地下東京の東と西と南の端では、街から逃げて桜林に身を隠した人々が、上を飛び交うタッドポールが放つ光を見上げていた。それがどうやら日本人を殺しに来た外国人が乗るものらしいと皆知っていたが、だからと言ってどうすればいいのか。
真っ暗でロクにものを見ることができず、息が苦しく立って歩くのもままならない状況で、できることがあるわけもない。それに、やって来た者達は、下にいる自分達に気づきもせずにサッサと上を通り過ぎていってしまう。
それにまた、〈彼ら〉同士でいがみ合って機をぶつけ合い、銃やロケット弾で撃ち合っているのも見て取れることだった。
「ありゃあ一体何しに来たんだ」
とあきれてつぶやく者がいる。それに対して、
「どっちにしてもおしまいよ」犬を連れて逃げてきた者が、その犬の頭を撫でてやりながら言う。「あたし達は今日でおしまい……」
そうなのだった。誰もが一酸化炭素中毒で意識を失いそれっきりになる時間が近づいている。それまでおそらく、一時間もありはしない。二十分か三十分か、それとも十五分後にはコロリなのか――それを知ることもできない。わかっているのは、そのときが必ず来ると言うことだけだ。
なのにどうすることもできない。そのときを彼らは待つしかないのだった。
小型ラジオを脇に置き、電源を入れたままの者がいる。だが雑音を鳴らすばかりだ。どこかで放送があるならば、チューナーが自動で電波を拾うはずだが――。
「無駄だな」
「北の変電所に石崎が立てこもっているんだろ」
「どうもそうらしいけど」
「あれを殺せば電力が戻るってもんなのか」
「どうだろうなあ」
「だって、石崎のことだろう。死ぬなら地球人類すべて道連れにしてドカーンくらい……」
「うん。やりかねんやつだよな」
そんな言葉を交わしていたときだった。不意にラジオの雑音が
「ん?」「なんだ?」
『ア~ア~ア~』
「なんだろう」
『ア~ア~ア~ア~ア~』
「女の声みたいだな」「みたいだけどさ。なんだよこりゃ」
『ア~ア~ア~ア~ア~ア~ア~ア~』
「おい、こりゃあ……」
ヴォカリーズ、と言うのだろうか。ラララ~とかダダダ~とか発声するだけで詩のない歌だ。ラジオから突然流れ出したのはそれであるらしかった。それもこの地下の日本で誰もが聞き覚えのあるメロディーだった。その歌声を聞いた者らが暗がりの中で顔を見合わせた。
『フッフッフ』
男の笑い声が出てきた。その裏でまだ『ア~ア~』が続いている。
『市民の皆さん、ご機嫌よう。わたしが誰かわかりますか?』
『ア~ア~』
ラジオが言った。もちろん、その声の主を知らぬ者などこの地下都市にいるわけがない。
『そうです』と彼は言った。『わたしは内閣総理大臣、石崎和昭です』
『ア~ア~』
*
その歌声と男の声は、日本にやって来た外国人達の乗るタッドポールの無線機器も受信していた。声はたちまちそれぞれの国の言語に翻訳され、機械の合成音声となって機内に流される。
『ア~ア~』
女の歌声はそのままだ。石崎は言った。
『皆さん、世界は、いま滅亡に瀕しています』
『ア~ア~』
『わたし達は、今日と言う日を生き延びることができないでしょう』
『ア~ア~』
『すべてはわたしの責任です。わたしは日本国首相の身でありながら、社会がこうなるのを止められませんでした』
『ア~ア~ア~』
『わたしは……わたしは……』
『ア~ア~』
『時をかける男……』
『ア~ア~』
『〈愛〉は輝く船……』
『ア~ア~』
『わたしは青春の幻影。若者にしか見えない時の流れの中を旅する男。石崎と言う名の、皆さんの想い出の中に残ればそれでいい。わたしはそれでいい……』
『ア~ア~ア~ア~』
『さようなら、皆さん、そのときが来たのです』
『ア~ア~』
『さようなら……』
「なんだなんだ? 黙って聞いてりゃ、酔っ払いのうわごとか?」「変なクスリでもやってんじゃねえのか?」
各機内で口々に、乗る者達がそんなことを言い出した。
しかし中には、
「いや……」と首を振る者がいる。「これがイシザキだ」
「イシザキ……」
「そうだ。こういうやつなんだ」とその者は言った。「こいつこそおれ達の敵だ」
『フッフッフ』
笑い声がした。もう『ア~ア~』のコーラスはない。
『そうです、皆さん。わたし達はみんな死ぬ。しかしそれで終わりではない』
石崎の声は誰もが知っている。二百年前の日本の俳優・伊武雅刀の声にちょっと似ているなどと言われ、だからそれを真似てるときの山寺宏一と言う声優に似ていると言われて、しかしそのイブなんとかと言うのを今では誰も知らぬがゆえに『似てる』と言われても皆が首を傾げるのだが、とにかく誰もが知っている。機械の同時翻訳がやや遅れて聞こえるのだ。この男が語る声を日本にやって来た者達が、百の言葉で同時に聞いた。
『なぜなら、わたしは、明日に甦るからです』