風を切り裂き、迫る白刃の光。龍騎は身を捩って投擲を躱し、前方を睨む。だが、眼帯の女性の姿は搔き消えていた。
鎖が手繰られる音、落ち葉が割れる乾いた音が背後から発せられる。首筋が燻るような感覚に身を委ね、素早く伏せる。
直後、鋭い横薙ぎの蹴りが頭上を通過した。そして、息をつく間も無く振り下ろされる短剣の追撃。
伏せた体勢のまま両脚に力を込め、横っ跳びに回避。すかさず距離を取り、龍騎は体勢を立て直す。
「……余計な手心は、必要無いようですね」
ぼそり、と呟かれた言葉と共に、桃色の長い髪が揺らめいた。手にした青龍刀を中段に構え、攻撃に備える。
右方から迫る短剣。迎撃の一刀によって火花が飛び散り、鬱蒼とした夜闇を一瞬だけ照らした。
疾い。そう思う間も無く、視界の端に映り込む鎖。龍騎は即座に身を翻し、短剣を受け止めた。
小刻みに震え、拮抗する刃。だが、その拮抗は直ぐに終わりを迎える。相手がなんの惜しげも無く身を引いたからだ。
「くっそ! やっぱりそういう事かよ!」
悪態をつきながら、龍騎は感覚を研ぎ澄ませて気配を探る。彼女はこれまで戦ってきたサーヴァントとは違い、自分と真正面からの白兵戦を行うつもりは無いらしい。
だからこそ、遮蔽物が多いこの雑木林を戦いの場に選んだのだろう。自らの敏捷性を遺憾なく発揮する為に。
木の幹を足場に用い、四方八方から迫り来る絶え間ない乱撃。受け止め、逸らし、弾き返すように、一振りの青龍刀で捌き続ける。
だが、龍騎は己を刺し穿たんと煌めく短剣にばかり気を取られていた。
「ぐ———っ!」
相手の踏み込みに合わせ、青龍刀を上段に振り上げた。開いた胴を、鞭のようにしなる鎖が捉える。
胸部の装甲を貫くような衝撃が体を強く打ち据え、たたらを踏ませた。間髪いれずに繰り出された蹴撃を、後方転回で躱しきり、距離を取る。
このままでは不味い。一旦この場から離れ、仕切り直すべきだ。そう思い、後退りをしていく。だが、それは叶わなかった。
「無駄です。逃げ場など、もうどこにも有りはしない」
その宣告を受け、龍騎は視線を改めて眼前の女性へと向ける。虚空を掴む右手が、微かに動いた瞬間。
木々の間を縫うように、所狭しと鎖が張り巡らされ、龍騎の周囲を何重にも取り囲んだ。
「…………っ!」
知らず識らず、冷たい汗がこめかみから滲み出た。汗が頬を伝うと同時に、落ち葉を踏みしめる音が耳朶を打つ。
「ご心配なく。先程述べた言葉通り、貴方の命は奪いません。……ただ、少しばかり味見はさせていただきますが」
捉えた獲物を前に、女性は舌なめずりをする。自らの勝利を確信しているのだろう。
ゆっくりと、こちらへにじり寄って来た。明らかな油断。手札を切る局面は、今をおいて他には無い。
「…なに勘違いしてんだよ。まだ俺は負けてないってのっ!」
「———!」
流れるような動作で、龍騎はデッキからカードを引き抜き、バイザーに挿し込む。その瞬間、投擲された短剣が空気を唸らせ龍騎へと迫った。
だが、もう遅い。体を捻って短剣の切っ先を寸前で回避し、バイザーを上へとスライドさせる。
【ADVENT】
機械音声。そして、断続的に響く轟音。その轟音を生む衝撃が、聳え立つ木々を薙ぎ倒していく。それと共に張り巡らされた鎖が綻んだ。
月の光を遮る程に鬱然とした木々は、もはや見る影も無い。幹の根元が辛うじて名残を残す拓けた場所に、ドラグレッダーが舞い降りた。
「お、おお……、サンキュー、ドラグレッダー。………取り敢えず、これで形成逆転だけど、どうすんだよ」
言葉を発するまでもなく、こちらの意図を汲みとった相棒に、やや驚きながらも感謝を述べて、青龍刀を相手に構える。
こちらに不利な形勢は覆せたと言っていいだろう。後は、あの女性が次になにを仕掛けてくるかだ。
「——————」
しかし、構えた刃の向こうに映る女性は、茫然自失としてドラグレッダーを見上げていた。
今更恐れをなしたなどとは思えない。だというのに、手にした短剣の向く先は、地面へと降ろされている。
「………わからない。貴方はあの子の味方だったのではないのですか?」
「………いきなりなに言ってるんだ、あんた。こいつは俺と契約してるからまだマシだけど、本当は人を食うようなおっかない奴なんだ。誰かの味方なんてするわけない」
「私は、貴方ではなく、そちらの龍に聞いているのです」
顔を覆う眼帯越しからも窺える困惑。口から漏れるように発せられた問いは龍騎ではなく、ドラグレッダーに投げかけたものだったらしい。
一体全体どうなっている。この龍は自分と契約する前になにをやらかしたのだ。言葉には出さないが、龍騎は内心気が気ではなかった。
女性の問いかけに答えられる筈もなく、ドラグレッダーは低く声を唸らせ、鎌首をもたげる。
「…………ええ、わかりました、マスター。彼らはここで確実に捕らえましょう」
暫しの膠着の間に、眼帯の女性はこの場には居ないマスターとやらの指示を受けたらしい。腕を交差させ、短剣を構えてきた。
「そんな事———」
龍騎の言葉を遮るように投げ出された鎖。直線軌道を描いたそれは、こちらへと迫り来る。
すかさず龍騎は迎撃の一刀を振り抜く。その瞬間、迫る鎖の先端に蛇の如き意思が宿った。
予測した軌道から逸れた鎖が、空を切った青龍刀ごと両腕を捕縛し、自由を奪う。
「———!」
だが、その直後、ドラグレッダーが龍騎の真横を横切った。遅れて、腐葉土を蹴散らす風圧が、激しい残響と共に流れる。
戦いの終わりを予感した刹那。下げていた両腕が吊り上がった。龍騎の両足は地面から離れ、その体は荒荒と宙を舞う。まるで、ハンマー投げだ。
「うおおおおおっっっ!!??」
長い桃色の髪。半ばで折れた切り株。星が瞬く綺麗な夜空。目紛しい残像を残して、世界が高速回転をする。
龍騎の瞳は、ドラグレッダーの顔を最後に映し、全身が強かに叩きつけられた。
「う、うぐぐっ…」
雁字搦めになった平衡感覚と、痛みに悶えそうになる身体に鞭を打ち、かぶりを振って立ち上がる。
再び、龍騎を捕縛せんとばかりに頭上で反照する鎖。直接迎撃してはならない事は、先ほど理解した。
膝を曲げ、後方へ大きく跳躍。ドラグレッダーの火球が眼前を横切り、迫る鎖を弾く。
「そっちか!」
その甲高い音に紛れ込む間断のない跫音を、龍騎は聞き逃さなかった。
着地の瞬間を狙い、振るわれる一対の短剣。迫る切っ先を素早いスウェイで躱し、隙だらけの脇に鋭い拳を捩じ込んだ。
呼気が漏れる音が、地面に叩きつけられ、転がる音が、鮮明に耳に入る。
振り抜いた拳の嫌な感触を搔き消すように、手首を小刻みに払い、龍騎は眼帯の女性を警戒した。
「なるほど。……あまり、使いたい手段ではなかったのですが、仕方がありませんね」
そう言いながら、女性は伏せた体勢のまま、顔を覆う眼帯を取り外した。一連の動作に、龍騎は嫌なものを感じる。
彼女が顔を上げた瞬間だった。眼帯の封印が解かれ、美しい相貌が露わになったのは。
だが、彼女の相貌以上に目を奪われるものが龍騎にはあった。
四角の瞳孔、色素の薄い虹彩を伴った異様な瞳が夜闇に妖しく光る。それは、昨夜の夢に出たものと同じだった。
突き出された短剣を逆袈裟に切り払う。しかし、即座に繰り出された後ろ蹴りに対応することが出来なかった。
腹部を起点に、身体中に響き渡る重い衝撃。龍騎は耐えきれずに、大きく弾き飛ばされ、勾配の強い坂を転がる。
「げほっ……、痛ってえ………」
鉛のように動きが鈍った身体。考えるまでもなく、あの魔眼がもたらしたものだ。
証拠に、こうして彼女の視線が外れた途端、それらの重みが一瞬にして消えた。
口から咳を吐き出し、四肢に力を込めて起き上がる。そこは溝の深い窪地だった。辺りには不法投棄されたごみが転がっている。
しかし、龍騎が周囲を見渡せたのは、ほんの束の間。全身にのしかかるような重圧が戻ってきた。身を翻して青龍刀を構える。
「うおわっ!?」
だが、龍騎の鈍重な動作よりも速く、鋭敏に放たれた鎖が両脚の自由を奪った。体勢を崩され、再び龍騎は地面へと仰向けに倒れる。
「…
不断の戒心を示す、確実な足取り。しかし、ほんの僅かの安堵から漏れた言葉。
その中に、か細い打開の道を、龍騎は見出す。
「………!」
見た者を石にする眼。龍騎はそれに覚えがあった。まだ、桜が幼い頃に自分が読み聞かせた絵本。
その絵本に登場する怪物の逸話は、あの女性の言葉と酷似していたのだ。朧げな記憶を、必死に手繰り寄せる。
枯葉を踏み鳴らす足音が、刻一刻と近づいてくる。足音が耳元で止まった瞬間、龍騎は賭けに出た。
手を伸ばし、掴み取ったある物を、女性の顔へと突き出すように翳す。
「これで、どうだっ!!」
それは割れた鏡の破片だった。鏡面が光を反射し、鏡像を生み出す。鏡に映った魔眼が、女性を視界に捉えた。
「く———っ!?」
予想的中。至近距離で自らの魔眼を、自らの相貌を見てしまった女性は、顔を手で覆い隠し大きく怯んだ。短剣が取り落とされ、両脚を縛る鎖が弛む。
瞬時に拘束から抜け出した龍騎は、後方へ跳躍すると同時に、デッキからカードを引き抜いた。
【STRANGE VENT】
【CLEAR VENT】
機械音声が流れる。その音声が追撃の合図である事を予知した眼帯の女は…ライダーは目を閉じたまま、前方へと神経を尖らせて回避を試みる。
しかし、ライダーの予想に反して何も起こらなかった。すぐさま、あの仮面の騎士を視界に捉えようと眼を見開くが、姿は見えない。
「………逃げられました、か」
目を閉じて、自らの両目を再び眼帯で覆い隠す。まさか、自らの心理的な弱点を偶然看破されるとは。
そして、その機転に応えるように、手元に散らばっていた鏡の破片。偶然の一致が呼び起こした失態だった。
「………はい、マスター。念の為、この場に残り校内の監視を続けるべきでしょう。………ですが、よろしいのですか? シンジの事は。………わかりました。そうであれば、私には何も言うことはありません」
自らの主人の意向に頷き、ライダーはその身を粒子へと変換させ、煙のように搔き消える。やがて、夜の静謐が、事も無しに周囲を浸していった。
「これで………よしっと」
こっそりキッチンから拝借しておいた救急箱を、ベッドの下の奥底に隠し、包帯の巻き具合を確認する。
多少窮屈だが、おそらく問題は無い。そう判断した真司は寝間着に袖を通した。
「痛つつ……。結局、駄目だったか」
肺に籠もった息を強く吐いて、真司はベッドに座り込む。結局、あの影を全て取り除く事は出来なかった。
カードの能力により透明化して、あの場から離れたまでは良かった。
だが、影の場所まで辿り着いた途端、待ち受けていたのは、眼帯の女性の苛烈な妨害だった。
こちらの姿は見えないというのに、的確に真司の居場所を探り当て、追い詰めて来たのだ。能力の制限時間もあり、真司は手を引かざるを得なかった。
「………まあ、眼帯してても戦えるんだから、俺が透明になっててもあんまり関係無いのかもな」
昨夜の夢に出てきたものと同じ瞳を持つ眼帯の女性。無差別に狙われた対象が偶然にも自分だったのか。正体を知ったうえで、自分を狙ってきたのかは分からない。
しかし、後者であった場合は、変身を解除したと同時に襲われる筈なので、そちらの可能性は低いと考えられるが、警戒するに越した事は無い。
背中を倒して仰向けになり、真司は天井を見つめる。全身に染み渡る眠気に対抗するように、目頭を押さえた。
「あー、寝るのが嫌だとか幼稚園児の頃以来、…でもないか」
寝てしまって、再びあの夢に囚われるのも嫌だが、明日になるのも少しだけ嫌だ。事態を先延ばしにしたことで、状況が悪化するかもしれないのだから。
今からでも学校へ戻って、あの女性を倒すべきなのではないか。そんな考えが脳裏をよぎるが、かぶりを振って却下した。
「……………」
そもそも、倒すべき相手が居るのかすら判断出来ない。
「……寝るか。ドラグレッダー、昨日みたいになんかあったら、起こしてくれよ」
寸刻の葛藤の末に、真司は寝ることに決める。窓ガラスに向かって声を掛けると、鏡面越しに唸り声が返ってきた。
四面楚歌に近しい現状に、唯一の救いがあるとすれば、ドラグレッダーがやけに自分に協力的な事だ。
振り返ってみれば、ドラグレッダーに助けられた場面はかなり多い。
どうにも以前と比べても、餌を求めるだけの本能とは違う、明確な意思のようなものを感じる瞬間が何度もあった。
「阿呆らしい……」
しかし、それは自分の考え過ぎであると断じて、ゆっくりと瞼を閉じる。一度寝てしまえば、忘れてしまうような荒唐無稽な話だ。
疲れた体に引き寄せられるかのように、眠りを拒んでいた意識は、いとも容易く沈んでいった。
「ふぅ〜、ご馳走さまでした」
翌日、真っ赤な視界に目を灼かれる事も無く、頭を貫くような耳鳴りに目を覚まさせられる事も無く、真司は平穏無事な朝を迎えた。
桜の作る朝食に舌鼓をうった後に、まったりと熱いお茶を飲みながら新聞紙を読み進める。こちらも、特に目を引く記事は無く、平和なものだ。
「…兄さん、行ってきます」
「うん、朝練頑張ってねー」
支度を済ませ、玄関へ向かう桜を見届けた真司はリモコンに手を伸ばし、テレビの電源を点けようとする。
だが、その指は背後からの視線で止まった。身を委ねていた背もたれから一旦離れて振り返る。
「どうした、なんか忘れ物? …っていうか、なんで人差し指なんか立ててるのさ。突き指でもした?」
「———い、いえっ、なんでもないですっ! い、行ってきます!」
なぜか、開いたままの扉の向こうに桜が立っていた。足元には学生鞄が置かれている。
唐突に振り返った真司に慌てたのか、桜は咄嗟に左手の人差し指を隠すように握って、扉を閉めてしまった。
慌ただしい足音に続くように、玄関を開く音が聞こえる。今度こそ家を出たらしい。
「変なのー」
桜の様子を怪訝に思い、首を傾げつつも、真司は肘をついてテレビの電源を点けた。
情報番組の出演者たちの他愛の無い掛け合いと、時折、お茶を啜る音が、無音だったリビングに流れていく。
「うーん、ちょっと早い時間だけど、家出るか」
暫しの間、食後の余韻を堪能した真司は、湯呑みに入ったお茶を飲み干し、台所の流しに置いておく。そして、テレビの電源を消した。
あまり派手な行動は起こせないが、少しでも早くあの影の状態を確認をしに行きたい。
そそくさと上着に袖を通し、鞄を持って玄関へと向かう。
「行ってきまーす。………って、うおおっ」
つま先で床を叩いて、外履きの靴をしっかりと履き、玄関の扉を閉めて鍵をかける。
その際に発せられた音に、突如反応したドラグレッダーが、塒を解いて起き上がる様子が、反射する窓ガラスから見えた。
どうやら、今日は学校にも付いてくるつもりらしい。思わず、後退りをして窓から離れる。
「………あんまり変な騒ぎとか起こすなよ?」
だが、その追従を止める事に意味は無い。
小言を漏らしながらも、真司は門を出て学校へと早歩きで向かう。
鏡やガラスを通りがかる度に、白昼堂々と視界に映り込む赤い龍の姿は、酷く非日常的だった。
fateの二次創作では、あまり見かけないライダーさん…もといメドゥーサさん対策の最適解、その名も鏡を翳す。
実際に魔眼対策になるのかは想像を及ばせる事しかできませんが。
感想、アドバイス、お待ちしております。