Fate/Advent Hero   作:絹ごし

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番外編「送り火」

 

「時速760キロメートルのバイクが3420キロメートル進むまでの時間は……4.5時間、かなぁ?………バイクってこんなに速度出るのか?」

 

 問題を作った先生が、桁を一つ間違えたとしか考えられない。そのようなモンスターマシンが実在するのならば、是非とも乗ってみたい。

 そんなことを思いながら、真司は問題を解き進めていく。存外、算数というのは脳のトレーニングにもなって楽しいものだ。

 …これが数学になった途端苦行に変貌するのだが。

 

「………因数分解ってなんだよ。勝手に分解するなよ。自然のままにしておけよ」

 

 来年に想いを馳せて、真司はため息をついた。一応、真司は大学を出ている身だが、文系の男だ。真司としては簡単な計算がササッと暗算できれば満足なのである。

 将来は、ジャーナリスト以外の職業を選ぶつもりはない。作文ではその想いを何度も書き綴った。

 

「将来、ねぇ…」

 

 気がつけば、真司がここに来てから四年の月日が流れていた。小学生最後の夏である。

 最初の頃は、寝て起きてしまえば全て元通りになっているのだと楽観していた。

 しかし、いつまで経ってもその気配は無い。自分はすっかり間桐慎二として馴染んでしまった。

 

「とりあえず、算数の宿題終わらせるかぁ…」

 

 今はそんなことよりも宿題だ。そう思い、真司は手を動かす。期限までにはまだ余裕はあるが、今年の自由研究には力を込める計画なのだ。余分な事に時間をかけてはいられない。

 

「よっし、これで最後っと」

 

 そう言いながら、最後のページをめくった瞬間だった。

 

「兄さん? 入ってもいいですか?」

 

 ノックの音とともに、桜の声が聞こえてきたのは。

 

「ああ、うん。どうぞ〜」

 

 真司は特に気にしていないのだが、桜は毎回律儀に部屋の扉をノックをする。兄妹なのだから、そのような遠慮などしなくてもいいというのに。

 真司が返事をすると、桜はおずおずと部屋に入ってきた。

 

「…もうすぐ待ち合わせの時間ですよ?」

 

 …なぜか桜は浴衣姿である。文句なしに似合ってはいるが。真司はその姿を見て、とあることを思い出し、部屋の時計を見上げる。もうすぐ、時針が六の数字を指そうとしていた。

 

「………やべっ! もう時間かよ!」

 

 今日は祭りの日だということを、真司はすっかり忘れていた。士郎たちとの待ち合わせまで時間があったので、暇つぶしがてらに宿題をしていたのだ。

 大慌てでTシャツとズボンを脱ぎ捨て、ベッドの上に畳まれた浴衣に手を伸ばす。

 

「に、兄さん!? ……き、きき着替えるなら言ってください!」

 

 大きな驚愕と小さな歓喜が入り混じった悲鳴を上げて、桜は咄嗟に顔を手で覆う。だが、その言葉と動作とは裏腹に、指の隙間から半裸になった真司を目に焼き付けるように凝視していた。

 

「今更なに言ってんのさ! 桜ちゃんに裸くらい見られても俺は全然気にしないっての!」

 

「〜〜〜っ! 私が気にするんです!」

 

 そこまで言うのならば、自分の部屋から出てしまえばいいのではないか。しかし、桜は一歩も動こうとしない。

 ちぐはぐな様子の桜には目もくれず、真司は急いで浴衣に着替える。絶対に着なければならない決まりなどはないが、なんとなく、風情は大事にしたいというのが、真司の考えだった。

 

 

 

 下駄の歯がアスファルトと打ちつけ合い、独特な音を奏でる。真司は下駄の具合を確認しながら、待ち合わせの場所へと歩く。

 

「俺の下駄は大丈夫そうかな…。桜ちゃんのは大丈夫? 去年みたいな事になったら大変だからさ」

 

「はい。もし鼻緒が切れちゃっても、今年は結び方を調べたので心配ご無用です」

 

「…本当〜?」

 

 えっへん。と妙に胸を張っている桜に、真司は疑わしい視線を投げかける。昨年は下駄という履物に慣れていない所為からか、桜の下駄の鼻緒が切れてしまい、真司がおんぶをして祭りを歩き回ったのだ。

 汗だくの姿を士郎と大河にからかわれたのは、未だ記憶に新しい。

 他愛のない会話をしながら歩いていると、徐々に人々の起こす喧噪が近くなってくる。

 

「一応、時間には間に合ったか…。後は士郎たちを探すだけなんだけど…」

 

 腕時計の時間を確認して、真司は安堵する。しかし、冬木大橋の近くの広場を待ち合わせの場所に決めたのだが、考えることは他の人たちも同じだったらしい。人集りが多く、士郎たちの姿が探しづらかった。

 これならば、どちらかの家を待ち合わせ場所にしておけばよかった。

 

「……多分あっちの方です。ついてきてください」

 

「うん?」

 

 不意に、桜に手を引かれ、真司はそれに従う。人混みをかき分けながら進んでいると、こちらを呼ぶ声が聞こえた。

 

「おーい! 慎ちゃーん! 桜ちゃーん!」

 

 多くの人たちの喧噪にも引けを取らない大声が、真司の耳を劈く。

 わかりやすいなぁ。と思いながら、真司がそちらの方を向くと、器用に下駄で飛び跳ねながら、こちらに手を振っている大河が目に入った。確か、今年で二十歳になるというのに、その天真爛漫な性格は、なりを潜めない。

 

「藤ねえ、少しは落ち着けよなぁ…」

 

 呆れたように首を横に振りながら、隣に居た士郎が大河を宥める。だが、その程度の制止で収まるのならば、大河は冬木の虎などとは呼ばれていない。

 

「士郎、こっちは勉強に次ぐ勉強で鬱憤が溜まってるの! ここらで発散したいの!」

 

「ちょっ!? 離せっての!」

 

 大河は癇癪を起こした子どものように喚き散らして、士郎の肩を揺さぶる。助けを求めるように士郎はこちらを見てくるが、真司は目を逸らし、視線による救難信号を断ち切った。

 

「あ、あはは。…それにしても、すごいね桜ちゃん。どうして士郎たちの居る場所が分かったの?」

 

 振り子のように揺さぶられている士郎を尻目に、真司は先ほどの事を桜に尋ねる。どうにも迷いのない足取りで先導されたので、疑問に思ったのだ。

 

「ち、ちょっとした勘です。藤ねえさんに声をかけて貰わなかったら、私も直ぐには気づけませんでした…」

 

「ふーん。………藤ねえー。そろそろお腹減ったから屋台の方に行こうよ。もういい時間だしさぁ」

 

 流石に士郎が可哀想になってきたので、助け舟を出してやることにした。

 

「それもそうね! みんな。はぐれないように私についてきなさい!」

 

 意気揚々と歩き出した大河に遅れないように、真司たちも後に続く。脳みそごと揺さぶられたのか、おぼつかない足取りで歩こうとしていた士郎に肩を貸しながら。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「………はぐれた」

 

 などと、深刻そうに言いつつ、真司は綿菓子を頬張ることを止めようとはしない。偶々、綿菓子の屋台が通り道にあったので、気まぐれに買ってみたが、久々に食べるとなかなか美味しいのだ。

 

「うーん…。どっちに行けば合流できるんだろう」

 

 長時間、型抜きに挑戦していたのがいけなかったのか。チューリップの型を完成させて、賞金を貰ったのだが、振り返ると誰も居なかった。別の場所に移るのなら、何か一言だけでも声をかけてほしかった。

 

「………げっ」

 

 しばらくの間、途方にくれて周囲を見渡していると、視界の端に黒いツインテールが映る。真司は迷うことなく回り道をすることにした。

 桜たちとはぐれてしまったことを彼女に知られたら、確実に揶揄われるのが目に見えている。

 

「ここまで来れば安心———」

 

 そんな安堵の言葉は、ポンポンと肩を叩かれる感覚によって止まった。

 まじかよ。そう思いながらも、真司は咄嗟に振り返る。すると、細い指先が真司の頬に突き刺さった。

 

「………なんで逃げるのよ。別にとって食うつもりなんかないのに」

 

「………逆になんで追いかけて来るんだよ。俺は今急いでるんだ」

 

 刺された頬をさすり、真司は下手人に向き直る。そこには、不満げに口をへの字に曲げた凛が居た。

 赤い悪魔。密かに真司が命名した渾名に違わぬ赤い浴衣に身を包んで。

 

 

 

「あっはははっ! あんた、型抜きなんかに夢中になってはぐれたんだ!」

 

 真司が渋々事情を話すと、凛は快活な笑い声を上げる。これでも学校では優等生として認識されているという事実に、真司は世の中の理不尽を感じた。

 どんなに猫を被っていたのだとしても、周りの目は節穴すぎる。遠坂凛という少女の本性はとても恐ろしいものなのだ。

 

「うっさい、しっかり完成させたんだぞ。チューリップ。文句なしの出来だーって褒められたんだからな」

 

「…本当〜?」

 

 凛の疑わしい視線が癪に触った。既視感を感じるやりとりだが、真司は懐から証拠を取り出す。

 

「本当だっての。ほら、ピカピカの五百円玉。しかも記念硬貨だ」

 

 見せびらかすように、真司は凛に型抜きの戦利品を手渡す。凛はそれをまじまじと見つめると後ろの屋台へ振り返った。

 

「へぇー。……おじさん、ラムネ二本くださいな」

 

 愛想のいい笑顔で、凛はラムネとお釣りを受け取る。そして、片方のラムネとお釣りを自分に手渡してきた。

 あまりにも自然な動作だったことから、真司は反応がかなり遅れる。

 

「………あっ!? 俺の努力の結晶!?」

 

 気づいた頃にはもう遅い。三十分の激闘の対価は、ただの冷たい瓶に変わってしまった。

 真司は我が物顔でラムネを飲んでいる凛を呆然と眺める。

 

「結局はお金なんだから、使わないと損じゃない。……慎二くん、飲まないの? 温くなっちゃうわよ?」

 

「…………飲む」

 

 ラムネに罪はない。そう思うことで、真司は踏ん切りをつけた。キャップを外し、中のビー玉を押すと、炭酸の気が音を立てて抜ける。

 そして、ラムネを一息で流し込んだ。冷たい泡が喉を通過する。その清涼感が、真司の溜飲を若干下げてくれた。

 

 

 

 屋台の喧噪から離れ、比較的閑散とした川沿いの道を、真司は凛に先導されて歩く。あの後、それとなく逃げようとしたのだが、凛に襟元を掴まれてしまい、それは叶わなかった。

 

「なぁ〜、凛〜。いつまで付き合えばいいんだよ。いい加減、桜ちゃんたちと合流したいんだけど」

 

「まあまあ、黙って私についてきなさい。こうやって慎二くんを揶揄える機会も、もう残り少ないんだし」

 

「あ〜…。あの噂本当だったのか、別の中学に進学するってやつ」

 

 終業式の日に、小耳に挟んだことなのだが、廊下で凛と担任の先生が、進学先について話しているのを目撃したクラスメートの男子が居たのだ。

 その男子は、目元を潤ませて、卒業式の後に告白するのだと語っていた。

 おませさんだな。と思い返しつつ、その儚い憧憬に心を動かされた真司は、心の中でサムズアップをした。願わくば、その僅かな勇気が報われますようにと。

 

「あれ、知ってたんだ。…………ふーん」

 

 真司がノスタルジックな感傷に浸っていると、凛が口元を嫌味ったらしく歪ませて、こちらの顔を覗き込んできた。

 間違いない。あれは変なことを閃いた顔だ。

 

「慎二くん、寂しい?」

 

「そ、そんなわけないだろ。こっちは寧ろせいせいした気分だっつーの。今まで、散々馬鹿にしやがって」

 

 四年前、転校初日の衝撃的な出会いを経て以来、真司はこの少女に、毎日のように振り回されてきた。

 しかも、周囲には、優等生に張り合う面白い奴として認識される始末である。まったくもって心外なことだ。

 

「………ふふっ、なんだかんだでずっとクラスも一緒だったしね。私たち」

 

「ほんとだよ。凛の所為で一般的な小学生の三倍は疲れたね。まだ半年もあるってのが信じられないくらいだ」

 

「そうなの? 私は慎二くんのおかげで四倍は楽しめたんだけどなぁ。慎二くんのリアクションって面白すぎるんだもん。芸人とか向いてるんじゃない?」

 

「…あっそ」

 

 真司は不貞腐れて顔を逸らす。それを機に、会話は途切れてしまう。

 しかし、なぜか気まずいと感じることは無いのが不思議だった。お互い、自分を飾らずに接しているからだろうか。

 凛が前を歩き、真司はそれに続く。そうやってしばらくの間歩いていると、不意に凛が立ち止まった。

 

「いたいた。ほら、慎二くん。いつまでも不貞腐れてないで前向いてみなさい」

 

 そう言いながら、凛は前を指差す。目を凝らして、真司がその先を見ると、街灯の下に桜たちが居た。自分を探しているようで、しきりに辺りを見回している。

 

「うわっ、凛。このために俺を連れ回してたのかよ。でも、なんで桜ちゃんたちの居場所が分かったんだ?」

 

 先ほどの桜といい、訳がわからない。二人は実は超能力者だったのか。

 

「ちょっとした勘ね。私の勘はよく当たるのよ。………まあ、そんなことはどうでもいいでしょーっと!」

 

「危なっ!?」

 

 凛が突然背中を押してくる。たたらを踏みながら真司は振り返って、凛に抗議の視線を向けた。

 

「まだ全然桜とお祭り回れてないんでしょ? ………桜に悪いから、そろそろ解放してあげるわ」

 

「……なあ、別に凛も一緒に———」

 

「———じゃ、私まだ用事あるから!」

 

 真司の言葉を遮った凛は、取り繕うような表情で頷いた後に、来た道を戻ってしまう。その背中は、どこか寂しげだった。

 素直じゃないなぁ。と思いながら、真司は凛の背中に言葉を投げかける。

 

「凛! 凛が別の中学に進学するかもって桜ちゃんに言ったら、桜ちゃんは寂しくなるって言ってたぞ! ………ちなみに、俺もちょっと寂しい!」

 

 真司は口に手を添えて叫ぶ。すると、凛は言葉の意味を汲み取るように立ち止まった。そして、返事をすることもなく、駆け足で走り去ってしまった。

 凛の表情が見えないのは残念だったが、明らかに恥ずかしがっている。

 ガコガコと、下駄の歯を擦り減らさんばかりに荒っぽい音を立てているのは、それを誤魔化している証拠だ。

 カウンターが決まったことに満足した真司は、大手を振って桜たちに駆け寄った。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 夜の川を照らすように、数えきれない程の灯籠が水の流れに従って通り過ぎていく。その光景を、真司は河川敷の階段に座り、ぼんやりと眺めていた。

 丁度、真司がここに来た年の出来事だった。新都の方で大規模な火災が起こったというのは。その火災によって数百人以上の人々が犠牲になったらしい。

 それ以来、末遠川で行われる灯籠流しには、犠牲者の鎮魂の祈りも込められているのだと、過去に道徳の授業で教わった。

 

「…………」

 

 桜は大河に引っ張られて、どこかに行ってしまったようだ。真司がお手洗いから戻ってきた頃には、既にどこにも居なかった。

 真司は視線だけを、隣に座っている士郎に向ける。士郎は一つ一つの灯籠を見つめていた。まるで、自らの罪を数えているかのように。

 

「…士郎、俺ちょっと軽くつまめるもの買ってくるから、ここで待っててくれるか?」

 

「わかった」

 

 微動だにせず、士郎は返事をする。そんな士郎の様子にため息をつきながら、真司は屋台の方へと向かった。正直、一人にさせた方がいいと感じる程に、士郎の表情は尋常ではなかった。

 

「………あの人って…」

 

 道に沿って、ブラブラと歩いていると、その先に見覚えのある男性が川を眺めていた。

 

「………あ、あの、切嗣さん、ですよね? こんばんわ」

 

「…うん? …慎二くんか。こんばんわ」

 

 衛宮切嗣(えみやきりつぐ)。士郎の養父である男性がこちらを向く。随分と老け込んだ印象を感じさせるが、これでも三十代らしい。士郎に爺さんと呼ばれるのも納得だ。

 切嗣は少し前から体調を崩し、自宅で養生している筈だったのだが、こうして出歩けるぐらいには回復したのだろうか。

 

「慎二くん、士郎たちとは一緒じゃないのかな?」

 

「あ〜…、その〜…。士郎ならあっちに居るんですけど…」

 

 なんと言えばいいのか。返答に困った真司は、ちらりと背後を向く。相変わらず、士郎は流れていく灯籠を見ているらしい。

 

「…今年も、か」

 

 真司の視線に促され、切嗣も士郎を見つける。しかし、士郎を見る切嗣の瞳には、煤のように暗いものが漂っていた。

 

「…………慎二くん。ちょっと、長い話に付き合ってくれるかな?」

 

「はあ。全然いいですよ」

 

 まだまだ、流れていく灯籠が途絶える気配はない。桜たちも戻ってきていないので、真司は快く了承した。

 

「…ありがとう」

 

 そう言いながら、切嗣はある事について語り始めた。

 

 

 

「……ごめんね。せっかくの祭りの日なのに、暗い話をして」

 

「そんなことないです。………でも、よかったんですか? 俺に、その、士郎の事を話しても」

 

 士郎は、四年半前の大火災によって家族を亡くした。天涯孤独になってしまった士郎を、切嗣が養子として引き取ったらしい。

 それ以来、この季節になると、毎年のように末遠川の灯籠流しに訪れては、川に流れる灯籠を見ているようだ。

 きっと、士郎は忘れたくないのだろう。亡くなった家族たちとの日々を。少なくとも、切嗣の話を聞いた真司はそう思った。

 

「大丈夫さ。慎二くんは他人の秘密を易々と誰かにバラすような子じゃないって分かってるから」

 

「あ、あはは…」

 

 過去就いていた職業的に言うのならば、切嗣の認識は間違っているが、真司にその認識を訂正する手段は無い。苦笑いをすることしか出来なかった。

 

「それに、君なら———」

 

「———あぁーっ! 切嗣さんっ!」

 

 大河の大声が重なり、切嗣の言葉を最後まで聞き取れなかった。間が良いというべきか、悪いというべきか。

 その勢いのまま、切嗣を掻っ攫っていってしまった。仮にも病人である切嗣に対する扱いではない。もはや虎の嵐だ。

 

「切嗣さん。何言おうとしてたんだろ。…………ん?」

 

 大河たちを追いかけようと、真司が一歩踏み出そうとしたが、グイグイと、浴衣の裾が引っ張られる。振り返ると、疲れ切った表情でこちらを見上げている桜が居た。

 

「……と、とりあえずお疲れ様。藤ねえとどこに行ってたのさ?」

 

「……………」

 

 返事はない。自分が居ない間に一体どんな目にあったというのか。

 

「さ、桜ちゃん? 浴衣はだけるから離してくれない?」

 

 真司がそう言っても、桜は手を緩めない。言葉を発するのも億劫なのだろうか。熟考の末、真司はある結論に辿り着いた。

 

「そういえば、碌にお祭り一緒に回れてなかったね。藤ねえたちもどっか行っちゃったし。………行く?」

 

「……………」

 

 桜は無言でがっしりと自分の腕にしがみついてきた。それが返答なのだろう。奥の方で聞こえる士郎の悲鳴を背景音楽にしながら、二人は当てもなく歩きはじめた。

 

 

 

「………おっ! 桜ちゃん、花火始まるよ!」

 

 丁度いい位置に有ったベンチに座り、たこ焼きを頬張っていると、口笛じみた音を上げながら、花火玉が良く晴れた夜空へと飛んでいった。

 その音を敏感に聞き取った真司は、桜に呼びかけるように上を指差す。

 その瞬間、炸裂音とともに菊型の光が咲いた。手を伸ばせば届くのではないか。真司がそう錯覚するほどに巨大な光が。

 それを口火に、次々と花火が打ち上げられ、夜空を明るく照らしだす。

 もしも、この世界に魔法のような現象があるのなら、こういう綺麗なものの方がずっと良い。

 そんなことを思いながら、真司は明るい夜空を見上げ続けた。

 




捗らない書き溜めから逃げるように番外編投稿…。
基本的に番外編は7話と8話の間の出来事になりそうです。

感想、アドバイス、お待ちしております。

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