Fate/Advent Hero   作:絹ごし

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第24話「果てなき希望」

「……………」

 

 本来ならば、仕事帰りの人々で混雑していた筈のバスの車内。しかし、予想に反して車内は未だ閑散としたままだった。

 桜はやや怪訝に思いながらも、背もたれを支えに、うたた寝をしている真司を微笑んで見やる。

 嬉しかった。此の所、疲れが溜まっている様子だったというのに、こんな自分の為に外へと連れ出してくれた事が。

 まだ、戦える。内なる願いは、まだ潰えていないのだと、再確認する事ができた。

 

 ———ああ、きっと会える。それはおじさんが約束してあげる。

 

 かつて、間桐の家から桜を連れ出すと、家族に会わせてくれると、約束してくれた人が居た。

 叶いもしない希望。それを決して手の届かない場所で仄めかされた。当時の桜が抱いた思いは、たったそれだけだったが。

 

 ———くかかかかっ、愚か者。彼奴をそう蔑んだお主自身が、彼奴と同様の道を辿るか。数奇な巡り合わせだのう。

 

 最期の姿を、今でも覚えている。色素を失った頭髪。光を失った左目。生気を失った相貌を。無様な譫言を呟きながら、蟲蔵に沈む彼の体を。

 何故、彼があのような姿になったのか。あのような目に遭わなければならなかったのか。

 その真実を、臓硯の愉悦に歪む口から告げられた時、桜は自分自身の首を絞めて殺したい衝動に駆られた。

 

「……………」

 

 焼きついた過去の光景から、目を逸らすように車窓の景色を眺める。街道を走るバスは末遠川の赤い大橋に差し掛かっていた。

 そろそろ、起こした方がいい。そう判断した桜は、最後に寝顔を拝もうと、首をそちらへ回す。

 だが、傍らの座席には、誰も居なかった。それだけではない。バックミラーに映る運転席さえも空席。

 桜一人を残して、車内の人間は痕跡も残さずに車内から消え去っていた。

 唐突に降り出した激しい雨が、間断の無い音を立ててバスの車体に滴る。

 

「慎二さん……っ」

 

 考えるまでも無い。敵サーヴァントの奇襲に巻き込まれた。唇を噛み締め、最悪な未来を幻視する。

 焦燥に立ち竦みそうになる両足を無理矢理に動かして、桜はバスの出口へと駆けた。

 しかし、横合いから溢れ出た激流が、その歩みを阻んだ。大きな車体が水の流れに耐え切れず横転する。

 

「………っ」

 

 這々の体で車内を抜け出した先には、異質な世界が広がっていた。

 歪な形で捩じ切れた骨組み。夥しい断層が生じた舗装路。末遠川を境界に、新都と深山町を繋ぐ大橋は、最早原型をとどめていない。

 雨雫と見紛う程、深く濃密な霧に閉ざされた空。渦巻く奔流の中心には本来の世界が映っている。

 

「ライダー………繋がらない」

 

 桜はこめかみに添えた左手を力なく降ろす。ライダーとのパスを通じた念話は、この異界が齎すジャミングのようなものによって完全に遮断されていた。

 降ろされた左手。その甲に刻まれた二画の令呪を見やる。昨日の戦いで、桜はライダーを無理矢理に撤退させる為に一画目の令呪を用いた。

 昨日の判断を後悔してはいない。致命傷一歩手前のライダーを、あのまま見過ごすのは分の悪過ぎる賭けだった。

 

「……………」

 

 彼女の傷は未だ癒えておらず、残りの限られた令呪を用いてまで呼び出す事は無謀だ。

 万が一、サーヴァントを喪い脱落してしまえば、その瞬間に桜の儚い命運は尽きたも同然となる。

 味方は居ない。この局面に於いて、自分の命を守れるのは自分だけだ。あの人の命を守れるのは自分だけだ。

 

「昨日、みんなを助けに来たみたいに、私も、兄さんも助けてくれないかな……」

 

 龍騎。多くの人々を守る為に、自分たちの前に立ちはだかった、赤き龍を従える仮面の騎士。

 二つの陣営を同時に潰す瞬間。その瞬間に現れた彼は、あまりにも圧倒的過ぎた。

 まるで、間違えているのは自分なのだと、倒されるべき悪は自分なのだと、そう思い知らされてしまう程に。

 

「ふふっ……あり得ないか」

 

 否。どんな事をしてでも、生きる為に足掻く事が間違いである筈が無い。大事な人をたった一人、たった一人を守る為に戦う事が悪になる筈が無い。

 無意識に漏れた冷たい嘲りが、口と胸の内から込み上げた二つの思いを一笑に付した。

 

「——————」

 

 とめどなく、空から降り注ぐ雨が、微かに窪んだ地面に水面を生じさせる。

 不意に、その水面の数々から、骨の異形が這い出て来た。水で形作られた骨格が、薄氷を踏み割るような音を立て、硬い物質へ変換されてゆく。

 桜を取り囲む位置に現れた異形たちは、一様にしてこちらへと詰り寄って来た。

 お前は、生きていてはならない。カタカタと鳴り揺れる上顎と下顎が、聞こえる筈のない言葉を桜へと発した。

 

「志は確かに———」

 

 邪魔だ。この異形たちを排除して、今すぐにあの人を助けに行かなければ。

 邪魔だ。自分が自分で無くなってしまう。今すぐにあの耳障りな雑音を掻き消さなければ。

 水が弾かれる音。桜の肩口、首元、頭蓋へと、振り下ろされた骨の鉈。

 

「———私の影は剣を振るう」

 

 刹那、左手の指先から放たれた黒い影。平面体の刃に、数体の異形が跡形も無く両断される。

 人としての何かを、具現化した負の側面に押し潰される不快感が桜を苛む。

 嘔吐きそうになる喉を右手で強引に抑えつけ、桜は猛禽の如き瞳を以って、骨の傀儡を睨みつけた。

 再び振り上げられた左手。桜の意思に呼応した深淵が影法師のように伸びる。

 そして、深淵より出芽した荊棘の尖鋭が、眼前の動く者全てを刺し穿った。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 骨の異形…竜牙兵たちが、少女の生み出した影へと引き摺り込まれてゆく。

 その光景を、朧げな輪郭の蝶の群れが見下ろしている。自らの魔術の行使に気を取られ、少女は此方に気づいてはいない。不意をついて仕留めるのは容易いだろう。

 しかし、蝶の群れ…キャスターは静観を貫く。そうしなければならない理由が、キャスターには有った。

 未だ、呼び出されないライダーのサーヴァント。そして、少女の特異な魔術属性は看過できぬ不確定要素だ。何か、切り札を隠し持っている可能性がある。

 この結界の中に於いて、此方の手駒は無尽蔵。少女が堪えきれずに切り札を切るか、そのまま力尽きるかのどちらかを待つのが最善策だ。

 

「……………」

 

 少女の兄である少年が結界の中に居ない。それも、キャスターの気掛かりの一つだったが、所詮は何の魔力も持たない一般人だ。

 人質として利用できれば、僥倖。その程度の価値しかない者に、意識を割く必要は無い。

 盲目的に少女へ群がる竜牙兵へと、キャスターは念を送る。飲み込まれてしまうのならば、その身を束ね、飲み込まれない程度の巨躯になれば良い。

 キャスターの念を読み取った竜牙兵たちは、己を形作る骨格を一斉に分解した。飛び散る欠片が、一箇所に結集してゆく。

 やがて、束ねられた屍の巨人が、地響きを鳴らして少女の眼前に降り立つ。そして、その巨腕を大きく振りかぶった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 降り注ぐ雨の滴る音が、耳元で発せられた低い唸り声が、微睡む真司の意識を起こす。

 気怠げに起き上がり、薄眼を開ける。ぼやける視界の中、真っ先に目に入ったのは、左右に反転した道路標識だった。言わずもがな、ミラーワールドである。

 

「……はあっ!?」

 

 心臓が口から飛び出しかねない程の驚愕が、真司の意識を一秒にも満たない速度で覚醒へと導いた。

 何故、バスの車内で寝ていた筈の自分が、ミラーワールドに居るのか。隣に居た筈の桜はどうしたのか。

 疑問に次ぐ疑問が、真司の頭を支配しかけた。だが、それよりも深刻な問題が突きつけられる。

 生身の人間は、この世界に存在し続ける事を許されない。それを証明するかのように、真司の身体が分解され始めた。

 

「や、やばいやばいっ!」

 

 無数の黒い羽虫のような粒子が湧き上がる。このまま此処で棒立ちをしていれば、忽ち自分はミラーワールドに消滅させられる羽目になる。

 酷く狼狽しながらも、真司はジャンパーの左ポケットからカードデッキを取り出そうと中をまさぐった。

 しかし、ポケットの中には小さく丸められたレシートしか入っていなかった。

 

「〜〜〜っ!?」

 

 レシートが零れ落ちる事も厭わずに、真司は全身のポケットというポケットを探るが、何処にも見つからない。

 何かの拍子で落としたとでもいうのか。前と左右に首を回して周囲を見回す。

 この場所が冬木大橋だという事は分かった。だが、肝心のカードデッキは見当たらない。

 

「痛てっ………あっ」

 

 唐突に、頭頂部に向かって薄く四角い物体が降ってきた。視覚外からの痛みに怯み、真司は頭を摩りながらも視線を地面へ下ろす。

 足元には、まさに真司が探し求めていた物が落ちていた。間髪入れずに拾い取り、今度は視線を空へ上げる。

 

「な、なんだよ。ドラグレッダー」

 

 自分の不注意で落としたカードデッキを、届けてくれたのだと判断して感謝するべきなのか。

 逡巡する真司の視線の先には、ドラグレッダーが居た。

 此方を見下ろす黄色の眼差しが、何かを示すように注がれる。しかし、言葉にならなければ全く伝わらない。

 

「付いて来い……って言ってるのか?」

 

 辛うじて、真司が考え得る解答を発するや否や、ドラグレッダーは車道の窪みに生じた水面へと飛び込んで行った。

 消滅までに残された猶予は少ない。真司はすかさずに後を追って、水面の鏡面にカードデッキを突き翳す。

 揺らいだ水面に映る自分、その鏡面の層を透過して、映り込んだ異質な世界。

 

「——————」

 

 そこで初めて、あの龍が何を伝えようとしていたのかを真司は漸く理解できた。

 水面の大半を占める、骸骨の巨人。今にも振り下ろされる骨の拳。その足元には、膝をつき苦悶に歪む少女。

 

「———変身っ!」

 

 知らず、真司は雨の中で叫んでいた。絶大な力を此の身に齎す為の、制約の言葉を。

 識らず、龍騎は水面の中へ飛び込んでいた。掛け替えの無い少女を守る為に、彼女の側を目掛けて。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「っぐぐ……っ」

 

 痺れるような衝撃が、受け止めた腕を介して龍騎の全身を強く打ち据える。力を込めた両足がアスファルトに沈んだ。

 目障りな小虫を叩き潰すかの如く、骨の拳の上に重なる掌底。上下の拮抗が僅かに傾く。

 

「………なんで」

 

 後ろから聞こえた、桜のか細い声。拳を押し留める両腕と、身体を支える両脚に全ての力を割いている今、龍騎に振り返る余裕は無い。

 

「大、丈夫……っ。どんな事、あっても……君は、俺が絶対、守るから……っっ!」

 

 それでも、龍騎は絞り出すようにして、途切れ途切れに言葉を発した。上手く伝わったかどうかは問題外だ。

 この言葉は、躊躇いを捨てきれない自分自身に課した、固き誓いなのだから。

 奥歯を噛み締め、四肢が引き千切れんばかりに力を込めた。そして、龍騎は一気に拮抗を覆す。

 続け様に、腕を仰け反らせる異形に向かって、前蹴りを繰り出した。

 

【STRIKE VENT】

 

 背骨を逸らし後退りをする異形へと、龍騎は追撃の意を込めて籠手を突き出す。

 龍騎の意に応え、上空から現れたドラグレッダーが、その大口より火炎を放った。

 膨大な熱の塊を受けた異形は、跡形も無く飛散し、灰燼に帰す。

 

「…っと!」

 

 両側面から、龍騎を挟み撃つ刃風。自らの感覚の赴くままに、瞬時に地へ伏せる。

 背の上を通り過ぎた一対の大剣は、その勢いを殺しきれず、相討ちの形で互いの腰椎を両断した。

 矢継ぎ早に、水面を踏み鳴らす間断の無い音が、嫌でも龍騎の耳に入る。見据えた視界の先には、多種多様な骨格の群れ。

 

【GUARD VENT】

 

【SWORD VENT】

 

 龍騎は籠手を川へと投げ捨てた。手札を切って青竜刀と盾を召喚し、武装を重ねる。

 後ろに居るあの子の事は任せた。傍らのドラグレッダーへ目配せをした後に、脚を一歩前に踏み出す。

 

「……………」

 

 限界まで腰を落としての前傾姿勢。引き絞った脚を一気に解き放ち、龍騎は地を蹴った。

 接敵の直前。右手の盾を前方へ構え、龍騎の脚は更に加速する。

 全速力の勢いを乗せた突進は、鈍い破砕音と共に異形の群れの大半を轢き飛ばした。

 振り向きざまに、横薙ぎ一閃。青竜刀の白刃が空気を唸らせ、飛び掛かる異形たちを斬り払う。

 止め処なく湧き出る異形の群れは、絶え間無くその手の武器を龍騎へと振るう。

 しかし、数に物を言わせた槍衾の如き攻撃は、たった一人の龍騎を捉える事すら出来ない。

 右手の盾を以って弾かれ、左手の青竜刀を以って断ち切られ、全身の体捌きを以って躱される。

 やがて、龍騎の反撃を受け、不利を悟った異形の群れは、雪崩れるようにして橋の上から川へ飛び込み、姿を消した。

 

「………諦めた、のか?」

 

 龍騎は周囲を見回したが、歪んだままの橋の上には自分と桜以外に誰も居ない。

 桜に怪我は無いか。龍騎は後ろを振り返り、呆然と立ち竦んでいる桜の安否を確認しようとする。

 しかし、桜へと手を伸ばそうとする刹那、橋の下を流れる川に、沸き立つかのような不自然な音が紛れている事を勘付いた。

 

「っ———ごめんっ、ちょっと掴まってて!」

 

 咄嗟に龍騎は桜へと駆け込み、彼女を抱えて大きく跳躍する。その直後、橋の中腹が亀裂を走らせて崩れ落ちた。

 腹の底に響き渡るような轟音と同時に、在るべき形を失くした瓦礫が水飛沫を上げて川に沈む。

 無事に対岸へ降り立った龍騎は、桜を腕から落とさぬように身を翻し、背後を見上げて睨みつけた。

 

「今度は怪獣かよ………」

 

 最初に倒した骸骨の巨人など、比べ物にならない。最早、巨人では無く怪獣だ。

 あれが赤子に思えてしまうほど、弩級とも呼ぶべき骨の異形が、川面から大橋を食い破って這い出てきた。

 鮫に酷似した巨大な顎を固く噛み合わせ、異形は龍騎と桜を見下ろしている。

 

「…………!」

 

 橋に手を掛ける異形の指先に、龍騎は細かな骨格の継ぎ目を見た。あれは、先程逃した骸骨たちの集合体なのか。

 数多の屍で築かれた物の怪は更なる屍を求め、餓者のように龍騎へと、その腕の中の桜へと、腕を振るう。

 

「させるかって……のっ!」

 

 掛け声を上げ、後方へ跳躍する。薙ぎ払う掌から発せられた風圧を受けながらも、大きく距離を取った。

 異形は龍騎に追い縋るように姿勢を上げ、巨腕を上へと振りかぶる。

 だが、横合いから放たれたドラグレッダーの火炎が、それを許さなかった。

 爆炎の衝撃を、連続で肋骨に受けた異形は堪えきれずに姿勢を崩す。

 これで、僅かでも時間は稼げただろう。桜を抱き抱える腕をゆっくりと解き、龍騎は立ち上がる。

 

「ここで待ってて。すぐ、終わらせてくるから」

 

 放心したまま、桜は返事すら返せずに、青褪めた相貌で仮面の奥にあるこちらの瞳を見据えている。

 ようやく、この子は暗い過去と向き合えたのだ。これ以上、辛い思いを重ねる事は認めない。

 これから、この子には明るい未来が待っているのだ。何があっても、その未来を塞ぐ事は認めない。

 

 それを強いる何かが、目の前に有るのならば———

 

【FINAL VENT】

 

 ———それが何であろうと、撃ち砕く。

 

 無機質な機械音声が叫ぶ。仮面の奥に秘めた撃滅の意思を。最後の火蓋は、刻下を以って切られた。

 構えと共に身を低く沈める。深く呼気を吐き出し、自らの周縁を流れる龍と意識を完全に同調する。

 地面を強く踏み締め、飛翔。雄叫びを上げて追従する赤き螺旋が、この体を上空へと更に舞い昇らせる。

 眼下の異形へと突き翳した右足。そして、迸る烈火を背に受けた龍騎は、隕星の如き紅蓮をその身に纏い、一直線に堕下する。

 必殺を証明する炸裂音。異形の巨躯を起点に爆ぜた灼熱の炎が、橋を境に創られた偽りの世界を、その熱量を以って割り砕いた。

 

 

 

 

◎◎◎

 

 

 

 いつのまにか、雨は上がっていた。空に浮かぶ雲が風に流れ、暮れ行く太陽が姿を現わす。

 雲間に差し込んだ赤色の陽光が、こちらへ身を翻した彼を照らしあげる。

 そして、彼は腰のベルトに嵌め込まれた龍のエンブレムに手を掛けた。しかし、その指先は躊躇いを示すように震えている。

 

「——————」

 

 声が出ない。視覚以外の全ての感覚が、瞬く間に希釈になり、空の彼方へと霧散する。

 呼吸と同じ数だけ、常に意識を絶やさなかった、死への恐怖。それすらも忘却してしまうほど、目の前の相手は特別だった。

 交差する視線と視線。おそらく、一秒すらない瞬間が、永遠へと反転した。この身に流れる時間だけが止まったかのように。

 

「怪我とか、して無い?」

 

 やがて、こちらの身を案じる優しげな声が、凝結した時間を融解させた。

 憂慮を湛えた眼差しで自分を見据え、彼は問いかける。それに対して、塞がれた喉の代わりに、首を動かして頷く。

 すると、何故だろうか。無骨な仮面の隙間に見えた瞳が、安堵に揺れたかのように感じたのは。

 

「良かった………本当に」

 

 やがて、ゆっくりと地面に下ろした手先と、消え入りそうな声を皮切りに、彼は緩慢な足取りで自分の真横を通り過ぎた。微かな逡巡の後に、首を回して振り返る。

 それは、夢だったのか。それとも、現だったのか。彼は現れた瞬間と同様に、何処かへと消え去った後だった。視線を前へ戻し、空を見上げる。

 

「……ヒー……ロー」

 

 ヒーロー。ようやく声を取り戻した口から、無意識に漏れ出た言葉。

 幼い頃、その言葉の意味を知って以来、そんなものはくだらない絵空事だと忌み嫌ってきた。

 もし、本当に居たのだとしても、こんな自分を助けてくれる筈は無いのだと、思い続けてきた。

 本当に自分を守れるのは、自分だけなのだと、闇雲に信じ込んでいた。

 

「っ………っっ……」

 

 それは、髪の毛先から流れ落ちた雨の水滴なのか。それとも、別の何かなのか。

 冷たく、同時に温もりを帯びた雫が、頬を一筋に伝う。

 全くもって手前勝手だ。対峙する立場から、庇護される立場になった途端、嬉しいと。そう思ってしまう。

 これからも、彼に守られたい。彼に助けて欲しい。そんな都合の良い願いさえも抱いてしまう。

 自分は、彼に助けられた数多くの人々の一人に過ぎないというのに。何よりも、この戦いを続ける限り、衝突は必然だというのに。

 相反する胸の内の感情に、思考が追いつかない。しかし、たった一つだけ、確かな想いが有った。

 

 ———きっと、どんな地獄の底に落ちたとしても、私はあの光景を忘れる事は無いのだと。

 

 ———私を庇った、あの大きな背中を。私を穏やかに見つめた、あの赤き瞳を。私を偽りの世界から解き放った、あの暖かな炎を。

 

 ———私を守る為に現れた、ヒーローの存在を。




初ファイナルベント! 初勝利!
………結構展開が唐突な回でしたかね。ガッツリ手直し入れるかもしれません。
今回は色々語りたいこともありますが、長くなりそうなので、割愛しまして、続けて唐突なお知らせ。
24話のお話で書き溜めが尽きたので、次の更新まで、また二、三ヶ月か期間が空きます。なんか図らずもワンクール構成っぽい感じになってますね……。
合間になんか投稿できればな、とは思っていますが、どうなる事やら。

感想、アドバイス、お待ちしております。

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