ザ・コクピット・オブ・コスモゼロ   作:島田イスケ

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宇宙海賊キャプテンハーロック

「兄さん、これ。母さんが」古代は言った。「巻き寿司だって」

 

「おお、サンキュー」

 

言って兄は、差し出した包みを受け取った。古代進と守の母は、何かにつけてよく巻き寿司をこしらえた。家の近くに海苔漁家の直売所があり、天日干(てんぴぼ)しのいい海苔が安く手に入るのだ。海苔の草を海で育てて収穫し、四角くしたのを束ねて売っているわけである。あまり量は作れないため古代の住む町近辺でだけ消費され、外にほとんど出ることはない。その海苔で母が作る巻き寿司に幼い頃から慣れたふたりには、店で買う海苔巻きなどとても食えたものではなかった。古代の母の巻き寿司は三浦の海の香りがする巻き寿司なのだ。

 

「こればっかりは母さんのじゃないとな」

 

と兄の守は言って、古代が渡した包みを大事そうにカバンに入れた。

 

これがふたりの母親が息子に作った最後の巻き寿司になった。この日、三浦に遊星が落ちる。だが誰ひとり、そんなことを知る(よし)もなかった。

 

ガミラスの遊星は地球の大気に飛び込む寸前、赤く光りながら進路を変える。今はデタラメに落ちているが、そのうち狙った場所へ正しく向きを変えるようになるかもと、学者などは言っていた。遊星がどこに落ちるか予測することはできないのだ。

 

ゆえに一部の反戦論者は、『彼らは地球人類に警告してるだけなのだ』などと叫んでいた。彼らは狙いがつけられないのではありません。人のいない海や砂漠を狙って落としているのです。今のうちに武器を捨て、ガミラスさんに降伏しましょう。彼らはいい異星人だから、平和のために石を投げつけているのです。

 

「あんなやつらをほっといたら、いつかひどいことになるぞ」

 

この日、兄は大根畑の向こうから聞こえてくる街宣車の叫び声に顔をしかめて古代に言った。久しぶりの休みをもらい家に帰っていたのだった。

 

地球防衛軍の基地も連日、狂信的な団体に巻かれて『降伏降伏』と合唱されていると言うが、それは三浦の漁師町でも同じことだ。(のち)に〈おっぱいヒトラー〉と呼ばれるこのときには俳優だった原口祐太郎の街宣車が――萌え美少女の()がデカデカと描かれている〈痛車〉だが――『原口祐太郎は責任を取る男です! ワタシ達のこの日常がいつまでも続く夢を叶えます! さて世界情勢は――』などと流して進む声が町じゅうに、いやおそらくは半島じゅうに響いていた。ひょっとすると海を越えて伊豆半島まで届いているかもしれない。

 

兄は言った。「ったく、なんてうるせーやつらだ」

 

「あのさ、兄さん」古代は言った。「今日、途中まで一緒に行っていいかな」

 

「途中? って、横浜までか?」

 

「うん」

 

「いいけど、きっとあんなのがウジャウジャいるぞ。お前くらいの歳のもんには勧誘がゾンビみたいに寄ってくるぞ。軍に入れとか、変な宗教とか……」

 

「わかってる。大丈夫だよ」

 

「ふうん」

 

と言った。古代にとって、兄は大きな存在だった。歳が離れているだけに、まるで雲突くように見えた。

幼い頃には、古代は兄の行くところ、どこでもついて行こうとした。兄はなんでも知っている、一緒にいれば凄いものが見れる、ずっとそう思っていた。砂浜で古代が裸足(はだし)でいるところにナマコを転がされたりもしたが、それでもついて行こうとした。

 

潮干狩りも魚釣りも兄の守が教えてくれた。海苔漁家が海苔を()に貼り天日に干してる光景を指して、母さんの寿司がうまいのはあの海苔を使っているからだと言ったのも兄だった。野ざらしの壊れた漁船に入り込み、操船室で『おれは宇宙海賊キャプテンハーロックだ! トチロー、星の海へ行くぞ!』と叫ぶ。そのとき、その廃船は髑髏の旗を掲げた宇宙強襲船〈アルカディア号〉となるのだった。

 

その兄が、とうとうほんとの宇宙船乗りになってしまった。そしてほんとにガミラスなんて正体不明の敵と戦いに行こうとしている。もう生きては帰らないかも――考えると、やめろ、行かないでくれと古代は叫びたくなった。同時に行くならおれも連れていってくれと言いたくなった。異星人と戦うなんて自分にできると思えない。カニやヒトデやゴカイのデカいのみたいな生き物で、捕まって食われることになったらどうすると思うと怖い。それでも、兄貴について行けば――。

 

凄いものが見れるんじゃないか。星の海が本当に行く手に広がってるんじゃないか。そんな気がした。ガミラスの船を捕まえて、超光速航行技術を手に入れる。船にあのときの廃船と同じ〈アルカディア〉の名を付ける。舷腹に髑髏の画を大きく描き、それで銀河を離れるのだ。天の河銀河の渦を広く視野一杯に眺めて見るところまで。

 

地球人類がまだ絵に描いてしか見たことのない自分達の銀河系。それを写真に収めて戻り、掲げて言うのだ。どうだ、こいつは想像画じゃないぞ。他所(よそ)の銀河でもCGでもない。おれがこの手にカメラを構え、指でシャッターを切ったんだ。おれが眼で見たナマの銀河だ。

 

どうだ見ろ、これが証拠だ! 世界の人々にそう叫ぶのだ。この写真を撮った場所に、おれは旗を置いてきてやった。地球人類が来た証拠に、永遠にそれは宇宙にはためくんだ。

 

そう叫ぶのだ。どうだやったぞ、おれはやったぞ。そう叫ぶのだ。兄貴なら、そんなことさえやってのけるような気がした。だから古代は背中を追ってついて行きたいと思った。兄貴がキャプテンハーロックなら、おれはトチローだ、それでもいい。だからついて行きたいと思った。

 

「父さん母さん、行ってまいります」

 

その日、基地に戻る兄を、父と母は反重力バス乗り場まで見送りに出た。一緒にバスに乗る次男を父母は気がかりそうに見た。やはりそのまま軍に入隊しやしないかと心配しているらしかった。古代が住んだ町から横浜までは、その五十人ほど乗りの大型タッドポールで行くのがいちばん早い。バスがフワリと浮き上がると、父母は下から見上げてずっと手を振っていた。

 

それがふたりが両親を見た最後の姿になった。機内に乗客はまばらだった。兄弟は相模湾を眺める側の席に着いた。海面は青く光り輝いていた。行き交う船が後に残す航跡が、ナスカの地上絵のように見えた。

 

「軍に入れば、こんなものも飛ばせるようになるんだろ」

 

古代が言うと、

 

「このバスか? そりゃ士官学校じゃあ、タッドポールくらいは操縦習わされるからな」

 

「ふうん」

 

「けどな。言っておくけれど、軍はおれが入ったときと違うぞ。今はどこでも『いま志願すればトップガンのコースが志望できる』なんて言って誘ってるけど、あの話にはカラクリがあるんだ。『コースが志望できる』んじゃなくて、入ってくるやつ全員にパイロットの適性試験受けさせてるのさ。戦闘機乗りはすぐに死ぬ。だから今から大量に養成しなきゃいけないって言うのが本当の考えなんだ。それに、〈試験〉と言ったって、まずは視力で(ふるい)にかけられることになる」

 

「うん」

 

と言った。そんな話はもちろん聞いて知っていた。視力で五割、それ以外の適性でまた何割と落とされていって、パイロットコースに進むのは数十人にひとりだと。そこからさらに選抜されて、戦闘機が与えられるのは百人にひとり。

 

「〈戦闘機〉なんて言ったって、ミサイル持ってガミラスに突撃かける対艦攻撃機なんだから。船を護るエース部隊に行けるのは何千人にひとりって話だ」

 

「だろうね」

 

と言った。医者や弁護士、大学教授や高級官僚などよりはるかに狭き門。それがトップガンパイロット。何かを勘違いしたバカが『オレを戦闘機に乗せろ』と言えばなれるものでないくらい、キモヲタでもなきゃわかることだ。無論古代も、そんな話がしたくて言ったわけではなかった。『こんなものも飛ばせるように』と言ったのは、まさにこの、客を乗せて海を見ながら飛ぶバスのことだった。速度は時速百キロなのだが、ごくゆったりとしか感じない。窓の外、相模湾の向こうに富士の山が見える。振り返れば三浦の大根畑が見える。

 

子供の頃から乗り慣れた横浜行きの反重力バスは、遊覧飛行船とも言えた。いつも乗るのが楽しみで、窓に張り付いて景色を見ていた。今も遠くに貨物輸送型らしいタッドポールが浮いて進んでいるのが見える。オタマジャクシはカエルの子と言うけれど、これは決してカエルにならずに這うように空を泳ぐ運び屋だ。

 

でも、それでもいいんだと思った。おれはやっぱり兄貴のように上を目指して昇る人間じゃないのだから、いつまでもこの三浦の海を眺めて往復する仕事でも、三宅島や八丈島まで荷物を運ぶ仕事でも……今日も家に帰ったら、父母が待ってて寿司の残りが食えるだろう。そう思っていた。だからそれでも別に構いはしなかった。何も誰もが偉い人間にならなくていいだろう。三浦の海で海苔を作る仕事だってあるだろう。大根農家でもマグロ漁師でもいいだろう。

 

古代はこのとき高校生で、学校では日々、教師や級友が進路がどうのと言っていた。そしてみんながこう言った。軍に入るのだけはやめろよ。もし万が一、戦闘機パイロットコースなんか入れられたら、ガミラス艦に特攻かけるカミカゼパイロットにされちまうぞ。宇宙じゃそんな戦争が始まったと言うんだから……。

 

みんな、怖いねこの町に遊星落ちたらどうしようと言いながら、誰も本気で心配してないようだった。ガミラスなんて海に百個も石落としたら、きっといなくなるんじゃないか。なのに慌てて軍に志願入隊したり、逆に『降伏』と叫んだりするのはバカのすることだよ。

 

だから将来を考えて安定した職に就くか、大学へ行って――そんなことを大人は言った。今、目の前の兄を見る。まさにエリート士官候補と言う気配を漂わせている。

 

無論、この兄にしても、異星人と戦うために士官学校なんかに入ったわけでないのを古代はよく知っていた。兄は宇宙に出るために軍人の道を選んだのだ。

 

こんな乗り合いバスでなく、人類が外宇宙に乗り出すための宇宙船に乗り組むために――人はあと数十年でワープ技術を獲得し、外の宇宙に旅立てるものと考えられていた。そのときに宇宙に出ていくひとりになりたい。銀河系をこの眼で見たい――その思いから、兄は士官学校に進んだ。ガミラスなんてものが来るとは誰も想像もしていなかった。

 

「想像もできないよなあ」

 

兄は言った。窓の外を眺めていた。

 

「遊星があんまり落ちるとこの海が干上がるかもしれないなんてさ。そんなバカな話があるかと誰だって思うよな」

 

「兄さんが止めるんだろ」

 

「そうだけどさ」

 

ゴツゴツとした海岸線。三浦の海は岩礁の海だ。下を覗けば、海底の岩のようすも見て取れる。

 

波が打ち寄せ白く砕かれていた。タッドポールはその上を飛ぶ。行く手に丸い逗子(ずし)の湾。ハーバーにヨットの帆柱が立ち並んでいる。

 

「あれなんかも、ひょっとして、大昔に隕石が落ちた跡だったりしてな」

 

「そうなの?」

 

「いや、知らんけど」兄は言った。「北方領土の択捉(えとろふ)島に、あれよりもっとでかくて丸い湾があるんだ。昔、日本が世界を相手に戦争したとき、まず最初に艦隊をそこに集結させた……その湾てのは、人がまだ猿だった頃に隕石が落ちた跡だそうだよ」

 

「ふうん」

 

と言った。言いながら、兄が一体なんの話を始めたのかわからなかった。遠くの富士を眺めてただ、この反重力機であの山のすぐ上まで飛んで行けば、雪を被って広がる裾野はまるで渦巻銀河のように見えるだろうなと考えていた。最初にそれを見、写真に撮った人間はきっと『どうだ』と叫んだだろう。この国のまだキモノを着ていた人らに向かって、『これがオレの見たものだぞ』と言ったのだろう。まだ白黒の印画紙に自分でネガを焼き付けて、海苔を()くように現像し、高くかざして見せたのだろう。古代はそう考えていた。

 

兄はいつもそんな話をしていたものだ。人はこの天の河銀河が太巻寿司を薄く切ったみたいな形であると知っている。けれどもそれは知識として知ってるだけで、眼で見た者は誰もいない。だから行くんだ。行って見るんだ。この眼で〈でっかい海苔巻き〉を見て、写真に撮ってくるんだと……別にそれで銀河がぜんぶ地球のものになるわけじゃない。宇宙を征服しに行くのじゃない。ただ、どうだ行ってきたぞ、おれは見たぞと言うために行くんだ。

 

〈アルカディア〉とはギリシャ南部の美しい高原の名前なんだと兄は言った。おれはおれのアルカディアをただ見るために宇宙へ行くんだ。

 

「『北の四島は古来からの日本の領土だ』なんてことを政治家やマスコミは言うけどあれは嘘だよ」兄は言った。「明治の頃にアイヌを殺して奪った土地さ。日本人は北海道に住むアイヌを同じ人間と思ったことは一度もなかった。明治政府はガトリングガンを手に入れると、『これで神武(じんむ)の時代からの〈アイヌ問題〉を解決できる』と言って笑った。武器を持たないアイヌは択捉に追い詰められて、『なぜだ、どうしてオレ達が殺されなけりゃならない』と言った。抵抗できない最後の女子供まで日本人は殺して言った。『それは二千五百年前から天皇陛下のものだった土地に、お前達が三千年も勝手に住んでいたからだ』と――」

 

街宣車が流す声が空の上まで聞こえてきていた。『降伏すればガミラスがワタシ達を殺すことはありません! 武器を持たねば襲われることはないのです!』

 

「ハワイへ行く昭和の艦隊は、択捉島で錨を揚げた」兄は言った。「浜辺では、百万人のアイヌの霊がそれを呪って見送ってたかもしれないな。『〈ヤマトの民〉などみんな焼き殺されてしまえ。オレ達と同じ思いを味わえばいい』と言って……」

 

『憎しみは何も生みません! 話し合えば異星人ともすぐ分かり合えるのです!』

 

「十一月の択捉は雪で真っ白だっただろう。杭を抜けばアイヌの血が吹き出してみんな真っ赤に染まっただろう。『古来からの日本の土地』――恥ずかしげもなくよく人に言えるもんだよ」

 

兄がなんの話をしてるか、古代にはやはりよくわからなかった。ただ黙って、海を見ながら話す兄の顔を見ていた。兄は戦いに赴く前に、自分が育った三浦の海を眼に焼き付けているようだった。

 

この日、遊星がここに落ちる。だから古代もよく見ておくべきだったのかもしれない。

 

「昔の日本はやはり間違ってたんだろうな。でも、そう言えるのは、今ならものが食えるからさ。昔の日本は大根しか食えなかった。アイヌを殺してカニを獲っても、三崎の漁師がマグロを獲っても、みんなアメリカに持って行かれた。缶に詰められ、英語のラベルを貼られちまって……みかんは〈マンダリン・オレンジ〉だ。日本のみかんはアメリカ人の缶詰になるため日本で()を付けるもので、日本の子供の分はなかった」

 

「だから」と言った。「それを奪い取る……」

 

「ああ」と言って兄は笑った。「おれが海賊になってな」

 

そしてふたりで笑い合った。ハーロック。それがおれだと子供の頃に廃漁船で兄が叫んだ名の〈船長〉は、圧制者の船を襲って荷を奪い民に与える男だった。一度は宇宙スペインの虐殺部隊の〈尉〉となりながら、帝国に反旗を振って自分が殺してしまった者らの妻子を護るために立ち上がる。それが宇宙の海賊キャプテンハーロック。

 

その名前は、古代進と守の兄弟ふたりだけの秘密だった。兄は決して、まだ幼い弟の前以外ではその名を口にしなかっただろう。同年代の友を相手にそんな話をしたならば、『中学生にもなって何を幼稚な』と笑われたに違いない。

 

「日本は昔、日本のマグロをツナ缶にして持ってくやつらと戦った。日本のマグロは日本の子供の寿司にするために獲るものだ。お前達のツナサンドになるために海を泳いでいるんじゃない、と叫んでな……でもまあ、無理な話だよ。肉でもなんでもタラフク食ってる連中相手に、タクアンしか子供に食わせられない国が向かって勝てるわけがない。いくら強い戦闘機を造ったって……」

 

「戦闘機?」

 

「ああ」と言った。「あったんだよ。〈零〉って言うのが」


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