ザ・コクピット・オブ・コスモゼロ   作:島田イスケ

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東経140度線

「前から気になっとったんじゃが――」と佐渡先生が医務室で言った。「この船は、なんやみんなが『すたんれーすたんれー』と言いよるな。今日はなんだか特にうるさいんちゃうか? 一体〈スタンレー〉ちゅうのはなんじゃい。スタンプラリーみたいなもんか」

 

「冥王星ノコトデス」とアナライザー。「乗組員ノ隠語デスカラ、コノ船ノ中ダケデシカ通ジマセンガ」

 

「わしに通じとらんじゃろうが。冥王星ならメーオーセーと言やあいいじゃろ。なんで気取って変な言葉を作らなきゃあいかんのじゃ」

 

「ソレガ隠語トイウモノデスカラ。〈すたんれー〉ノ方ガ(クチ)デ言イヤスイトイウノモアルノデショウ」

 

「納得いかんな。大体なんで冥王星がスタンプラリーになるんじゃ。立ち寄って記念にハンコついていこうちゅうことかい」

 

「ソレハデスネ、話セバ長クナルノデスガ……」

 

「まあ飲みながら聞くとするわ」

 

佐渡先生は酒をコップに手酌で注いでグビリとやった。アナライザーは説明した。〈スタンレー〉の隠語の元は太平洋の南の島ニューギニアの山脈である。まだ地球が青い頃の世界地図を広げて見れば、日本の千葉県房総半島のほぼ先っぽのところから、線が一本、南へ伸びて描かれているのがわかる。東経140度線だ。それをずっとたどっていくと、赤道を越えたところにあるのがニューギニア島。

 

そのすぐ南にオーストラリアがあるために、まるで小島のように感じる。メルカトル図法の地図では、日本の方が大きく描かれてもしまう。だが実際は、もはや〈小大陸〉とも言える非常に大きな島である。面積はグリーンランド島に次いで世界二番目。日本列島をすっぽりくるむ豆の莢ほどの広さがあるのだ。

 

さて、〈ヤマト〉の目的地マゼラン星雲は〈南〉にある。地球がどれだけグルグルと自転公転しようとも、〈天の南極〉にあるために南極大陸の真上の空に在り続けるのだ。日本人がマゼラン星雲に向かうのは、東経140度線の延長を南へ南へ南へ南へ南へ南へ南へと〈南極〉目指してただひたすら宇宙をゆくことだと言える。ゆえに、〈ヤマト〉の航海要員は、イスカンダルへ向かうべく太陽系を出ることを『赤道を越える』などと言う。

 

東経140度の線をたどって真南へ――まだ青い頃の地球の海を船で進んでそれをやれば、赤道を越えたところでぶつかるのがニューギニア島だ。南極を目指す日本人にとってこの小大陸は、東西に三千キロもの長さに伸びて行く手を阻む〈赤道の壁〉なのである。

 

横に長いだけではない。縦にも高い。この熱帯の小大陸は、言わば〈洋上ヒマラヤ〉である。日本の屋久島は標高二千メートルの宮之浦岳がそびえるために〈洋上アルプス〉と呼ばれるが、ここはそんなものでは済まない。標高5030メートルの〈ジャヤの(いただき)〉を筆頭として、四千メートルを越える山が西から東へズラズラと並ぶ。端から端までずっとそんな調子であり、尾根の鞍部(あんぶ)においてすらその海抜は二千メートル。全体の平均が三千メートル――それがニューギニア、スタンレーの山並であるのだ。

 

冥王星を〈ヤマト〉クルーが〈スタンレー〉と呼ぶ第一の理由はごく単純なものだ。この地理的な要素である。日本人の船乗りにとってニューギニアは〈赤道の壁〉。もしも迂回ができぬのならば、ジャングルを切り開いて地に丸太のコロを並べ、船をその上に乗り上げさせて、そして舳先のフェアリーダーに鎖を掛けて乗組員が総出でええいこらよと引いて、山脈の尾根を越させなければならない。もしも谷間を抜けぬのならば、この山脈の最高峰、〈スタンレーの魔女〉と呼ばれる〈ジャヤ〉の頂上を越さねばならない。

 

そうするしかないのであれば、そうするしかないのである。たとえ無理でも無謀でも南極へ行かねば国が滅びるのなら、そうするしかないのである。そして〈ヤマト〉は、何がなんでも〈天の南極〉へ行かねばならない。太陽系を出るにあたって迂回できない敵がいるなら、倒していかねばならないのだ。それは宇宙の赤道にそびえる〈ジャヤ〉だ。〈ヤマト〉に乗る者達は、それを征服せねばならない。

 

ニューギニア島スタンレー山脈最高峰、東経140度線のすぐ西に位置するジャヤ山。かつてその山は〈魔女〉と呼ばれた。登りつこうとする者を退(しりぞ)け、直上(ちょくじょう)の陽光を受けて輝き下界を見下ろしていた。登攀をあきらめ下山する者達は、振り返って雪の斜面に嘲笑(あざわら)う女の顔を見たと言う。風の中にせせら笑う声の響きを聞いたと言う。山は冷たくそびえ立ち、男達を笑っていた。人間どもめ。お前らを寄せ付けなどするものか。それが身のほどと知るがいい――冷ややかに〈魔女〉はそう言い笑っていたと。

 

そして今、冥王星――そうだ。宇宙を〈真南〉へ行かねばならぬ〈ヤマト〉にとって、冥王星は迂回できぬなら越さねばならぬ〈天の赤道の壁〉だった。宇宙のニューギニア島であり、スタンレーの山脈なのだ。〈ヤマト〉は〈ジャヤ〉に挑まねばならない。ガミラス基地は〈宇宙のスタンレーの魔女〉だ。地球人類の滅亡に手を貸す宇宙の魔女なのだ。

 

――と、これが単純な第一の理由だ。しかしまだ、それだけではない。〈ヤマト〉のクルーが冥王星を〈スタンレー〉と隠語で呼ぶもうひとつの理由があった。ニューギニア島スタンレー山脈――そこはかつて、日本の軍隊が無謀な作戦のもとに(おもむ)き完敗した場でもある。日本はかつて、世界を相手にした戦争でこの山脈を戦場にし、兵を全滅させているのだ。そこは玉砕の地でもあるのだ。

 

それも最初の……1942年、太平洋戦争中のことである。ミッドウェイでの海戦の直後だ。連合軍の巻き返しが始まって、日本は窮地に追われつつあった。敵連合の反攻の最初の拠点となったのがニューギニア島南部に位置するポートモレスビーの港。ここに置かれる基地へと敵は兵を続々と送り込む。それを防ぎ止めなければ、敵は140度の線を北へ北へと上ってきて、やがて日本は国を焼かれる。だからと言って降伏すれば、大国に四つに分けられ内乱を見物されることになる。その後に多くの国々がそうされてしまったように……。

 

紛争してるよ怖いねえなんで同じ民族同士殺し合わなきゃいけないんでしょ。東ジャパンに西ジャパン、南ジャパンに北ジャパン。しかしま、あそこで憎み合ってくれるほどこっちはお金が儲かるてもんで、いいぞどんどんやってくれい。流れた血が地に染み込んで、石油に変わって噴き出すくらい殺って殺って殺り合ってくれい。ああ平和の大切さがわかりますね。ああいう国にはなりたくないもんですな。

 

そう言われるはずだった。だから降伏はできぬと言った。実際にはアメリカに、『へっへー原爆で勝ったんだから全部ウチのもんだよ』と占領されて〈反共の盾〉にされるわけだが、そんなことは知るよしもない。敵は日本を四つに分ける四つに分けると言いながら、赤道にハシゴの足場を築こうとしていた。ルーズベルトはもちろんのこと、チャーチルもスターリンも毛沢東もそれぞれの国の民に約束していた。ショーワヒロヒトとかいうガニマタのチビを吊るして必ずあの島国を四つに切り分けてみせます。この線からこっちはウチの……。

 

そう言われていた。明治大正の頃からずっと……〈プロジェクト(フォー)〉とでも呼ぶべき陰謀により、日本は国をズタズタにされる寸前だったのだ。だってどうせ猿じゃないか。人ではないんだ。だから家畜にしていいんだ……白人達は平気でそう言っていた。そうだお前ら猿じゃねえかよ、猿を猿と呼んで何が悪いんだよと、面と向かって言っていた。彼らにとって〈戦争回避の努力〉とは、『猿が人間に逆らうんじゃないお前達は人間様に仕えてこそ幸せなのだなのにどうしてそれがわからん』と英語で怒鳴りつけ、日本人の尻を蹴飛ばし棍棒で殴ることだった。

 

当時の白人の思考では、それが〈人道(じんどう)〉だったのである。アメリカ国内で黒人の奴隷が解放されたとは言え、それはあくまで下僕(げぼく)として。〈準人類〉の身分に過ぎない。わずかなりとも反抗的な態度を見せれば即座にムチ打ち靴を舐めさせ、道の真ん中を歩くことも許さない。そして国外の植民地では、有色人種は牛や馬と同じだった。当時のキリスト教会が、〈人〉というのは白人だけだと教えていたから疑問を持つことすらなかった。しかし日本という国が、これをハネのけ刃向かってくる。アジアの民を〈人〉として扱えなどと言ってくる。許せん、猿の分際で……言って彼らは〈プロジェクト4〉を結成した。日本を四つに切り分けるのだ。

 

そうして他の劣等人種への見せしめを兼ねて、互いに殺し合わすのだ。百年でも二百年でも、白人の優位を保つために、いつまでも……必ずそうしてやるからなと、国際連盟の決議は言った。我らの自由の象徴であるニューヨークの女神像を護るため、貴様ら〈猿の帝国〉を必ず滅ぼしてくれてやる。その列島を〈永久戦闘実験室〉に変えてやるから待っていろ。

 

そう言われた。だから日本はこちらから戦争を仕掛ける以外に〈国家〉として在り続ける道はなかったのだった。たとえ敗けても易々と降伏などできなかった。赤道の敵を討たねばならなかった。しかし、ポートモレスビーは、スタンレーの高い壁の向こうにある。そこへ向かう最も低い道であってもその海抜(かいばつ)は二千メートル。

 

〈ココダ山道(さんどう)〉――名前はあっても、実は道なき道だった。それでも基地を落とすには、そこを進むしかなかった。だが実行は不可能とされる。無理だ。できるわけがない――。

 

そこにひとりの参謀が立ち、いいや、無理でもやるのだと言った。無理だできぬと言ってはならぬ。やらねばならぬものはやる。道がないなら道を作っていけばいい。敵が待つならそれを倒していけばいい。

 

スタンレーをおれは越える! 彼は叫んだ。名を辻政信と言った。これは上の決定であり、陛下の御意志であるとも吠えた。だが、それは嘘だった。すべて彼の独断専行――しかしそれがバレても言った。おれは行く。行ってみせる。『アイシャルリターン』などと言うマッカーサーを討ってみせる。白いツラでおれ達を劣等人種と見下し笑う者どもにこれ以上アジアを思いのままにはさせん。太平洋はやつら白人の海ではなくて我々の海だ! それをやつらに知らしめる! やつらの王と神の名の(もと)に民を奴隷化し、支配の限りを尽くしてきたマゼランの末裔どもとおれは戦う! 死ぬまで戦う! 日本の〈和〉をアジアの〈和〉に、世界の〈和〉に変えるのだ! これは〈和〉のための戦いなのだ。おれは〈和〉のために戦うぞ。命ある限りおれは戦う! 

 

みんなおれと共に行こう! ラバウルの海を背にして辻は叫んだ。誰もこのように兵を説く男を止めることはできなかった。ココダの道にとにかく行って、すべては後から考える。そんな無謀な案のもとに赤道の壁を越える作戦が決まった。辻政信はそれまで彼が戦ってきた地で常にそうしたように先頭に立って敵に挑むつもりでいた。

 

ところがなんと、ニューギニアに上陸直前、爆撃機に船が襲われ、辻は重症を負ってしまう。〈主役〉を欠いた部隊はそれでも基地を目指したが、これを予期していた敵はココダの道に罠を張り巡らせていた。日本軍は待ち伏せに遭い、射的のマトになっていいように殺されていった。

 

だがしかし、本当の敵は山そのものだった。兵達は熱帯のジャングルの中でマラリア蚊にたかられ、毒ヘビとクモとアリとヒルに咬まれ刺されて地をのたうった。ひとりひとりが50キロの荷物を(かつ)いで崖を登り、足を滑らせ転がり落ちた。補給なしの餓えに苦しみ、ついに最後の米も尽き、死んだ仲間の肉まで食って、骨だけ残して全員が死んだ。

 

それが太平洋戦争における最初の玉砕である。スタンレーでのこの敗北が初めとなって、日本軍は次から次に南の地で潰されていく。ソロモン、ギルバート、マーシャル、パラオ、マリアナの各島々で……そしてそこから飛び立ってくる爆撃機の群れにより、女子供の別なく火に焼かれていくことになるのだ。白人達は日本人をどうせ猿だと考えていたから、燃える街を空の上からざまあ見ろと笑って眺めた。

 

ニューギニア島スタンレー山脈。日本はかつて、そこに棲むという〈魔女〉に敗れた。その名は滅亡の象徴であり、敵の罠が待ち受ける地の象徴であるとも言える。ゆえに〈ヤマト〉の艦内で、冥王星のガミラス基地を指す隠語となっていった。戦闘要員は再戦の決意を込めて、航海要員は迂回すべきものとして共に山脈の名を使った。日本の南の赤道にあり〈進出〉を阻む高い壁。聞けばなるほどと納得する理由のはずのものではあるが、

 

「ふうん、それでスタンプラリーか」佐渡先生は言った。「で、みんなが騒いじょるのは、結局ハンコ捺してくことに決まったわけじゃな」

 

「エエト……マアソウデス。作戦名ハ赤道ノ山ニチナンデ〈じゃや作戦〉トナリマシタ。全乗組員、戦闘準備ニカカレトノコトデス」

 

「そうか。そういうことならば、わしはもっと飲まんといかんな」




松本零士『スタンレーの魔女』の作中でニューギニア島最高峰の山の標高は《5030m》と書かれ、ここに載せた地図でもそうなっていますが、近年新たに測量が行われたらしく、2017年の地図から〈ジャヤ〉の標高は《▲4778m》と改められています。しかし、本作ではあえて旧測量値を採ることとしました。

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