ザ・コクピット・オブ・コスモゼロ   作:島田イスケ

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対峙

「魔女が笑っていた……」

 

古代は〈ゼロ〉のコクピット内で声にならないつぶやきをもらした。キャノピー窓に冥王星。その白い〈ハートマーク〉の面に冷たく笑う女の顔を見たように感じる。

 

兄の書棚に置かれていた一冊の本を思い出した。書名は『スタンレーの魔女』。著者の名前はファントム=F=ハーロック。

 

〈バーンストーマー〉と呼ばれた時代の探検飛行家だ。三浦の浜で宇宙海賊ごっこをしたとき、兄が己の名としたのが、ドイツの山賊の血を引くらしいそのパイロットの名前だった。

 

第一次と第二次の、二十世紀のふたつの世界大戦の間を〈バーンストーマー〉と呼ぶ。その時代に飛行機は木と布で出来ていた。最高時速二百キロ。上昇限度五千メートル……しかし燃料を満載しては、そのどちらも覚束(おぼつか)ない。そして一度に一千キロも飛べはしない。

 

そんな時代にハーロックは、〈赤道の壁〉を越えようとした。洋上ヒマラヤ、ニューギニア。スタンレーの山脈だ。ポートモレスビーからニューブリテン島ラバウルまで距離は八百キロ。燃料を節約しながら飛んで五、六時間。けれども、間にスタンレーの高い山脈があるために、当時の技術で飛行は不可能とされていた。

 

赤道直下にありながら雪を被った白い山脈、スタンレー。その最高峰、ジャヤの(いただき)。標高5030メートル……ハーロックはこの壁を越えようとして果たせなかった。無念の涙を呑んで引き返すとき、振り返ってその山が笑っていたと彼は言った。山肌に魔女の顔を見た。魔女が自分を笑っていた、と……。

 

そう本に書き記し、再び挑んだときに降りてこなかった。彼はおそらく〈魔女〉を越えるには越えたのだろう。けれども彼とその愛機〈わが青春のアルカディア号〉は熱帯のエメラルド色の密林か、コバルトブルーの海に呑まれて見つけようもないのだと……。

 

そう語られる。兄の本にはその山の写真が載せられていた。古代はどう眺めても、その白い断崖に笑う魔女など見出(みいだ)せなかった。

 

冥王星を写真で見ても。〈スタンレー〉。〈ヤマト〉のクルーがこの星をそう呼ぶのを聞いたとき、古代が最初に思い浮かべたのはあの本の中の写真だった。冥王星の白いハートは、無人探査機が撮った写真で見たならばあの本の〈ジャヤ〉の断崖のようでもあった。

 

写真で見れば――今までそこに、笑う顔など古代の眼には見えなかった。けれども今、〈ゼロ〉に乗りこうして(じか)に向かい見て、古代はその白いハートに顔が浮かんでくるのを覚えた。せせら笑う女の顔――。

 

人よ、わたしを越える気か。そうはさせぬと(あざけ)り笑う女の顔。魔女だ、と思った。兄さん、見たよ。おれは見たよ。ハーロックが見たと言った魔女の顔をおれは見たよ。

 

魔女がおれを笑っている……。


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