Fate/Advent Hero   作:絹ごし

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第20話『赤き異界』

 

「…………」

 

 六限目の授業の終了を告げるチャイムが、教室に懇々と鳴り響いた。

 担当教諭への挨拶を済ませ、真司は空欄が目立つ板書用のノートと教科書を閉じて鞄に突っ込んだ。

 やがて、帰りのホームルームが終わりを締めくくり、生徒たちが各々の場所へ向かう為に教室を出て行く。

 

「……おかしい、変だ」

 

 徐々に閑散となっていく教室。だが、尚も席を立たずに、腕を組んだまま、真司は悩ましげに俯く。

 

「なにが変だと言うのだ、間桐」

 

 こちらに近づいてくる足音。続けて、掛けられた声に気づいた真司は、そちらへと振り向く。

 そこには、我が校の生徒会長、柳洞一成(りゅうどういっせい)が居た。なにか嫌な事でもあったのか、若干眉間に皺が寄っている。

 

「会長か。いいや、なんでもない。そっちこそ随分不機嫌そうだけど、なんかあったの?」

 

 真司の指摘によって、自らの強張った面差しに気づいた一成は、誤魔化すように咳払いをして表情を取り繕う。

 

「………顔に出ていたか。それがな———」

 

 そして、改めてこちらへ向き直ったことを皮切りに、愚痴をこぼし始めた。

 なんでも、昼休みに学校の備品の修理を士郎に頼んでいたのだが、横から唐突に凛が現れ、士郎を掻っ攫っていったらしい。

 しかも、そのまま二人は教室に戻らずに午後の授業をサボったのだとか。秘密の逢引がどうたらこうたらと、クラス中で話題にもなったようだ。

 

「ふーん、そんなことがあったなんて、俺全然気づかなかったよ」

 

「………やけに反応が薄いのだな。お前が手をこまねいているから、衛宮を遠坂に…ゴホンっ、遠坂を衛宮に取られたのだぞ」

 

「はいはい、そうですね、そうですね」

 

 やや、責めるように向けられた一成の視線を、真司はまともに取り合わずに受け流して、鞄を持って席を立つ。

 割と何時ものことなのだ。一成の凛に対する愚痴は。

 今日は愛しの士郎を、穂群原三大仏敵の一人である凛に奪われてしまったようなので、三割増しでご機嫌斜めだが。

 

「でも、あの二人、案外相性は悪くないと思うんだよなあ。アクセルとブレーキみたいな感じで」

 

 ちなみに、どちらがどちらの役目かは、時と場合によって変わる印象だ。

 普段は凛がアクセル役になるのだろうが、士郎も唐突に突っ走る癖がある。その時は、凛がブレーキ役になってくれるような気がするのだ。特に根拠は無いが。

 

「くそ、あの女狐め……。間桐の感覚を麻痺させおってからに。やはり毒婦か———」

 

「———待った、会長。今の言葉はちょっと聞き捨てならないぞ」

 

 これは参った。といった面持ちで発せられる一成の言葉に対して、真司は食い気味に物申した。

 

「あ、ああ。俺も少し熱くなりすぎた。幾ら遠坂と言えど、毒婦などとは、流石に度を越している。すまん」

 

「…………ドクフ? いや、毒を持ってそうなのは会長の言う通りだと思うけど」

 

 互いの思った事が食い違っているようだ。一成の解釈はそこまで間違っていない。

 凛は色鮮やかな赤い服をよく好んで着ている。とても似合うとは思うのだが、彼女の分厚い外面を横目で見るたびに思うのだ。

 あれは警告色なのではないかと。言うなればベニテングタケだ。

 

「では、何が言いたいのだ。間桐よ」

 

「うん」

 

 堪えきれずに、真司が物申した理由はたった一つだ。

 女狐、つまりメスのキツネ。最終的にキツネはイヌ科に含まれる。真司は犬という生き物が大の苦手だった。

 退路の無い一本道で、散歩中の犬と正面から出会ってしまった場合、形振り構わず隣に居る誰かを盾にするぐらいには。

 そんなイヌ科の動物と凛を同一視するのは、余計今後の関係に支障をもたらす。

 

「ただ、俺が言いたいのはさ、凛は女狐というよりは……」

 

「……というよりは?」

 

「女豹って感じだろ」

 

 あの強かさはキツネとは違う。ネコ科の動物の性質だ。彼女に告白をして撃沈していった男子生徒たちを、真司は何十人も知っている。

 そのくせ、凛は女としての武器を遺憾なく発揮して、上手く立ち回るのだから尚更たちが悪い。

 その印象を決定づけた出来事が過去にあるのだが、一成に口外すれば大惨事になるだろう。

 

「ふっ、ふくくくく……。め、女豹か。大して違いが無いではないか。く、くふふっ」

 

「ぷふっ…。いやいや、犬と猫とじゃ全然違うって。あいつ、絶っ対に男をあの貧相な尻に敷くタイプだろ———」

 

「———ふふふっ、面白い話してるのね。私も混ぜてくれないかしら?」

 

 他愛の無い談笑を切り裂くように、教室の半開きの扉が轟音を立てて開かれた。眼鏡のレンズ越しに見開かれた一成の目が、真司の視界に映る。

 それに促された真司は、錆びついたゼンマイ仕掛けのおもちゃの如く、首を回転させ、扉に視線を移した。

 そこには、能面じみた微笑みを浮かべる件の少女が立っていた。彼女の背後では、士郎が死者を悼むように合掌している。

 

「「…………………」」

 

 長い沈黙の後に、二人分の壮絶な悲鳴が、一生懸命部活動の準備をしている生徒たちの鼓膜を劈いた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「はあっ、はあっ……。やべっ、会長置いて逃げちゃった……」

 

 膝に手を当てて呼吸を整える。真司は突如現れた赤い悪魔から逃れようと、彼女の居ない逆の扉から教室を飛び出して、校門前まで全力疾走して来たのだ。

 無論、出遅れた一成は放ったらかしであった。彼を助けるために来た道を戻ろうか、右往左往と足を動かす。

 だが、今戻れば碌な目に遭わないと判断して、素直に下校する事にした。

 

「思いのほか会長との話が盛り上がったり、凛が来たりして忘れてたけど……」

 

 真司は門を通る寸前で、その足を止めて、校舎へと振り返る。

 昨日、真司がこの場所で感じた違和感。それは、今日の午後に差し掛かった時点で、唐突に消え去ってしまったのだ。

 どれだけ意識を集中させても、何一つ感じ取れない。合間の空き時間を使って校舎内を練り歩きもしたが、結果は同じだった。

 

「諦めた………わけないよなぁ」

 

 脳裏に浮かんだ楽観的な考えを、真司は即座に排除する。あの眼帯の女性が、あれ程までに目を光らせ、防衛していた真っ黒な影。

 その影が音沙汰も無くなった事には、なにか理由があるはずだ。それを究明しなければ、安心して家に帰る事も出来ない。

 

「はぁ………」

 

 もう一度だけ、真司は校舎や校庭に視線を巡らせる。すると、精一杯に掛け声を上げて、駆けずり回っている運動部の生徒たちが目に映った。

 耳を澄ませば、掛け声に混じるかのように、吹奏楽部の演奏がここまで流れてきた。

 見ればわかる、聞けばもっとわかる。校内の敷地は、満遍なく人の気配に満ち溢れている。

 昨夜と同様に、下手に変身をしてあの影を探し回ったならば、瞬く間に大混乱になることは想像に難くない。

 

「うん、こっちで探すのは無理だな。…仕方がないからミラーワールドから探してみるか」

 

 現時点で打てる手は、それしか無いだろう。

 今朝、真司に追従して来たドラグレッダーは、学校に着いた途端にその姿を消した。

 ミラーワールドへ赴く理由は、ドラグレッダーを探す意味合いも兼ねている。

 万が一、あの龍が勝手にやられてしまえば、真司はブランク体でこの聖杯戦争を戦い抜かねばならない状況に陥る。ついでに様子を見に行くべきだ。

 そう判断した真司は、なるべく人気のない侵入経路を確保する為に学校を後にした。

 

 

 

「——————」

 

 その後ろ姿を確かに見届けた桃色の粒子は、微かに揺らめき、主人へと思念を送る。仕掛ける機会は、任せたと。

 どこかで誰かが、固唾を飲んで撃鉄を起こす。そして、遍く全てを溶解させる引き金に、震えた指をかけた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 品行方正であるべき筈の、生徒会長らしからぬ狼狽っぷりを見せた一成は、掛け違えたボタンを直そうともせずに教室を飛び出して行った。

 その後に続いて、捲った袖を元に戻しながら、士郎が教室から顔を出し、一成の背中を安堵の面持ちで見送る。

 

「やっぱり一成はマスターじゃなかったみたいだぞ。遠坂」

 

 扉の横で壁によし掛かり、取り調べの終息を待っていた凛に、結果を報告した。

 一成の上着とシャツをひん剥いて、令呪の有無を確認したが、それらしい痕跡は無かったのだと。

 

「………あんた、案外大雑把なのね。私言わなかったっけ。令呪ってのは大抵、腕か手の甲に表れるものだって。それなのに、突然あいつの上着を剥ぎ取り始めるんだから、ドン引きしたわよ」

 

「……………そうだったか?」

 

 脱がせることに必死のあまり、士郎はその事をすっかり失念していた。これでは、自分が男色家のようではないか。

 自らの名誉の為に、士郎は弁明の言葉を頭の中で考えるが、それを口にする前に、凛は教室に入っていく。

 

「……………貧相じゃないっつーの」

 

 そして、意味ありげな言動で、廊下側にある真司の机に座った。先ほどの真司の辛辣な言葉を、凛はまだ根に持っているらしい。

 真司と一成の談話が教室から聞こえてきた際に、彼女の背後で笑いを堪えていた事実は、墓まで持っていく所存だ。

 

「衛宮くん。あのバカ慎二とメガネ坊主の言ってた事は永遠に忘れなさい。……それと、この教室にも無いか、探してくれる?」

 

「———あ、ああ」

 

 一成の取り調べは、あくまでも、偶々そこに居たついでだ。本命は別に有る。気を取り直して、士郎は壁に手を当て意識を集中させた。

 

 

 

「……………」

 

 士郎の様子を眺めながら、凛は昨夜の事を思い返す。

 昨夜、新都で頻発していた謎の昏倒事件の原因を、凛は残された魔術の痕跡からようやく探し当てた。

 使い魔とアーチャーの目を併用し、下手人の後ろ姿も目撃した。特徴は、長いローブに身を包んでいた事だけだが。

 そして、辿っていった先には、冬木の中でも最高峰の霊地である柳洞寺が有り、そこで、凛は山門を守る侍のサーヴァント、アサシンに接敵した。

 戦いの末に、互いのサーヴァントが決して浅くはない傷を負い、痛み分けという形で敢え無く撤退したのだ。

 だが、アサシンは只の門番に過ぎない。その背後には別のサーヴァント、恐らくは柳洞寺に工房を構えたキャスターが居るに違いない。

 そう判断した凛の行動は、実に迅速だった。

 

 ———いきなり家に来て、何の話だよ。………って同盟!?

 

 凛は帰りの足で衛宮邸に赴き、寝ぼけ眼をこする士郎に同盟を持ちかけたのだ。

 キャスターが新都で起こしている非道を、誇張気味に語ると、士郎は直ぐに食らいつき、同盟を了承した。

 そして、凛は今日の夜にでも柳洞寺に再び攻め込む予定だったのだ。

 

「……多分、この棚の裏だな。……よっと」

 

 重たい棚が床を擦る音で、凛は現実に引き戻された。真司の机から降りて、士郎の方へと歩み寄って膝を曲げる。

 視線の先には、赤い妖光を帯びた魔法陣。それを凝視した後に、凛は溜め息を吐いて目を逸らす。

 

「ほんと、やってらんないわよ。これからって時に余計な足止めが入るんだから」

 

 昼休みの屋上にて、どのような方法を用いて柳洞寺へ攻め込むか。その事について士郎と作戦会議をしていた途端の出来事だ。

 結界を張る為の起点である刻印が、二人の直ぐ傍に表れたのは。

 時間をかけて分析した結果は、最悪なものだった。結界が作動するまでの猶予は、僅かしか無いというのだから。

 

「早く消そうぜ。放ったらかしにしてたら危険なんだろ。それ」

 

「…わかってるわよ。気休め程度にしかならないでしょうけど」

 

 士郎に急かされるままに、凛は刻印へと手を翳し、容易く搔き消した。

 両手を叩き払いながら立ち上がり、凛は教室を後にする。その後も、二人は校内の結界の起点を取り除く為に、足早に奔走した。

 

「大体消し終えたと思うけど、……衛宮くん、どう?」

 

 そして、元居た屋上に戻り、違和感がある箇所が残っていないかを念入りに確認する。

 大まかに周囲を一望した凛は、士郎の解析を待つ。あとは、彼さえ頷けば、結界を無力化できた事になる。

 

「………ああ、大丈夫そう———」

 

 士郎の言葉は、最後まで凛の耳に入らなかった。

 つま先がめり込んだ腹部。地面を離れる両足。背中から全身に染み渡る衝撃。

 自分は何者かに蹴り飛ばされ、壁に叩きつけられた。アーチャーを呼ぶ猶予さえも与えず。

 明滅する意識の中、答えを導き出した凛は、自らの迂闊さを呪いながら倒れ伏した。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「遠坂———っ!?」

 

 力なく壁に横たわる凛。瞬きの間に赤く染まった視界。そして、突如現れた女性のサーヴァント。

 羅列された情報を、士郎は乱れきった思考で必死に処理する。咄嗟に理解できたのは、絶対的な劣勢である事だけだ。

 

同調(トレース)———」

 

 踏み込みと共に振り上げられた手刀。狙いは首筋。そんな眼前の光景が、スローモーションに映った。

 そのおかげかもしれない。回避の動作と同時に、強化の魔術を即座に行使出来たのは。

 

「———開始(オン)っ!」

 

 引き伸ばした巻尺の帯が蛍光性の光を放ち、即席の武器となる。

 続けざまに繰り出された回し蹴りをどうにか防ぎ、士郎はたたらを踏みながらも距離を取った。後に取る行動は、たった一つ。

 構えた左手の甲に浮かぶ赤き紋章。この戦いに於いて許された三回きりの切り札。

 この局面で温存などという選択肢は無い。深く、深く念じた言霊を、士郎は令呪に告げようとする。

 だが、後に続く声を発することは無かった。

 

「———」

 

 風切り音が耳に入る。それと同時に、左腕に冷たい違和感を覚えた。士郎は咄嗟に視線をそちらへ移す。

 見た。知覚してしまった。腕に深々と突き刺さった短剣を。

 刹那、熱い激痛が五感を支配する。相手の動作に反応することさえも出来なかった。

 

「———っっ!?」

 

「こちらにも、あまり時間が無いのです。引き延ばすような行為はやめていただきたい」

 

 そんな言葉と共に首の根が締められ、士郎は軽々と持ち上げられる。

 高くなった視界の所為からか、校庭に倒れ伏す数多くの生徒たちが見えた。この結界の仕業だろう。

 彼らを助けなければ。抗うように手を伸ばす。だが、掴めたものは虚空だけだった。

 

「かっ………はぁ……っ」

 

 首筋に込められた力が強まる。痛い、苦しい、もういいだろう。お前も早く楽になってしまえ。

 そんな心の内の弱気な叫びに流されるまま、意識が薄れ、視界が靄がかっていく。

 

 ———ほんと、士郎は手先が器用だなあ。いっそのこと、()()()()()()()()()()さ、使えそうな部品かき集めてさ、こう、バババっと()()()()()()()()()()()早いんじゃない?

 

 ———慎二、本末転倒じゃないか、それ。

 

 何の変哲も無い、昼休みの日常風景。弁当を美味しそうに頬張りながらこちらの作業を興味津々に眺める友人。

 何故、今そのような事を思い出すのか。どうやら、本格的に意識が飛びそうになっているらしい。

 ならばこそ、最後の最後まで抗ってやろう。士郎は散逸していく意識を無理矢理束ね、目を閉じる。

 

「………っ……っっ」

 

 夜の校庭。稲妻の如き槍戟を、鉄壁の如き剣戟を以って凌いでみせた赤き外套の男。瞼の裏に浮かんだ光景はそれだった。

 見せかけだけの張りぼてでも上等。あの男が右手に握り締めていたあの武器を、士郎は幻想する。

 声を発する必要は無い。幾度と無く繰り返した呪文は、身体に刻まれている。

 

「…っ………っっっ!!」

 

 ———投影開始(トレース・オン)

 

 強く握り締めた右手。その掌が柄の感触を確かに感じ取った。瞼を見開き、士郎は首を絞める腕へと白刃を振るった。




幸か不幸か、鮮血神殿の被害を免れた真司。
普通ならば結界の壁に阻まれ、士郎たちを助けに行けず歯軋りする場面。
ですが、彼には非常口を兼ねた侵入口があるのです。…………邪魔が捗りますねぇ。
感想、アドバイス、お待ちしております。

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