ザ・コクピット・オブ・コスモゼロ   作:島田イスケ

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第11章 スタンレーの魔女
停電


現在、地球の全地下都市の時計はGMT――グリニッジの時間に合わせられている。地上の夜昼に関係なく、世界同時に朝が来る。かつて、人はどんなときにも『明けない夜はない』と言った。地下に閉じ込められて灰色の天井を見上げて生きねばならなくなってからもしばらくのうちは。

 

しかし今、〈明けない夜〉が始まってから七年が経った。〈朝〉が再び訪れることなど人は信じられなくなった。我々はあの天井を見上げて死ぬのだ。そもそも、この穴蔵で、どこから〈朝〉が来ると言うのだ。〈朝〉は元々、東から来るものだったはずなのに……。

 

かつて、朝は東から来た。世界の中で日本が最初に朝日を見る国だった。人は時差を無くすべきではなかったのかもしれない。それは人の心の中で、地球が平らになってしまうことであったのかもしれない。地下では誰も、東がどの方角なのかわからなかった。かつては地図が読めないのはもっぱら女であったと言うが、今やナビゲーターを持ち、人に道を教わりながら歩いても、男も女も迷うばかりとなった。地下の街はまるで迷路で、西や東の区別はなく、どちらを見ても天井を支える柱が合わせ鏡のように果てなく並んでいるだけなのだ。

 

あるいは、墓場の墓標のように。まさしくそうだ。地下空間はカタコンベだった。そこに押し込められたとき、人類はすでに滅亡していた。ただ、墓地を予約して、埋めてもらうときが来るまで生きているだけの絶望の日々。東がどちらかもわからないのに、夜が明ける望みなど誰にも持てるわけがない。

 

しかしそれでも、時計は二十四時間ごとに朝が来たと告げていた。この日もまた、世界が同時に午前六時を迎えはした。けれども遂に、この日、時報は誰の耳にも届かなかった。

 

人類の終わりのときを書き残す歴史家達はみな意見をひとつにして、2199年10月15日を〈滅亡の日〉とするだろう。そんなものを誰に対して残すのかは別として――それが昨日だ。今、その日の夜が明けた。確かに明けない夜はなかった。人はまだ生きるだけは生きている。だが、誰もが、昨日を境にもはやすべてが終わったのを知っていた。

 

時計の針は10月16日、午前六時を指している。人類滅亡の日から数えて一日目の朝がやってきたのだった。

 

近藤勇人が目を覚まし、見たのは赤い光だった。夜明けの空の色に似た赤い光が上にあった。街の灰色の天井を照らし、野球場のスタンドや、まわりを囲む柱を照らしつけている。

 

明るくはない。住宅の部屋の天井に(とも)す常夜灯よりも弱い光だ。すぐにそれが、街を燃やす炎だとわかった。並ぶ街灯はみな消され、今の街には照明がないのだ。それでもものを見ることができる。あちらこちらで燃えている火が、まだ消えていないから。たちこめる白い煙を赤く染め、黒煙の中にまだらに浮かばせているのだ。

 

身を起こして周囲を見た。観客席は人で一杯だった。席に座っている人間はろくになく、みな床に寝転がってる。ケガ人が呻きを上げている。

 

立って歩いている者も、足取りはみなヨタついていた。膝に力が入れられぬようすで、うなだれてフラつきながら歩いていた。

 

手には銃を持っている。外から撃ってくる者達に対するために行くのだろう。撃たれた仲間を(かつ)いで戻り、銃にタマを込め直してもう一度……この数時間のうちに、何度もそれを繰り返してきたように見えた。球場の外から銃声が聞こえる。あちらこちらで家を工事し釘を打っているかのようにトテカンと。

 

スタンド正面の大スクリーンも今は真っ黒だった。球場内は、非常灯が少しばかり()いているだけ。

 

「これは……」

 

と言った。見回していると、「よお、起きたのか」と声を掛けてくる者がいた。同じチームの選手仲間だ。

 

「また停電だ。〈ヤマト〉の発進以来だよな」

 

「え?」と言った。「ああ。そう言やそうだけど……」

 

あのときとはまるで違う。あれは計画停電だった。この球場こそ真っ暗にされたが、まわりの街は照らされていた。それに、と思う。

 

「苦しいだろ? 呼吸がさ。消えてんのは灯りだけじゃないんだよ。空気の循環も止まってるらしい」

 

「待てよ。それじゃ……」

 

「そう。酸素がどんどんね、なくなっていっているんだな。二酸化炭素と一酸化炭素に変わっていってる。あちこちでああして家も燃えてるわけだし、塩素ガスみたいなものもだいぶ発生してんだろう。あと何時間もつんだろうな」

 

「そんな」

 

と言った。相手の顔は、暗くてよくわからなかった。地下数キロの深さにある街は隔絶された世界だ。放射能で汚染された外の空気は入らない。当然、内部で空気を呼吸できるように常にしておくシステムが必要になる。それが止まってしまったと言うのは――。

 

「終わりだよ。これがこの街だけなのか、世界じゅうの地下都市みんながそうなのかは知らないが……」

 

「そんな」

 

とまた言った。人類滅亡――どの瞬間を指してそう呼ぶにせよ、〈滅亡の日〉とは存続不能が確定するときだとずっと聞かされてきた。〈その日〉を過ぎても人は生き続けはする。最後のひとりが死ぬのは十年先のこと……ずっとそう聞かされてきて、なるほどそういうものかとずっと思ってきたのに、ひと眠りして目を覚ましたら『酸素がない』?

 

それはつまり、と近藤は思った。誰も彼もが今日のうちにみんな死ぬと言うことなのか。一年後や十年後のことじゃなく?

 

「復旧も試みているようだけど、どうなんだろうな。電気が戻ったとしても……」

 

銃声がする。爆発の音もする。数時間前に比べたら、散発的になったように思える。『冥王星を撃つのをやめよ』と叫んでいた演説の声ももう聞こえないが……。

 

そんな者らも、喉が潰れてしまったのか。自爆テロなどする者らも、吹っ飛ぶだけ吹っ飛び終えてしまったのだろうか。銃声が聞こえるからには内戦は継続中ではあるのだろうが。

 

「〈ヤマト〉はどうなったんだ?」近藤は言った。「冥王星は? ハドーホーってのは撃ったのか?」

 

「わからない。何も情報がないんだ。そこにいる兵隊さんらも何も知らないと言ってるし……機密ってわけでもなさそうだよ。本当に何も知らないんだろう」

 

「……まだそんなこと言ってるのか」と、近くで誰かが言うのが聞こえた。「〈ヤマト〉なんてどうせ逃げたに決まっているさ。そんな船を造るから、絶滅が早まることになるんだ。あと十年、生きるだけは生きられたのに……」

 

「なんだこの野郎」とまた別の声。「お前みたいなのがいるから、こういうことになるんだろうが。他人のせいにしようとするな!」

 

「ああ? 人のせいにしてんのはどっちだ!」

 

暗い中で言い合いが始まる。お互いの顔などほとんど見えてないはずだ。やめてくれ、と近藤は思った。酸素を無駄にしないでくれ。すでにこれだけ息苦しいのに、いがみ合ってどうするんだ、と。

 

しかし、そのふたりも、自分達でそう気づいたのだろう。すぐにお互い力を失くして黙ってしまった。すすり泣く声が聞こえる。子を抱きかかえ泣いているらしい親の声。

 

そして子供の声がした。「ねえ、〈ヤマト〉はどうしたの? 敵をやっつけてくれるんだよね?」

 

「〈ヤマト〉は……」

 

と、父親らしい声が応える。だがそれ以上、言葉が続かないようだった。

 

そうだろうな、と近藤は思った。まだ幼い子に対し、事がどうしてこうなったのか説明なんかできるわけない。その子は何歳なんだろう。声からすると、十歳くらいか。八年前にガミラスがやって来たとき二歳くらい――親にすればおそらくいちばんかわいい(さか)りだ。これからこの子の成長を見届けようと言うところに遊星が落ちた。陽の光の差し込まない地下都市で、子を育てねばならなくなった。

 

神を恨んだことだろう。こうと知るなら子を作りなどしなかったのに、なぜこのときに(さず)けたと。大人になれずに死ぬとわかっている子を育てる悔しさは、近藤にはとても想像できなかった。この七年、救いを求め続けてきたに違いない。奇跡を請い願ってきたに違いない。我が子の命を救けるためなら敵に身を売りさえしたかもしれない。

 

そこに〈ヤマト〉が現れた。〈イスカンダル〉と呼ばれる星へ子を救いに旅立つ船が。

 

それはまさしく、子を持つ親にするならば絶望の中の希望だった。この地下都市に射し込む唯一の光だったのだ。宇宙戦艦〈ヤマト〉は波動砲という強力な武器を持ち、ガミラス基地を冥王星ごと吹き飛ばして外宇宙へ出ていくとされた。地球人が波動エンジンを持ちさえすればガミラスに勝てるとずっと言われてきた。その言葉が証明されるときが来た。祈ってきた奇跡が訪れたはずだったのだ。

 

〈ヤマト〉が冥王星を撃てば世界じゅうの子の命が救われる。

 

だから〈ヤマト〉が飛び立ってからこの四週間ばかり、子を持つ親はみな言ってきたのだろう。〈ヤマト〉はきっと帰ってくる。お前を救けてくれるんだ。それができる証拠として、冥王星を吹き飛ばしてくれるんだ、と。

 

当然だ。それが親だ。そう考えて子供に言って何が悪い。もしそうしない親がいたら、そいつは親とかいう以前に人間じゃない。都知事の原口裕太郎と同類の、悪魔に魂を売り渡し良心の最後のカケラも失くした地獄の亡者だ。

 

そうなってしまった者達が、今この球場を囲んでいる。〈ヤマト〉に冥王星を撃たすな。代わりにすべての子を殺そう。そう叫んで押し寄せている。独裁者やカルト思想や宗教にすがり、ガミラスを善とみなす価値観を持つところまで至ったならば、子を殺すのが正義で愛だ。民兵どもがこの球場に雪崩れ込んできたならば、火を放ってすべてを燃やし子供という子供を捕まえて殺すだろう。それがこの暗闇の中で人類が見る最後の光景となるのだ。どうせ、じきに酸素が尽きて今日のうちにみな死ぬのだから。

 

なぜだ、と思った。一体どうしてこんなことになったんだ。そこにいる親子のように皆が〈ヤマト〉を信じたならば、決してこんな愚かな最期を迎えることはなかったはずだ。それなのに――。

 

「〈ヤマト〉なんて最初からどうせいないに決まってるんだ」また誰かが言うのが聞こえた。「ぜんぶ政府の嘘だってわかりそうなもんなのに、バカが真に受けるから……」

 

なんだと、とまた思った。バカはお前だ。なぜ〈ヤマト〉を信じなかった――それは自分に向けた問いでもあった。おれは野球のピッチャーだった。明日を信じよう。絶望に負けなければオレ達は勝てる。だから力を合わせよう。皆の心をひとつにしよう。そう叫んで投げていた。皆が声援を送ってくれた。この地下都市でも、最初のうちは――だが、客席は次第に空きが目立つようになっていき、応援の声はしぼんでいき、遂にはおれも身を入れて投げられなくなっていった。今では一体なんのために選手を続けているかもわからず、ただ給料が出るままに……。

 

〈ヤマト〉が宇宙に出たときにおれは叫ぶべきだったんだと近藤は気づいた。信じよう。そう人々に訴えるべきだったんだ。この球場はそのためにあったはずなのだから。

 

だから言うべきだった。おれは信じる。みんな〈ヤマト〉を信じよう。そう叫ぶべきだった。何も変えられないかもしれない。狂ったやつらに捕まって、二度とボールが投げられないようその腕斬り落としてやると言われ、ほんとにやられちまったかもしれない。だが、腕を失くしても、まだ叫ぶべきだった。おれは負けない。信じるぞと。〈ヤマト〉は帰る。必ず敵を打ち負かす。すべての子を救いに戻ってくると信じる。

 

狂信者どもよ、次にはおれの舌をひっこ抜いてみろ。それでも残ったこっちの手で壁に《信じる》と書いてやる。そう叫ぶべきだった。皆が〈ヤマト〉を信じたならば決してこんな終わり方だけはしないで済んだはずなのに、どうして……。

 

「いるよ」

 

と言った。遅過ぎた、と思いながら、それでも近くにいる子供に聞こえるように近藤は言った。

 

「〈ヤマト〉はいるよ。必ず敵をやっつけてくれるよ。絶対に……」

 

一瞬、場が静まった。子を抱える親達が感謝の眼を向けてくれたように感じたが、暗くてよくわからなかった。だが、誰かの声がした。

 

「そうだよ。そのときは電気だって……」

 

元に戻る。そうすれば、空気も回復するのだろうか。だろうな。〈ヤマト〉が勝つならば――電気や酸素だけでなく、人は取り戻すだろう。希望を。そして叫ぶだろう。『信じる』と。〈ヤマト〉よ、オレ達は信じるぞ。君の帰りを待ってるぞ、と。

 

だがまだ、街は暗闇と絶望とに覆われていた。近藤の声は線香花火のように小さな光に過ぎなかった。それは(はかな)く尽きて落ち、燃え広がることはなかった。


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