ザ・コクピット・オブ・コスモゼロ   作:島田イスケ

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サルマタケ

巨大なハッチが口の開け閉めを繰り返し、赤青黄色の標識灯を(またた)かすクレーンアームを出し入れさせる。それが宇宙を揺れ動くさまは、まるでアニメの巨大ロボが〈ヤマト〉の尻から腕を突き出し、色華やかなスカーフを振っているようだった。〈タイガー〉戦闘機の着艦アームだ。32機の〈タイガー〉をできる限り迅速に船に収容するために、漁船がブラックタイガー海老でも釣るかのような仕掛けを使って――いや、実際のエビ漁がどんななのか藪は知らぬが――ヒョイヒョイヒョイと引っ張り込む。その装置の点検が、〈スタンレー〉での戦いを前にあらためて行われているのだった。藪は磁力ブーツの足で〈ヤマト〉艦底に〈逆さに立っ〉て、その光景を〈見上げ〉ていた。

 

足元には補助エンジン。艦底後尾に二基並ぶ。〈補助〉と言っても巨大なそれらの点検に藪は駆り出されていた。さっきまで麻雀卓を囲んでいた機関員の先輩達と、今は点検パネルを囲み、ズラズラ並ぶ各種のメーターを確かめる。索子や筒子の牌がそれぞれ一二三四五六七、役を作って上がりを待って、リーチをかけてツモればいくらと点数計算……という具合だ。

 

地球の海で転覆してひっくり返った船に立ち、夜空の下で麻雀しているかのようだった。〈タイガー〉の離着艦ハッチが閉じると、その先にある第三艦橋〈サラマンダー〉が宙に突き立っているのが見える。藪が今いる場所から見ると、〈サラマンダー〉はまるで赤いカレイかヒラメが、サメかイルカの背びれの上に乗っているかのようだった。

 

先輩のひとりが通信器を通して言った。『あの艦橋を、〈サルマタケ〉と言うんだよ』

 

「ええ」

 

と応えた。あの種の艦底構造物を〈サラマンダー〉と呼ぶのは別に教わらなくても知ってる。つまりサンショウウオのことで、水底を這う平べったい生き物のように見えることから〈サラマンダー〉。そう言ったのが船外服の通信機のせいか何かで『さるまたけ』と聞こえたのだと思ったのだが、

 

『ほら、あれって、ここから見るとまるででかいキノコだろ。〈猿股〉ってのは、つまりパンツね。〈ヤマト〉の赤いパンツからキノコが生えてるみたいだから、〈サルマタケ〉』

 

「ええっ?」

 

と言った。先輩達がみな笑う。

 

第三艦橋を見直してみた。なるほど巨大なキノコのようでもあるが、しかしそんな。

 

その後部の窓に人の姿が見える。磁力ブーツで船の底に張り付いている自分とは立ち方が上下反対だ。だからまるでコウモリが天井からブラ下がっているよう。

 

無論、彼らは彼らの床に立っていて、あの艦橋の方が〈ヤマト〉本体からブラ下がっているのだ。ここから見えるあの窓は艦載機の管制室で、〈タイガー〉のパイロットに右だ左だと着艦指示するための点検作業をしてるのだろう。しかし、あそこに立つ者の気分はどんななのかと藪は思った。

 

あの艦橋は管制台を兼ねる他、船体から離して置かねばならないレーダーなどを据えるためのものらしい。しかしあんなの、小型の駆逐艦などではあっても普通、無人だろう。けれどもこの〈ヤマト〉では、ああして人が配置されてる。

 

そんなことになっているのは、結局のところ、この〈ヤマト〉が急造艦だからなのに違いない。空母を別に持てないために、戦闘機隊を狭いスペースで無理に運用しようとするから、あんないかにも危なっかしいシロモノを管制に使わなければならなくなるのだ。

 

〈サルマタケ〉か。あの艦橋がキノコと言うなら今のおれはきっとカビだなと藪は思った。命綱で繋がれて、磁力ブーツで張り付いている。おれはこの船に立ってるんじゃない。やはり船底にブラ下がっているのだ。

 

宇宙には上も下もないと言うが、違う。宇宙では、あらゆる方向が下なのだ。もし船から身が離れたら、どの方向に行くのであってもそれは〈落ちる〉ということだ。無限に広がる虚無の底へ、永遠に落下し続ける。それが無間(むけん)地獄でないなら、他の何をそう呼ぶか。

 

第三艦橋サラマンダー。船と繋がるあの柱がヘシ折れたなら、中にいる人間は……あそこが戦闘配置など、おれにはとても耐えらないなと藪は思った。こんな船でガミラスと戦うなんて無謀じゃないのか。

 

そう思わされるのは、自分がいま向かっている機械も同じだ。補助エンジン――この〈ヤマト〉ではそう呼ばれるが、しかしこいつは、他の船でこれまで自分が扱ってきたカミカゼエンジンと基本的に変わらない。小型高出力だけが取り柄の、敵に突っ込み生きて帰る考えなど持たない船が持つのと同じ片道ロケット。

 

それが二基並んでいる。〈ヤマト〉の場合は、敵に遭ったら逃げるためこれを積んでいるのであって、決して戦うためではない――そのはずだった。当然だ。敵と戦う役になど本来立つようなものではないのだ。少しばかり強い役を揃えることができたとしても、向かう三人が組んでる卓の麻雀で勝てるわけがあるものか。

 

この〈ヤマト〉は、ましてすべてが急あつらえ――船の心臓で腸である機関室にいる自分には、その事実がよくわかる。船の肝臓の声なき声を聞く立場であるのだから。これは筋肉増強剤で無理矢理強くしている船だ。半荘勝負を最後まで戦い抜けるものではない。

 

だと言うのに、冥王星とは……迂回するんじゃなかったのかよと藪は思った。先輩機関員達は今、なんの迷いもないように船外作業に取り組んでいる。さっきまで麻雀卓を囲んでダラダラしていたのが嘘のようだ。〈スタンレー〉へ行く行かないでああだこうだと言っていたのも、すべて忘れてしまったよう。

 

これはそういう船だと言うのに、あらためて気づかされる思いだった。オレが地球と人類を救うのだという決意を胸に、訓練を重ねこれに乗った。戦って死ぬのであれば本望で、怖いなんて思いはしない。やるべきことを命懸けでただやるだけ……必ずしも戦闘要員と言えないような配置の者でも、それは変わることはない。

 

そしてまた、機関員こそ船が戦えるか否かを決める(かなめ)の人員なのだった。エンジンが動かなければ船は進めぬだけではない。砲の旋回もさせられず、灯りも点かず床の人工重力も消える。

 

わずかな予備電力では〈ヤマト〉の電子機器が食う電気は賄えず、百万キロ先の宇宙を秒速千キロで進む敵船を狙うなどは不能となる。敵のビームやミサイルが〈ヤマト〉めがけて放たれても、レーダーで探知することもできはしない。

 

エンジンがもし止まったら〈ヤマト〉は死ぬのだ。一基が失われただけでも、船の力は大きく損なわれてしまう。

 

今、装置を点検する機関員の全員が、それを自覚しているのがわかった。ひとつひとつの計器を調べる眼は真剣そのものだ。不調の種が機械のどこか見えない場所で根を広げ、やがてキノコのように膨れて胞子を撒き散らすかもしれない。そんな兆候がどこかにないか――メーターを睨み針を確かめ、麻雀打ちが場の流れを掴み取ろうとするようにエンジンの調子を見極める。危険が潜んでいそうな箇所は。交換すべき部品はないか。どこならまずは安全と言えて、どう機械を騙していくか……ヒマつぶしのダラダラ麻雀とは違う。まさに鉄火場の勝負事だ。伝わる気迫に藪は圧倒されていた。

 

息が苦しい。船外服の酸素残量。どこか漏れているんじゃないかと思うくらいにボンベの中身が減っていた。船外作業は慣れているはずだったのに、緊張のせいで普段より呼吸が増えているのだろう。息をすれば、酸素はなくなる。当然の話だった。

 

バイザーに警告の表示が出る。船内で作業をモニターしている士官から、耳に通信が入ってきた。『藪。交代だ。中に戻れ』

 

「了解です」

 

交代員と入れ替わる。藪はレンガを敷き詰めたような赤い艦底を歩いてエアロックのハッチに向かった。

 

レンガのような、ではなくて、〈ヤマト〉の舷と艦底を覆っているのはまさにレンガだ。大昔のスペースシャトルと同じように、この〈ヤマト〉もレンガ()きの船だと言う。墓石ほどの大きさのカーボンナノチューブで強化されたセラミックのブロックをボルトで留めて並べ張り詰め、船を鎧う装甲とする。それらは敵の対艦ビーム攻撃などを一度だけ受け止めるように造られている。

 

一個のレンガは砲一発に耐えればいいのだ。一度の戦闘で同じ場所にもう一発を喰らう見込みは低いのだから、難を逃れたら後で調べて、『ここのレンガがやられたぞー、代わりを持ってこーい』と言って貼り変える。いま自分が交代になったのと同じように。

 

そのレンガを一個一個叩いてまわり、ヒビなど入っているものがないかと聴診装置を当てて確かめている者がいる。小さなスペースデブリが当たった程度では傷もつかないはずのものだが、それでも〈ジャヤ〉の作戦に備えて万全を期しているのだろう。

 

レンガ装甲を採用するのも、〈ヤマト〉は本来戦う船ではないからだ。敵に遭っても逃げるに努め、傷を受けたら航海中に手早く修理できるよう、船の中の工場で常にレンガを焼いておく。あくまでそういう船であり、そのように造られているはずなのだ。それなのに、今は決戦に臨もうとしている。

 

冗談じゃない、と思った。とても本当と思えない。こんなしょせんは急造の、欠陥だらけのプラモデルシップで、家・土地すべてカタにした大金賭けてのバクチをやりに行こうなんて――そこには必ず、麻雀マンガの闇勝負みたいな果し合いが待っているに違いないのに。

 

ついていけない。おれにはとても――そう思った。だいたい、戦ってどうなるんだ。地球では内戦が勃発してしまったと言う。だから今日が〈滅亡の日〉になってしまった。〈ヤマト〉がたとえ半年で帰還しても、もう子を産める女はいなくなってると言う。

 

だから戦う他にない。〈スタンレー〉をいま叩けば、内戦の火を消せるかも――そう言われればさっきまで迂回迂回と言ってた者まで『やるしかない』と頷き出した。

 

話はわからなくもない。だがどうなんだと藪は思う。〈ヤマト〉が勝てば本当に地球の内戦は鎮まるのか。

 

狂信的なテロリストどもが考えを変える? 有り得ない。太陽系を出た後で、人類が滅亡を回避したのかどうか知る方法がどこにあるんだ。ないだろう。きっと内戦は()んだだろうとただ言うだけで旅をする気か。

 

そんなの無理だ。できっこない。地球人類は大丈夫だとアテにできない旅になる。それでやっていけるものか。

 

いっそのこと、逃げるべきでは? 藪は思った。船尾方向を振り返ってみる。無数のきらめく星の中で、地球は見分けることもできない。

 

ここで勝っても人類が存続するかわからないのだ。なら戦ってどうするんだ。どうせ人類がおしまいなのなら、勝利になんの意味がある。

 

無駄にクルーを死なせるだけだ。そうではないのか? ならばいっそ、逃げるべきでは? この船の乗組員が最後の地球人類ならば、ひとりとして死ぬべきじゃない。どこかに住める星を見つけて、生きる。そうするべきなんじゃないか?

 

〈ヤマト〉が沈めば、そのときこそ人類の終わり――なのに危険を冒すなんてどうかしている。イチかバチかの大勝ち狙って危険牌を投げるより、安全策を採るべきじゃないのか。ギャンブルで負けがこんだら取り戻そうとするのはヘボだ。敵はさあ来いと誘っている。わざと隙を見せてくる。それに乗ったら罠にはまって身ぐるみ剥がされることに――。

 

そういうもんだろう。違うか。これは間違ってる。おれ達はイカサマ賭場に飛び込もうとしてるんじゃないのか。

 

藪にはそうとしか思えなかった。どうしておれはこんなレンガの固まりに乗せられることになっちゃったんだよ。

 

命綱をたぐって歩き、エアロックに取り付いた。あらためて船を眺め渡す。

 

宇宙戦艦〈ヤマト〉――まるで幽霊船だ。かつての戦争で国のために無駄死にさせられたとかいう亡霊が取り憑いている気がする。その魂が船を護ってくれるとでも信じてすがろうとするまで人は打ちひしがれたか。

 

そんなものは(たた)るだけに決まってるじゃないか。オレ達は海の藻屑にさせられた。魚に食われ貝やヒトデに骨の髄までしゃぶられたのだ。だからお前らもそうなれと人を呪うに決まっている。お偉いさんにはそれがわからないのだろう。平気で特攻部隊を組んで、死んできてくれと顔だけ泣いて見せやがるのだ。今も自分に酔いながら、〈ヤマト〉はきっと勝って帰るとのぼせてやがるに違いない。そのときには計画立てた自分の手柄。栄光を捧げられるべきは我である、とか。

 

くたばりやがれ。そう思った。靖国神社を地下におっ建て参拝しちゃあ、英霊達よ蘇りたまえとパンパン柏手(かしわで)打っている脳の腐った豚どもでなきゃあ、こんな変な船造るもんか。なんでおれがこんな船に――。

 

考えながら、藪はエアロックを抜けて船内に入った。無重力区画の中を漂って進む。

 

「ご苦労だったな。後はいいから、作戦に備えて休め」

 

機関室に戻ると、徳川機関長がそう声をかけてきた。あと十時間かそこらのうちに敵地に向かう。短時間で勝負をつけねばならないとしても、どうなるかはわからない。となれば交替で休みを入れて全員が睡眠を取らねばならぬのは当然だった。

 

そうでなくても、船のクルーの誰にとっても今日は長い一日であるような気がする。このおれなんかは麻雀やっていただけど、と藪は思った。徳川などは高齢の身でひどく疲れた顔をしていた。

 

「機関長もお休みになられた方が」

 

「わかっとる。わしもすぐ休むよ」

 

藪は船外服を脱いだ。徳川は部屋の隅を指して、

 

「そこにおにぎりがあるぞ。食え」

 

「はい。ありがとうございます」

 

見るとなるほど、机に皿が並べられ、海苔を巻いたおにぎりが積まれて置いてあった。さらになぜだか、タコやカニの形にされた合成肉ソーセージも盛られている。

 

おにぎりを藪はひとつ取り上げてみた。あれ、と思う。

 

「これ、本物の米ですか」

 

「ああ、このときのために取っておいた最後の米を炊いてるそうだ。いま総出で握ってるんだと」

 

「こんなにたくさん……」

 

「全部食うなよ。明日の分もあるんだからな」

 

「はい」

 

と言った。巻いてあるのも本物の海苔だ。最後の米と海苔は決戦のおにぎり用――(あらかじ)め決まっていたことだったのだろう。頬張りながら藪は機関室を出た。

 

通路をクルーが行き交っている。大声で呼び合いながら荷物を抱え駆け回っているのは、緑や黄色のコードを付けた航海要員や生活要員の者達だった。なるほどどこにおにぎりいくつ持っていけなんて声もする。

 

機関科員や砲雷科員ばかりが戦闘員じゃない。船の誰もが今は戦闘要員ということなのだろう。戦うと決まれば戦う。そのときは、余計なことは考えない。たとえわずかであろうとも、人々を救うチャンスに賭ける――やはりこいつはそういう船だ。そういう人間だけが乗ってる。たぶん、かつての〈大和〉もまた、そんな船だったのだろう。

 

あらためてそれを実感した。ここでおれが逃げようなんて言っても誰も聞かないんだ。おにぎり食って腹くくるしかないんだろうな。

 

兵員室に入ろうとしたそのときに、スピーカーがガリガリという音を鳴らした。マイクのスイッチが入った音だろう。そして声が響き出した。

 

『〈ヤマト〉全乗組員に告げる。わしは艦長の沖田である』

 

クルーがみな足を止めた。


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