小鈴は博麗神社への道を急いでいた。
今でも時々思い出したように面霊気の能楽が行われるためか、以前よりも道はずっと歩きやすくなっている。人のために開かれている。幸い日が沈む前に、境内に飛び込めた。誰が決めたことやら、ここではどんな強大な妖怪も、赤子一人殺すことはない。
「はあ……はあ……ごめんください!」
「御免と思うなら、帰ることね。生憎霊夢は留守よ」
黒く短い髪。パリッとしたシャツ。黒いスカート。そしてなにより頭にちょこんと乗った赤い山伏の帽子。間違いない。
小鈴は息が落ち着くのを待てずに、にんまりと笑んだ。賭けに勝った。
「二ッ岩の親分が人間の小娘にぎゃふんと言わされる。独占大見出し」
「よござんす。お話聞かせていただきましょう」
射命丸文は即座に仕事モードに入った。
*
「羅惇都霊宝會元。
山河社稷図。
至高なる調理の瞑想書。
火蜥蜴の刻印の書。
アタルガティスの聖句。
どれも、私のコレクションの中でも選りすぐりの逸品です」
「……これは驚いた。確かにどれも一級品の魔導書や稀覯本だ。写本も交じっているが、まあ読む分には構わないし、写本自体が貴重なものでもある」
森近霖之助は突然の来訪者にいい顔をしなかったが、本を積み上げるごとに表情を明るいものに変えていった。
「お譲りします。その代り、私のお願いを聞いてほしいんです」
「危ないことでなければ、喜んで引き受けよう」
「私が所望するマジックアイテムを三日後の朝までに仕上げてください」
「いくつかね?」
「二つです」
「悪いが、少し時間が短すぎる。所望の物によるが、やってできないことはないだろう。しかし……」
「私の能力のことはご存知ですよね? 今週は生憎予定が入っていますが、手が空いた時に解読不能な本をいくつか読むくらいならできますよ」
「では、三冊を来週の頭から一週間で仕上げてくれ」
「吹っ掛けますね……。が、まあいいでしょう。お願いします」
小鈴は満足げに香霖堂を出ると、射命丸文に礼を言った。
「わざわざ護衛を引き受けてくださってありがとうございます」
「いえいえ、ネタのためとあらば」
文はそそくさと手帳に何かを書きとめた。
「さて、お望みの品が手に入る手はずは整えましたが……それでどうするつもりですか?」
「勿論、狸をぎゃふんと言わせます」
*
三日後の夕方。
小鈴は妖魔本を五冊ほど積み重ねると、その上に手をかざした。その手首にはまったブレスレットの宝石に、妖魔本から抜け出た魔力が集まっていく。
「これでよし」
足早に先日の場所に向かえば、すでにマミゾウは巨大なしっぽの上に腰かけ、呑気にくつろいでいた。鈴がこちらにある以上、また別の手段だろうが、人払いも完璧だった。
「逃げずに来たか、お嬢ちゃん」
「勿論ですよ、お客さん」
「まだ儂を客というかね?」
「別にうちは妖怪お断りではありませんので……。しかし、うちに伝わるこの鈴を奪おうというのなら、容赦はしません」
小鈴は右手にメガホン、左手に音喰い小鈴を結び付けた杖を構えた。
「幻想郷の伝統にのっとり、妖怪退治をさせてもらいます」
「ほう。何やら手に入れてきたようだのう」
「ええ。このメガホン、ただのメガホンじゃあございません……」
小鈴はメガホンを構えると、「ばさり」という声を吹き込んだ。すると、まるで袖がはためいたかのような音が実際に鳴る。
そして続いて左手の杖を突き、音喰小鈴をゆすれば、今しがた喰われた音が繰り返される。
ばさり、と音がして、小鈴の袖が翻った。
「ほう。それで手数を補うかね?」
「ええ。私は術の心得などありません。よって、鈴の音はその都度書き換えさせてもらいます」
「それにその右手の腕輪……。周囲から魔力を吸って補うか。確かにおぬしの妙な力は左手にのみ宿っていると見える。鈴はそれを喰っているが、そのメガホンは別のものが必要というわけらしいのう」
「そこまで分かっているなら――こちらから行かせてもらいます!」
ずぶり、という音が響く。メガホンにより吹き込まれた音が鈴に食われる。
そして鳴る。
ずぶり、と音がしてマミゾウの足が地面に沈み込んだ。
いつのまにやら足元はぬかるんでいる。
「おお」
「暢気に構えていられるのは今のうちです」
がっちり、という音がメガホンから鳴る。そして同じことが繰り返された。
がっちり、という音が鳴り、マミゾウの足を飲み込んだ地面が固まった。
「これであなたは動けない。降参するなら今のうちに……」
「……骨の折れる音」
「え?」
「皮の破ける音。肉の裂ける音。いやさもっと直接に、殴る音蹴る音刺す音切る音撃つ音。あるじゃろうもっと鳴らすべき音が。おぬし」
その笑顔が小鈴をすくませた。
「――儂を
みちみち、と音がした。
マミゾウの足から下が、千切られた音だ。
「な……!」
「何を驚く。儂は古今無双の化け狸。おぬしはすでに化かされておる」
マミゾウが千切れた足で一歩前に出る。すると、その足元は傷一つない状態に戻り地を踏んでいる。小鈴は目がくらむようだった。
「もっと、もっと、もっと! 儂を追い込まねばぎゃふんとは言わせられんぞ!」
のんびりと、しかし重圧を伴って歩いてくるマミゾウ。小鈴は思わず半歩下がりながらも口を動かした。
ずしり、と音が二度してマミゾウの体が傾く。その体はもはや鉄と同じ重さのはずだ。
「ふん」
どおるるるるるるるる……。
それは小鈴が生まれてこの方聞いたことのない音だった。
エンジン音。自分の体を化かしたマミゾウの中で、内燃機関が震えている。鉄と同じ重さの体が、蒸気を噴き上げ無理矢理馬力を出している。
「鉄と同じ重さなら、いっそのこと本当に鉄になってくれようか?」
悪趣味な鉄人形となったマミゾウが、硬質な音を立てて迫ってくる。小鈴はたまらず音を叫んだ。
ぶわ、と音がしてその体が宙に浮かぶ。
「ほほう。そんなこともできるのか。やはりそれはおぬしには猫に小判よ」
「余計なお世話です!」
小鈴はすたり、と音を立てて降り立つと、がつんと音を立てた。マミゾウの頭が見えない力に叩きのめされ、タヌキが地に倒れる。
しかし、まるで糸につられているかのように直立不動のまま起き上がると、にんまりと笑った。
「そうそう、その調子じゃ。もっとやる気を見せてみるがよい」
当たり前のように平気な顔だ。小鈴は最早、手加減など無用と判断した。
地力が違う。自分が思い切っても、やりすぎることなどない。それほどに相手の格が上なのだ。
「では、全力で!」
めら、と音がしてマミゾウの全身が炎に包まれた。
「おお、こわいこわい」
マミゾウは水に変じた。そのまま渦巻き、小鈴へと迫ってくる。
「何でもありか!」
ぱきり、と音がして迫る渦が凍った。続いてびしり、と音がしてその氷がくまなくひび割れた。
「おやおや」
氷の粒が舞い上がる。結晶の一枚一枚にしがみついた、米粒ほどのマミゾウ達が口々に言う。
「こんな」
「程度で」
「驚くか」
「大した」
「ことも」
「ないんじゃのう」
最後の言葉は背後から聞こえた。
「っ!」
「水に変じたのは儂の輪郭のみよ。あとは普通に歩いて回り込ませてもらった。おぬしがよそ見している間にの」
伸びてくる手がある。小鈴は思わずぼきり、という音を鳴らした。
腕がおかしな方向に折れ曲がる――ぐにゃりと。
「え?」
「種明かし!」
その腕が、いつの間にか荒縄に変じている。これでは折れるわけがない。
「ほれ!」
さらにその荒縄がしゅるりと延び、小鈴の胴をからめ捕る。
すぽん、と音を立て小鈴がのがれた。更にずざざ、と音を立てて距離を取る。
「じゃあ、これでどうだ!」
ずば、と音がしてマミゾウが脳天から真っ二つになった。
「これはこれ」
「は驚いたな」
「ここまで思い切」
「りがよいとはの」
そして真っ二つのまま普通にしゃべりだした。そして片足ずつけんけんと飛び跳ねて近づいてくる。
からかうような動きに、小鈴の頭に血が上った。
「だったら!」
ひときわ大きく、擬音を叫ぶ。
「まとめて吹き飛ばすまで!」
どかん! と強調された音が鈴に喰われた。
そして杖を地面に叩きつければ、ひときわ大きく音が鳴る。
「ふん」
その一瞬前、半身が合体したマミゾウが木の葉をぞんざいに投げると、彼女の前に壁が現れた。阿求の屋敷の塀の一部を切り取ったような、屋根瓦のついた漆喰の壁だ。
そして、壁が爆発した。
「どうして!?」
「おぬしは目に見えぬものが爆発するところを明確に思い描けるのかね?」
爆炎の向こうからの指摘に小鈴は冷や汗を流す。
そうだ。いままでもずっと、鈴の音が何を引き起こすかを明確にイメージしていた。つまり直接目にしていないものに音喰い小鈴は使えない。それは本来、持ち主である小鈴が弁えるべき弱点だ。だというのに。
「三日のうちにおぬしがすべきだったのは、儂を倒す策略を考えることだけではない。その鈴の理屈もわかってやらねばなあ。その鈴の音は夢幻の力で現実に干渉する。ではその夢幻はどこからくる?」
爆発によって飛び散った屋根瓦が降り注ぐ。そしてその瓦の一枚一枚がマミゾウとなって小鈴へと歩んでくる。
「「「「「「「「「「おぬしじゃ」」」」」」」」」」
「くそう!」
どかん! どかん! どかん!
分身のマミゾウ達を爆破しながら、小鈴は思い切り突き進んだ。杖を突くたび鈴が鳴り、爆発が視界を埋め尽くす。その爆炎を突っ切った先に、壁の残骸の向こうに、存在感を放つ本体がいる。
「もらった!」
またも煙が上がり、壁が現れた。もうその手は食わない。横っ飛び、壁を回り込んで目を凝らす。
いた。
「喰らえ!」
どかん! 一際大きな音とともにマミゾウの姿が爆炎に包まれる。
「終いじゃ」
しかし、そんな言葉とともに杖ごと鈴が掠め取られた。
「え!?」
「ほっほっほ」
軽やかな足取りで杖ごと鈴を奪い、踊っているのは――壁だ。壁から手足が生えている。
「そんな……」
「壁があればその向こうに儂がいると思うたか? 甘い甘い」
壁がマミゾウの姿に戻る。
「さて。この鈴はいただくとしよう。おぬしは使いこなせなかったようじゃからな……」
「待ちなさい」
「ん?」
「まだ、一手あります。あなたをぎゃふんと言わせる方法が」
「よせよせ。分かったじゃろう。儂はすべておぬしの後手に回っていた。だというのに鈴は今、儂の手にある。騙し合い化かし合いで狸に勝てるものか」
マミゾウは諦めの悪い生徒を諭すように言う。
「おぬしは最初から、正々堂々火力で勝負すべきじゃった。その魔力を補う腕輪があるならそれも可能じゃった。力がないなら知恵を使えばよいというのは、知恵の劣る相手を下す時に使う作法よ」
「ええ。だから待っていました。正々堂々、あなたに攻撃を当てられるこの瞬間を」
そして手を伸ばす。
「あなたが、その鈴を奪って勝ち誇る瞬間を」
小鈴は袂から取り出した鈴を鳴らした。
どかん、と音がした。
そして爆発が後から起きた。
*
空高く舞い上がった体が落ちてくる。背中から落ち、そのまま大の字に伸びる。
「ぎゃふん」
ついにぎゃふんと言わされたマミゾウの髪は焼け焦げ、眼鏡はひびが入り、大妖怪としてのプライドもヘチマもない有様だ。
「ふふ。勝ったのは私です」
小鈴はそんなマミゾウに背を向け、鈴を袂に仕舞う。
「あ……もう一度たっぷり言わせていただきます。勝ったのは……私です! たっぷり!」
小鈴はうきうきと倒れ伏したマミゾウに歩み寄る。
「いやー正直危なかったですけどね! ああ種明かししますと、あなたが持っている杖の鈴はダミーです。あなたの分身を爆破した時の爆炎の向こうですり替えさせてもらいました。馬鹿正直に正面から爆破しようとしても避けられてしまいますから、私はあなたがダミーを手にして油断する瞬間を待ってたんですよ、あはははは」
マミゾウはピクリとも動かない。
「あはははは……はは?」
小鈴は恐る恐るつま先でマミゾウの肘を突く。
「あのー、死んだふりとかいいですから、ねえ」
ぽくぽくぽくぽくぽく。
ちーん。
小鈴の顔が青ざめる。
小鈴は倒れるマミゾウの肩をがっちりと掴んでゆすった。
「うわああああどうしようやっちゃったああああ! 起きて、ねえ起きてくださいよ! ねえったら!」
「そこまで言われちゃ仕方ない」
途端、マミゾウの口から煙が噴き出す。小鈴はもろに煙をかぶって吹き飛ばされた。そして、煙の中でその輪郭がどんどん小さくなっていく。
「にゃ、にゃ、にゃ」
小鈴は自分の手をまじまじと見つめた。滑らかな毛並み。肉球。鋭い爪。
「にゃにゃにゃー!」
なんじゃこりゃ、と叫んだつもりでも、ただの猫の悲鳴だった。
「ほっほっほ、引っかかった引っかかった」
「ふしゃー!」
「んー、この姿か? もちろん変化じゃよ、ほれ」
煙一噴き、マミゾウが汚れ一つない姿になる。眼鏡も無事だ。最後の最後でひっくり返された。猫になった小鈴は毛を逆立てる気概すら失い、小さくなって後ずさった。
「ふにゅにゅ……」
「ああ、安心せい。勝負はおぬしの勝ちだとも。その鈴は預けておくよ。おいたをする猫には鈴をつけねば安心できん」
マミゾウはからからと笑った。
「……さて」
そして一転して目つきを鋭くして言う。
「タイミングとしては、守屋の巫女が祈祷をするときがいいじゃろう。そうすれば多少不審に思われても、手柄を勝手に自分のものしてくれようぞ。音はあらかじめ覚えさせておくがよい。魔力はおぬしの店の妖魔本の魔力を根こそぎ使えば、まとまった量になるじゃろうて」
杖に顎を乗せてしゃがみ、子猫となった小鈴に滔々と語る。
「では、よい晴耕雨読をの。この杖は手間賃にもらっておくぞい」
マミゾウが杖を突きながら立ち去って行ったあと、小鈴の姿が元に戻る。
「だから、私はお百姓さんじゃありませんってば」
メガホンを構えると、小鈴は不機嫌な顔のままつぶやいた。
「ざあざあざあ……」
*
マミゾウは里のはずれに来ると、手ごろな岩の上に頭の上の葉っぱを滑らせた。大げさな煙が立ち込め、岩が居心地のよさそうな小上がりに変じる。ご丁寧にちゃぶ台や座布団、茶箪笥までついている。
「あー、疲れた」
威厳も何もない。杖を投げ出し、腹から畳にダイブして疲れた体を横たえた。その体から煙が上がる。
着物はボロボロ、眼鏡はひび割れ、髪もあちこち焼け焦げている。小鈴の前で見せたものこそ、強がりの変化だった。
「本気を出すように煽ったのは確かじゃが、容赦なさすぎじゃろあの小娘。爆破するか普通」
「それほどあなたが恐ろしく見えたということで、一つ」
ぱしゃりという音とともに、マグネシウムの光がマミゾウを襲う。
「それから、突っ込んだことを聞いていいかしら? もちろんオフレコで」
「駄目と言っても聞くじゃろう」
取材を終えた文は無遠慮に小上がりに腰掛けてマミゾウに問うた。
「何故、こんな回りくどいことを? 雨を降らせるだけなら、あなたが使うだけ使って、あの鈴を返してしまえばよかったのに」
「それが正しいと思うかね」
「正しいわね。楽しくはないけど」
「ならばそれが答えじゃよ。美酒は喉が乾けば乾くほど美味かろう」
文は大げさに驚いて見せた。
「まさか、あの乾いた本。そこまでお膳立てして……」
「それこそまさか。儂はあの本と、鈴と、日照りと、儂の商売とを線で結んだにすぎん。お嬢ちゃんは雨を降らせてあの本にありつくために儂を倒した。儂はそのおこぼれに預かったのじゃよ」
「いい飴と鞭だこと」
「飴を与えられるばかりじゃ肥え太るばかりじゃ。今回の一件で、お嬢ちゃんがそれを学べたなら、それ以上はないとも」
マミゾウは割れた眼鏡をちゃぶ台の上に放り投げた。
「力に魅入られ、人とも妖怪ともなれなくなった半端者は、得てしてそういった豚どもじゃ」
マミゾウはあおむけで遠くを、空を見上げる。今は雲一つないが、きっともうすぐ雨が降る。
「ブン屋ぁー。傘持っとるかー?」
「傘一本で、最新号一部というのはどうでしょう」
「ちゃっかり者め……。一部、もらおうか」
*
小鈴は鈴奈庵の真ん中で腕輪を握りしめた。周囲のとっておきの妖魔本達から魔力が立ち上り、腕輪に吸い込まれていく。腕輪にはめ込まれた宝石にかつてない魔力が蓄えられたのを確認すると、小鈴は休業中の札を出してから店を出た。
人里の中心で、早苗が祈りをささげている。小鈴はそれを眺めながら、鈴をゆすった。
ざあざあざあ、と音が鳴る。魔力を吐き出し終えた腕輪が、ぴしりと嫌な音を立てた。
*
あの日の繰り返しのように、魔理沙と早苗が鈴奈庵の暖簾をくぐった。二人は突然の雨に追い立てられるように、貸本屋に飛び込んだ。
「はー。ひどい目にあったぜ。つうか話が違うぞ早苗。あと何日かかかるって言ってただろう。どうなってんだ」
「私だってわかりませんって。誰かが雨を降らせたんじゃないんですか?」
「誰かって誰だよ」
「知りませんよ」
小鈴はページを繰りながら、二人をのんびりと出迎えた。
「いらっしゃいませ」
「おや、今日は寝てないのか」
「ええ。折角雨が降ったんですから」
壊れた腕輪と、無造作に転がされたメガホンと、箱に入った鈴が机の片隅にポツンとある。
「本を読まない手はないでしょう?」