ザ・コクピット・オブ・コスモゼロ   作:島田イスケ

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ソルティドッグ

宇宙軍艦乗りの第一の仕事は決して戦うことではない。その毎日は掃除に始まり掃除に終わる――そう言っても過言ではない。地球人類を救うべく旅立ったこの〈ヤマト〉もまた同じだ。

 

船乗りは英語でセーラー、〈帆を張る者〉という意味だが、別の呼び名をソルティドッグ。〈塩漬け犬〉という意味になる。這うようにして甲板を塩まみれになって洗い、放っておけばすぐに黒ずみ緑青(ろくしょう)を吹く真鍮の手すりを磨く。そうして毎日毎日毎日、毎日毎日毎日と、長きに渡る航海の間、己が乗る船をピカピカに保ち続ける。それが塩漬け犬どもの務めだ。今は山と積まれた仕事にうずまっている士官にしても、航海が軌道に乗れば率先して日々の清掃にあたらなければならなくなる。艦長みずから艦長室を掃除して、第一艦橋も艦橋クルーがほっかむりして掃除するのだ。

 

兵装関係を除いてひと通りのテストを終えた〈ヤマト〉艦内では、早くもその日々が始まっていた。〈タイガー〉の格納庫ではパイロットと整備員の別なく庫内清掃に(はげ)む。床にモップが、右舷展望室の畳にはぞうきんがかけられて、トイレの便器もセッセセッセと人の手により拭かれるのだった。

 

波動エンジンの機関室も、機関員らの仕事の半分は床を掃きモップをかけて、その巨大なエンジンを磨くことにあると言ってよかった。今も総出でその作業が行われていた。機関長の徳川が台に乗ってエンジンを拭くのを、藪は下でモップを持つ手を動かしながら見上げていた。

 

超光速戦艦〈ヤマト〉と言えども、これまで乗ってきた船とそれほど変わりはないのかな、と思う。ただあらゆるスケールや、航海日数が違うだけか。『万一の際の消火』などと言われても、あのロボットが言った通り、そんな訓練そのものはどこの船でもやらされてきた。

 

一心にエンジンを磨く徳川を見ながら、あれが船の機関員の(かがみ)ではあるんだろうなと思った。余計なことは考えず、ただエンジンが支障なく動くようにだけ努める。そのためにはああしてまず磨くことが大切だ、というわけだ。エンジンが汚れていたのでは、油が漏れてもそれがどこから出ているのかわからない。汚れたままにしていればすぐ病気になってしまうのは人も機械もおんなじだ。だからとにかくきれいにしなきゃいけないと。

 

そういう人間は尊敬できる。並みの船ならそれでいいようにも思う。だが、本当にそれでいいのか? 自分の中に汚れた機械油のように漏れ出しねばりついてくる疑問は、拭いてぬぐえるものではなかった。やはり、どうにもおかしいのだ。この航海は並みとは違う。

 

ワープのテストは特に大きな問題もなく成功したという。これで往復二十九万六千光年の旅も望みが得られたという。千光年ずつ一日二回、296回やれば、148日で地球に帰ることができる。それだけならば五ヶ月だ。すでに十日も遅れを出したが、もともと四ヶ月分ほどのロスは計算に入れてある。だからまだまだあせるほどのことはないさ、と。しかし、そもそも、その数字がおかしいのだ。

 

なんだ、『十四万八千』って? 推測ではガミラスは百光年以内だという話じゃなかったか? 八年間ずっとそう聞かされてきた。その理屈に納得もしてきた。なのにいきなり、どうしてなんの説明もなしに桁が四つもハネ上がるんだ。

 

これはスケールが(こと)なり過ぎる。千も万光年も先からガミラスが地球を見つけられるはずがないとされてきた理屈が正しいのなら、イスカンダルも同じはずだ。なんでもサーシャとかいう使いがやって来たという話を聞いた。そのサーシャは、どうやって地球の危機を知ったんだ? イスカンダルにもし途轍もなく遠くを見れる望遠鏡があるとして、それをたまたまマゼランから地球の方に向けるとする。あら、なんだか青い星が、急に赤くなっちゃったわ。どうしたのかしら。まあ、ひどい侵略じゃないの。でも、これって、十四万八千年も前の話なのよねえ。その光がやっと届いて今こうして見てるのよねえ。もう今更どうしようもないわ。

 

そういう話になるはずじゃないか。これまで八年、ニュースや何かで聞いてきた話を元にすればそうなる……いや、けれども、まあいいだろう。イスカンダルにはそれだけの距離を越えて地球の危機を知る手立てがあったわけだ。千光年もいっぺんにワープできる技術があるならそう不思議とも言えないはず。

 

けれども、それならガミラスにも同じことが言えるのでは? ガミラスはそんなに遠いわけがないと言われている。たとえば、もし万が一、やつらが地球への移住でもたくらんでいるとしてみよう。赤い星がいいのなら、他に適当な候補の星が、ガミラスから数光年の範囲にいくらでもあってよさそうなものだ。なんでわざわざ地球人類を殺して海を干上がらせたりしなけりゃならん。なんでわざわざ百隻もの艦隊を送り、けっこうな手間をかけて犠牲を出して、地球と戦争しなけりゃならん。せいぜいロケットくらいしか持たない程度の文明の星なら、楽に侵略もできるだろうに、なんでわざわざこの22世紀末の地球を選ぶ。近くにあると言うならともかく、たとえば他所(よそ)の銀河などから――何億何兆もの星の中から地球を選ぶどんな理由があるというのだ――そう言われてきたのだった。

 

そうだ、確かに、遠くにあるとは考えにくい。理屈で言えばそうなるし、移住説などはバカらしい。だから百光年以内とする説が有力とされてきた。しかしイスカンダルというのがそれだけ遠くにあるのなら、考え方を根本的にあらためなければいけないのじゃないか。

 

地球政府はイスカンダルがどこにあるのか公表しない。大マゼランのどこかだとくらい言っていいはずなのに。

 

できないのだ。民衆に、『ガミラスも遠くにあるとは考えられないのか』と言われてしまうから。これまで有力とされてきた説が崩れてしまうから。

 

ガミラスは地球人が波動技術を持つのを恐れてやって来た、と言われてきた。だから地球がワープ船を造れるようになりさえすれば、パワーバランスは逆転する。むしろこちらが強くなるかも、と言われてきたのだ。

 

ガミラスが遠いということは、その希望的観測とも言える仮定が間違っているのを意味しかねない。〈ヤマト〉に続くワープ船を何十隻と造ってもやはりガミラスに勝てぬかも、とは口が裂けても言えない。だから、イスカンダルがどこにあるのか(おおや)けにできないでいるのだ。

 

そのイスカンダルを信じていいのか。うまく出来た理由を作って『一隻だけで来い』なんて言うが、このまままっすぐ行っていいのか。藪は思った。これではとても、自分は何も考えずただエンジンを磨いていればいいという気になれなかった。


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