「ほら」
と言って、スプレー缶に
「酸素だ。吸えよ」
その言葉を聞いてわかった。酸素の携帯補給器だ。「ありがとう」と言って受け取る。
口に当てて横についたボタンを押した。中から噴き出してくるもので肺が満たされ、体に染み渡る感覚がある。あらためて、自分が呼吸するために普段より深く息をしなければならなくなっていたのに気づいた。まわりの空気から酸素がだいぶ失われてしまっているのだ。
「ありがとう」
もう一度言って補給器を返そうとした。だが相手は首を振って、
「持ってろよ。じきそんなもんじゃ追いつかなくなる」
暗闇の中で相手の顔がかすかにオレンジ色に浮き上がって見える。どこかで燃えている火に照らされているのだ。その最後の明るささえなくなったときには、もう――。
こんな小型の補給器で酸素を
ひっきりなしに銃声が鳴り、爆発の音と振動がする。地下都市の天井に反響してこだましている。
『進めーっ! 政府を倒すのだーっ!』『ガミラスばんざーいっ!』
狂信者の叫び声も、まだ
「っかし、しつっこいよなあ。よくあんな大声が出るよ」
補給器をくれた男が言った。
「まあ連中もじき動けなくなるだろう。おれ達は移動だ。ついて来い」
と足立が言う。敷井は、
「え?」問い返した。「移動? どこに行くって言うんだ?」
「それは――」足立は辺りを窺った。それから声をひそめて言った。「停電の原因がわかった。復旧させに行くんだよ」
「それは」
と言った。電気が戻れば空気の循環も回復する――はずであるとは敷井にもわかる。復帰させに行くと言うなら実に結構な話ではある。が、それが対テロ部隊の仕事か?
「おれもそこまでしか知らん。詳細は後だ」
と言って足立はサッサと歩いていく。これではついていくしかなかった。暗さのために、ちょっと離れたら相手の姿がたちまち見えなくなりそうだ。
闇の中を銃火を避けつつ足早に進んだ。ビルの谷間と
何十人かの人間達がそこにいた。暗がりでも自分と同じ兵士だろうというのがわかる。そして強襲用らしい数機のタッドポール。
「急げ。すぐにも作戦を行う」
乗降扉が閉められる。
「数は揃ったな。時間がない。この寄せ集めで行かねばならん」
キャビンの真ん中に立っている士官らしい男が言った。途端にビルのエレベーターで昇るときのような感覚があった。タッドポールが離陸したのだ。
「手短かに言おう。我々の任務は電力の回復だ。停電は、すべての市民を道連れに無理心中を
誰も口を利かなかった。敷井は息が苦しくなるのを感じた。空気中の酸素が減っているせいばかりではないだろう。突然の任務の重さに気が遠くなりかけたのだ。
他の誰もがやはり同じようすだった。とにかく何か吸おうとして腰のベルトに手をやった。指が震えて補給器の留め具がなかなか外れない。
喉に餅でも詰まったような気分だった。やっと外した補給器を口に当てて思い切り吸った。
酸素にむせる。吐き気がこみ上げ、敷井はもう何時間も何も食べていなかったこと、空腹さえ忘れていたのに初めて気づいた。吐こうとしても胃の中には何もない。
「〈敵〉に関する詳細は不明だ」士官は言った。「人数、戦力など一切がわかっていない。それでもあと数時間ですべての人が死に、我々もまた死ぬのだから、ここはもう行くしかない」
「はい……」
と横で足立が言った。やっとのように頷きながら、「はい」ともう一度返事する。
他の者らも後に続いた。敷井も無論、皆にならった。そうだ。もちろんそうするしかない。状況がこうであるのなら、情報不足だ自殺行為だなどと言えるわけがない。
むしろ、
ビームカービンを握り締めた。この内戦に乗じて街のすべてを道連れに練炭心中しようとするカルト集団? 一体どんなやつらか知らんがどうせ狂人の集まりだ。訓練を受けたこの身にかかれば百対一で殺してやれる。生きて戻れる望みもあるはず――。
そう思ったときだった。士官が言った。
「ただ、ひとつだけ言っておこう。我々がこれから戦う〈敵〉の名だけはわかっている」
皆が顔を上げて見た。士官は一同を見渡して言った。
「石崎だ」