ザ・コクピット・オブ・コスモゼロ   作:島田イスケ

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第10章 雷鳴
エルモの蛍火(ほたるび)


《隼》の漢字一文字のマーキングを尾翼に描いた〈タイガー〉が架台に載せて運ばれる。発艦装置の点検のために、二機三機とそれが次々に動くようすを、加藤は最後の米だと言うおにぎりを手にして食べつつ眺めていた。まるで自分が米粒ほどの大きさになって、イワシの缶詰工場にでも入り込んだような気がする。機械の腕が魚をさばいて缶の中にきれいに並べて、隙間なくピッタリ詰めて次の行程に送るのだ。そこで醤油で味付けて、おにぎりの具か何かの用に売られる。

 

でなきゃ、カレイの干物かな、と思った。〈コスモタイガー〉は海のカレイかヒラメに似た平べったい戦闘機だ。基本的な形状は、地球の空を二百年前に飛んでいた〈F-15〉とか〈18〉とか、〈22〉だとか呼ばれたものとそう変わるところはない。尾翼付きクリップド・デルタの翼にストレーキを持ったブレンデッド・ウイング・ボディ。と言うのは、つまり空飛ぶヒラメだ。それが網に乗せられて、干されたり焼かれたりするのを待っている。

 

いや、もちろん、〈スタンレー〉に赴くための準備なのだ。一機一機の胴体に核ミサイルを装着し、さらに翼に対地・対空ミサイルを並べて懸架する作業が並行して進められている。

 

ミサイルか、と思った。しかし宇宙の戦いで対空ミサイルはあまり役に立たない。ミサイルは主に対地攻撃用に使うことになるだろう。戦闘機との闘いはビームの撃ち合いで勝負をつける。敵と相対速度を合わせ、接近し、後ろを取って、照準に狙いを定めて、撃つ。それでしか、宇宙戦闘機は墜とせない。かつて地球でジェット戦闘機の時代にすたれた機銃によるガンファイトが、ビームガンによって宇宙で復権したのだ。それも、大昔の戦争で日本の〈零〉や〈隼〉といったプロペラ機が得意とした格闘戦で最も有効なものとして。

 

特に〈タイガー〉。この機体は優秀だ。船を護るための機として格闘戦用に絞って造られ、マルチロールファイターである〈ゼロ〉より空戦性能は高い。〈ゼロ〉にはできないクルビットも〈タイガー〉ならなんなくこなす。ヒラリヒラリと、まさにカレイやヒラメのように宇宙空間を舞い踊るのだ。スピードばかりの一撃離脱戦闘機〈ゼロ〉などヒョイと(かわ)して蹴りを入れるだろう。

 

いま加藤の前に並ぶどの機体にもどこかに《()》の字型の撃墜マークがズラズラと十個以上描き込まれている。冥王星は英語で〈Pluto(プルート)〉。占星学でこの星を指す記号が最初の二文字〈P〉と〈L〉とを干支(えと)の〈巳〉の字のように組み合わせたものであることから誰かが考えてやり出したもので、つまりこれで、『オレは冥王星の蛇をこれだけ殺ってやったぜ』という意味になる。

 

しかし、と思った。こいつは逆に対地任務では〈ゼロ〉に劣る――加藤は魚の頭のような紡錘形の〈タイガー〉の機首に眼を向けた。エビが触覚を持つように機首や翼端に大きなアンテナやセンサーを生やした〈ゼロ〉と違い、〈タイガー〉の対地作戦能力は低い。〈ゼロ〉なら猫がヒゲを使って狭い穴をくぐるように宇宙機雷の中でも縫って進むだろうが、〈タイガー〉にそんな芸当はとてもできない。

 

無論、普通はそれでいいのだ。〈ヤマト〉が本来必要とするのは船を護る戦闘機であり、〈ゼロ〉など警戒管制機(エーワックス)を兼ねる機体としてしか要らないのだから。指揮官はタイガー隊が戦うのを後ろで支えていればいい。

 

しかし、明日はそうはいかない。逆におれ達タイガー隊が〈ゼロ〉を支えることになる。

 

加藤は部下達を見た。最後の米だと言うおにぎりを食べながら、全員が硬い表情だった。

 

まさにこれが最後のメシになるかもしれない。誰もがそう考えているようだった。そんなのは戦闘機乗りなら毎度のことだ。いちいち考えることなどなくなっているはずなのに、今度ばかりは、と言うところか。

 

無理もあるまい。この作戦に地球の運命が懸かっていては。太陽系を後にしてマゼランへの旅に出られるのかも。こんなときに必要なのは――。

 

「エルモの火、か」

 

加藤は言った。部下のひとりが聞きとがめて、

 

「は? 何か言いました?」

 

「いや……」

 

と言っておにぎりを食べた。しかしその部下が見続けている。つられたように他に数人が向いてきた。

 

しかたなく言った。「『エルモの火』、と言ったんだ。昔、船乗りが見たってやつさ」

 

「ええと」とひとりが、「時化(しけ)の夜に帆柱に(とも)ったと言うやつですか」

 

「ああ。帆船の時代の話だ。荒れる海で夜にマストを見上げると、天辺(てっぺん)で青い炎が燃えてることがあったと言う……」

 

「放電でしょう」

 

とまたひとり。加藤は『ヤレヤレ』という顔を作り、

 

「ロマンのないやつだな」

 

言ってやった。皆が笑った。部下だけでなく、居合わせた整備員なども。

 

けれどその部下が言った通り、〈エルモの火〉とは放電だ。船上の空に雷雲があると、マストの先が電気を帯びて(ほの)明るい光を放つことがある。怪談話の挿絵に描かれる墓場のヒトダマのような光だ。船の動きでそれがユラユラ尾を引き揺れる。空ではゴロゴロと雷が鳴る……などと話に聞いたなら気味の悪い光景のように思えるが、帆船時代の船乗りはそれが見えると吉兆(きっちょう)とした。この航海には(さち)があるに違いない――。

 

〈エルモ〉と言うのは船乗りの守護聖人の名前である。帆柱に青い炎が見えたなら、それはエルモがこの船を海から護ってくれている……船乗り達はそう言って仲間同士慰め合った。その時代に航海は命懸けのものだった。経度を知る方法もなく、海は広大で底が知れない。正確な海図を頼りの航行ができるようになったのは蒸気船の時代になってだ。

 

それまでは、人は風しか頼れなかった。だが海風は気まぐれだった。(なぎ)で進めぬ日もあれば、暴風に殺されかかることもある。いや、航海で何人か死人が出るのは当たり前だった。波に(さら)われ、サメに食われ、病気にかかって船乗りは死んだ。長い旅から全員が無事に故郷に帰り着くことの方が稀だった。

 

だから船乗り達は皆、どうかギイギイと(きし)む船を旅の間もたせてくれ、生きてこの旅を終えさせてくれと聖なるエルモに対し祈った。だから帆柱に火が見えたとき、そこにエルモが居ると言った。

 

不帰(かえらず)の想いを抱いて船に乗る者には胸に慰めがたとえかけらでも欲しいもの……青く揺らめく救いの(ともしび)。それが〈(セント)エルモの火〉。絶望の中の希望の光。男にしか見ることのできぬ海の蛍火(ほたるび)

 

それだ、おれ達に必要なのは――加藤は思った。この〈ヤマト〉にもしも〈エルモ〉が居るとすれば――。

 

〈アルファー・ワン〉、古代進。あいつか。あれが守護聖人……あれがこの船を護り抜き、もう滅亡したという人を救ってくれると言うなら。それを信じることができれば、おれは……。

 

あいつのために死んでもいい。そう思った。思ったが、しかしどうなのか、とも思う。あいつ自身がまだやはり、自分が人を救おうなどと考えていないように見える。どうしておれが。それはイヤだと考えているのがわかる。

 

無理もあるまい。それが普通だ。あれは普通の男なのだ。しかしそれでは、隊長とは認められない。

 

〈アルファー・ワン〉はエルモでなければならないのだ。普通の男であってはならない。船に降り立つ青い炎であってくれねば……。

 

しかし、古代は何かが違う。ひょっとしたらそうなってくれるかもしれないものを感じるけれど、何かが違う。足りていない。いや、〈エイス・G・ゲーム〉のときに、あいつの中で光り輝くものを見たような気もするが……。

 

仮にあいつが青い炎を胸に持っていたとしても、やはりたった一日で〈ヤマト〉の帆柱に(とも)ることなどできないか――加藤は思った。そしてもう、あいつに対しておれができることもないだろう。

 

だから、後は古代自身だ。もうあいつに、あと数時間のうちに、どうにかエルモになってくれと願う以外に何もできない。加藤は〈ヤマト〉艦橋がある方向を見上げてみた。帆船ならばメインマストが立っているであろう辺り。

 

あと数時間。もう寝るだけの時間しかない。出撃に備えておれもそろそろ休息を取らねばならない……わかっているが、しかし加藤は、そんな気になかなかなれそうになかった。


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