った。「太陽系を出たならば、休めるかもしれません。そうしたら、酒も飲めるかも」

 

「ふうん」と言った。「赤道か」

 

島を始めとする航海部員が、太陽系を出ることを〈南に向かう〉とか〈赤道を越える〉とか言っているのは古代も耳に聞いていた。古代にしても宇宙輸送機をずっと飛ばしていた人間だ。隠語の意味はすぐにわかった。

 

〈天の赤道〉。目には見えぬが、天体図上の境界としてそれは確かに存在する。人間が宇宙という山へ登る稜線とも呼べるものだ。特に静止衛星などは地球の〈天の赤道上〉に置かねば用を為さなかったし、ガミラスの侵略前に地球と宇宙を行き来していたスペースエレベーターの軌道ステーションも〈GEO(ジオ)〉――赤道上の静止衛星軌道にあって、地球の自転に合わせて宙を巡っていた。

 

宇宙船のパイロットがもし赤道も知らなかったら燃料切らして永遠に宇宙をさ迷うことになる。星は眼で見えるからまっすぐ目指して飛べば着くというものではないのだ。軽トラ運ちゃんパイロットでもパイロットはパイロットだから、古代は島達航海要員が使う隠語の理屈がわかった。

 

マゼランは〈天の南極〉にあるために、地球の北半球を出た船がそこに向かうならその旅立ちはまさに〈赤道を越える〉こと。太陽系を出ることは、太陽系を出ることは、正しくは〈黄道を越える〉と呼ぶべきなのだろうが、しかし――と思う。子供の頃に兄と見た三浦の海を想い浮かべた。〈ディンギー〉という小舟に帆を張っただけの小さなヨットを借りて共に乗り、沖へ帆走した日のことを。あの日、古代は手に持たせてもらったロープに強い空気の力を感じた。風をはらんで帆は膨らみ、舟を大きく傾かせ、波がうねる水の上を滑るように進ませ始めた。あのとき、潮風を身に受けて、古代は空を飛んでいるかのように感じた。

 

相模湾を南に向かう。海は光り輝いていた。水平線に囲まれて、地球が丸いことを知った。マストの先に太陽を見上げる。兄はその方向へ小舟を走らせていった。

 

南へと。あの太陽が巡る線が黄道で、赤道があの水平のずっと向こうにあるのなら――その先にあるのは宇宙だ。そう思った。緯線を越えて南へ行く。30、20、10度と南へ。太陽が遂に頭上を越えて、後ろに仰ぎ見るようになる。それが黄道を越えるときだ。それでも南へ。ひたすら南へ。北緯5、4、3、2、1……。

 

遂に赤道を越えたとき、そこに宇宙があるだろう。北半球では決して見れない夜空がそこにあるだろう。天の河銀河の中心部と、南十字星があり、大マゼランと小マゼランのふたつの星雲があるだろう。波に揺られてそれを見上げる。後は舟の帆を翼に変えて、ニューギニアの山脈を越え、その小さな星雲が大きく見えるようになるまで星の海を進んで行けば――。

 

そうだ。太陽系を出る。マゼランという雲を目指す。それを意味する合言葉は、〈赤道を越える〉でなければならない。〈黄道〉では南へ行く感じがしない。

 

「今は休んではいられません」山本が言った。「〈ヤマト〉が一日遅れるごとに人が大勢死ぬのですから。〈滅亡の日〉など本当はとうの昔に過ぎていて、急がなければ今いる人を救けられる望みが消えていくのですから。それを思えばゆっくりなどできないはずです」

 

「まあな」

 

と言った。特にここ数日は、クルーが石崎首相だの原口都知事だのの話でいがみ合っているのも知ってる。なんとかしないとあんなやつらが力をつけて、とかなんとか――誰もおれには政治の話なんか振ってこないから、付き合わされず済んでいるけど、

 

「だったらサッサと〈赤道〉でもなんでも越えてマゼランへ向かえばいいじゃないか」

 

「冥王星については別です。あの星だけは叩かなければ、地球に未来はありません」

 

「まあな」とまた言った。「そうかもしれないけど」

 

しかし思った。山本は自分の頭で考えて今の言葉を言ったのかどうか――役者がセリフを言うように、いや、それどころか、アニメの声優が()に合わせて台本の文字を読むようにして、決まった文句を決まった調子で声にしているだけなんじゃないのか。頭では何も考えていないから、どんなことでも歌を詠むように言えてしまえる。常人なら恥ずかしくてとても口にできないことでも、プロに徹して恥に思わず恥ずかしい声を作ってアフレコできるし、どんな勇ましいことでも言える。『ワタシは戦う』と。どうせ録音スタジオを出たら、頭にあるのは次の仕事だけなのだから……。

 

銃を取って戦場に行けばタマに当たって自分が死ぬかも、とは決して考えない。アニメやゲームのキャラクターはそういうものだ。プロデューサーから『キミは絶対に死なないからネ』と保証されてる者だけが言えるセリフを平然と叩く。それで自分が正しいのだから、逆らう者は許さないと叫び立てる。なるほど石崎や原口というのは、安易な造りの幼稚なアニメを卒業できずに大人になった者なのだろう。それで自分はプロのつもりで、確かにそれがプロなのだろう。そこにいる山本も間違いなくプロだった。だが対するにおれはどうだ。とても最後まで生かしてもらえるキャラと自分で思えない。

 

古代は医務室の天井を見上げ、それからまわりを見回した。このとんでもない船の中で、どうしておれがメインキャラ? こんなの、プロが商業制作するドラマでは、あり得ないとしか思えない。この〈ヤマト〉の中にいて、おれがプロの航空隊隊長になどなれるわけがない。

 

ベッドに寝転がったまま、また真上を見上げて思った。この上には艦橋があって、そのてっぺんに艦長室。あの艦長はほんとに何を考えて、おれを隊長なんかにしたんだ。まさか今日一日で、おれをプロにできるとか考えているわけじゃあるまい。一体どういうつもりなんだか……。

 

このベッドも今は仕切りで囲まれてるが、敵と戦うことになればこんなものはとっぱらわれる。そう造られているのがわかる。何十ものベッドはたちまちケガ人で埋まり、床にまで転がって、寝かす場所などどこにもないのにそれでも運ばれてくるのかもしれない。医務室じゅうが血で染まり、(うめ)き声に満たされて、母や我が子や恋人の名を呼ぶ声が響き渡る。なかには腕のちぎれた者や、(はらわた)を飛び出させた者や、目を失くして黒い眼窩に血を(あふ)れさせた者が――。

 

戦争で軍艦が戦うとはそういうことだろう。あの佐渡という医者も、そういう光景を見てきたのだろう。それで少しおかしくなってしまっているのかもしれない。でなきゃやってられないのかも。あの先生は、おれは脚がちぎれても這って戦う男だなんて言っていたが……。

 

冗談じゃない。あの言葉が本当か試すことになるのはごめんだ。今の医療技術であれば、たとえ手足を失くしてもサイボーグ義手や義足で特に不自由は感じずに生活できるようになるとも聞くが。

 

この〈ヤマト〉の医務室もそのテの設備は充実していることだろう。よほどのことがない限り、大ケガしても一、二ヶ月で動けるようになるのだろうが。

 

山本を見る。バイク乗りのツナギのようなパイロットスーツ。体の線も(あらわ)だが、女らしさは微塵もない。手袋を取ったところも見たことがない。首から下は、女の形をした機械人形なのではないかという気さえする。髪に隠れている方の目は、サイボーグ義眼なんじゃないかとさえ思う。

 

それが口を開いて言った。「先ほどは申し訳ありませんでした」

 

「は? なんだよ」

 

「あの訓練です。わたしを狙っていたうちの一機が向きを変え、隊長に攻撃を仕掛けるのを、わたしは止められませんでした」

 

「ハン」と言った。「あれはどうせ最初から、あいつらそういう気だったんだろ」

 

「だとしたらなおさらです。わたしには隊長を護る義務があります」

 

「やめとけよ。早死にするだけだ」

 

「隊長はあのときもそうおっしゃられました」

 

「ん?」と言った。身に覚えのない話だ。「ええと、いつだ? おれは別にそんなこと――」

 

「すみません」少しうろたえた調子で言った。「今のは、〈坂井隊長は〉という意味です。〈七四式〉を護って(じゅん)じられたとき、わたしには『ついて来るな』と言われました。わたしはあのとき命令に従い、高いところから見ているしかありませんでした」

 

「ふうん」

 

あのときの光景が、頭の中に蘇った。〈がんもどき〉を救けるために、ガミラスの無人戦闘機に突っ込んだ銀色の戦闘機。この〈ヤマト〉で〈アルファー・ワン〉と呼ばれるはずだった本来の〈ゼロ〉。

 

山本は言う。「あのとき、坂井一尉はドローンを追って急降下されました。後で機体を起こせずに地面に墜落することになると承知の上でです。〈ゼロ〉の降下制限速度を超えるダイブでした。あの速度では照準を付ける(ひま)もなく一瞬で(まと)を通り越してしまう。ですから、あのとき坂井一尉は、敵に突っ込むしかなかった――」

 

90度の衝撃降下か。それは古代にも想像はできた。ガタガタと機体は揺れて、空中分解寸前となる。ビームの照準も定まらず、舵ももはや言うことは聞かない。それでもひたすら敵を見据え、体当たりを喰らわせる――。

 

あれは執念の特攻だった。それ以外に方法がなかった。そういうことなのだろう。本当の〈アルファー・ワン〉はそうまでしておれを護った。いや、おれでなく、護ったのはあくまであのカプセルだが……。

 

今はおれが〈アルファー・ワン〉だ。冗談じゃない。どうしてこんな。

 

「本当はあれはわたしがやるべきでした」山本は言った。「もう二度と、隊長機を失うことはさせません。あなたはわたしが護ります」

 

五分ですよ、と言い置いて出ていく。後ろ姿を見送って、古代は泣きたい気分だった。

 

飲みそこねた酒を思う。飲みたい、と痛切に思った。山本が最後に言った言葉は、本当は坂井じゃなくてこのおれがあのとき死ぬべきだったんだ、という意味としか思えない。

 

今はおれが〈アルファー・ワン〉。イヤだ。絶対にイヤだと思った。せめて酒でも飲ませてほしい。

 

――と、そこへ看護士が何やら薬とコップを持ってやってきた。「どうも」と言って受け取った。薬の方は栄養剤か何かだろうが、問題はコップだ。古代は中身が酒であるのを期待した。あの先生がこっそり差し入れてくれたものだと。

 

むろんそんなわけがなかった。ただの水で薬を飲んだ。


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