ザ・コクピット・オブ・コスモゼロ   作:島田イスケ

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イスカンダルになる男

「そりゃあたしはこの船の戦術長ですけれど……」

 

〈ヤマト〉中央作戦室で新見が言った。

 

「でも別に、〈戦闘班長〉ってわけじゃありませんからね。あたしの仕事は情報分析が主であって」

 

「知ってるよ」

 

と相原が応える。このふたりの船内服の識別色は共にグレー。通信と情報関係を示すコードだ。

 

先ほどの艦橋でのやり取りの後で、グレー同士で話し合おうとやって来たところだった。沖田艦長は島の問いに『今のままでは勝てない』と応えると、真田を連れてゴンドラでサッサと上に引っ込んでしまった。あれはどういうつもりなのか。沖田と真田は今頃どんな話をしてると言うのか――それも気にかかるところだが、

 

「ぼくらとしては、まず何よりも情報だよ。地球の本部は〈ヤマト〉が冥王星を撃てるもんと本気で考えちゃってるのかどうか」

 

「正式な命令は来てるんですか?」

 

「いや」と言った。「こっちから尋ねるわけにもいかないだろうし」

 

「本部と言えば藤堂(とうどう)長官……〈ヤマト〉に命令を下せるのはあの人しかいないわけよね。長官の認可がない命令を〈ヤマト〉が聞く必要はない。もちろん軍でもなんでもない一個人や団体が『藤堂でなくオレの言うことを聞け』と通信を送ってきても、一切無視して構わない」

 

「当たり前だよ」

 

「うん……けれど、その当たり前がわかっていない者が地球にたくさんいる。やっぱり、『冥王星を撃て』と言うのは本部の意向じゃないのか……」

 

「うーん」と相原。「藤堂長官はこの件には絡んでいない? 下のやつが勝手にやったことなのか?」

 

「じゃないか、と思いますね。本部の幕僚の中には、〈ヤマト〉が石崎首相とか、原口都知事の言うこと聞いて十一ヶ月や364日でわざと帰ろうとするんじゃないかと疑ってるのがいるわけでしょう。他にも『星を撃つな』と言う脅しがすごく多いわけで……」

 

「藤堂長官以外の誰も〈ヤマト〉に命令を下せない。だからこんな手を使ったのか。あの発表がどんな事態を引き起こすかちゃんと考えてなかったと。冥王星がただ吹き飛べばそれでいい……」

 

「たぶん、そういうことでしょう。一部の参謀の独断専行ですよ、これは。だからと言って長官としては否定もできない。『波動砲はおそらく欠陥兵器です』とは、口が裂けても言えないでしょうから」

 

「うーん。参謀達はそれを計算に入れていた……」

 

「〈ココダ山道〉か」

 

新見はコンピュータの端末器に地球に海があった頃の太平洋の図を出した。日本から南に下って赤道を越えた辺りを拡大する。ニューギニア、ニューブリテン、ガダルカナルといった島々。

 

「あの発表をした者は、きっと〈ヤマト〉が玉砕すればこの戦争は勝ちだと思ってるんでしょう。〈玉砕〉って、もともとそういう意味で使われた言葉だし……」

 

機器を操作し、古い白黒の写真を出した。《辻政信(つじまさのぶ)》と記された軍人の肖像。

 

()を見せると相原が言った。「なんだいこりゃ」

 

「太平洋戦争中の日本の一参謀ですよ。独断専行で有名な人です。この男ひとりの無謀で日本人が三百万人死んだと言っても過言じゃない」

 

「はん?」

 

「あたし達は冥王星を〈スタンレー〉と呼んでますよね。その大元を作ったのがこの人なんです。ニューブリテン島ラバウル基地の言わば〈戦闘班長〉で、ニューギニアとガダルカナルに補給なしで兵を送り十万人を餓死させた」

 

「もっとだろ」

 

「そう、もっと」新見は言った。「細かい数字はいいでしょう。肝心なのは、実のところ、すべてがみんなこの高級将校ひとりの独断だったことです。ミッドウェイで敗けた後でどうして日本はまだ勝てると思って戦争を続けたか――なぜかと言えばこの人が主役だったからなんですよ。太平洋戦争って、大本営は大和国(やまとのくに)の戦闘班長辻政信を〈主役〉とする冒険ロマン物語のつもりでいたわけ。〈MI作戦〉が惨敗で終わった後の話ですけど」

 

「ええと……何を言ってるかよくわからないんだけど」

 

「まあ……あんまりこういう見方であの戦争を見る人間もいないでしょうけど……」

 

言って画面を見直した。いかにも育ちの良さそうな、当時の基準では美男子と呼ばれたものに違いない顔がそこにある。軍服の胸と帽子をゴテゴテと飾り、まるでベルサイユ宮殿の近衛(このえ)隊長という風情(ふぜい)だ。辻政信――どことなく、字面(じづら)も誰かと似ていなくもないような。

 

まあ、それはともかくとして、

 

「昔の日本が太平洋をどうして日本の海にできると思ったかと言えばそもそも、欧米人は腰抜けだと思い込んでたんですよね。あいつら臆病者だから、一万人も殺してやればたまらず降伏するだろう、とそういう考えでいた」

 

「うん」

 

「その考えは最初のうちは間違ってもいなかった。日本兵百万人を殺すため二百万の犠牲を出さねばならぬと見たらアメリカは、日本に譲歩せざるを得ない――けれどもその前提は、ミッドウェイで(くつがえ)された。ヘタすれば一年で日本の国は滅んでしまう――そこからこの辻と言う男の話が始まるわけ。辻君、君がラバウルで戦闘部隊の指揮を取れ。もう我々はアメ公を五千人は殺したはずだ。だからあと五千でやつらは降伏するのだ。君が残りの五千を殺るのだ」

 

「ははは」

 

「細かい数字はともかくとして」と新見は言う。「バカですよね。狂ってる。でも当時の軍人は、もう勝利の条件が変わっているのを認めることができなかった。原爆が落ちた後でも叫んでいた。『アメリカ人を九千九百九十人もう殺しているんだぞ。あと十人で勝ちなんだぞ。勝利を目前になぜやめる!』って」

 

「でも――」と相原。「そのときに、日本人は三百万人死んでいた」

 

「そう。それでも徹底抗戦派は、それがなんだと言い張った。たとえ千発原爆が落ちて、天皇以外全員死んだとしても、とにかく目標一万人目の敵を殺りさえすればいい。途端にやつらは全面降伏、この戦争は日本の勝ちで終わるのだ、とね。学校の試験でいい点取ってた人間ほどこの論理を信じ込んでいたという……」

 

「チェスや将棋ならそうだよね」

 

「そうですね。同じ考えでいたんでしょうね。辻と言うのは陸軍きっての秀才だったみたいです。受けていたほんとの指令は防衛線を護ること。でも命令を捏造(ねつぞう)して、『何がなんでも敵を攻めよ、それが陛下の御意志だ』と言った。ラバウル基地の上官はみんな、こいつの方が学校の成績が良かったからという理由でまったく逆らえなかったそうです。すぐ自分らを飛び越して上に行くとわかっている人材だから……」

 

「ふうん」

 

と相原は、画面に映る男の資料を見ながら言った。その階級はソロモン戦の時点で中佐。

 

「ただ成績がいいだけで、一中佐でありながらあっという間にラバウルの〈司令官代行〉か……」

 

「この〈キャリア〉のやることを誰も咎められなくなった」新見は言った。「人を見ず試験の点で人事を決めて、命令無視して勝手なことをやる者をそれと知りつつ取り立てる。結果としてどんなことになろうとも決して咎めず誰も責任を取りはしない――別に当時の軍に限る話じゃないでしょう。エリート社会なんていつでもそんなもんですよ。上の言うことは聞かないくせに下に対しては『ダメだダメだ』。よくいますよね、そういう人」

 

「あはは」

 

「ケチな男だったのよ。南の島で戦闘より餓えで兵が死んだのは、みんなこいつのせいなのよ。ケチだから偵察も補給もなしで千人くらい兵を送る。それが殺られると二千人送り、また殺られると四千送る――まあ、それはこいつよりもっと上の参謀達が悪いことでもあるんだけど……でもこの辻という男は、少人数と銃剣だけで敵に突っ込む戦法を好んだ」

 

「ふうん」と言った。「疫病神か」

 

「神ですね。こいつ、戦後は国会議員になってます。もし戦争に勝ってたら、首相も夢じゃなかったんじゃないですかね。日本が世界を征服したとき、この男が全人類を恐怖で支配するはずだった。昭和のキング・アレキサンダー……」

 

新見は首を振って言った。

 

「辻政信は〈イスカンダル〉になるはずだった」

 

アレキサンダー。かつて世界を制覇して、インドまでその勢力を伸ばした男。古代インド語で『イスカンダル』とは〈侵略者〉の代名詞に他ならない。

 

相原が、「だから大切にされていた? 軍学校をトップで卒業したときに、そうなるのが決まってたのか。だからこいつの嘘と知りつつ、上の大佐とか少将とかがダメとわかっている作戦に兵を率いて飛び込んでった?」

 

「結果、三百万が死に、戦後も人が餓えて死んだ。そう、全部こいつのせいです。軍がこいつを〈イスカンダル〉にするためだけに国が焼かれてしまったような……辻政信という男の資料を読むと、なんかそんな気がしますね。辻のデタラメで防衛線が破られたのに、むしろ〈勝った〉とすることで事実をごまかしてしまった。辻が何をやらかしても、上の者達はかばい続けた。だって〈昭和のイスカンダル〉のキャリアにはどんな汚点もあってはならないのだから……」

 

相原の見る画面には、あばらを浮かせた日本兵の死体の山が映っている。

 

「辻がラバウルを(ほう)って逃げると軍のトップは言ったんですね。確かに辻は無謀を重ねて十万ばかりの兵を死なせはしたかもしれない。だがその代わり、アメリカ兵をなんと千人も殺したのだ。わずか十万に対して千だ! なんという偉大な戦果だ! アメリカ兵をひとり殺すためならば百が死んでも無駄ではない。辻の戦術は実に見事だ。これから辻を見習おう。我が方にはまだ百もの島がある。そのそれぞれに一万の兵士。だから合わせて百万人が万歳を叫びながら腹を切れば、白人どもは恐れ(おのの)いて降伏するに決まっているぞ! この戦法を〈玉砕〉と呼ぼう。もう勝ったも同然だ! 辻君、よくぞ、この日本を救ってくれた!」

 

と、新見は両手を広げて言った。相原は苦笑するばかりでもう何も応えなかった。

 

「エリートなんてこんなもん。元はと言えば真珠湾で、令に反して第三次攻撃を行わなかった提督を不問にしたとき間違いが始まってるんですよね。聞かん坊のとっちゃん小僧をむしろかわいがっちゃうような、そんな組織はメチャメチャになるに決まってるじゃないですか。太平洋戦争ってほんとは勝てたはずの戦いだったのに、幼稚なキャリア貴族のせいで敗けた……」

 

「うーん」

 

と相原は頬杖ついて聞いていたが、

 

「今の地球の参謀もそれと同じだって言うのか。けどさ、それを言うなら沖田艦長だけど」

 

「そうなんですよね。さっきのはちょっと……この船って大丈夫なのかなあ」

 

「『大丈夫』も何も、現にもう船の中はメチャメチャだよ。航海組と戦闘組は対立してる。このままだと本当に誰かが勝手なことをして……」

 

「うーん」

 

「『命令違反を咎めない』と言えばあれだよ。こないだの。通信を切った古代を沖田艦長は不問にした」

 

「その話を蒸し返すんですか? あれはまたワケが違うと思いますよ」

 

「そうだけども、軍て組織はそう言って済ましていいもんじゃないでしょ。沖田艦長は今ぼくに、命令が来ても嘘の返事をしろなんて言ってる――これって、辻という男の独断専行まんまじゃないのか?」

 

「うーん。おまけに言ったのが、『今のままでは勝てない』か……」

 

「ホントにどういうつもりなんだ?」

 

「さあ……けど、『古代を処罰する』と言っても何をどうするんです? 航空隊長から降ろすの? あの人、かえって喜びそうな気がするけど」

 

「それはまあ……今の立場をイヤがってんの見え見えだよね」

 

「罰にならないじゃないですか。それに古代を咎めるなら、元々の責任者である森さんとか、〈タイガー〉を出させろと言った加藤とかも罰さなきゃいけなくなってたと思いますよ」

 

「そりゃまあ……けどそんなこと言ってウヤムヤにするのがいちばん良くないんじゃないの? ちゃんと査問にかけたうえでの不問ならばともかくさ。でもあのとき艦長は古代だけ呼びつけて内緒の話をしてたよね。森さんはあれを『エコ贔屓(ひいき)』だと言った……確かに、沖田艦長が古代をかわいがってるように(はた)目に見えなくもないぜ。軍という組織の中でこれはまずいんじゃないの?」

 

「それは……確かにそうかもしれない……だからこんなに船の中が今バラバラになってるのか……」

 

「なんだかなあ」相原は言った。「なんて言うか、沖田艦長……」

 

「なんですか?」

 

「まるであの古代を使って、わざと艦内を揺さぶってるような気がしないか? だいたい、元からあんなのを航空隊の隊長にするっていうのがおかしいよね?」

 

「ええまあ」

 

「古代は疫病神だ」相原は言った。「あんなのが〈ゼロ〉のパイロットじゃ勝てない……」

 

「それは……まあでも、下にやたらとダメダメと言う人間じゃなさそうだけど……」

 

「そういう問題じゃないだろう。士官なんて上と下の板挟みなくらいの方がいいのかもだよ。でもものには限度があるでしょ。下にまったく何も言えないようなんじゃ、どうしようもないじゃないか。みんながみんな苦しい思いでずっと戦っていたときに、あいつはひとりノホホンと危険のないとこにいたんだぜ。そんなやつが指揮官で、誰がついていくんだよ」

 

「そうですよねえ。そういう話になるに決まってますよねえ。なのにどうして……」

 

と新見は言ってから、急に気がついたように、

 

「ってゆーか、あの人、今どこで何しているの? しばらく前に姿を見たきりだけど」

 

「ん?」と相原は言った。「そう言やそうだな。あいつが話の中心みたいなもんなのに」


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