ザ・コクピット・オブ・コスモゼロ   作:島田イスケ

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言える言葉

膝が震えて足がうまく動かなかった。それでも歩いて前に進んだ。整列した者達の探るような視線を感じる。皆、今頃ノコノコとよくも出てこられたものだと考えているのだろうかと古代は思った。それはそうだろう。タイガー隊員。発艦作業員。皆、列には並びながらも、どうせおれなど来るわけないと思っていたのが、このドタン場で現れたのに驚いているように見えた。

 

並ぶ者達の後ろに〈タイガー〉。ヒラメのような形の機体を蜂のような黒と黄に塗り分けたそれらが、まさに蜂の巣のような棚に収まり並んでいる。地球を出てすぐ来たときは騒がしかった格納庫は、今はシンと静まっていた。自分のおぼつかぬ足音が反響するのを古代は感じた。

 

百の視線が自分を追って動いている。彼らの真ん前に立てる自信はあまりなかった。胸がドキドキと暴れ打ち、目眩(めまい)で倒れそうな気がした。

 

それでも立たなきゃいけないものは立たなきゃいけないのだから立つ。ただそれしか頭になかった。立ったところで自分に何が言えるとも、言う言葉があると考えているわけでもなかった。部下であるはずの者達が聞いてくれるとも思えなかった。

 

だいたいがシカトされて当然なのだ。そのうえ、こんなときになって、やっとようやくやって来たのだ。言うことなどあるはずないし、何も言う資格がない。せいぜいおれの顔を見て、『言えることがあるんだったら言ってみろよ』と言えばいいさと考えた。そのときには言うしかないさ。おれは〈アルファー・ワン〉になれない。無理なものは無理なんだ、と。

 

『何をわかりきったことを』と言われて構わないと思った。『お前になんか少しでも期待したと思うのか』となじられるべきなのだから、手に紙でも持っているなら丸めて投げつければいい。それでも今、ここに立たねば〈ゼロ〉には乗れない。もうこの後は宇宙に飛び出し味方に背中を撃たれてもいいし、敵に殺られてサッサと死んでしまってもいい。

 

そうだ。〈ゼロ〉の格納庫にも行けなかったからここへ来るしかなかったのだ。古代は並ぶ隊員達の前に立ち、名を知らない部下の顔を見渡した。一応のところ全員が言葉を待っているように見える。

 

いや、それとも、おとぎ話の木樵(きこり)かな? 泉に斧を落とすと女神が現れて、『落としたのはこちらの金の斧ですか、それとも銀の斧ですか』という、あれだ。違うのはおれが美しい女神でなく、錆びた斧を投げ出して『お前が落としたのはこれだろ』で済ますインチキ男ということだが……実際、列に向き合ってみても、言う言葉など見つからなかった。喉が詰まったようになり、声も出そうにない気がした。

 

「あ……」ようやく絞り出して言った。「ええと」

 

皆がくしゃみでも出かかったような顔になった。山本などは目を覆いそうになった。横からも妙な視線を感じたのでチラリと見ると、結城が梅干しの種でも呑んじゃったような顔をしていた。加藤もまた呼吸困難に陥ったようになっていた。

 

「その」

 

と言った。いよいよ沈黙が重くなった。人口重力が強まったように場にのしかかる力を感じる。

 

それ以上、何も言えずに黙り込んだ。もう一度全員の顔を見た。壁には90秒を切ったワープへのカウントダウンの表示がある。エリート中のエリート達が、よりにもよって、こんなときに、おれみたいなボンクラのために時間を割いて整列し、何か一言(ひとこと)を待っているのだ。けれど、おれが荷物運びをしていた五年間に命を懸けて戦っていた者達に今更どんな偉い口が利ける。

 

秒読みが進んでいる。ワープまで80秒……79秒……78秒……。

 

「すまない」と言った。「おれなんかが隊長で」

 

整列する部下を途方にくれて見た。これはまるで、百人一首を初めてやったときだと思った。(しも)の句しか書かれていない札がズラリと並んでいて、どれがなんの歌なのかもわからない。

 

それと同じだ。誰が誰かもわからぬのにどうして指揮を執ることができる。おれがどうして命を預けろと言うことができる。だから言える言葉はひとつだけだった。すまない――。

 

「それしか言えない」

 

と言った。ワープまで70秒……69秒……68秒……。

 

格納庫の脇の方に、〈ゼロ〉のための要員も並んで立っているのが見えた。『戦果を期待している』と言ってくれた整備員の、ええとなんだっけ――そうだ、大山田――の顔も見える。

 

期待している、か……それに対して、今になってやはり無理だとしか言えない自分をすまないと思った。指揮官ならばたとえ嘘でも『任せてくれ、必ず期待に応えてみせる』と言わねばならないのだとしても、おれに言えないものは言えない。

 

あのときだって、大山田は複雑な顔をしていたのだ。それはそうだ。『頑張ってくれ』とか『頼んだぞ』とか彼も言われてきたのだろうから――沖縄基地の人員に。それがあの日、おれがガミラスにつけられたために死んでしまったのだから。

 

なのに、おれがパイロットだ。おれのために〈ゼロ〉を整備しなけりゃならない。こんな話はそもそもおかしい。おれが今まで人並みに戦ってきた人間であるならまだしも。

 

しかし、何よりも沖縄だ。〈コア〉と基地とを秤にかけて〈コア〉の方が選ばれた。それがために千人が死んだ。ここに並ぶ全員が、沖縄基地の者達から『期待している』と言われてきたのだ。それがおれのために死んだのに、どうしておれが。おれなんかが。

 

そうだ。やはり無理だったのだ。古代はうなだれて首を振った。

 

「おれは疫病神だ」と言った。「〈アルファー・ワン〉にはなれない」


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