フェアリーダー
「一体どうしてこんな話になったのかなあ。これじゃ全然元の計画と違うじゃん……」
第一艦橋。窓から艦首を眺めれば、『あれは一体なんのためにあるのか』と聞かれて困る三つ〈ひ〉の字孔。視力検査のランドルト
「まあだいたい、波動砲が使えないのがいけないんだけど……」
「悪かったな、力になれんで」
徳川が言った。正規のクルーとして今この艦橋にいるのはこのふたりだけだ。他の席は代理の者が埋めている。波動砲が撃てぬ理由は元を正せばエンジンにあるが、だからと言って、
「いえ別に、機関長が悪いなんて全然思ってませんけど」
「できることなら〈スタンレー〉を吹き飛ばしたいんだろ」
「そりゃそうですよ。それがいちばんいいに決まってるじゃないですか」
「まあな。そりゃあ確かにそうだ。できるならばわしだって撃てるようにしたかったよ……だがなあ南部」
「なんですか?」
「もし仮りに、の話だぞ。冥王星にもしも生物がいたらどうする」
「ははは」笑った。「やめてくださいよ」
「わしはマジメなつもりだがな。もしあの星の海の中にクラゲか何かいたとして、波動砲が使用できるものとしよう。そして撃つか撃たぬかは、南部、お前が決めていいことにする……そしたらどうする。星を撃つか」
「やめましょうよ、そういう話は」
「いいや、わしはしておきたいな。地球に十億の人がいて、〈ノアの方舟〉の生物もいる。それに対して〈スタンレー〉は、いたとしてもせいぜいクラゲだ。地球の命と冥王星のたかがクラゲと、救うとしたらどちらを選ぶ」
「その質問はずるいですよ」
「答えたくないか? 答など決まりきっていそうだがな」
「ええ。そんなの決まってます」
「なのに口では言いたくない」
「どうするかはっきり言えとおっしゃるんですか」
「いいや、それはやめておこう。わしはむしろお前さんが言えないんで安心したよ」
「は? 何を……」
「南部」と言った。「ちょっと聞くけど、クラゲでなく、ミジンコかゾウリムシだったらどうだ。そのときはなんとも思わず平気で撃つか?」
「あはは。そんときゃそうでしょうね」
「ま、そんなもんだろな。どうせ人間、牛や豚を食って生きるもんなんだ。ハエや細菌を殺しながら――だから別に、それで悪くもないだろうよ。じゃあもうひとつどうだ。冥王星にクラゲがいるが、百匹ばかり捕まえて保護してやれることにする。その後でなら星を撃てるか?」
「機関長! そんな話はやめましょう!」
「わかった。無理に返答は聞かん」
「一体何が言いたいんですか」
「この船だよ。あの舳先の三つ〈ひ〉の字だ。あれが一体なんのためにああしてあるか知ってるだろう。ただの飾りだ。それ以外、なんの意味もありはしない」
「ええまあ……」
「それでも開けた。水上船が他の船に曳かせるときに鎖をかける鈎穴を――宇宙船ではそんなもの用がないにもかかわらずだ。この船を設計した人間が図面に描き込んだのだ。本当は〈やまと〉なんて名前の船は造りたくないと言いながら……なのにあえて、戦艦〈大和〉まんまの形にデザインした」
「そう聞いてますが」
「そうか。わしは本人に会った。話を聞かせてもらったよ。戦艦〈大和〉は、元々は、子供の夢をかなえる船であるべきはずだったのだと。自分はそう信じていると……」
正規の人員の代理としてそれぞれの席に就く者らが、窓の向こうに眼をやった。艦橋から望む〈ヤマト〉はまさしく船だ。星の海をゆく船だ。宇宙航行船としてはなんの意味もない波避け壁と、水上船が他の船に引っ張ってもらうための鈎穴を模した〈ひ〉の字孔。あれがあるため、〈ヤマト〉の形は傍目には余計にバカバカしく映る。まるで給食用スプーンにすら見える。にもかかわらずどうしてそれがあるかと言えば、
「あれって、ここに立つ人間の眼につくようにしてるんですね」島の代わりにいま席にいる操舵士が言った。「人類を……子供を救う船であるのを忘れることがないように……」
「そう。それだけで付いている。ほんとは自分も乗りたかったと言っていたよ。旧〈大和〉が造られた昭和初めの日本では、ずいぶん多くの少年向け冒険小説が書かれたそうだ。わしも読んだわけじゃないが、『敵中横断三百里』とか、『海底軍艦』なんて言うのが」
「ははは」と、新見の代わりの戦術士が言った。「それがこのぼくらの旅の〈原作〉っていうわけですね。だったらこれは、『敵中横断二九六千光年』だ」
「そうだな。そのテの本はほとんどが、東南アジアの国々で日本の若者が活躍するものだったと言う。当時のアジアは全域が、イギリスやフランスやらの植民地支配を受けていた。日本の中学くらいの子は胸躍らせて読んだのだ。日本人の主人公がアジアの国の独立を助けて悪の帝国と戦う話を……」
「ですが……」と森の代理。「それって、軍国主義の……」
「もちろんそうだ。だがそれまで、東洋人が欧米人から
相原に代わる通信士が、「それも元はと言えば、マゼラン……」
「そう。皮肉なものだがな。わしらはその名前が付いた星雲に行かなければならん。マゼランはマレー人の奴隷を旅に連れていた。南の島で彼の言葉が通じたときに〈西〉と〈東〉が繋がった。そこまでは間違いなくマゼランの手柄だ。マゼランは、マレーに着いたらその奴隷を自由にしてやると言っていたが……」
そこで徳川は言葉を切った。太田に代わる航海士が後を継いで、
「その前にマクタン島。約束は果たされなかった……そして続いて白人が来た。スタンレーの山脈も、オーエン・スタンレーという男に〈発見〉された……」
「そうだ」と徳川が言った。「マゼラン星雲また
「だからぼくらもそうあれと……」と船務士。艦首フェアリーダーを見ながら、「〈やまと〉という名前の船はそうあらねばならないからと、だからわざわざこの形に造り上げて、あれを艦首に取り付けた……」
「そうだ。ここに立つ者は、あれを見るたびそのことを思い出さねばならんのだ。昭和の子供と同じ思いを胸に刻みつけねばならん。わかるな、南部」
「ええ。それはもちろんですが……」
「けど」と通信士が言った。「地球に戻って『あれはなんだ』と人に聞かれたとしても、説明には困るでしょうねえ。あれじゃあんまり、でっかいレモンを絞って汁を垂らすみたい……」
これには一同が笑った。徳川もハゲ頭をつるりと撫でる。
「そうじゃなあ。しかし〈大東亜共栄圏〉なんてものの本音がどうあれ、太平洋がマゼランに奪われた海だったのは確かなんだよな。若者達はマゼランから海を取り返すために戦地に行った。マレーにもだ。その半島の先にあるシンガポールを目指してだ。シンガポールは島全体が砦だった。東洋人など薄汚いネズミとしか考えない白イタチの砦だった。日本人はだからネズミを代表して、紳士気取りのイギリスイタチを倒すために行ったのだ。それだけは事実だ」
「欧米人は自分達がしてきたことを棚上げして、日本人を黄色い猿と呼んでいた」と操舵士。「太平洋を猿なんかの海にすることがあってはならん、と。山に登って柿取って、全部こっちに差し出せ、と……それでこっちが抵抗して青い実なんか投げつけたら、カニのハサミと蜂の針と栗のイガで攻撃かけて臼で潰す……」
「そうして全部ワタシが悪いことでしたもうしませんと言わされた……まあな、確かに、当時の日本は思慮が足りなかったのだろう。本当に正しいことをやるのにはな……結局はマゼランと同じことをしてしまった。約束を代わりに果たすはずの地に送ってはいけない男を送った。なんと言ったかな、あの参謀は……」
戦術士が、「辻政信?」
「それか。わからなくもないな。シンガポールの華僑など、同じアジアの人間を白人に売る奴隷商以外のなんでもなかったのだろう。マレー人の中にさえ、甘い汁を吸っている奴隷
もう誰も口を挟む者はなかった。徳川は窓の向こうの船の舳先に眼をやった。〈ヤマト〉の艦首は、帆船時代の大砲をそこに置くよう造られてでもいるかのように見えなくもない。
あるいはそこから、縄で縛った人間を蹴り落とすためにあるようにも……軍艦とはそういうものだ。そういうものになりうるものだ。乗る人間の心次第で。
〈ヤマト〉の艦首は、だからこそ、あえてそのように造形された。そこで人間の体を潰し、絞った血を垂れ流す場であるかのようにデザインされた。人類を救う運命を負った〈ヤマト〉という船にはむしろそのような装飾も必要と考えられたからだ。
〈ヤマト〉の艦首フェアリーダーは、寝かせ折り曲げた十字架だ。蝶の羽型の一枚板の端を折って舳先の上に据え付けたようになっている。それは艦長の沖田に逆らう乗組員を殺してその血を前に垂らす処刑台なのである。正面の〈ひ〉の字孔はそのための穴という意味があり、台には大きく髑髏の模様が刻まれている。
だがもちろん、これはあくまで飾りである。乗組員の命を護り死を遠ざけるための魔除け、というのが本当の意図で、左右に開いた鈎穴はまさしく船の〈フェアリーダー〉。『船を正しい方向に導くもの』との意味がかけられてある。すべては神の加護を願い、航海を成功させて人類を――まず何よりも子供を救う船であれという祈りを込めたものなのだ。〈ヤマト〉を護り導く神は決して優しいだけのものではならない。それは鬼神でなければならず、乗組員にはその神に身を捧げる覚悟がなければならない。
しかし、あくまでも飾りだった。本気で誰かを処刑して
この航海は決して優等生的な使命感で達せられるものではなかろう。乗組員に天の河とマゼランを繋ぐ旅を遂げさせ、船を地球に帰らすものがあるとするならそれはロマンだ。燃えるような冒険のロマンだ。設計した者達がそう信じていたがゆえに、〈ヤマト〉は艦首にかなりマンガ的とも言えるこのような装飾を持つに至った。
〈ヤマト〉の艦首フェアリーダーは、艦橋に立って窓から臨み見て初めてそれが十字架とわかるようになっている。
「シンガポールの砦に立って、白人の旗を降ろして代わりに日の丸を掲げたとき、若者達はマレーの人々に向かって叫んだのだろう。海の向こうのジャワやフィリピンにも向かって叫んだのだろう。この旗の下に君らは自由だ。もう白人の奴隷じゃないと……それをひとりの人間がブチ壊しにしてしまった。シンガポールがなんのための砦だったか、白人達は都合よくきれいサッパリ忘れて言った。あんなことができるだなんて日本人というのは悪魔だ、人じゃない――あいつらに譲歩なんかしてはいけない。いかなる犠牲を払おうと叩きのめさなければいけない。たとえやつらの街を焼こうと、新型爆弾を落としても、と……やはり間違った戦争ではあったのだろうよ。たとえ戦いの中であっても、人はどこかで愛し合う道を探るべきだったのだ。なのにそれをフイにした」
徳川は言い、それから南部に眼を向けた。
「南部、お前、波動砲で空母を撃ったときに言ったな。『ガミラスの母星を見つけて撃ってやる』と……あれ、本気で言ったのか」
「え?」と南部。「それはその……」
「まあいいさ。聞かんよ。やつらが一体なんなのか、何もわかっとらんのだしな。場合によっちゃ四の五の言わずに撃つしかなくなるかもしれん……だがな、わしは、できることならそんなことになってほしくないと願うよ」
「はあ……」
と南部。返す言葉がまったく見つからないようだった。徳川が黙り込んだので、誰も口を利かなくなった。シンと静まった室内にただ各種の電子機器や空調装置の唸りが満ちる。やがて森の代わりとしてコンソールに向かっていた船務士がポツリと言った。
「気のせいかな」
「ん?」と操舵士。
「いや……なんかさっきから、冥王星のまわりで重力場の揺らぎがやたらと起きてるような気がするんだけど……」
「冥王星で?」と戦術士。「何それ。ガミラスがなんか動いてるってこと?」
「うん。どうやら……」
と言った。冥王星には当然ながら常に地球の偵察機が多く送られ、今も軍と〈ヤマト〉に情報を伝えてきている。そのすべては無人機だ。有人の偵察機を送るには冥王星はあまりに遠く、往復だけで何ヶ月もかかるうえに、搭乗員が生きて帰れる望みはゼロに等しい。ゆえに小型のステルス無人機を送る方法が採られている。
だがそれでも、近づけばやはり見つかって仕留められるし、冥王星のまわりには強力な通信妨害があるために得た情報を地球に届けることができない。それがために一億キロ――つまり、金星が太陽のまわりを回るのと同じ――ほどの距離を取って各種の機器を向けるしかできず、それでは思わしい成果を得られずにいるという。
船務士が見ているのは、そんな無人偵察機が送ってくるデータであるようだった。続いて通信士も、
「こっちも普段より多くやつらの交信拾ってるような……」
「え?」と航海士が言った。「どういうこと?」