「おやじさん」と〈青〉の男・風見が言った。「これはもう、そんな薬でごまかせるもんじゃないんじゃねえですかね」
「う、ううう……」
石崎は、まだ指先につまんでいる〈仮死剤〉とやら言う錠剤を睨んで
卓に置いたコンピュータの端末機は各所で自軍が崩れていくのを表し出している。聞こえるのは、『石崎はどこだーっ!』と叫ぶ者達の声。
『油断するなーっ! 石崎のことだ、まだ何があるかわからんぞーっ!』『そうだ! クローンの替え玉くらい用意してるかもわからない!』『銃剣で刺したくらいで死ぬやつじゃないぞーっ! 首を斬るんだ! 脳と心臓をやらなきゃダメだ!』『いーや、ナマコは、まだそれでも再生するぞ!』『そうか、そうだな、とにかく完全にトドメを刺すんだ!』
そんな声も聞こえてくる。「うーん」と、〈赤〉の男・一文字が腕組みして唸って言った。
「おやじさんをなんだと思っているんでしょうね」
「知るか! わたしはプラナリアかクマムシか?」
すると声が、『プラナリアは百に斬っても百のプラナリアに再生するぞーっ!』
「ああもう」
言って石崎は遂に錠剤を投げ捨てた。〈仮死作戦〉は御破算である。
「まったくもう、なんなんだ。人のことを妖怪みたいに……」
言ったが、しかし、この部屋にいる赤・青・ピンク・黄・緑の五人もまた、自分達が囲むこの男を妖怪でも見るような眼で見ていた。この五人でさえそうなのだから、普通の人間が『石崎和昭は殺して死ぬ人間じゃない』と思うのは当然のことなのかもしれない。
そうでなくても、人は慣れない殺しをすれば、念を入れてトドメを刺すようなことをやりがちだ。首を絞めて殺した相手が決して息を吹き返すことがないようにと、頭に袋を被せて口をギュウギュウに縛ったりする。それでもまだムクリと起き出し掴みかかってきそうで怖いものだから、包丁でブスブスブスと何度も胸を突き刺したりする。
まして石崎。妖怪だ。この男は人類社会の中における妖怪以外のなんでもない。妖怪とは人の心が創り出した存在だ。そして神もまたそうだ。石崎を信じ
しかしそのような存在の正しい呼び名は〈妖怪〉なのだ。神などいない。錯覚だ。そして妖怪もまたそうだ。石崎和昭は信じる者の眼には神。そうでない者には妖怪。
しかしてその実体は、ただの
しかし、それでも今もなお、〈妖気〉とでも呼ぶべきような異様なものを放っている。渡しはせん、渡しはせんぞ、わたしの栄光を渡しはせん……そのように彼がつぶやくたびに、その妄執が形を成して彼の背後で実体化し、黒々とした獣の姿を見る者の眼に浮かばせているようだ。そんな気迫が漂うのだった。
石崎和昭。まさに妖怪。しかし、それも錯覚である。銃で撃っても刃で斬っても釜茹でにしても、巨大な電子レンジに入れてチンとしてやったとしても、死なないような感じがどうもするにはするが、ほんとに死なないなんてことが無論決してあるはずがない。銃剣でひと突きにすれば死ぬのだ。たぶん。なのだけれども、今は人が正常な心理状態を保っていられる状況ではない。誰もが石崎の力を恐れ、銃で撃っても死ななかったらどうしようと考えずにいられなくなっているのだった。
冗談のような話だが、石崎と言う男には確かにそのような思いを人に抱かせるところがあった。
『冷静になれ! いくらなんでも死なないと言うことはない!』
と、そのような声も聞こえてくることはくる。しかし、
『それより、心配は電力だ! 何か仕掛けがしてあるかもしれないぞ。停電を直した途端にドカンとか――』『それで自分だけ逃げられると思ってるのか、バカめ! どこまで腐った野郎だ!』『それどころか、石崎のことだ。核爆弾くらい用意していて不思議はないぞ!』『なんだと! そうか、それがやつの狙いか!』『そうだ! やつは地球人類すべて道連れに死ぬつもりだ!』『許せん! よくもよくもよくも――』
「勝手に変な考え起こして勝手に怒り狂ってる」
と〈緑〉のガキが言った。これに〈黄色〉のデブが応えて、
「うん。バッカじゃねえかなあ」
いや、元々お前らが正義の味方なんとか戦隊なんとかマンのつもりでこんなテロ行為をやらかすのが悪いんだ、と、この者達に言っても無駄なことであろう。〈ピンク〉のミニスカ女・ユリ子が、
「いっそほんとに核爆弾とか用意しとけばよかったね」
「そうだな」と〈赤〉の一文字。
「いいわね、行くわよ、ドッカーン」
「それ、おれ達も死ぬんじゃないか」ようやく気づいたみたいに言った。
「うーん、そうなのかなあ」
「死ぬと思う。それより〈ハイペロン爆弾〉みたいなものは何かないのか」
「えーと、ハ……なんて言ったの?」
「ハイペロン」
「はいぺろん?」
「ハイペロンだ」
「なあにそれ」
「日本語で〈
「だからなんなの」
「知らないけど、後で生き返れそうな気がする」
「いいかげんにしろ!」〈青〉の風見が大声を上げた。「黙って聞いてりゃ、ダラダラとヲタクの
「風見」と言った。「そういうのはおれの役目……」
「だったらちょっとはリーダーらしくしろよお前! こんなときにはいぺろんだのぺろぺろんだの……」
「しょうがないだろ。本当にそんな名前の爆弾があると言えばあるんだから」
「あるんだったら持ってこい!」
「『持ってこい』ってあのなあ。この状況で……」
「そういうことを言ってんじゃねえ! いま思いつくんなら、なんでもっと早くに考え用意してこなかったのかと言ってるんだ!」
「え……ハイペロン爆弾をか? いや、ただそういう言葉を知ってるってだけで……」
「その爆弾なら後で生き返れるんだろう?」
「え? そうは言ってない」
「男が言葉を変えるんじゃねえ! 一度言ったことに責任を持て!」
「えーと……」
と言って一文字は、チラリと〈おやじさん〉を見た。『一度言ったことに責任を持て』と言うのは石崎和昭と言う男が数十年の人生の中で何十億もの人々から、物事からバックレるたび浴びせ掛けられた言葉である。この妖怪の耳はしかしその言葉を、〈雑音〉として遮断するノイズ・キャンセル機能を備えているらしいのだが……。
しかしそれは自分に対して向けられたときだけである。誰か他人が言われたときは決して聞き逃すことはない。〈おやじさん〉はまさにどこかのおやじさんがバイトの若者に注意するみたいに鋭く言った。
「そうだ一文字。男が一度言ったことを変えるものではない」
「え?」と言った。「はあ」
「そういうのは最低の人間のすることだ」
「はあ」
一同が彼らの〈おやじさん〉の顔を、『よくもあんたにそんな口が利けるよな』という視線でスキャニングした。けれどもそのツラの皮は、電子レンジでチンしたとしても中のお肉をマイクロウェーブからきっと護ることであろう。脳がドカンとタマゴみたいに破裂することもないであろう。そのくらい分厚く頑丈なのだ。そして彼のスキャニング・アイは、カエルを睨む蛇のように強力だった。ビビビビビと光を発して缶詰の中のスイートコーンでもポップコーンに変えて炸裂させること疑いなしと言うほどだった。
まず普通の人間は、この男に逆らえない。まして〈石崎の
「そうだ一文字。男はイザと言うときにやらなければならない」
「はあ」
「今がイザと言うときだ」
「はあ」
「そして一文字よ。わたしは、わたし達は男なのだ」
「ええと……何を言いたいのでしょう」
「わからぬか。そうだろう。大勢の人の中で生きていく厳しさは、お前のような若者にはまだわからないかもしれん。しかしわたしはお前より長く生きている。人生でいちばん大事なものは何か教えてやろう。それは〈歯の食いしばり〉と〈血のにじみ〉だ。いちばんみじめで苦しいときにニタッと笑う。それが男だ」
「ニタッと」
「そうだ一文字。心に棚を作るのだ。それはそれだ。これはこれだ。背に腹を替えることはできんじゃないか。心を広く最大限に活用するのだ。狭く考えるな。大人になれ。昨日までの自分はもう忘れるのだ。いつまでも今のままでいようとするな。〈一文字
「はあ……」
「人はお前に言うかもしれん。『
(最低)
という言葉を誰もが口の中でつぶやいたが、しかし声として外に出すことはなかった。
石崎は言った。「いいか一文字。それが〈愛〉だ」
「はあ」
「一文字。お前は決して〈愛〉のない男などではない。〈愛〉に満ちた男、言うなれば〈愛〉の化身……」
石崎の背後で妄執のイメージが、巨大な鮫の立体映像がそこに映写でもされたかのように浮かび上がるのがその場にいる者達に見えた。その〈妄執〉は
「〈愛〉の権化なのだ!」
ギャウオオオォォ――――ン! 〈妄執〉は咆哮《ほうこう》し、その部屋の壁をビリビリと震わせた。本当は、近くで手榴弾か何かが炸裂しただけかもしれないが、しかし五人の若者は決してそうは感じなかった。
「あの……」と一文字。「おっしゃることはわかりました。わからないけどわかりました。けど、何が言いたいんです?」
「フッフッフ」
笑った。もう、ついさっきまでのただのおっさんの顔ではなかった。不屈の闘志であらゆる逆境を乗り越える炎の独裁者がニタニタと不敵な笑みを浮かべている。五人の若者は、全身に鳥肌を立てて怪物の再生を見ていた。石崎和昭。この男は、まさにクマムシかプラナリアだった。殺して死なない変なダイハード生物だった。
「わたしは勝つ」石崎は言った。「何があろうと絶対に勝つ」
「はあ」と一文字。「おやじさん……」
言った途端に石崎は、酒瓶で一文字の頭を殴りつけた。ぱぐしゃあっ!と言うような音と共に、瓶が割れてガラスの破片と、今の地球で貴重このうえない高級ブランデーが飛び散る。
「馴れ馴れしい口を利くな! そのようにわたしを呼ぶのは十年早い! 〈一文字ハンドレッド〉になって出直してこい!」
「パ……」とユリ子が言った。「パパ」
「なんだ」
「急にどうしちゃったの? 『心に棚』ってなんのことか……」
「フッフッフ。わたしには見える」
石崎は言った。五人の若者を眺めやり、
「ここに六人の若者がいるのが見える」
「六人?」言って五人は互いの顔を見合わせた。
「そうだ、六人だ。赤・青・黄色・緑・ピンク……」
「ええ」と一同。
「そして〈透明〉だ」石崎は言った。「ここにもうひとり、透明な六人目の若者がいるのがわたしには見える」