Fate/Advent Hero   作:絹ごし

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第26話『蝶の羽ばたき』

 足を踏み鳴らす音が、広々とした体育館に絶えず響き渡る。約十メートル四方を白線テープによって囲んだ空間には、竹刀を正眼に構え、頑丈な防具を身に纏った少年たち。

 やがて、両者は鍔迫り合いによって距離を限りなくゼロにし、互いの動きを読み合う。

 決勝。それを証明するように、彼らの他に竹刀を構える者は居ない。体育館に居る人々は、皆一様に彼らの立ち会いを見守り続ける。

 白い襷を背中に結んだ少年が、僅かに歩調を変えた刹那。空気が破裂したかのような激しい音が甲走り、桜の鼓膜を揺らした。

 桜は思わず瞠目し、階上の座席から吹き抜けになった階下の光景を見下ろす。決着は瞬きの間に果たされた。

 横薙ぎに振り抜かれた竹刀。一切の迷いも無く赤い旗を揚げる三人の審判。堰き止められた栓を抜くかのように湧き上がる拍手と歓声。

 

「いぃぃぃやったあぁぁぁ!!! 慎ちゃんんんん!!!」

 

 隣に座っていた大河の絶叫が、歓声を上塗りする。その絶叫は、相手に一礼をして試合場から去ってゆく赤い襷を結んだ少年…真司に向けられたものであった。

 興奮しきった大河に気を取られた桜は、彼女を挟んで隣に座る士郎をふと見やる。

 

「……………」

 

 士郎は両者の健闘を讃える周囲に倣って、手を叩いていた。

 しかし、その琥珀色の瞳だけは、何処か無機質な光を帯びているように見えた。近い物に例えるのならば、カメラのレンズのように。

 

「桜ちゃん、桜ちゃん。やっぱり慎ちゃんが勝ったわよ! 流石、私の見込んだ男だわぁ〜〜!」

 

「うわわっ!?」

 

 そう思ったのも束の間、歓喜を抑えきれずにいた大河に組み付かれる。桜は素っ頓狂な声を上げながらも、再び士郎の様子を見やった。

 

「藤ねえ………。嬉しいのは分かるけど、はしゃぎ過ぎだって。褒めるべき相手はあっちに居るだろ。…桜、大丈夫か?」

 

「あ、はい…」

 

 士郎は眉を八の字に歪め、騒ぐ大河を言い咎めていた。続け様にこちらを気遣ってくれる。

 そこには先程の異様な表情は見受けられなかった。きっと、何かの見間違いだったのだろう。

 

「それもそうだったわ! …凄いわよおぉぉぉ慎ちゃん慎ちゃん慎ちゃんんんん!!!」

 

 やがて、士郎に諭された大河は真司へと意識を戻し、全力で手を振った。

 すると、真司は被っていた面を脱いで自分たちに手を振り返してくれた。藤ねえ興奮し過ぎだろ。そんな苦笑いが、遠目でも分かる。

 流石に、大河ほど全身全霊で喜びを表現する事は、桜には出来ない。その大きな影に隠れて小さく手を振るだけだ。

 それでも、心の内では飛び上がる程嬉しい事には変わり無い。真司がこの県大会に向けて、これまで以上に努力を重ねてきた事実を桜は知っている。

 

「…本当、凄いなぁ」

 

 鶴野が亡くなってから、まだ一ヶ月も過ぎていない。実の息子である真司からすれば、心に折り合いを付けるには足りないと言える期間だろう。

 だというのに、鶴野の葬儀を経てから、真司はすぐさま活力を取り戻した。こうして優勝してしまった。

 

「………………」

 

 しばらくの間、桜はこれまでの真司を想いながら感慨に耽っていると、気づいた頃には大会の閉会式が終わってしまった。

 士郎と大河に促された桜は、二人に続いて体育館を後にする。だが、体育館の入り口周辺は選手や部の教員などの人だかりでそれなりに混雑していた。

 

「うーん。まだ体育館の方に居るのかしら。ねぇ士郎、電話繋がった?」

 

「………いや、慎二の奴、絶対気づいてないな。きっと、あいつの事だから優勝に浮かれてるんだろ」

 

 流石に藤ねえ程じゃなさそうだけど。そう続けた士郎は、八方塞がりと言わんばかりに携帯をポケットにしまった。

 これでは、真司と合流するのに手間取ってしまう。わざわざ応援に来てくれた二人を、人が居なくなるまで待ちぼうけにするのは申し訳ない。

 猛虎と化した大河からアームロックを見舞われる士郎を尻目に、桜はこっそりと予め用意しておいた影の使い魔を起動した。

 足の踝にも及ばない程度の小さな使い魔は、地面に映る様々な影を伝って目当ての人物を探し当てる。真司は人混みを避けるように体育館の門の塀に寄り掛かっていた。

 桜は人混みの隙間を縫うようにして、真司の元へと駆け寄って行く。彼は誰かと話し込んでいる様子だった。

 

「———!」

 

 しかし、真司の傍らに立つ人物を視界に捉えた瞬間。桜の足は動きを止める。それと引き換えに、卑しい妬心が否応無しに立ち昇った。

 遠坂凛。現在は自分たちとは違う中学に通っている少女だ。戸籍上は赤の他人で通っている。

 しかし、血の繋がりという観点で見るのならば、桜と凛は誤魔化しようも無く姉妹だ。

 彼女の、自分の本当の両親が亡き今。最も濃い血の繋がりを持った唯一の存在とも呼べる。

 何故、彼女が此処にいるのか。桜の疑問を代弁するかのように、人垣の向こうの真司が口を開く。

 

「つーか凛、どうして来てるのさ。此処の体育館までお前の家からでも随分遠いだろ?」

 

「…うちの中学に居る友達の応援よ。結構良い線まで行ったみたいだけど」

 

 何故だ。友達の応援に来たのならば、終わりと同時にそちらの方へ行ってしまえばいいだろう。

 そもそも、朧げな記憶であるものの、凛が通う中学に剣道部は無かったような覚えがある。

 方便と思しき返答も特に気にしていない様子の真司は、気の置けない会話を続けてゆく。

 

「………っ」

 

 そんな二人の間にすぐさま割って入れない意気地の無さに、桜は無性に腹が立った。

 大きく息を吸って腹の奥底に力を込め、固まっていた足をようやく動かす。

 

「———ようやく見つけたわよ、慎ちゃん!………あら? あらあらあら!?」

 

 だが、桜は失念していた。愛弟子の快進撃に狂喜乱舞していた猛虎の存在を。その嗅覚の鋭さを。

 唐突に現れた大河の猛りは、桜が手を下すまでもなく見事にぶち壊してくれた。仲睦まじく見えた真司と凛の間を。

 貴女は慎ちゃんのガールフレンドなのか。彼女なのか。機関銃じみた舌鋒で追求する大河を、否定も肯定もせず言葉巧みに躱し続ける凛。

 

「……………」

 

 飛び込む機会をすっかり失った桜は、半ば呆然としたまま大河と凛の対極的なやり取りを眺める。

 こいつとはただの腐れ縁だから、変な勘繰りはやめてくれ。真司が辟易とした声色でやり取りに一石を投じるものの、効果は今ひとつであった。

 やがて、左腕を摩りながら現れた士郎が真司に加勢した事により、状況は収束し始める。

 どこか満足気な表情で真司の優勝を祝福し、凛は三人の前から去って行った。一瞬、ほんの一瞬。こちらに目配せをしてから。

 

「なんとなく、お前の側に付いたけどさ、………あの子、追い掛けなくていいのか? ちょっとぐらいなら待つけど」

 

「そうそう。私から仕掛けといてなんだけど、もしかしたら、もしかするかもしれないんじゃない?」

 

 士郎は、初対面の凛に何か思うところがあったのか、真司にそんな提案をしてくる。時間を経て鎮静化された大河も、同様の意見だ。

 癖っ毛のある髪に指を突っ込んで頭を掻く。そこに浮ついた感情は微塵も無い。

 

「違うって言ってるのにまだ言うのかよ。………っていうか、士郎と藤ねえ。さっきからずっと聞こうと思ってたんだけど、桜ちゃんはどこ行ったんだよ」

 

「「………あ」」

 

 真司の問い掛けに、士郎と大河は口を揃えて間の抜けた声を漏らす。どうやら桜は二人に忘れられていたらしい。

 だが、それも仕方がない。馴染みの無い。尚且つ見目麗しい少女が、真司と仲睦まじく会話していたのならば、それまでの事など吹き飛ぶだろう。

 それ以前に、二人の側から離れたのは桜の方からだ。いつまでも立ち尽くしてなどいられない。

 

「———ご、ごめんなさい。は、はぐれちゃって!」

 

 詰まり気味の謝罪の言葉。それとは真反対の軽やかな足取りで、桜は今度こそ真司に駆け寄って行った。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 膨らみに膨らみ、長ネギがはみ出たビニール袋を下げて、桜は自動ドアから外に出る。

 時刻は既に宵の口へと差し掛かっていた。日中とは打って変わる涼しい夜風を浴びて、溜め息を吐く。

 一時間程度、軽い仮眠を取ってから商店街のスーパーへ買い物に出かける予定だったのだが、大幅に寝過ごしてしまったのだ。

 現在、中学校は夏季休業に入っている。だからといって、気を抜き過ぎだろう。自戒の念を胸に、桜は早足で家路を急ぐ。

 真司は来週に控えた全国大会に向けて、朝から晩まで学校の道場で剣道三昧だ。きっと、今頃は腹を空かせて帰って来ているに違いない。

 

「生姜焼き、肉味噌炒め、酢豚も…」

 

 未だ完全な覚醒を果たしていない頭の中で、桜は今晩の献立を歩度と共に組み立てていく。

 因みに、主菜が豚肉である事は確定事項だ。丁度セールだったのだから当然である。

 やがて、桜の足は細い裏路地に辿り着く。普段から通り慣れた家への近道なのだ。

 だが、桜が裏路地へと一歩踏み出した瞬間。真っ黒な何かが正面を不意に横切った。無意識の内に、視線を横切った何かに合わせる。

 

「………黒い蝶々?」

 

 何故、揺らめきながら羽ばたくそれを、咄嗟に蝶々と認識したのか。蝶々が飛び回るのは日中だ。蛾か何かと見間違えたか。

 そう思い、目を凝らすものの、街灯の明かりに照らされるそれは、どうにも蛾には見えない。

 そのまま、黒い蝶々のようなものは、よろめいた軌道を描いて表通りへと行ってしまった。

 

「早く帰ろう。兄さん、きっと心配してるだろうし」

 

 追い掛けて確かめてみたい。そんな幼子じみた好奇心が少しだけ湧いてきたが、遠回りをしている時間は無い。意識を裏路地へと戻して、桜は再び歩き出した。

 

「………………」

 

 太陽の影響は思った以上に大きい。行きの時点で仄暗かった道は、油のように濃く重い闇に覆われていた。

 知らず識らず、桜の歩幅は狭まっていく。何が有るわけでも無いというのに。

 歩く度に、歩く度に。ただ暗いだけの裏路地に嫌な物を想起してしまう。

 ただ、酷く似ていたのだ。この道と同じだけ通り慣れた、蟲蔵へと続く冷たい通路に。

 

「………まさか、ね」

 

 己の感覚に否定的な言葉を呟きながらも、刺すような背筋の顫動は一向に消えない。

 あの日以来、臓硯は趣向を変え始めた。端的に言えば、桜は襲われるようになったのだ。蟲蔵の蟲たちの一部に。

 鍛錬と言う名の拷問は、桜という有望な駒の規格を測る実験に切り替わった。本能的な危機意識からか、鋭敏になった聴覚が微かな音を拾い取る。

 遂に、臓硯は外にまで仕掛ける範囲を広げたのか。警戒の意を込めて、桜は空いた左手を僅かに動かす。

 

「———ぇ」

 

 結果として、桜の経験則による直感は間違っていなかった。ただ、一つだけ問題が有るとするならば、嗾けられた存在だ。

 蟲では無い。酩酊したかのように不鮮明な足音を立てて近づいてくる影。随分と大柄で人相の悪い男だった。

 男の相貌は見るからに正気では無い。それでいて、蕩けきった瞳孔は真っ直ぐに桜を見据えている。

 

「こ、ここまで……っ」

 

 ここまでさせるのか。動揺が言葉の続きを奪い去った。

 先ず、疑う余地も無く、男は臓硯の蟲に寄生されている。首筋に浮かぶ歪な水疱。それこそが明確な証拠だ。察するに、蟲による支配は脳にまで及んでいるのだろう。

 自分では助けられない。そう判断した時点で、桜の中で立ち向かうという選択肢は消滅した。

 

「…………?」

 

 しかし、その場から逃げ出す事は叶わなかった。動こうとする意思に反して、震えるだけの両足を桜は見下ろす。

 思っていた以上に、自身には胆力というものが備わっていなかったらしい。この危機的な状況で、桜は他人事のように自己分析をする。

 蟲の無機質な複眼とは違う。蟲に操られた男の悍ましい形相は、見事に桜の足を竦ませていた。

 相手が人間というだけで、この有様。目も当てられない臆病者だ。思わず漏れた桜の自嘲に重なるように、男は奇怪な叫び声を上げて突進して来る。

 そうして、桜は為す術も無く押し倒され、後頭部をコンクリートに強く打ち付けた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 明滅する桜の意識を、男が文字通りに叩き起こす。理性無き瞳の奥にある蟲の…臓硯の意思が克明に告げていた。

 戦えと。その為の力は有るのだろうと。

 

「………嫌………嫌………っ!」

 

 首を横に振り、桜は頑なに拒絶の意を示した。今の自分が使える魔術に加減という物は存在しない。もしも行使すれば、操られている男は絶対に死んでしまうだろう。

 どのような事をされても、人の命は奪えない。一つでも命を奪ったら、もう後戻り出来なくなる。

 それは、桜の数少ない譲れぬ一線だった。

 

「っ………っっ」

 

 焦れた男の拳が、桜の頬を強く打ち据える。予想以上に痛かった。人の手で殴られる感覚は。だが、我慢出来ぬ程ではない。

 幸い、桜にとって我慢は得意分野だった。我慢さえすれば、苦しみなど塵旋風のように巻き上げられ、認識の外へと消えて無くなる。

 そういえば初めてか。人間相手に痛めつけられる事は。この分では、陵辱される事もあり得る。

 

「…………………」

 

 そんなことを思いながら、桜は呼吸を止める要領で五感を鈍らせて行く。

 そうして、地面にぶち撒けられた今晩の食材を最後に見つめ、桜は目を閉じようとした。

 

「———おいっ! お前何やってんだよっ!」

 

 だが、桜が目蓋を閉じきる事は出来なかった。怒りに満ちた少年の声が桜の耳朶を打ち、続け様に間断のない足音が地面を揺らす。

 桜に馬乗りになった男は口角を歪に吊り上げ、緩慢な動作で立ち上がって声の方へと振り返った。

 釣られて、男の拘束から体の自由を取り戻した桜も、身体を起こして呆然と見つめる。もう既に家に帰っている筈の真司の姿を。

 やがて、桜の視線と真司の視線が重なる。すると、真司はその双眸に更なる赫怒を浮かべ、眼前の男を睨みつけた。

 

「ぇ、ぁ、あ…ぁ………」

 

 人が来るなど、先ずあり得ない。既にこの裏路地には臓硯による人払いが為されている筈だ。慎重な性質の臓硯に限って不手際など起こすまい。

 冷たい何かが頭の隅々にまで浸透し、桜の思考力を凍らせてゆく。自分に起こすべき行動が思い浮かばない。

 

「やる気か………!」

 

 哄笑じみた呼吸を発しながら、男は真司へと殴り掛かって行く。彼我の体格差は明白。幾ら真司が剣道部であっても、今の彼の手には何も握られていない。素手だ。

 勝ち目など殆ど無い。だというのに、真司は迎え撃つ姿勢に入っている。それを止める事も叶わず、桜は正面の光景から顔を背けた。

 

「っ———」

 

 衝突。僅かな静寂の後に、倒れ伏す音が聞こえた瞬間。桜は反射的に視線を前へと戻す。しかし、倒れていたのは男の方だった。

 やがて、つま先で男を小突き、完全に気絶している事を認めた真司は、焦燥に呼吸を乱して駆け寄って来る。

 

「桜ちゃんっ、もう大丈夫だからな………!」

 

 訳も分からぬまま、桜は抱き締められた。真司の掌の震えが桜の身体に伝播し、更に困惑を深めてゆく。

 何故、真司はこの場所に、この局面にやって来たのか。何故、真司はあの男を返り討ちに出来たのか。

 様々な疑問が喉元を刺激して、桜の口を開かせかける。だが、それは恐ろしくて出来なかった。要らぬ事を口走って、真実を知られる危険は冒せない。

 

「取り敢えず、警察と救急車呼ぶから、こっから早く離れよう。………頬っぺた、痛くない?」

 

「………は、はい」

 

 桜を安心させるように、己を安心させるように。真司は桜に目線を合わせて痛みの有無を問い掛ける。

 ぎこちなく頷きを返すと、真司は桜を立ち上がらせようと手を差し出してくれた。桜は遠慮がちにその手を掴む。

 

「———ぁ」

 

 しかし、その瞬間を男は…臓硯は待っていたらしい。脳の箍を外されたかのような、人外じみた速度で起き上がり、手元に有った鉄パイプを握り締めて飛び込んで来る。

 

「マジかっ———!」

 

 真司も背後の殺気を悟り、即座に身を翻そうとしたが、桜に取られた片手と重心が枷となる。躱す事は不可能。

 唐竹割りのように振り下ろされた鉄パイプが唸る。そして、何かを砕くような耳障りな音が、桜の耳に克明に刻まれた。

 




続け様の過去編第二弾。
前回から、視点という名のカメラを桜の背後に置いた途端、滅茶苦茶暗い描写ばかりで、精神がもう息苦しいですねぇ。
桜がマジカル大切断を発動させるかどうかは、次回をお待ちください。
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