靄がかっていた意識が少しずつ晴れてきた。
じくじくと痛む真っ赤な背中の傷と、口から漏れる白い吐息が、まだ生きているということを証明してくれている。
何故、こんなところに横たわっているのか。その疑問の答えは、顔を上げる事によって得られた。
未来。そう呼ばれた少女が母親らしき女性と抱きしめ合っている。
その光景を見た
嬉しかった。涙を流し抱きしめ合う親子が、自分の信じるものを肯定してくれているような気がして。
「やっと、ちっとは答えらしいものが見つかったかもしんない。…………でも、なんか俺、……駄目かもしんない」
気力を振り絞り、鉛を流し込まれたかのように重い体を動かす。そのまま、強引に立ち上がろうとした。しかし、背中の痛みがそれを拒んだ。
弛緩した足が容易く折れ曲がり、体を支えきれずに崩れ落ちる。もたれかかった白い車が、真司の赤い血で上塗りされる。
眠っているかのように、人影のない閑静な大通り。そこに、大きな足音が間断なく響き渡る。その足音はこちらへと近づいていた。
「城戸! しっかりしろ!城戸!」
黒いロングコートの裾をはためかせ、
何度も自分を殺そうとしてきたくせに、いざ死にそうになった途端、こんなにも泣きそうな表情で自分の身を案じてくれるのだから。
「おい…どうした…?」
目の焦点が合わない。意識が朦朧としてきた。けれども、一緒に戦ってきたこの男には、ようやく見出せた願いを聞いてほしい。真司は掠れた声で言葉を紡ぐ。
「俺さ………昨日からずっと、考えてて…それでも、わかんなくて…」
信じるもの。明確な輪郭の無い、曖昧としたもの。どんなに探し求めても、強い風に吹かれ、やがて埋もれていく砂漠の中の針金。
だが、確かにあの瞬間、真司は初めてそれを掌に掬い上げる事が出来たのだ。
「……でも、さっき思った。………やっぱり、ミラーワールドなんか閉じたい、戦いを止めたいって。………きっと、すげー辛い思いしたり、させたりすると思うけど…」
これまで、戦ってきたライダー達の情景が、伸びきったビデオテープを巻き戻すように浮かんでは消えていく。
自らの欲望の為だけに戦うライダー達がいた。誰かを想いながら戦うライダー達がいた。
その願いに貴賤はあったのかもしれない。しかし、彼らにとって、その願いはすべからく命を懸けるに値するものだったのだ。
————それでも。
「………それでも、止めたい。それが、………正しいかどうかじゃなくて、俺の、ライダーの一人として叶えたい願いが、………それなんだ」
これ以上、こんな戦いの為に誰かが涙を流すのを真司は許せなかった。
恐らく、真司の願いはとても残酷なものだろう。なぜなら、この戦いを止めるということは、ほぼ全てのライダーの願いを分け隔てなく潰すことになるのだから。
だというのに。
「ああ!だったら生きてその願いを叶えろよ!死んだら…終わりだぞ!」
嗚咽を漏らしながらも蓮はこう言い放ったのだ。自分の願いも顧みずに。
もし、そうなったら、蓮は恋人の命を諦めなければならない。そのことに気づいているのだろうか。
人のことはあまり言えないが、大声で宣われた矛盾に真司は苦笑する。
「そうなんだよなぁ……蓮、お前は、なるべく、生きろ」
恐らく、蓮は恋人を救う為、最後の一人になるまで戦い続ける。
それを止めることはもうできない。苦し紛れにこんなことしか言えないのが悔しい。真司はその悔恨を誤魔化すように蓮の手を握った。
「お前こそ生きろ!…城戸、死ぬな…死ぬな!」
「……お前が、俺に、そんな風に言ってくれるなんてな」
あれほど痛みを訴えていた背中の傷からは、もう何も感じない。 肌を突き刺すような冬の風が、体の熱と共に通り過ぎていく。
言いたい言葉を、ちゃんと言えているのだろうか。それすらも真司には分からなくなっていた。
あと、少しだけ。ほとんど力の残っていない喉を酷使しようとする。……だが。
「おい?おい!」
「………ちょっと———」
————感動した。
皮肉混じりのその一言を、真司の口は紡げない。目蓋を開ける力とともに呼吸をする力がなくなる。
蓮が耳元で何かを叫んでいるが、もう何も聞こえない。
そういえば、借金の三万円は結局返すことが出来なかった。
この期に及んでまた一つ、未練が増えてしまった。そう笑う真司の意識は醒めることのない眠りに呑まれていった。
地平線に沈んでゆく太陽が、夜の到来を嫌でも感じさせる。遊具で遊んでいた子どもたちが親に手を引かれて帰っていく。
それらの様子を
やがて、騒々しい子どもたちの声が、風になびく木々のざわめきになり、公園に寂寥が充満する。
眺めるものが無くなった桜は俯く。だが決してブランコから動こうとしなかった。
たとえ帰ったとしても、あの家には自分の居場所は無いのだ。それはまだ幼い桜の取るに足らない些細な抵抗だった。
鈴虫の輪唱のような優しい耳鳴りが、桜の耳に入る。顔を上げると、そこには自分より少し年上くらいの少女が立っていた。
「優衣ちゃん…!」
まるで人形のようだった桜の表情に笑顔が灯る。それは年相応の明るい笑顔だった。
すぐさま立ち上がり、赤いリボンと紫色の髪を揺らして、桜は優衣と呼ばれた少女に駆け寄る。
「桜ちゃん、今日も私を待ってたの?」
「うん…ちょっとだけ寂しかったけど、きっとくるって、思ってた」
優衣はこうして桜が一人で公園で佇んでいると、決まってどこからか現れて、一緒に遊んでくれる不思議な少女だった。
感情を表に出さない桜に、優衣は本当に根気よく接してくれた。
不思議な人だ、と桜は思う。優衣は桜の短い人生の中でも、今まで会ったことのないタイプの人間だった。
年不相応な大人びた雰囲気も理由の一つだが、優衣にはこれまで桜が接してきた人達とは決定的に違うところがある。
姉も、両親も、義理の家族も、みんな、桜をどこか上の方で見下ろしていた。憐憫や同情、嘲り。そこに高さの違いはあったのだろう。
しかし、優衣は桜を見下ろすのではなく、桜と同じ目線の高さに合わせようとしてくれる。そんな優衣だったからこそ、桜は心を開くことができたのかもしれない。
優衣が手招きをしてベンチに座る。桜も隣に座った。
「今日は桜ちゃんに見せたいものがあってね。……これ、私の宝物なんだ。開いてみて」
「本当?」
優衣はそう言って、持っていたスケッチブックを桜に手渡した。開いてみると、クレヨンで描かれた赤い龍や青い蝙蝠などの様々なモンスターの絵が何枚もあった。
「これ、なあに?」
「私を守ってくれてた存在、かな? でも、私はもういいから、今度は桜ちゃんを守ってくれるようにって思って」
本当に大切なものなのだろう。それは絵を見つめている優衣の双眸が深い慈愛に満ちていることから窺い知れた。
「桜ちゃんはどれが好きかな?」
桜はページをパラパラとめくりだした。龍や蝙蝠以外にも、緑の牛や紫の蛇などの沢山のモンスターがいて、桜はどれにしようかとても悩んだ。
黄土色の蟹はがめつくて人を簡単に裏切りそうだ。銀色の虎は強そうだがどこかに危うさを感じる。黄緑のカメレオンは本性を隠すような悪い顔をしていた。…どれも特に根拠はないが。
「じゃあ…これ」
ひとしきりページをめくり終えた桜は最初のページに戻り、赤い龍を指差した。大した理由は無い。戸籍上はただの他人になってしまった姉の好きな色が赤だったからだ。
桜の指差したものを見た優衣のまなじりは緩やかな弧を描いた。望んでいた答えが得られたかのように。
「そっか…この子なら、大丈夫かな」
そして赤い龍の絵に触れて、ここにはいない誰かに、申し訳なさそうに呼びかけた。
———ごめんね、■■■■■■■。桜ちゃんが本当に笑えるようになるまで、力を貸してあげて。私には、もう時間がないから…。
優衣がそう言うと、先ほどの比ではない耳鳴りが桜の頭を劈く。耳鳴りに混じって、龍の雄叫びが聞こえた気がした。まるで、優衣の呼びかけに応じたかのように。
桜は思わず耳を塞いでしまった。だが、なぜか怖いとは思わなかった。
———優衣ちゃんを守ってくれてたなら、きっとそこまで悪い子ではないのだろう。
そんな気がしていたからだ。
不意にスケッチブックから眩い光が溢れだした。その光は、夜の帳が下りはじめた公園を、桜の意識ごと包んでいく。
それからのことを桜は覚えていない。
龍の雄叫びが近づいてくる。だが、その雄叫びは優衣の意図していないものを1つだけ呼び寄せていた。
微睡む意識を、尋常じゃない轟音と大きな振動が容赦なく叩き起こす。
「うおわぁ!?」
そんな間抜けな悲鳴が機内に響き渡った。怪訝な目でこちらを見る乗客の視線に気づかず、真司が周囲を見回すと、飛行機の中だった。
なぜ、飛行機などに乗っているのか。未だに醒めないこの頭では、現在の状況に至った経緯が導き出せなかった。
確か、自分はミラーモンスターから少女を庇い背中に傷を負って、それが原因で死んだはずだ。だとすればここはあの世で、この飛行機は天国か地獄に向かっているのだろうか?
そんな馬鹿げた考えが真司の頭の中を支配する。これでも本人は大真面目である。
——はたして自分は天国に行けるだろうか?こんなことならもっといい事しとくべきだった!
真司があの世についてくだらない思いを巡らせているうちに、飛行機は既に着陸をして止まったようで、乗客は次々と降りていく。
「どうぞ」
「あっ、ありがとうございます…?」
真司がまごついていると、機内に残っていたスチュワーデスが真司の座席の上の荷物入れからキャリーバッグを取ってくれた。 気がきくようによく訓練されている。
——あの世のスチュワーデスって、身長高いんだな。2メートル超えているんじゃないか?北岡さんよりデカいじゃん。
そんなことを思いながら、真司はキャリーバッグを受け取り、飛行機を降りた。
———待て、なにかがおかしい。
違和感に気づいたのは飛行機を降りてすぐのことだった。
飛行機を降りた先は空港のロビーだった。天国も地獄もありはしない。まあ当たり前なことなので、それはひとまず置いておこう。
まず、周りの物がなにもかも大きすぎる。あの世にバリアフリーという言葉は存在しないのだろうか。
そして、道行く人たちの平均身長も高すぎる。誰も彼もが真司を見下ろせる高さに居た。
真司と同じくらいの身長の人間など、腰の曲がった老人か、子どもくらいしかいない。それも、小学校低学年くらいの幼い子どもだ。
——あの世とは巨人の国だったのか?
真司の出来が悪い頭では、そんなことしか考えられない。
真司は一旦落ち着くために。ついでに催してきたものを沈静化させるためにトイレに行くことにした。そそくさとキャリーバッグを引いて歩く。
「————は?」
トイレに着いて、なんとなく鏡が目に入った。その瞬間、真司の粗末な思考回路は完全に停止した。鏡自体に問題はない。なんて事のない只の鏡だ。ライダーもミラーモンスターも映っていない。問題は、映っている幼い子どもの顔だった。
癖のある青い髪、だらしなく開かれた口と連動して見開かれた青い瞳が、真司を見ている。
恐る恐る顔に手を伸ばすと鏡に映った子どもはそれを真似した。じゃんけんをしてみる。全て引き分けだった。左右に高速で動いてみても、にらめっこをしてみても、無駄な抵抗は止めろと言わんばかりに、鏡に映った子どもは真司の動きを完璧に模倣した。
「————はっ、はっはっ、はは」
無意識に声が漏れる。突きつけられている真実を直視できない。だがどう足掻いても、鏡は真司の望まない真実を映し出していた。
「——————はああぁぁぁぁぁぁ!?」
一人の間抜けが便所の鏡に吠えた。これは悪い夢だ。だからはやく醒めよう。と頬を引っ張って未だに無駄な抵抗を続けている。
しかし、現実から醒めることなどはできるはずもない。頬の痛みや激しい動悸と呼吸が、夢ではないことを証明していた。
「………とりあえず小便しよう。考えるのはそっからだ」
だが、そんな衝撃も、尿意には勝てなかった。
「………………」
仮面ライダー龍騎こと城戸真司。彼は、自らの願いを成就させようと殺し合うライダーたちを止めるために、その殺し合いに巻き込まれる人々を守るためにライダーになり、戦いの果てに命を落とした。
迷いながらも、自分が叶えたい願いをようやく見いだして。
「なんで…こんなことになったんだ?」
真司は本来の自分の手ではない小さな手を、憂いを帯びた目で見つめて握りしめる。
確かに戦いを止めることができなかった未練は強い。だが、見知らぬ他人、しかも子どもに乗り移ってまで叶えたい願いではなかったはずだ。
否、たとえどんなに叶えたい願いがあったとしても、未来ある子どもの体を奪うことなど、真司にはできない。
人の体を、命を奪うことの意味を、真司はとある悪徳弁護士に教えられたのだから。
「とにかく、この子がどんな子だったのかを調べなきゃな」
パスポートか何か、身分を証明するものがキャリーバッグに入っているはずだ。そう思った真司は荷物を探ることにした。
予想通り、子どもらしくないちょっと背伸びした雰囲気の長財布の中にパスポートが入っていた。
「ええ〜っと間桐………慎二君、か」
この少年の名前は
シンジ。奇しくも自分と漢字は違えど同じ名前だった。これは偶然なのだろうか。
パスポートに記載された名前に見入っていると、ロビーに館内放送が流れる。真司は放送の内容に耳を傾けた。内容から察するに、どうやら間桐少年を迎えに来た人が探しているようだ。
きっと心配しているはずだ。散らかした荷物をキャリーバッグに詰め込み、真司は空港の案内所を目指して歩く。しかし、その足取りはとても重いものだった。
それも当然だ。久しぶりに会うであろう息子が、文字通り別人になって帰って来ることになるのだから。
もし、彼の家族が真実を知ったら。今はあるはずのない背中の傷に罪悪感が染み渡る。
窓から見える空は、腹立たしいくらいに雲のひとつもない澄みきった青空だった。
これより始まるは、運命に紛れ込んだイレギュラーの物語。正義のない戦いの果てに散ったはずの男、城戸真司。彼の二度目の物語が始まろうとしていた。
3日前に投稿できていれば完璧だった…
初投稿なので、読みづらい部分や納得のいかない点が多く見つかると思います。その時はお手柔らかに指摘していただければ幸いです。