「あ、ごめんなさい」
古代は言った。それから思った。うわっ、またこの女かよ。なんでなんで毎度毎度、
森雪とかいう女士官は、二歩ばかり後ろにさがった。それから古代に、『入りなさいよ』という眼を向けてくる。今ここから出ていくつもりだったんじゃないのかよと思ったが、
「いいえ。おれ、やっぱりやめます。どうぞごゆっくり」
ムッとした顔をされた。いかん、と思う。そりゃそうだ。しかたがないのでやっぱり小部屋の中に入ることにした。
それがいけなかった。足を踏み出した瞬間に、森も古代の横をすり抜け部屋から出ようとしたのだ。カウンターでぶつかってしまった。
「わっ」「きゃっ」
よろけつつ、ふたりで展望室内へ。森が倒れそうになるのを古代は支えた。
古代につかまり、森は背を正して立つ。睨むように古代を見た。
やばいなあ、と古代は思った。この状況は絶望的だ。すべてをあきらめ、神にゆだねるしかあるまい。
「えーと、その、あの……」
古代は言った。この女がこのおれをどう見てるかはわかってる。この〈ヤマト〉にはふさわしくない規格外の不良品、だ。そりゃそうだろう。おれ自身、よくわかっていることだ。真のエリート艦橋クルーの島とか南部とかいうのと毎日一緒にいたら、おれなんか、よくよくカスにも見えるだろうさ。人類存亡の危機にあるこのときに、戦わずに逃げる男――そういう眼で見てるんだろう。
けれどもそう思われてもしかたない。だって本当に逃げたいんだもん。人類を救う使命なんて、どうしておれが負わなきゃならん。そんなのヤだから逃げたいんだよ。このキャリアウーマンには、さぞかしそんな考えは意気地なしに思えるだろうが。
この小展望室にいま入ってきたのだって、たとえ少しの間でも状況から逃避する場所を求めてのことだった。前回の会議の後もそうだった。なのに
外にチラリと眼をやった。窓の向こうに〈煙突〉がある。実は対空ミサイルの発射台であるとか言うが、なんで煙突の形なのか。さらにその後ろ、戦艦〈大和〉ではアンテナ線の支柱が立っていた場所に細長い翼のようなものがある。船体から離したところに置かなきゃならないセンサー類を保持するための柱らしいが、これまたなんでわざわざそこに。で、その先に副砲主砲、カタパルト……正気の沙汰と思えない。一体なんで、何から何まで昔の戦艦そのまんまの形にしようとするのか。
森は言った。「ありがとう」
「は?」
「今、支えてくれたじゃないの。だから礼を言ったのよ」決まり悪そうに言う。「それだけよ」
「ああ、そう」
「ここでよく会うわね」
「いや、本当に」
思った。気まずい。これは気まずい。ほんとにこいつ、この部屋を出ていくつもりだったんじゃあなかったんかよ。
「ごめんなさい」森は言った。「あたし、あなたのこと誤解してた」
「は? えーと……」
「あたしはてっきり、あなたはずっと状況から逃げてきた人なんだと思ってた。でも、見ていてわかったの。あなたは決して戦わない人間じゃない。与えられた使命を果たす、そのためになら命を懸ける人だと言うのが……ただ、これまで、その機会がなかっただけよ。そうでなければカプセルを持ってこられるわけがない。そんなの最初にわかっていいはずだったのに……」
「え?」
と言った。違う! それは、全然違う! この人トコトンおれを誤解してる!
「謝るわ。あなたなら、この任務もきっと果たす。あなたにできないことならば、たぶん他の人にもできない。沖田艦長は最初から、すべて見極めていたのね。あなたがいれば、〈ヤマト〉は勝てる。今ならそう信じられる」
「いや、あの」
信じないでくれ、頼むから! そう思った。この人、たぶんおれに言ってるというより自分にそう言い聞かそうとしてるんだろうけれどもさ。だからっておれを信じたり、頼ったりしないでくれよ。迷惑だから! そういうのは島か南部だかに言えばいいだろ! どうして今おれになるわけ?
「あたしはときどき、今の地球人類に救う価値はあるのかと考えてしまうときがあるの。みんな、生きるのをあきらめて死ぬのを待ってるだけなんじゃないかって……でも、違うのよね。きっと、あなたのような人が、まだまだたくさんいるんだわ。戦うだけの気力があって、機会があれば戦える人が……〈ヤマト〉がその機会を作らなきゃいけないのよ。そのためにも〈スタンレー〉は叩かなきゃいけない。あなたが基地を探して飛ぶなら、あたしもビームを
「はあ」
と言った。エリートってのはシチ面倒くさいことをよくもまあ頭でこねくりまわせるもんだな。冥王星で勝ったとしてもおれはこの先、航海中はずっとずっとこの女からやいやい言われることになるのか? だろうな。船務科と言えば船の運行管理役。この女はその長だと言うんだから、旅の間はつまりずっとおれは管理されちゃうわけだ。うげえ。ヤだなあ。げんなりするな。それでなくても逃げたいことだらけなのに。
「ええと」
と言った。
「何?」
「いや、何と言うほどのこともないんだけど……」
とにかく話題を変えようと思った。たとえば、天気の話とか。窓を見てみた。宇宙はいつも晴れた夜空だ。
「この船って、なんで昔の戦艦まんまなのかと思ってさ。有り得ないでしょ。沈没船をカモフラージュにしたってのはわかるにしても、何も形をこうすることはないんじゃない?」
「ああ」
と言った。彼女の方でも話しやすい話題になってほっとしたように見えた。
「そうよね。そもそも〈大和〉って、縁起のいい船ではないしね」
「そうでしょ。沈んだ船なんて」
「それもあるけど……〈大和〉のことは何も知らない?」
「うん。550年前に沈んだ船としか」
「250年前」と言った。「まあ、無理ないか。〈大和〉は敗けるとわかっている戦いに臨んでいった船だったのよ。そして沈んだ。そして日本は戦争に敗けた……」
「ははあ」
なるほど縁起が悪い。タイタンで見た〈ゆきかぜ〉の残骸が頭に浮かんだ。兄が死んだ日、地球は一度戦争に敗けた。〈メ号作戦〉の敗北は人類滅亡を意味していた。人々が絶望から無気力になり、その一方で狂信徒が勢力を拡大させていったのも、思えばその日からだったろう。古代は言った。「だったら、なんで?」
「そうね。子供を救うため、旅立つ船なんだものね。別の形が他にあったかもしれない。マンタエイとかアホウドリとか、首長竜みたいな形にするべきだったのかも――どうせマンガみたいなら、子供の夢を託すのにふさわしい形があったかもしれない。その方が合理的な設計もできたはずだった。けれども、それは否定されたの。最後の希望の船の名前は〈やまと〉以外ないだろう、船の形は戦艦〈大和〉まんまにしようということになった」
「だからなんで」
「だから」と言った。「これは希望の船じゃないの。絶望の中で
「はあ」
と言った。なんだかよくわかるようでわからない。それに聞いてて、そんなのは、後付けの理由も混じってるんじゃないかという気がしなくもない。〈ヤマト〉の建造そのものは、五年も前から始められてはいたはずだし、最初は逃亡船のつもりだったわけだろう。
森は言った。「納得いかない?」
「いや、そういうわけでもないけど」
「理由はもうひとつあるのよ。何よりも乗組員の精神的な問題ね。きっとこの船に乗る者は、敵そのものより絶望と戦うような旅をしなければならなくなる。そこに配慮する必要があると考えられたの。人類を救う使命は重過ぎる。いつか乗組員達を押し潰してしまうかもしれない――計画を立てた者達はそう考えた」
「それはわかるよ」
「使命に潰される者を使命では支えられない。だから、救いになるものを与えようと考えられた。苦難のときに乗組員を支えるものがあるとすればロマンだろう。旅立つ者の胸にロマンをたとえかけらでも与えよう。そう考えた末に〈ヤマト〉はこの形、この名前にされたと言うわ。きっと、いつでも地球では誰かが手を振ってくれていると、乗組員にそう思わせてやろうとして。地球や人類のためじゃなく、子供を救うためでもなく、ただ誰かの無事だけ祈って、スカーフを振っているような……」
「スカーフ?」
と言った。森が言った情景が眼に浮かんでくる気がした。地球から自分に向かって手を振る娘。ひるがえる真っ赤なスカーフ。
「たとえばの話よ」森は言った。「あたし、何言ってんだろ……つまり、その、なんて言うか……」
「いいや、ちょっとわかった気がする」
「そう」
森は窓の外を見た。その横顔を古代は見た。ロマンのかけらか、と思う。男
古代も宇宙を眺めやった。おれには地球で待つ者はいない。『無事を祈る』と言う声をテレビなんかでたとえ聞いても、それがおれのためでもあると思う気にはあまりなれない。地球にある〈ヤマト〉乗員の名簿におれは載っていないのだろうから……ロマンのかけらなんてもの、どこに探したらいいんだろうか。
「それから……」と森は言った。「もうひとつ、ごめんなさい」
「は?」
「ほら、いつかのこと……艦長室にあなたが呼ばれていった後で、『なんの話だったか』なんて無理に聞こうとしたりして」
「ああ。いや、そんなの」
そもそも、すっかり忘れていた。気に留めてすらいない――古代はそう言おうとした。けれども森は、
「『地球を〈ゆきかぜ〉のようにはしたくない』」と言った。「後で聞いたわ。あなたのお兄さん、〈ゆきかぜ〉の艦長だったんですってね」
「ああ、うん……そうらしいけど、それが何か?」
「え?」
目をパチパチさせた。それから古代をマジマジと見てくる。古代はたじろいで身を引いた。
「何?」
「知らないの、〈メ号作戦〉の話?」
「は? 知ってるよ。知らないわけないでしょう」
「詳しくは知らない? 最後に残った二隻の話は?」
「ああ……なんか聞いたことあるな」と言った。「ええとなんだっけ。なんで一隻だけ行かせて、一隻だけ戻ったとか言われてるやつ?」
「そう。それ……あなた、詳細は知らないのね。その二隻の船名とかは……」
「まあ」
と言った。そりゃそうだろ。そんなもん、たとえ聞いてもいちいち覚えていられるかと思った。だいたい、軍艦の名前などどれもみな似たようで、聞いただけではそれが戦艦か空母なのか、それとも救護艦とかなのかもわからない。確かに例の海戦で最後に二隻残ったときにどうのこうのという話を人がしてるのは聞いたことがあるが、どっちの名前の船が旗艦でもう一隻がなんて名前のどんな船かもまるでチンプンカンプンで、詳しく知ろうと思ったことさえ古代はなかった。
それに、あらゆる情報が公開されてるわけでもなければ、何十という船の一隻一隻がどの段階でどう沈んだかいちいち全部知ってるやつがそう滅多にいてたまるか。詳しくなんて知らない方がむしろ当たり前じゃないか。
なのに一体、この女はその二隻がなんだと言うんだ? たった二隻で冥王星に行ってもどうせ殺られるだけに決まってたろうに。それをどうして、この女はおれが話を細かく知らんのはなぜかという顔をするんだ。
それは兄貴がその戦いに参加して、小さいながらも船の指揮を任されながらに死んだと言うなら、どう死んだのか気にならないことはない。だが、知ったところでどうする。どうせ、数十のうちの一隻……。
「その最後の二隻のうち一隻が〈ゆきかぜ〉よ」森は言った。「あなたのお兄さんの船」
「え?」と言った。
「で、そのときの旗艦が〈きりしま〉……沖田艦長がそのときの提督」
「え?」とまた言った。「そんな」
「そう。知らなかったのね」森は言った。「そうよね。無理もないかもしれない……あたしもそのとき、本当は何があってそうなったのか詳しいことは知らないし、人はいろんなことを言うけど……」
「いや、でも、けど……」
「その話じゃなかったの? 『地球を〈ゆきかぜ〉のようには』って」
「そんな。違うよ。あれはそんなんじゃなかった。あれは……」
「何?」
「その」
と言いかけて続かなかった。そもそも、あのとき沖田になんと言われたかよく思い出せなかった。体の中の歯車に何かが挟まったようになってしまって固まった。そんな古代を森はしばらく見ていたが、
「ごめんなさい。やっぱり、聞くべきじゃなかったようね。無理に話してくれなくていいわ」
部屋を出ていこうとする。待ってくれ、と言おうと思った。あのとき何を言われたか思い出すから聞いてくれ。おれには意味がわからないんだと古代は森に言いたかった。だが喉から声が出ない。森の方が振り向いて言った。
「明日のこと――どうか、生きて帰ってきてね。あなたならきっとやれると信じてる」
「ああ……」
それしか言えなかった。森は出ていく。古代はひとり残されて、なんなんだよと考えた。きっとやれると信じてるだと? 勝手に信じられても困る。
とは言え、おれがやれなけりゃ人が滅んでしまうのか。おれもあなたがきっとやれると信じてる――そう言うべきだったのだろうか。あの彼女が〈ヤマト〉を狙うビームを
真っ赤なスカーフか、と思った。窓の外に動くものを見つけて古代はそちらに眼をやった。煙突――いや、対空ミサイル発射台に船外服を着たクルーが取り付いている。向こうもこちらに気づいたらしい。古代が手を振ってやると相手も振り返してきた。
見れば、船体のあちこちで、何十人ものクルーが船外作業をしていた。戦闘前の整備だろう。主砲にも、対空砲にも、レーダー、センサーの
そしてまた、〈ゼロ〉のカタパルト――やはり何人ものクルーが、船外服でまわりに付いて離着艦台を動かしたり、着艦アームを点検しているのが見えた。あればかりは、おれのためにやってくれているのだと思った。このおれを送り、船に戻るのを迎えるために仕事をしてくれている。がんもどきのおれのために――そんな者達がちゃんといるのだ。
赤く光る棒状の標識灯を手にして振る者がいる。道路工事の現場でクルマを誘導するのに使うようなやつだ。暗い宇宙で残像の尾を引くそれは、古代の眼にはまさに真っ赤なスカーフに見えた。
いいや、と思う。それだけじゃない。タイタンでダメにした〈ゼロ〉の翼を交換し、機の整備をしてくれている者達がいる。おれは今すぐ行ってそいつに付き合わなけりゃいけないのだ。パイロットがいなければできない作業もあるのだから。
こんなところで油を売っていてはいけない。加藤などは会議が終わるとだからサッサと艦底に降りていってしまったのだろう。あいつはプロだ。それに比べて、おれなんか、やっぱりてんで失格の人間なんだろうなと古代は思った。地球人類の運命――とてもそんなもの、背負って戦うなんてできない。
そうだ。森が言ったように、何かロマンのかけらのような。悲愴な決意なんかじゃなく、ただおれを想ってくれる人のために――そんな誰かがどこかにいてくれるとでも思わなければ、とても戦えそうにない。
小展望室を出ながら、ほんのひとかけらでいいから希望が欲しいものだと思った。もう一度振り向くと、〈ヤマト〉船体のあちらこちらで〈赤いスカーフ〉が振られていた。