スラスラと進めたいのに遅筆が恨めしいなぁ。
それではどうぞ。
結論から言おう。真司の正体がバレることは無かった。
いや、この言い方では語弊があるので言い直すと、バレているかの判断が難しいと言うべきか。
「………………」
溜息をつくようなエンジン音が車内に響く。
真司にとって、重苦しい沈黙がこの密室を支配していた。
真司はそれを紛らわせるために車窓から見える景色を眺めるが、何の変哲も無い街並みが広がっているだけで、特に目を惹くものは無かった。
強いて気になることを挙げるなら、広告の看板に写っている芸能人が生前と比べて古いことぐらいか。
「ぶぇっきしょい!…あっ、ありがとうございます」
運転席の人物からティッシュを受け取り、鼻をかむ。プーンと情けない音を出しながら、役目を終えたティッシュをゴミ箱に捨てた。
真司はこの沈黙から逃げるように思考に耽る。その手は前に組まれていて、膝に至っては車のエンジンに負けないくらいにガタガタと震えていた。これでも真司は平静を装っているつもりである。
間桐少年を迎えに来ていた人物は、家族ではなく使用人だった。確証は無いが、真司に対する恭しい態度や接する際の距離感がそう感じさせた。
間桐少年の身なりから、裕福な家庭であることは真司にも察することはできたが、まさか使用人を雇っているとは思わなかった。
しかし、流石に使用人といっても、執事やメイドではなく、家政婦のような雰囲気だったが。
だが、なぜ間桐少年の家族は迎えに来ていないんだろうか。そんな疑問が真司の脳裏をよぎる。
旅行か帰省か、事情は何一つわからないが、真司は先程パスポートを探していた際に、長財布から海外の紙幣も見つけていた。
つまり、間桐少年は海外から帰ってきたということになる。父親が仕事で忙しいのだとしても、母親ならば迎えに来れるのではないか。
そして、その使用人に車へ案内され、今に至る。
かれこれ一時間ほど経って、ようやく車は停車した。
車に乗ってから、使用人との会話は一言もない。きっと寡黙な人なのだと、真司はそう考えることにした。
車から降りて、使用人がキャリーバッグを引き前を歩く。慌てて真司はそれに続いた。
間桐少年の家はどれほどの豪邸なのか。そんなことを考えながら。
「うっわぁ〜………」
屋敷を見上げる真司の口から、思わずそんな声が漏れた。だが、それは感嘆からではない。
荒れ放題の生垣や雑草混じりの庭、壁を覆い尽くすほどに伸びきった蔦、割れたまま放置されている窓。どう控えめに言っても、お化け屋敷だった。
手入れがされていないところを除けば、真司の生前の居候先だった、花鶏に雰囲気が似ている。
しかし、こんな惨状でなければ確かに立派な洋館だ。神崎邸と同じか、それ以上の大きさである。
「………ん?」
木の葉っぱからカラフルな芋虫が、放心している真司の肩に落ちてきた。まるで初めて来た客人に挨拶するかのように。
どうも払い落とす気になれなかったので、真司は芋虫を優しく摘んで、別の葉っぱに帰しておいた。
昔、似たような芋虫を枝でつついて遊んでいた時に、生き物は大切にしろと祖父に咎められたからだ。
だが、その祖父は翌日、リビングに出没した"黒光りするアレ"を絶叫しながら掃除機で吸い込んでいた。何事にも例外はあるのだと、子どもながら察することができた。
「——あっ、ちょっと待ってくださいよ!」
どうでもいいことを思い出している内に、使用人が玄関に向かっていく。声ぐらいかけてくれてもいいのに。本当に最低限のことでしか口を開かない人だと真司は思った。
幽霊が住んでいても違和感がない外観の惨状に辟易しながらも、真司は後に続いた。
「おっ、おお…」
玄関をくぐった真司の口から、思わずそんな声が漏れた。今度はちゃんと感嘆からである。
悲惨な外観に比べて、内装は案外普通の豪邸をしていた。高価そうな調度品の数々が真司を出迎える。
一つ一つが自分の生前の年収を余裕で越える値段になるだろう。絶対に触れてはいけない。
恐ろしいことを真司が想像していると、廊下の奥の曲がり角から、男性がおぼつかない足取りで出迎えてきた。
使用人はその男性に一礼した後に、入れ替わりで廊下の奥に消えて行く。
「帰ってきたか、慎二」
「あっはい…、ただいま帰りました…えっと、お父さん」
青い髪に青い瞳。この男性が間桐少年の父親なのだろう。もし、間違っていたら大惨事だったが…。
男性が真司を見ている様子からして外れてはいなかった。
「ああ、…そうだ留学はどうだった?」
「———あっはい、えっと、とても得難い経験ができました。具体的には自分が自分でなくなったようなぐらいで……」
間桐少年は海外に留学していた。ということは最低でも二週間から三週間、長ければ一年以上、間桐少年は海外にいたことになる。
そんなに長い期間、家から離れて暮らしていた息子がようやく帰ってきたなら、家族総出で出迎えるのが普通なのではないかと真司は思う。
まさか、こんな大きな屋敷に父親と二人で住んでいるわけではないのだから。
「そうか……少し出掛けてくる。明日には帰ってくるから、くれぐれも夜更かしはしないようにな。」
「………へ? あっはい、行ってらっしゃい」
間桐少年の父は、そう言いながら片手で器用に上着を羽織り、玄関へ向かって歩く。留学から帰ってきたばかりの息子との会話を早々に打ち切って。
真司はすれ違った際に間桐少年の父の顔を見た。酷くやつれていて、まるで長い間、監獄に収容されている囚人だった。相当ストレスが溜まっているのだろう。
玄関のドアが閉まる音が聞こえる。一人で取り残された真司は、勝手に感じていた重圧から解放され、安堵から溜息をついた。
そして、一つ大事なことを思い出し、再び溜息をつく。
「この子の部屋ってどこだよ……」
この屋敷に初めて来た真司には、間桐少年の部屋が分からない。
作業をしている使用人たちに場所を聞けばすぐに済む問題なのだが、真司としては少しでも怪しまれる要素を減らしたかった。
それに、この巨大な屋敷を少し探索してみたい。そんな好奇心が真司の足を動かした。やはりバカである。
一階は使用人たちが清掃をしていて、慌ただしい足音が聞こえる。邪魔をしてはいけないので、そこは後回しにして真司は階段を登った。
閑静な二階の廊下に真司の足音だけが響く。
二階は、ほとんどが物置か、空き部屋になっていた。掃除は一応行き届いている。
いくつか鍵のかかった部屋もあったが、そこは外出している家族の部屋などだろう。
まだ開けていない部屋はあと二つ残っていて、どちらかが間桐少年の部屋に違いない。
そう思った真司は手前の扉に耳を当てて物音がしないかを確認する。…気分はすっかり空き巣だった。
恐る恐るドアノブに手をかけて、真司は扉を開いた。
「………うーん」
視界に広がったその部屋は、まるでモデルルームのようだった。必要なものは全て揃っているし、清潔で家具にも統一感がある。だが、そこには生活感というものがまるで感じられなかった。
よそよそしい、辛うじて部屋としての体裁を保っているはりぼて。そんな雰囲気を真司は感じた。
「ここがこの子の部屋なのか?なんか殺風景っつーか…、子どもらしくないっつーか……お?」
改めて真司が部屋を見回すと、棚の上に立てかけられているスケッチブックが目に入った。
この部屋の主は絵を描くのが唯一の趣味なのか。
そう思い、スケッチブックに手を伸ばす。
————ぁ。
そんな少女の声が部屋の扉の隙間から聞こえてきた。
「ちょっ、どわぁ!?」
蚊の鳴くようなか細い声だったが、真司を驚かせるには充分過ぎた。両足が、兎とバネを合体させたかのように伸びて跳ね上がる。
当然、着地の際にバランスを崩して、真司は尻餅をついた。
「痛ってぇ……」
真司が大袈裟な動作で尻をさすっていると、少女が遠慮がちに部屋に入ってきた。大慌てで弁明の言葉を、頭の中で組み立てる。
「あっ、あのこれは違———」
「———ご、ごめんなさい」
真司の苦しい言い訳を遮って、少女が謝罪してきた。なぜ勝手に部屋に侵入した自分が謝罪されているのか、全く理解できない。
真司はゆっくりと少女の顔を見上げる。紫色の瞳が焦燥に揺れていた。
「お、お義父様に、兄さんが今日帰ってくるから、自己紹介は済ませるようにって言われたのに、私……」
少女は、先程から真司に声をかけようとしていたが、それが出来ずに隠れて後を追っていたらしい。
まあ、あんな空き巣のような足取りで真司がさまよっていたらそうなるのも無理はない。
"兄さん"、"自己紹介"。それらの単語から、真司はこの少女が間桐少年の妹で、しかも初対面であることを咄嗟に導き出す。
……事情が複雑すぎて真司の頭はこんがらがりそうだった。
「と、とりあえず、こっちこそごめんね。部屋、間違えちゃったみたいでさ」
真司は尻をはたきながら立ち上がって、改めて少女に向き直る。すると少女は体の軸をこちらから少し逸らした。…やはり第一印象は良くなかったようだ。
「「…………………………」」
気まずい沈黙が無機質な部屋に流れる。
少女はチラチラと真司の顔色を伺っていて、微かに震えている唇は何かを言いたげだった。
———あっ、自己紹介したいのか。
それに気づいた真司は、この内気な少女をこれ以上怖がらせないために、そして少女に怪しまれないために笑顔で口を開いた。
「俺は城戸…ゴホン、間桐慎二。えっと…君の名前は?」
「あっ、私は……間桐、桜です」
間桐桜。名は体を表すのだとよく言うが、吹けば簡単に散ってしまう花弁のような儚げな雰囲気を、桜は身に纏っている。
せっかく親から与えられた綺麗な名前だというのに、真司は勿体無いと感じた。
「桜ちゃんか、これからよろしくね」
「はい…兄さん」
真司が親睦を深める意味合いで手を差し出す。それにつられて、桜もおずおずと手を差し出した。やがて、互いの手が触れ合う。
桜の手は深海の石のように冷えていた。自然と真司の手の熱が移っていく。
「手…あったかい」
桜は真逆の感想を抱いたようで何度も真司の手を握っては、感触を確かめている。まるで、忘れていた温もりを思い出すかのように。
「うーん、逆に桜ちゃんの手はとっても冷たいね。具合でも悪いの?なんか下から温まるもの貰ってこようか?」
真司はそう言い、繋いでいた手を離して部屋から出ようとした。ちなみにこの時点で本来の目的は頭から消えている。
だが、真司が一歩踏み出したところで、服の裾を桜が控えめに引っ張った。
「ん、どうした?」
「…………………」
真司がそう質問しても、桜は俯いたまま首を横に振って返事をしない。
埒があかないので、もう一歩踏み出してみると、引っ張る力が少し強くなった。
「さ、桜ちゃん?服破れちゃうからさ、離してくれないかな?」
「…………………」
「あのー、桜ちゃん?」
再び沈黙。今度は気まずいものではないが、ただただ訳がわからなかった。
仕方がないので二歩下がると、ようやく桜は手を離してくれた。
また一歩踏み出したら裾を掴まれるのか。試してみたい気持ちを堪えて、真司は振り返る。
桜は心細そうに俯いて、行き場の無くした指先を組んでいた。
今ひとつ桜の考えていることが読めなかった真司だったが、その様子を見て、なんとなく放っておけないと思う。
ちょうどいい位置にソファがあったので座り込んで隣をポンポンと叩いた。
「桜ちゃんも座りなよ。俺、久しぶりに家に帰ってきたみたいだからさ、俺が居ない間の家の事とか、桜ちゃんの事とか、色々聞かせてくれないかな?」
真司の打算も多分に含まれた提案に、桜はコクリと頷いた。
桜から間桐家について詳しく聞いた真司は、その複雑な家庭環境に頭を抱えた。
まず、この家に住んでいる家族は、父と祖父、妹の桜、そして帰ってきた間桐少年の四人だけだった。母親は既に亡くなっていた。
そして、間桐少年と桜の顔立ちの違いから、真司にはなんとなく察しがついていたが、桜には間桐家との血の繋がりは無く、父と祖父が養子として引き取った、いわゆる義理の妹らしい。
父と祖父は放任主義で、よく家を空けていて、桜はこの大きな屋敷でずっと独りぼっちだったようだ。
桜が内気な性格である理由はそれが原因なのだと真司は納得する。
「ありゃ…。随分と話し込んじゃったな」
真司がふと窓を見やると、夕焼けの日差しが部屋を茜色に染めていた。あれから随分と時間が経っていたことに真司は今更気がつく。
そして、話に一段落ついたところで、扉がノックされ、声をかけられる。どうやら使用人が夕食を持ってきてくれたようだ。
真司が扉を開けてトレイに乗せられた夕食を受け取る。意外なことに真司の分も用意されていた。
無愛想だが、とても気が利く使用人だと真司は感服する。
献立は、豆腐の味噌汁にご飯、青菜のおひたし、そして秋刀魚の塩焼きだった。洋館には似合わない超和風な献立である。
「桜ちゃん、晩御飯もらってきたから一緒に食べようよ」
真司はそう言いながら夕食のトレイを机に置いて、ソファに座っていたままの桜に声をかける。
だが、桜は夕食を見つめたままで動かない。嫌いな物でも入っているのだろうか。
「どうした? ご飯冷めちゃうよ?」
「……ご飯、家で誰かと一緒に食べるの、久しぶり……」
桜にとって、それは無意識の言葉だったのか。そう呟いてから桜は席に着く。
———放任主義にも限度というものがあるだろう。
今は家を空けている父と、まだ会ってもいない祖父に真司は内心呆れ果てた。
同時に、自分がこの内気な少女を構い倒してやろうという気持ちが湧いてくる。
「そっか…でも、明日からは嫌だって言っても俺が一緒だからね! …っていうか椅子足りないじゃん!隣の部屋から取ってくるからちょっと待ってて!」
真司が慌てて椅子を取りに部屋を出て行く。その背中を見送る桜のまなじりは、自分でも気づかない程に、ほんの僅かだけつり上がっていた。
間桐桜の灰色の風景は、この日を境にカラフルに色づいていく。窓から差し込む茜色の光がやけに眩しかった。
真司が変身できるようになるのはいつになるだろうか…
感想、アドバイス、お待ちしております。