それはまさしく、かつて太平洋の戦争で日本が強行したガダルカナル総攻撃の再現と言えた。
その昔、白兵による銃剣突撃と言うものは、月のない夜を選んで行われた。戦場で突撃する歩兵の身を守るのは何よりも暗闇なのだ。見えない
昭和の日本陸軍は、闇を味方に突撃した。インドネシアのマレーやフィリピンといった地で進撃を支援したのも暗闇だった。〈大東亜〉の戦いで日本が銃剣突撃に絶大な自信を持つようになったのも、闇夜に『せーの』で襲いかかれば敵を崩せるとの考えがあったからだ。
ガダルカナルでその思想が敗れたのは、
それで突き進む日本兵の姿は丸見えとなってしまった。闇を味方にできない銃剣兵士など、機関銃の
それから250年後の現在、『石崎先生の〈愛〉』を信じる者達は、彼らの敵が自分達に白兵戦を挑んでくると知っていた。そしてほんの数時間、持ちこたえるだけでいい。地下都市内の酸素がなくなり、一酸化炭素が充満するにはそれで充分で、その後に心配することはすべて消えてなくなるのだと――狂っているが学校のテストでならばいい点が取れた頭でそう考えていた。
ゆえに迷うことはない。敵が銃剣突撃で来るなら、迎え撃つ手段は光だ。全市停電の状況下でも、自分らだけは電気を使える。それをいいことに大量の投光器を並べ置き、立て
真っ暗闇の地下の中で、そこだけ昼間のように明るい。ゆえに攻め手は光を見ればそこが目指す場所だとわかった。しかし行くのは自殺行為に他ならなかった。護り手からはこちらが丸見えなのに対し、こちらは眼が
狙撃兵が投光器を撃ってもほとんど効果はなかった。それは豆粒大のLEDを百万個、田んぼに苗を植えるように板に貼り並べたものなのだから。狙い撃てば当たりはするがLED十個ばかりが潰れるだけで、全体にはまったくと言っていいほど影響しない。大砲などで一気に根こそぎに吹き飛ばせればいいのだが、しかし今の状況では許されない。
光を消せる望みはなかった。真正面から自分を照らす光に向かって突っ込むのは『撃ってくれ』と叫ぶに等しい。
だがそれでも行くしかない――護る側は武器は使い放題で、ロケットランチャーや迫撃砲で遠い敵でもまとめて吹き飛ばせるのである。さらに対戦車ライフルにビーム狙撃銃、重機関銃――装甲車でも
そうして火炎放射器が、人だろうが車両だろうがすべて火ダルマで包んでしまう。攻略はほとんど不可能と言ってよかった。
それでも、兵は突っ込んでいく。やらなければどうせ息が詰まって死ぬとの思いが、兵士達をカミカゼ突撃に駆り立てていた。銃剣を手に弾幕の中へ飛び込む者らが、バタバタ倒れ伏していく。
走る人間ばかりではない。反重力パックを背負って宙を飛ぶ空間騎兵隊員もいた。だがその彼らもクレー射撃の
「ダメだ! これじゃ殺られるだけだ! せめて煙幕を張れ!」
あちこちで士官や下士官が叫ぶ。それに従い、タッドポールや装甲車が次々にスモーク弾を射ち出した。
たちまちに白い煙が地を覆う。さらにまた、敵に向かって閃光弾が発射された。こちらの眼を眩ませる敵には同じ眼眩まし戦術を。重火器による支援ができない現状で銃剣突撃するしかない歩兵を助けるために、できる限りの手も尽くされ始めていた。
それでも敵は死を恐れぬ〈石崎の
互いに降伏を呼びかけるのは明らかに無駄なことだった。死に物狂いの戦闘の果てにいずれ砦が落ちるのは時間の問題でもあったが、しかし、まさに『時間の問題』――果たして酸素が尽きる前に石崎和昭を殺せるのか? たとえできてもそれまでにどれだけの犠牲を出すことになるのか?
負傷者の搬出などは完全に後回しにされていた。手ぶらの兵を送り出し血まみれの銃を拾わせ突撃させる。事はそのようになりつつあった。手足がちぎれ
血の池に血の噴水が立った。雨になって降り注ぎすべてを血で染めていった。その地で血にまみれていないものなどもうひとつもなくなっていた。