ザ・コクピット・オブ・コスモゼロ   作:島田イスケ

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サーシャ

「技師長、お忙しいところ申し訳ありませんが……」

 

副技師長の斉藤(はじめ)が艦内通話機も使わずに自分を探してきたと思うと、ずいぶんと遠慮がちに声をかけてきた。「なんだ」と真田が(たず)ねると、

 

「例のご遺体の処置が出来ました。で、報告を」

 

ヒソヒソと耳打ち声で告げてくる。真田はハッとさせられた。

 

「わかった。すぐに行く」

 

時計を見る。もうあれから何十時間経ったというのだ? 時計でなく、カレンダーが必要な時間だ。人類の恩人のことだというのに、こんなにかかってしまったとは。

 

急ぎ足にラボに向かった。奥の最高機密室。網膜スキャンのロックで施錠されたドアを開ける。その向こうの室内は、零度近くにまで冷やされていた。

 

台の上に、胸で手を組み寝かされている一体の死人。古代進が見つけ届けてきた脱出カプセルの〈女〉だった。

 

「サーシャさん……」

 

立ちすくんだ。〈彼女〉は薄く死に化粧が(ほどこ)され、ただ眠っているだけのような顔をしてそこにいた。

 

遺体の処置をした者達が、気遣(きづか)わしげに真田を見ている。「すまんな」とだけ言って、それ以上は言葉にできずに頷いてみせた。

 

エンバーミングに時間がかかるのはむろん当然のことではあった。いったん凍ってしまった遺体を(いた)めぬように解凍し、洗浄して顔を整え化粧を施したのだ。その作業を任せっぱなしで自分が彼女を忘れていたというのが信じられない気がした。なぜこれほど大切な人を忘れてなどいられたのかと。

 

台に近づく。手を合わせる他に何もできることがない。真田はそんな自分を恥じた。遺体の処置の仕方など科学者なのに知らないと言えど、せめて何かひとつくらいできることがあったはずだ。あのとき、〈ノアの方舟〉で、おれに必ず〈コア〉を持って戻ってくると約束してくれたあなたに、どうしておれは……副長の責を負わされたなどというのが言い訳になるか。

 

「許してください」

 

真田は言った。それはあのとき、彼女が言った言葉だった。罪のない動物までも滅ぼそうとするガミラスに対して何もできないわたし達を許してください――〈イスカンダル人〉である彼女が、一度だけ、おれに向かってだけ言った謝罪の言葉だ。それをこんな形で返すことになるとは。

 

そうだ。おれは約束を果たした。あなたが戻ってくるまでに、この〈ヤマト〉を完成させた。あなたが心配したような逃亡船など造らせなかった。この船は今、人類と、あの動物達を救うため、こうして星の海にいる。だから、せめて、それで許してくれと言いたい。しかし――。

 

ひょっとして、おれがあなたを死なせたようなものなのか。ならば、おれはこうやってあなたに手を合わせる資格すらもない……。

 

真田はしばらく彼女を見てから外に出た。遺体の処置にあたった数名の技術員が、並んで真田を待っていた。そうだ。この者達は、彼女のためだけでなくおれのために何十時間もかかる繊細な仕事をしてくれたのだ。その労に応えなければならなかった。

 

「ありがとう。よくやってくれた」真田は言った。「わかっていると思うが、この遺体はまた冷凍してイスカンダルに届けねばならない。イスカンダルの人間は、地球を決して信用しているわけではない。『〈コア〉をもらえばもう用済みとして彼女を殺し解剖したのではないか』と疑われても仕方がないのだ。この遺体の存在については他のクルーには厳重に秘匿することにする。冷凍前にCTスキャンにかけるなどといったことも断じて許さん。それが人類の恩人へのせめてもの礼儀だ」

 

「はい。承知しております」ひとりが言い、全員が胸に手を当てる敬礼をした。

 

「わたしは少し自室で休む。何かあったら呼んでくれ」

 

言ってラボを後にした。士官用の個室に入るともう(こら)えきれなかった。崩れるように膝を折って真田は泣いた。


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