Fate/Advent Hero   作:絹ごし

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久々の更新と久々の前書き。今回から、唐突な過去編が始まります。大体、時系列的には二年半ほど前になります。

(龍騎要素は、割と無いです)





第25話『在りし日の言葉』

 身体中を弄る、粘り気を帯びた違和が無くなった。桜は固く閉じた瞼をゆっくりと開け、ぼやけた瞳の焦点を合わせていく。

 どうやら、鍛錬と言う名の拷問は終わったらしい。何故か、普段よりも早く終わった事が不可解だったが、考えても仕方がない。

 壁一面に掘られた巣穴に向かって、蟲たちが我先にと犇めき合って這いずり込んでいる。

 

「もう一回、身体、洗うの………面倒、だなぁ………」

 

 全身を浸す倦怠感を振り切るように上体を起こす。続いて、弛緩した手足に力を込め、倒れないように立ち上がった。

 そして、不安定な足取りで古びた立水栓へと歩く。少し前に風呂に入ったばかりだというのに、こんな有様になって仕舞えば二度手間だった。

 

「冷た………」

 

 桜は辿り着いた立水栓の蛇口を捻った。当然、このような場所でお湯が出る筈も無い。

 ホースを伝って溢れ出た冷たい水が、肌の温度を著しく下げてゆく。

 反射的に声を漏らしながらも特に気にする素振りを起こさず、桜は終始淡々とした面持ちで洗い終えた。

 しかし、冷えた身体をそのままにして風邪をひいてはいけない。階段へと早足で向かい、そこに放ったままのタオルで水滴を拭う。

 今夜は、布団を重ねて暖かくしてから寝ようか。そんな事を考えながら、桜は体を拭う手を早めた。

 

「………………?」

 

 そうして体を拭き終え、寝間着に袖を通して階段を登り始めた直後。

 聞き慣れながらも、耳障りな水音が耳に届いた。桜は怪訝に思い振り返る。

 桜の視線の先。数多く有る巣穴の内の一つから蟲たちが溢れ出てきていた。

 男性器を彷彿とさせる先端の口から粘液を飛び散らせて、蟲たちは喘鳴混じりの鳴き声を上げる。

 

「———、———、———」

 

 まだ喰らい足りない。もっと寄越せ。言語を介さない醜悪な渇望が、桜へと這い寄ってきた。

 主人たる臓硯の姿は既に在らず、目の前の蟲たちは明らかに他の蟲たちの行動とは逸脱している。このような事態は初めてだった。

 蟲たちにとって、桜という存在は魔力と言う名の金の卵を産むガチョウだ。

 生かすか殺すか。その線引きは臓硯によって植え付けられている筈だというのに、この蟲たちは引かれた線を越えるつもりらしい。

 この場から一旦離れて、臓硯の判断を仰ぐか。幸い、桜へと迫る蟲たちは節足も羽も持たず、地面を這いずるか、精々飛び跳ねる事しか出来ない。逃げ出すのは容易だった。

 

「それは、駄目…」

 

 しかし、桜は真っ先に浮かび上がった考えを却下した。蟲蔵の巣穴には間桐邸へと繋がる小さな穴が何箇所か有る。

 桜を見失えば、飢えた蟲たちは外に出て人を襲うかもしれない。

 何処に居るかも分からない臓硯を探している間に、死人が出る可能性も万に一つ存在する。

 

「…絶対に駄目」

 

 そして、最初に狙われる獲物が誰になるかを想像した時点で、桜の思考は蟲たちの駆除へと傾いた。

 元より、数える事も億劫になる程、夥しく存在する蟲たち。その内の数十匹が消えた所で気付かれはしない。

 仮に気付いたとしても、主人の意向に沿わぬ出来損ないを、あの悪辣な老人が残しておくとは思えなかった。

 自らの行いを正当化させる名目が、魔力と共に着々と頭の中で形成されてゆく。

 魔力の気配を察知した蟲たちが、大挙して桜へと飛び掛かった瞬間、桜は躊躇わずに自らの影を解き放った。

 

「——————」

 

 絶命を告げる断末魔の音も発さず、如何なる痕跡も残さず。桜の影に触れた蟲の群れは、幻影と見紛う程の儚さで、この世界から消え去った。

 そして、石造りの湿った空間に静寂が訪れる。胸に手を当てて僅かに乱れた動悸を整えた後に、桜は後続の群れが来るかどうかを警戒する。

 だが、それらしい気配は皆無だった。安堵の溜息を飲み込み、桜は階段に足をかける。真司が無事であるかどうかを確認するまでは、安心など出来ない。

 

「ふむ、やはり"水"には染まりきらなかったか。無理矢理に染め上げてしまうのも悪くはないのじゃが。………興味深い」

 

 その嗄れた声を耳が捉えた瞬間、呼吸が止まった。見上げたくなどない。聞こえなかった事にしたい。

 それらの衝動を抑えて、桜はゆっくりと階段の先を見上げる。案の定、そこには蠢く蟲の塊が有った。

 蟲の塊は瞬く間に人の形を象る。やがて、姿を現した臓硯が、硬直したままの桜を落ち窪んだ目で見下ろした。

 

「儂がこの家に居らぬ間に、何年間も書庫の本を読み漁っておったのは知っていたが、随分と面妖な魔術を使うのう。桜よ」

 

「………っ………っっ」

 

 ずっと昔からバレていた。バレた上で黙認されていた。恐らく、先程の蟲の群れを嗾けたのは臓硯だったのだろう。今の自分が、どの程度魔術を扱えるのかを試したのだ。

 値踏みするかのような視線が桜を射抜く。一体、自分はこれからどんな罰を受けるのか。果たして、その罰は自分だけに向けられる物なのか。

 臓硯の判決を、桜は震えを堪えて待ち続ける。すると、不意に臓硯は笑い声を上げた。

 

「くかかかっ、そう身構えるでない。お主が殊の外、鍛錬に積極的であった事が嬉しい誤算だっただけじゃ。咎める理由も、罰を与える理由も有りはせぬ」

 

「ぇ、ぁ………?」

 

 何故。湧き上がった疑問と共に、桜は臓硯の顔色を窺う。臓硯は普段通りに歪んだ弧を口元に浮かべている。

 その相貌から桜が読み取れる感情は、不可解な喜悦だけだった。この老人は己の定めた規格から外れた存在を、想定外の出来事を酷く嫌う。

 

「今後の計画を大きく変えなければならないのは些か面倒じゃが………。なに、猶予はまだ有る」

 

 誰かに向けた訳でもない言葉を呟き、臓硯はこちらへと歩み寄って来た。

 杖と下駄が石造りの床を打ち鳴らす。その硬質な音が近づく度に、桜の呼吸は早鐘を撞くかのように乱れてゆく。

 

「褒美じゃ。お主の枷を外してやろう」

 

 そして、臓硯が時間を掛けて階段の踊り場に辿り着き、空いた右手をこちらへ向けて翳した瞬間。

 身体中を駆け巡る神経という名の神経を、一斉に千切られるかのような激痛が、桜の意識を容易く抉り取った。

 

「………刻印虫も完全に癒着してはおらなんだか。しかし、此奴を聖杯戦争の駒として戦わせるのであれば、儂を此奴の中に留めてしまうのは危険過ぎるかのう」

 

 踊り場に倒れ伏す桜を見下ろしながら、臓硯は顎に手を当て一人呟く。その言葉を実行すれば、当然ではあるが桜自身を人質にする方法は使えなくなる。

 だが、幸いな事に、それよりも容易く桜の手綱を握る方法を臓硯は把握していた。

 どれだけの苦痛を与えようが、付け入る隙の無い城壁の如き精神性。そこに、亀裂を齎しうる存在が居る。

 

「魔術回路さえも持たぬ出来損ないの孫息子と思うていたが、意外な所で役に立つかもしれんのう。………くく、くかかかっ」

 

 意図せず最上の駒を得た喜悦は、臓硯の思考を僅かに鈍らせる。その僅かな鈍りが命取りになるとも知らずに。

 臓硯は嬉々として、大掛かりな作業に取り掛かり始めた。

 

 

 

 蟲蔵の底に備え付けられた立水栓。ホースの先端から溢れでた出た大粒の水滴が、小さな水面を創り出している。

 数秒にも満たない一瞬。風の吹かない密閉空間だというのに水面が独りでに大きな揺らめきを見せた。

 その鏡面に、赤い龍の影を映しながら。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「………」

 

 黙々と、息苦しい沈黙から逃避すべく、桜は籠の中から林檎を取り出して包丁を入れてゆく。

 小気味の良い音が間断なく響く度、胸の内の緊張が和らぐような感覚を桜は覚えた。

 林檎を八つになるよう均等に切り分けた後に、中の固い芯を綺麗に取り除く。

 

「………………」

 

 本来ならば、これで完成としてしまうのが手っ取り早いのだろう。だが、作業に没頭する桜の手は無意識に動き続けた。

 末端から先端に向かって浅くV字の切り込みを入れる。続けて、切り込みを入れた方向から、表面を傷つけぬようにやや厚めに皮を剥いた。

 切り分けた林檎の数だけ、この工程を丁寧に繰り返していく。すると、真っ赤な耳をした八匹の兎が出来上がった。

 

「案外、器用なもんだな」

 

 桜が飾り切りをした林檎を小皿の上に並べ終えた途端、やけに無遠慮な声を掛けられた。

 しかし、沈黙に慣れ始めた喉では咄嗟に返事を返すことも叶わず。

 誤魔化すように小皿の林檎に爪楊枝を刺し、桜は寝台に横たわる人物…鶴野へと手を添えて差し出そうとした。

 

「…今は、別に要らん」

 

「は、はい…。わかり、ました…」

 

 途切れ途切れの声で漸く返事を返しながら、桜は差し出した林檎を皿に戻し、鶴野の土気色の相貌から顔を僅かに逸らす。

 清潔感に満ちた真っ白な部屋を、カーテンの隙間から射し込む赤い陽光が更に明るく照らしている。

 窓際の棚には、商店街の花屋で真司と共に選んだ色とりどりの見舞いの花。

 花瓶に生けられた花々は、以前に来た時と然程変わらず瑞々しさを保っていた。

 

「………昨日の夜、臓硯がわざわざ此処に来やがったってのは、言ったよな? …久々に最悪な気分だったよ。わらわらと換気扇から這い出てくる蟲どもを見せつけられるのはな」

 

 魂まで抜け落ちてしまうのでは。そう危惧してしまう程に深い溜め息が、桜の耳を打つ。

 あの日の夜に起こした自らの愚行のせいで、病床に伏す鶴野に要らぬ心労を掛けさせてしまったのだろう。

 桜は改めて頭を下げる為に椅子を立とうとするが、鶴野は手で制してそれを引き止める。

 

「どの道、あの爺にバレるのは当然だったんだ。お前の謝罪なんかどうだっていい。あの妖怪爺、お前の変な魔術を使えると判断したらしいな。気持ち悪い笑顔で俺に礼を言いやがって」

 

 鶴野は胸の内の感情を隠そうともせず、苛立たしげに顔をしかめる。臓硯に危害を加えられた様子が見受けられないのは幸いだった。

 きっかけは互いの利害の一致だった筈だ。間桐という家の実態を、何も知らない真司から隠し通す為に、鶴野から魔術を学ぶだけの下地を桜は与えられた。

 己の身に火の粉が降りかかる事を嫌った鶴野が、桜に対して与えたものはそれだけだ。それすらも、臓硯には筒抜けだったようだが。

 しかし、桜は鶴野の予想以上に魔術の鍛錬に打ち込んだ。

 独学故に何度も危険な目に遭いながらも、桜は決して折れずに試行錯誤を繰り返し、襲い来る蟲達を歯牙にもかけない程の魔術を会得した。

 

「それよりも、大丈夫だったのか?」

 

 そんな要領を得ない質問が、不意に鶴野の口から発せられる。その面持ちから察するに、そちらが本題だというのに。

 桜は僅かに困惑するものの、時間を掛けずに得心した。考えるまでもなく、真司に関する心配事なのだろう。

 

「………はい。あの日の夜の事も蟲蔵の事も、兄さんにはバレて無い筈です。今頃だって剣道の大会に向けて猛特訓してるでしょうから」

 

 桜としても、魔術や臓硯の暗い話題が続くより真司の明るい話題に逸れて行く方がありがたい。

 先程までと比べ、目に見えて明るくなった桜は、饒舌に真司の近況を報告する。

 真司の剣道の師である大河曰く。今年こそ、個人であれば、尚且つ本来の実力を発揮できれば、全国大会出場も固いのだとか。

 事実、最近の他校との練習試合では無敗を誇り、冬木の龍という異名が徐々に広まっているらしい。真司自身は、大河や周囲の大言壮語だと否定しているのだが。

 

「そうか、そりゃよかった」

 

 簡単な相槌を打ちつつも、鶴野はまだ何かを言いたげにしている。その様子を桜は怪訝に思い、さりげなく聞き出そうとした。

 だが、桜が口を開いた瞬間に、面会時間が間もなく終了であるとの案内放送が流れる。

 現在が夏至に差し掛かる季節だったからか、時間の感覚がやや狂っていたらしい。カーテンの隙間から外を見やると、日の入り直前といった空模様だった。

 

「………………」

 

 寝台の軋む微かな音によって、桜の意識は窓の外から鶴野へと移る。鶴野は桜から体を背け、寝返りをうっていた。その背中に、桜は明らかな疲労を感じ取る。

 それも当然だった。鶴野からすれば、言葉を交わすのも憚れる相手と小一時間もの間会話せざるを得なかったのだから。

 

「じゃ、じゃあ、もう帰りますね」

 

 鶴野の為にも、早く部屋から出て行った方が良い。心の隅に滲んだ寂しさを紛らわせるように手早く荷物を纏め、桜は椅子から立ち上がる。

 

「………一応、最後に念押ししとくがな」

 

 だが、病室の扉へ足を向けると同時に、発せられた声が桜の動きを止めた。そして、鶴野は桜へと、これまでに再三繰り返した警告をする。

 

「何があっても絶対に、慎二には知られるなよ。間桐の忌々しい実態も、本当のお前の事も」

 

「わ、分かってます。私だって兄さんが一緒に居て欲しいんですから。あんな事を知られて、嫌われるなんて———」

 

「———違う」

 

 絶対に嫌だから。振り返りながら、いつものように続けようとした言葉は、鶴野の否定によって遮られる。それは、今までに無い遣り取りだった。

 鶴野は一旦仰向けになり、ゆっくりと体を起こす。続けて、桜へ向き直ったその瞳は、緩慢な動作とは裏腹に切迫した光を含んでいた。

 

「慎二はきっと、お前が思っている以上にお前を大事に思っている。それこそ、本当の家族みたいにな。もし、あいつが何もかも知っちまったら、お前を助け出そうとするだろ」

 

「そ、そんなの………」

 

 あり得ない。真っ先に自分から距離を置いて、居ない者のように扱うに決まっている。そして、いつの日か自分の前から去って行くのだ。

 もう一度、一人ぼっちになる。蟲蔵に突き落とされる事よりも、耐え難い未来を想像した桜は、二の句を継げずに閉口する。

 

「どちらにしろ、バレたら全部ご破算って事実は変わらない、か。………もう帰れ。日が沈んだら、臓硯の時間になる」

 

 そう言ったきり、鶴野は起こしていた体を気怠げに戻して黙り込んでしまった。

 今度こそ、話し残した事は無くなったらしい。鶴野の言葉に納得できぬまま、桜は無言で会釈した後に退室する。

 外来受付の時間が終了した病院の廊下は、物音一つのしない静かな空間だった。なるべく音を立てずに扉を閉め、桜は階下にある出口へと向かおうとする。

 

「………ぁ」

 

 だが、その途中で小さな吐息を漏らし、桜は足を止めた。

 要らぬ気遣いで勝手に切り分けてしまった林檎が、病室の机の上に置きっ放しである事を思い出したのだ。

 確か、鶴野は要らないと言っていた。取りに戻るべきかどうか、桜は病室の前で判断に迷う。

 やがて、時間をかけて一念発起し、扉の取っ手に手を伸ばした瞬間だった。

 

「———!」

 

 微かに。本当に微かにだが、扉越しから小気味の良い林檎を齧る音が聞こえた気がしたのは。

 桜は伸ばした手を戻し、踵を返して歩みを再開する。本当に食べてくれているのかどうか。確かめるのは野暮だろう。

 次に見舞いに来た時ならば、嫌がりながらでも自分の前で食べてくれるかもしれない。

 口の端が僅かに上昇すると共に、沈んでいた気分もやや浮き上がった。

 それを表すように、やや弾んだ足取りで階段を降りて病院の外に出る。

 そして、鶴野が居る病室を見上げた後に、最寄りのバス停へと向かった。

 

 

 

 しかし、桜は知り得なかった。病室が連なる廊下を、出口へと続くロビーを歩く際にすれ違った看護婦たち。

 彼女たちの視線に同情的なものが混ざっていた事を。次に鶴野に会う機会など、もう二度と訪れない事を。




最初の頃のプロットに殴り書きされていた、桜視点でのお話。何気に真司が初めての未登場回である。
当時は、一刻も早く龍騎を登場させたかったが故に、先送りになってしまいました。割と暗い展開が続くので、注意してね。

それと、週間更新を課しているわけでもありませんが、次回の更新は再来週にしようかと思っております。
プロットの方を練り直した関係で、書き溜めの進み具合がちょっと不安なんですよ。本当に申し訳ない。

感想、アドバイス、お待ちしております。

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